第10話

 スペンサー王国の若き騎兵隊長カルセルは、逃げ場のない袋小路に追い詰められたような焦りと、どうにもならない底なし沼に沈んでいくような恐怖を感じていた。

 ——やっちまったか……?

 窓の無い馬車に乗せられて、目隠しをした状態で連れて来られた場所は、人気の無い物静かな小さな作業小屋、もしくは猟師小屋かもしれない。そこにカルセルを合わせた四人の人間が居る。小屋の木窓は塞がれていて天井から垂れるカンテラの明かりが小屋の中をぼんやりと照らしていた。

 「初めまして、カルセル隊長」

 白いローブに目元と口元だけが開いている肩まで伸びる白い覆面を被った椅子に座った恰幅の良い男が言った。

 「どうぞ、お座りください」

 恰幅の良い男は、自身の対面に置かれた椅子に視線をやって、カルセルにそこに座るよう促した。

 カルセルは椅子に座る恰幅の良い男を守るように立つ、目元と口元だけが見える白い布に覆われた屈強な大男に視線をやり、次いで小屋の出入り口を塞ぐように立つ、白い布に覆われた平均的な体格をした男に視線をやり、再びその視線を椅子に座る恰幅の良い男に向けた。

 「彼らの事は気にしないで下さい」

 恰幅の良い男が微笑んだのだろう。顔を覆う白い布の輪郭が僅かに膨らんだ。

 「彼等は万が一に備えているだけで、何も無ければ彼らがあなたに危害を加える事はありません。さ、どうぞ。お座りください。立ったままではお互いに話がし難いでしょう?」

 ——逃亡も抵抗も出来ないようにしておいて何が話にくいと言うのか。

 しかしカルセルが椅子に座らないと話は始まらないのだろう。

 三人の男達は何も言わず、じっとカルセルが座るのを待っていた。カルセルの一挙手一投足に注意を払うような視線で。

 カルセルはじりじりと壁際に追い詰められる様な迫られる様な強い圧迫感を覚え、逃げ場を探すように再度自身を囲う男達へ視線をやった。

 それを男達は無様と嘲ることも無ければ、抵抗するつもりかと威圧することも無い。ただ淡々と感情のない眼でカルセルを見つめ返した。

 「では話を始めましょうか」

 男たちの動向を窺いながら恐る恐る椅子に座ったカルセルに、椅子に座っている恰幅の良い男が言った。


 ♦♦♦♦


 「俺達の任務は、ここと、ここの警備陣地を潰して、この路地の交差路に防御陣地を築くことだ」

 マルコの案内で、住宅街にある一般的な集合住宅の一室を訪ねたベルナルドは、革命軍のラルス少尉を名乗る三十代前半くらいの小太りの男と話をつけて、地図を前にラルス少尉が任されている任務の内容を聞いた。

 「憲兵が反撃に出るまでの時間は?防御陣地を築くための資材や道具は何処に置いてある?」

 「他所よその作戦状況次第だが、おそらくはこのベルシャ大通りにある詰所つめしょから一個小隊、最低でもその程度の部隊が反撃に来ると思うが、正直言って、それがいつ反撃に出て来るかはやってみないと分からない。予想とは違う場所から反撃部隊が出て来る事だってあるかもしれないし……その辺は相手次第になるだろうな。防御陣地用の資材は、交差路の近隣の住宅に隠してある。警備陣地に攻撃を仕掛けると同時に運び出す予定だ」

 「あんたが現場を仕切るのか?」

 ベルナルドは、露店の店先に座ってそうな小太りの商店主のような風貌をしているラルス少尉を一瞥いちべつして言った。

 「これでも一応士官学校は出ているし、実戦で部隊を指揮した経験もある。十年以上前の話だがな。それでもまだ不満か、特務曹長殿?」

 「いいや。地元の顔役が俺に任せろと出張って来るのに比べりゃ、あんたは百戦百勝の軍神様だよ」

 「いいのか?」

 「一人足りないくらいで将軍閣下が困ると思うか?あんたは一人抜けただけで、死ぬほど困るだろうがな」

 ベルナルドの皮肉気な笑みに、ラルス少尉は何処か済まなそうに苦笑いを浮かべた。

 「悪いな、ベルナルド。足りないのは一人じゃなくて、三人なんだ。あんたを足してもな」

 「……嘘だろ?」

 「革命軍なんて名乗っちゃいるが、その大半が軍事訓練を受けた事も無い素人だからな。怖気づいて逃げる奴がいたって何もおかしくはないだろ?」

 「……チッ。戦闘中に逃げ出す奴も出そうだな」

 「ビビッて動けなくなる奴もな」

 そんな戦場を想像したのだろう。ベルナルドは、恐ろしいくらいに表情が抜け落ちた顔をラルス少尉に向けた。

 「憲兵に怪しまれずに現場をじっくり下見できる場所はあるか?」

 「今からでも遅くはないぞ。マルコを連れて将軍閣下の部隊に戻ったらどうだ」

 「それは筋が通らねえ。俺はあんたに手伝うと言ったんだ。なら、俺は何があろうとあんたを手伝うのが筋ってもんだろ?」

 「フン、だったら好きにしな。犬死にしても文句言うなよ」

 「言うに決まってんだろ。あんたがヘマする以外に俺が犬死する事なんてありえないんだからな」

 「何だと、この将軍の犬っころが」

 「ああ?誰が犬っころだ、このブタ野郎!」

 「ちょっ!ちょっとやめて下さいよ!喧嘩は!」

 「「うるせえ!」」「三下は引っ込んでろ!」「お前の出る幕ではない!」

 今にも殴り合いが始まりそうな剣呑な二人を止めようとしたマルコを、二人は同時に怒鳴り散らした。

 

 ♦♦♦♦


 「何だって?」

 王都郊外の何処かにある小さな作業小屋に連れて来られたカルセルは、目の前の粗末な椅子に座る、白い布で全身を覆い隠した恰幅の良い男が発した思いもよらない提案に、何かこの世のものではない不気味なものを見たかのように、カルセルは目の前の椅子に座る恰幅の良い男の様子をうかがった。

 ——自分が何を言っているのか分かっているのか?

 「不愉快ですね。幼子の親兄弟を殺してその幼子を売り飛ばしたあなたに、気違いを見るかのような顔をされるのは。ええ、非常に不愉快ですよ」

 恰幅の良い男の、怒りをこらえた声音にカルセルは顔を強張らせた。

 「私が好き好んでこんな依頼をあなたにしていると思いますか?」

 いや、どうだろう?という、疑心と否定が混じった顔でカルセルは首を傾げて判断に迷う様に首を左右に振った。

 「とにかく、あなたに依頼したいことは以上です」

 話は分かったとカルセルは頷いた。

 「難しい事ではないでしょう?いつもより大袈裟に残虐で悲劇的な仕事をすればいいのですから」

 恰幅の良い男の楽な仕事だというような口調に反発するようにカルセルは顔をしかめた。

 「いつ何処から撃たれるか分からない状況の何処が難しくないって……?戦場の何たるかも知らねえど素人が分かった様な口を利きやがって!ぶっ殺すぞ!」

 屈強な男達に囲まれておどおどしていたカルセルが突然発した鬼気迫る怒声に、椅子に座っていた恰幅の良い男は身をのけ反らせて逃げる様に椅子から腰を浮かせた。その横に立っていた屈強な大男も、カルセルの突然の豹変に意表を突かれ、一拍遅れて恰幅の良い男を守る様にカルセルの前に立った。

 カルセルの背後にある、作業小屋の出入り口に立っていた男も、慌てた様子で腰のナイフを抜いて身構えた。 

 「やってみろよ」

 自身を囲む男達を見回してカルセルは言った。

 「俺がお前らにただでやれれると思っているならやってみろよ。なぁ、でかぶつ。かかってこいよ。てめーの股間にぶら下がっているびー玉を握り潰してやるぜ?後ろの奴でも構わねえぞ。その人を見下した目玉を抉り出してやるからよ。ああ?どうした?かかってこいよ。ビビってんのか?」

 「待て待て待て!落ち着け。動くんじゃない。カルセル隊長、椅子に座れ」

 腰の後ろに隠し持っていたのだろう。円筒形の弾倉を持つ回転式の拳銃を恰幅の良い男はカルセルに向けて言った。

 「良い銃だな。新品か?」

 「椅子に座るんだ、カルセル隊長」

 「嫌だね。ようやく見えてきた勝ち目を誰が捨てるもんか」

 「座らないと撃つぞ!」

 「あんたがいくら撃った所で俺にはかすりもしねえよ。嘘だと思うなら撃ってみな。ようく、しっかりと狙ってな。外したら俺に殺されるぜ」

 「座れ!座るんだ、カルセル!」

 「まだそんな事言っているのか。分かってないな、あんたは」

  カルセルの顔に嗜虐的しぎゃくてきな笑みが浮かんだ。

 「あんたは判断を間違えたんだ。致命的なほどにな」

 「これが最後の警告だ。今すぐに座らなければ撃つ!」

 「なら俺も最後に教えてやるよ。あんたが何を間違ったのか」

 銃声が鳴った。一発、二発、三発、四発。

 カルセルは恰幅の良い男から奪った拳銃の撃鉄を起こして、恰幅の良い男の頭部を覆う白い布を剥ぎ取った。

 「これで分かっただろ?こんな狭い場所で素人が銃を使った所で何の役にも立たないって。むしろ、危険だ。銃が一丁あれば、この程度の状況は容易にひっくり返すことが出来るんだからな。聞いてるか?」

 生命力を失った恰幅の良い男の驚きに見開いた顔を、カルセルは嘲笑う様に鼻で笑って見下ろす。

 ——日焼けしていない白い肌に、丁寧に整えられた口髭。産毛も生えていないあご。汗染みすらない新品のような綺麗なシャツのえり

 それだけで、この男の裕福さが窺えた。

 「大丈夫ですか?」

 作業小屋の周囲を見張っていた誰かが銃声を聞いて声を掛けたのだろう。

 カルセルは恰幅の良い男の懐を漁って拳銃の弾を探した。

 「チェイ。レミオ……くそっ!まずいぞ!チェイとレミオがやられたかもしれん!」

 「何っ?!ファビオ様もか?」

 「分からん!とにかくまずいことになってる」

 「分からんてどういうことだよ?!ファビオ様が中に居るんだぞ!」

 「そんな事言ったって、どうしようもないだろ。相手は銃を持っているんだぞ。中に入ったら撃たれちまうだろうが」

 「じゃあ、どうするんだよ。ファビオ様が中に居るんだぞ」

 「まぁまぁ、落ち着けよ。ファビオ様はまだ生きているからさ」

 予備の弾を見つけて、拳銃に弾を込め直したカルセルは、作業小屋の出入り口のドアを少しだけそっと開けて周囲の状況を確認すると、出入り口の前で騒いでいた三人の見張りに拳銃を向けて声を掛けた。

 「ゆっくりと肩に掛けている銃を外せ」

 三人の見張りは肩に二連式の散弾銃を下げていて、どうする?と視線で仲間と意思の疎通を図ろうとしたが、その仲間の一人が耳をつんざく銃声と共に頭を撃たれて倒れた。

 「聞こえなかったのか?肩から銃を外せ。三人仲良くあの世に行くか?」

 一人死んで二人になった見張りは、握っていた散弾銃の負い紐を恐る恐る肩から外して、そのままゆっくりと散弾銃を地面に下ろした。

 「いいぞ。それじゃあ、ちょっと話がしたいから、俺が良いと言うまでこっちに近づいて来てくれるか?」

 二人の見張りは、カルセルの指示でカルセルの五歩手前で足を止めた。

 「よし。じゃ、手始めにここが何処か話してくれるか?」

 交互に二人の顔を見た後でカルセルは右側に立つ男にお前が話せと言う風に視線を固定した。

 「あー、えっと、ここは……」

 言わなければ殺すぞとカルセルの持つ拳銃の銃口が言い淀んだ男の顔に狙いをつける。

 「違う!言いたくないんじゃない!ここが何ていう所か思い出せないんだ!」

 「あー、そうか。そいつは仕方がないな。だがお前が思い出すのをのんびりと待っていられるほど俺は暇じゃないんだ。代わりにお前が答えろ」

 銃口が左側に立つ男へ移動する。

 「スペンサー王の狩猟区にある森番の作業小屋です」

 拳銃の銃口がゆっくりと左側の男から外れる。 

 「無断で入ったのか?」

 銃口が右側の男に向いた。

 「いえ、いや、あの……分かりません。俺達はただ指示された道を通って来ただけなので……」

 「ふーん。なるほど……」

 銃口が左側の男に向いた。

 「ファビオ様は何者だ?」

 「…………」

 銃口が左側の男の頭に狙いをつける。

 「腐っても王の狩猟区だぞ?一度もとがめられずにここまで来るなんて、事前に許可を得ている貴族にだって無理だ」

 カルセルに狙いを付けられている男の顔色が時間が経つごとに変わる。

 それだけは言えないと言う顔色からどうにかしなければ殺されるという顔色に。

 カルセルはもう一声かけようと口を開いて、突如カルセルに向かって駆け出した右側の男の脚を撃った。

 右側の男の無謀な突撃に触発されて駆け出そうとした左側の男も、カルセルは同様にその駆け出そうと踏み出した脚を撃った。

 「判断は良かったが、馬鹿正直に突っ込んできたのは間違いだったな」

 カルセルは作業小屋の壁に身を隠して、先ほど撃った弾の空薬莢は排出して新しい銃弾を円筒形の弾倉に込めると、出入り口のドアから注意深く顔を出して外の様子を窺った。

 ——他に仲間はいない……か?

 カルセルは外に向けていた視線を作業部屋に向けた。

 ——確実なのはファビオ様を人質にして逃げる事だが……何もせずに逃げるよりはマシか。

 カルセルは床に横たわるファビオの頭に剥ぎ取った白い覆面を被せ、その恰幅の良い体を首に巻き付けるように肩へ担ぎ上げた。

 「ファビオ様のお通りだ!頭が高い!控えおろう!誰か一人でも動いたらファビオ様の頭を吹き飛ばすぞ!」

 カルセルは肩に担いだファビオの頭に拳銃を突きつけると、森番の作業小屋から近くのしげみへ一気に駆け出した。

 

 

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