第11話

 隣を歩くラルス少尉の頭の上に乗った、少し身の丈に合わない上質な山高帽をベルナルドはちらりと見やって言った。

 「良い帽子だな」

 「ありがとう。私の宝物だよ」

 ラルス少尉は誇らし気に笑った。

 「でもなんか、似合ってないな。普段着に正装用の帽子を被っているみたいで」

 「ふふふ。だから良いんじゃないか。少し滑稽で、少し真面目な感じがするだろ?」

 ラルス少尉は山高帽の鍔に手を当てて、二枚目の役者が女を口説く時の様な気障ったらしいポーズをとった。

 「若い娘の気を引こうと必死になっている身の程知らずのおっさんに見える」

 ベルナルドの軽口をラルス少尉は肩を竦めて受け流した。

 「軍を辞めて行商を始めた私に、父がくれたんだよ。一端の商人なら帽子くらい良い物を被っておけ、とね」

 そう言ってラルス少尉は、お客さんを前にした商人のようにベルナルドに向かって、何が御入り用ですか?と言うような愛想笑いを浮かべた。

 「最初は嫌だったんだけどね。身の丈に合わない見栄を張っているみたいで。でも父が私の事を思って買ってくれた物だ。気に入らないからと被らないわけにはいかないだろ。だから嫌々この帽子を被って行商に出かけたんだ。そしたら、いつもの倍も物が売れて、売り物を確保する事に四苦八苦することになったよ……それ以来、この帽子は私の一番の宝物だ」

 脱いだ山高帽を愛おしそうに眺めて、再びラルス少尉は山高帽を被った。手入れの行き届いた汚れ一つない黒いフェルト製の山高帽を。

 「つけられてる。12、3くらいのガキが二人。心当たりはあるか?」

 人気の無い路地の角を曲がったタイミングでベルナルドが言った。

 「振り向くなよ、マルコ。心当たりは無いな。この辺りをねぐらにしている浮浪児、が連れ立っている三人の男を襲うとは考えにくいか……ふむ。困ったな。家を出た時からつけられていたと思うか?」

 ベルナルドは頷いた。

 「狙いはあんただな。誰かがあんたを密告したんだろう。始末するか?」

 何気なく言ったベルナルドの台詞に、マルコがぎょっとした顔をして言った。

 「待って下さい。俺達をつけているのは、まだ12、3の子供なんでしょ?」

 「ただの悪ガキが小遣い欲しさに俺達をつけていたなら、俺だって殺したりはしねえよ、脅して追い返すだけで。だがありゃあ……訓練を受けた奴の動きだ」

 「そんなの見ただけで分かるんですか?違っていたらどうするんですか?」

 「訓練を受けている奴は教わった通りの動きをする。目が合いそうになったら、視線を逸らさずにぼんやりと前を見るとか、一定の間隔で歩く速度を変えるとか、教えた奴の癖をそのまま真似ていたりとかするから、一人ならともかく二人となると分かり易い。似たような反応や行動をするからな」

 「……ラルスさん?」

 どうにかならないかと、助けを求めるようにマルコはラルス少尉の顔をうかがった。

 「出来れば殺さずに捕まえたい。出来るか、ベルナルド?」

 マルコが見たラルス少尉の顔は、人形のような感情の抜け落ちた無機質な顔をしていた。

 「出来なくはないが……始末してやった方があいつらのためだぞ?」

 それに比べてベルナルドは先ほどと変わらない人間味のある顔をしている。

 「そんな情けが何になる?それで作戦が失敗に終わったらどうする?犠牲になるのは私だけでは無いんだぞ」

 ベルナルドは自分を納得させるように二度三度と小さく頷いた。

 「次の角を曲がった所で仕掛ける。問題ないか?」

 「ああ、問題ない。憲兵がこの時間にこの辺りを通ることは無いし、近隣の住民は革命軍に協力的だ」

 「よし……それじゃあ、マルコの面倒を頼むぞ」

 「ああ、任せてくれ」

 淡々と決まっていく自分達を尾行している子供達の処遇に、マルコの感情は混乱をきたしていた。ひどい目に遭うだろう子供達を助けてやりたいという思いと、革命を成し遂げるためには仕方が無いと言う思いがマルコの中でぐちゃぐちゃに混じり合い、どちらかを選べばどちらかがくっ付いてくる様な、分けることも選ぶことも出来ない、だけど分けて選ばなければならない。助けるのか、見捨てるのか。時間は無い。ベルナルドが仕掛けようとしている角は、もう目の前まで迫って来ている。

 「子供であっても目の前に武器を持って立ったのなら、自身と仲間を守るために戦わなければならない。善も慈悲も情けも捨てて、只々ただただどちらかが倒れるまで戦い続けなければならない」

 角を曲がった所で顔をうつむかせたマルコの肩を抱いたアルス少尉が言った。

 「何が正しくて何が間違っているかを決められるのは勝者だけだ。だから負けるわけにはいかない。たとえどんな非情な手段を使おうとも、負けるわけにはいかない」

 振り返ったマルコの視線の先では、ベルナルドが大工道具が入っている腰袋から取り出したトンカチを片手に深く腰を落として、角から飛び出すタイミングを計っていた。

 「それが許せないと言うのなら、間違っていると思うのなら君は革命に参加するべきではない」

 ベルナルドが飛び出した角先で少年たちの悲鳴が上がった。胸を抉られる様な身の毛がよだつ悲鳴が。

 「戦いが終わった後に必要なのは、私やベルナルドのような人間ではない。君の様に、非道に涙を流し悲しみを覚える者だ」

 泣いている幼子をあやす様に、アルス少尉は顔を伏せて嗚咽おえつを漏らすマルコの頭を何度も撫でた。

 

 ♦♦♦♦


 王都の外れにある放牧場の厩舎の中で馬の世話をしている、片足が義足の青年が手を止めて振り返った。

 「何がったんですか?」

 「別に、何も」

 「なら仏頂面で黙っていないで、世間話の一つでもしたらどうです?」

 「……調子はどうだ?」

 「仕事がきついから良いとは言えませんが、悪くはありませんよ。隊長はどうです?最近、何かいい事ありました?」

 「……司教らしき死体から大金を拾った」

 義足の青年は深く長いため息を吐いた。

 「隊長が殺したんですか?」

 「……王都の住民を虐殺する手伝いをしろと言ってきたから……成り行きで殺しちまった」

 「……はあ~。何がどうなったらそんな事になるんですか?」

 「いやまぁ、なんか、手を貸したら、罪に問わないって言うから……」

 「……はあ~もう、だから皆さっさと逃げろって言っているんじゃないですか。どうせここに残って居ても、良い事なんて何も無いでしょ?」

 「いやまあ、そうだけど……部隊の奴らを置いて逃げる訳にはいかないだろ?一応俺が隊長なんだし」

 義足の青年は呆れ果てたように天井を見上げた。

 「隊長はあいつらの事を何だと思っているんですか?もう子供じゃないんですから、隊長がどうにかしなくても自分の事は自分でどうにかしますよ」

 「いやまぁ、そうだけど……見捨てる訳にもいかないだろ?」

 「いやだから、隊長がどうにかしなくても、あいつ等はあいつ等でどうにかしますって」

 「いやまぁ、んー……」

 「だいたい、もうそんな事を言っている場合じゃないでしょ?罪を帳消しにしてくれるって言っていた奴らの仲間を殺しちゃったんだから」

 「うん、まぁ、うん」

 「だったらもう逃げる以外に手は無いでしょ?何を愚図愚図と悩む必要があるんですか?」

 「うーん……」

 「ここに居る好きな馬を乗って行って良いですから。もういますぐ逃げて下さいよ、隊長。ここに居たって殺されるだけじゃないですか」

 「うーん……」

 「隊長!」

 いい加減悩むのは止めろと叱るように義足の青年は声を荒げた。

 「何をこれ以上悩む必要があると言うんですか?!」

 決断を迫る義足の青年の問いに、カルセルはうつむかせていた顔を上げた。

 「いやまぁ、そうだよな。やっぱり、見捨てる訳にはいかねえよなぁ」

 カルセルは悲壮な顔ではかなげに笑った。


 ♦♦♦♦


  今日の王城はダンスパーティーの用意で朝から騒がしい。

 宿舎の二階から見える下働きの使用人の数もいつもの倍は居る様に見える。

 「スペンサーの奴らには危機感てものがないのか?こんな時にダンスパーティーなんて開いている場合じゃないだろ」

 使用人たちが働く姿を一緒に眺めていたロニーが呆れ声で言った。

 「かといって客人が来ているのに何もしないわけにはいかないんだろ。スペンサー王国にも保たなきゃならない最低限の面子めんつっていうものがあるんだからさ」

 「うちの国も悪いけどね。こんな情勢の時にやって来ておいて、こんな時だからと辞退する事も無くダンスパーティーに参加しようって言うんだから」

 僕達の側に置いた椅子に腰かけてライフルの手入れをしているジョシュアが言った。

 「ウィル一等兵、話があります。医務室に戻りなさい」

 声がした方に顔を向けると、二階の通路にある窓の側に居る僕達を、階段を上がった所からハリス曹長が見ていた。

 「あ、はい。戻ります」

 何をしたんだとロニーとジョシュアが僕を見るけど、スペンサー王と謁見した初日を除けば、宿舎の周辺を走る以外に宿舎の外に出た事の無い僕に、ハリス曹長に注意を受けるような事をした覚えは無く、僕は二人に向かって肩を竦めて首を傾げた。

 ——食堂にあるジャムをバレないようにちょこちょこくすねていたのがバレたんだろうか?でもそれならロニーとジョシュアも共犯だから一緒に呼ばれるはずだ。そもそも、そんな事でハリス曹長が僕を叱るだろうか?ハリス曹長なら気を付けなさいの一言で済ませる気がするけど。ジャムが無くなった所でハリス曹長が困る事なんて無いんだし、ハリス曹長がジャム好きと聞いたことも無いし……何の話だろう?


 「今からする話はその時がくるまで誰にも話さず黙秘するように」

 誰も入って来れないように医務室の入り口に鍵を掛けて、診察用の椅子に座ったハリス曹長が対面に座る僕に開口一番そう言った。

 「匂わすようなことも駄目ですよ」

 僕は苦笑した。

 「ご安心ください。僕は部隊でも一二を争う口の堅い男ですから」

 「本当に口の堅い人は、そんな当たり前の事をわざわざ誇示したりしませんよ」

 「はい。仰る通りです。だけどハリス曹長に黙れと言われれば、僕は聖母様に問われたって口を開きませんよ」

 「君は何でそう嘘くさい軽口を叩くんですかね」

 「いやまぁ、性分ですかねぇ」

 「直す気は無さそうですね」

 ハリス曹長の呆れ声に僕は笑って誤魔化した。

 「真面目な話をしますよ」

 僕は笑みを消して、ハリス曹長に「はい」と頷いた。

 「スペンサー王家の王子と王女が我が国に亡命する事が内々に決まりました」

 僕は目を見開いてハリス曹長の顔を見上げた。

 「スペンサー王と我々だけで決めた本当に内々の話です。王国府の人間は誰一人として知りませんし、おそらくは王子や王女も知らないでしょう」

 「スペンサー王が一人で決めたという事ですか?」

 ハリス曹長はその通りだと頷いた。

 僕は、ふーんと思うと同時に疑問に思った。

 「でも何で僕にそんな話をしたんですか?僕がそんな話を聞いてもどうしようもないと思うんですけど」

 「本来であれば、こんな話は君だけではなく私にだって知る権利はありません」

 「それはつまり……えーっと……もしかして……ハリス曹長が何処からそんな話を聞いたのかは知らないですけど……」

 「事前に知っておくべきだと判断したホッチス隊長が私に話をして、私はあなたも事前に知っておくべきだと思い、ホッチス隊長の許可を得てあなたに話をしました」

 「ああ、そうですか。良かった」と僕は胸を撫で下ろした。

 いくらハリス曹長が部隊に欠かせない優秀な衛生兵だとしても、さすがにそんな極秘情報を誰かに漏らすようなことをすれば、間違いなく重罪に処されていただろう。それを知って黙っていた僕も、ハリス曹長ほどではないにしてもそれなりに重い罪に問われることになっていただろうし、いやほんと良かったよ、ハリス曹長が盗み聞きをしたんじゃなくて。

 「ハリス曹長が独断で僕に話した事でない事は分かりましたけど……何でハリス曹長は僕なんかに話しておこうと思ったんですか?僕は部隊で一番下っ端の階級で、衛生兵としても全然まだまだ知識も経験も足りてないですし、僕が事前に知っていた所で何かお役に立てるようなことは何も無いと思うんですけど」

 「だから話したんですよ、ウィル一等兵。君が言う通り、今の君は衛生兵として何もかもが足りていませんからね」

 僕は嫌な予感がした。

 「最悪を想定すると、スペンサー王家の王子と王女を亡命させる時に戦闘が発生することはまぬがれないでしょう」

 「もしスペンサー国内で大規模な反乱が起きれば、確かにハリス曹長が言う様に戦闘になる可能性は十分に考えられますが——」

 「その戦闘でもし私が命を落としたら?」

 ナイフを突きつけられたように僕は息を呑んだ。と同時に、そんな事はありえないという反論にならない反論が僕の頭の中をぐるぐると駆け巡った。

 「もしそうなれば、仲間の命を救えるかどうかは、君がどれだけの能力を持っているかに掛かってくるでしょう」

 そうだ。もしそうなったら、僕がどれだけの知識と技術を身に着けているかで、仲間の生死が大きく左右されることになるだろう。

 「そんな時に、出来ない、分からないなんて言い訳が自分自身に通じると思いますか?そんな自分が許せますか?」

 僕は首を振った。

 「いいえ。とてもじゃありませんが、そんな言い訳が自分に通じるとは思えません。もし僕がそんな言い訳をしようとしても、僕は絶対にそんな自分を許さないでしょう」

 「私だってそんな言い訳をする衛生兵がいたら誰であろうと許しませんよ」

 何かズシリと重たい見えない物が僕の体にし掛かった様な気がした。

 「ハリス曹長が何で僕に極秘情報を教えようと思ったのか分かりましたよ」 

 ハリス曹長は、君なら分かってくれると思っていたというような優しげな微笑みを浮かべて頷いた。

 「私が持っている知識と技術の全てを、今から時間が許す限り教え込みます。もちろん、そこに睡眠時間などというものはありません。いつ何時何が起きて中断する事になるか分かりませんからね」

 僕は絶望すればいいのか奮起すればいいのか反応に困った。

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