第13話

 罪人の家シナー・ハウス

 人々からそう言われる娼館を兼ねた酒場には、世間に居場所が無い浮浪児や肉体や精神に障害を抱えた者、世間から追い出された人格異常者や凶悪犯が常に屯していて、近所に住む人たちだけでなく、街の治安を守る憲兵や自警団であっても特別な理由が無ければ近づくことはない、。

 そんな世間の常識や倫理観から隔絶された、限られた人間だけが生きて出られる娼館を兼ねたシナー・ハウスと呼ばれる酒場に、若き騎兵隊長カルセルの姿があった。

 「何を考えてこんな所に来たのかは知らねえが、騒ぎが起きる前に帰った方が良いぞ、カルセル」

 「冗談だろ?いつからこの店はそんなお上品な台詞を吐く様になっちまったんだ?」

 「おまえこそ、シャバのぬるま湯で頭ン中まで腑抜けちまったのか?」

 「ぬるま湯……?シャバが?フッ、フハハッ!誰だ、そんな面白い冗談を言った奴は」

 酒場中に響き渡る笑い声を上げたカルセルに、酒場の店主は鋭く「バカ野郎ッ」とはき捨ててカウンターの下に身を隠した。

 「お前らもそう思うだろ?」

 バーカウンターにもたれ掛かっていた体をくるりと回したカルセルは、酒場中から集まる視線に向かって嘲笑するように言った。

 「シャバがぬるま湯なら、そのぬるま湯に浸かることも出来ないお前らは、泥浴びが大好きなブタ野郎じゃないかって、な」

 カルセルの一番近くに居た、バーカウンターで娼婦とイチャついていた男が、娼婦の体に隠れてナイフを抜いた。

 テーブル席でカードゲームやギャンブルをしていた客たちもテーブルの下で各々が隠し持っていた武器を手にした。

 酒場の隅で体を休めていた浮浪児達は、身を守る亀のように更に隅へと寄り集まり、粗末な自作の武器で身を固めた。

 「ははっ。冗談だよ。豚はお前らと違って、糞まみれの体を泥で洗い流そうとするだけの知能と身嗜みがあるからな」

 カルセルは腰に帯びていた騎兵用サーベルと回転式の拳銃を抜いた。

 「だけど、俺はお前らが大好きだぜ。だってお前らならいくら殺したってちっとも心が痛まないからな」

  

   ♦♦♦♦


 姪のリリーから聞き出した、”聖母ナディアの二分銀貨”を店に持ち込んだ男の容姿を頼りに、ビルは昔一緒に働いていた憲兵隊の仲間に相談を持ち掛けた。

 「間違いないのか?」

 「十中八九間違いないだろう」

 ビルは本当かと疑う様に眉をひそめた。

 「何でそんな有名人がうちの店なんか知っているんだ?うちは間違ってもお貴族様の耳に入るような店じゃないぞ。ましてや、うちの馬鹿娘が吹聴しているホラ話なんて、近所のガキ共とその親くらいしか知らない話だ。それでも間違いないって言うのか?」

 「ああ、俺の勘違いでなければ、お前の可愛い姪っ子にそいつを渡したのはアルベルト・グレイ・スミスで間違いない」

 ビルの顔が苦々しく歪んだ。

 「厄介な男なのか?」

 「厄介なんてもんじゃない。あいつのせいで、犯罪組織に潜入していた仲間が何人も殺されてる。あいつの独善的で短絡的な正義感に巻き込まれて……命懸けで犯罪組織に潜入していた捜査官が正体を明かす暇もなく何人も虫けらのように殺されてる……。俺達は信念を持って潜入捜査をしている。犯罪者たちが何を考え、どのようにして罪を犯すのかを知る事で、これから起きる犯罪を未然に防ぐことが出来ると。たとえそれが叶わなくとも、被害者の数は減らせるはずだと。だから俺達は耐えてきた。目の前で被害者たちが酷い目に遭っていたとしても、俺達は顔にうすら笑いを浮かべて耐えてきた。それがもっと多くの人々を守る事に繋がると信じて」

 憲兵隊で潜入工作員として働いていたビルには、彼の気持ちが我が事のように分かった。でもだからこそビルは彼が自分に何を頼もうとしているのかが分かり、その顔に否定的な表情を浮かべて、すまないが出来ないと言う様に首を小さく左右に振った。

 「頼むよ、ビル。力を貸してくれ」

 「無理だ。俺にはリリーを守る責任がある」

 「奴の罪を暴く、奴に虫けらのように殺された仲間の敵を獲る千載一遇のチャンスなんだ!」

 「忘れたのか。話の発端はリリーがついたホラ話だぞ?アルベルトが本当に暗殺の仕事を依頼したとは限らないだろ。だってそうだろ?アルベルトがリリーに依頼したのは、スペンサー王国にいるマルコとかいう革命軍に参加している御者見習いの暗殺だぞ」

 「なら何で俺の所へ来た?うちの娘が吐いたホラ話だと言えば済む話だろ」

 それを言われるとビルは返答に困った。

 「お前の姪っ子の気を惹くために”聖母ナディアの二分銀貨”を用意する馬鹿が何処に居る?」

 「……あの子の言っている事が嘘だという事は、調べればすぐに分かる事だ」

 「お前が優秀な潜入工作員だったという事もな」

 「……もう十年以上も前の話だ」

 「体はにぶっていないんだろ?」

 「姉に似て見た目だけはいいからな、あの子は。厄介事ばかり起きて鈍る暇もなかったよ」

 「なら腕も鈍っていないな?」

 「フランコ……俺はただあの子と何気ない一日を過ごしたいだけなんだ」

 「忘れたのか、ビル。その何気ない一日が如何にはかなもろいのか。お前はもう目を付けられたんだ。日和ひよっていたら全てを奪われるぞ」

 ビルは命乞いをするような眼でフランコを見た後、絶望したように顔を伏せた。

 「いざという時は俺達が命に代えてもお前達を守る。だから俺達に力を貸してくれ、ビル」

 顔を上げたビルの顔に表情は無く、眼には獲物を見つめる獣のような非情な冷徹さが宿っていた。

 「忘れるなよ。俺を裏切ると、死ぬその時まで後悔する事になるぞ」


  ♦♦♦♦


 「酒と女を食らうだけの怠惰な生活に明け暮れている人間なんて、所詮こんなものか」

 血がっすらと付いた騎兵サーベルをバーカウンターに置いたカルセルは、静まり返った罪びとの家シナー・ハウスと呼ばれる酒場に、弾が尽きて鈍器と化していた回転式拳銃の円筒形の弾倉から落ちる空薬莢の音を響かせた。 

 「おい。そいつは俺が仕留めた獲物だ。俺より先に手を付けたら殺すぞ」

 酒場の隅に溜まった埃のように身を寄せ合っていた浮浪児の一人が、自身の近くに倒れている男の懐に手を伸ばそうとしたのを、カルセルは目ざとく見つけて警告した。

 「バクス。生きてるか?」

 バーカウンターの裏に身を隠していた酒場の店主バグスが、恐る恐るバーカウンターから顔を出した。

 「何てこった……お前、自分が何をしたのか分かっているのか?」

 「分かってなきゃこんな所には来ねえよ。そんな事より、バクス。お前に聞きたいことがある。正直に答えるのは孫に小遣いをやるよりも難しいだろうが、死にたくなければ正直に答えろ」

 「な、なんだ?」

 後ろめたいことが山ほどあるのだろう。バクスは誰が見ても分かるくらいに狼狽うろたえた。

 「聖父教会と繋がりのあるクズはこの中に居るか?」

 殺伐とした雰囲気を漂わせているカルセルに問われて、つい反応してしまったのだろう。バクスの視線が酒場の隅にほんの一瞬だけ向いて、すぐに床に倒れている男たちや女たちに向いた。

 「動くな」

 カルセルはカチャリと音を立てて撃鉄を起こした拳銃を、部屋の隅に寄り添うように固まっていた浮浪児達に向けた。

 「カルセル……」

 「どいつだ?無駄な犠牲を出したく無きゃ答えろ、バクス」

 いざという時は、反撃に使おうと思ったのだろう。浮浪児達の方に向いているカルセルの視線の隙を突くように、バクスの視線がチラリとバーカウンターの上に乗ったままの騎兵サーベルに向いた。

 「お前が先に死ぬか?」

 騎兵サーベルからカルセルへ視線を戻したバグスの眼前に、まだ火傷しそうなほどに熱い硝煙の臭いを漂わせる銃口が突きつけられていた。

 引き金にはつるのように人差し指がしっかりと巻き付いていて、ほんの少し力を込めただけで、バネの反発から解放された撃鉄が実弾の底にある雷管を瞬時に叩き、鼓膜を破るような銃声と共に銃口から飛び出した銃弾がバグスの頭を吹き飛ばすのだろうと、銃口を突き付けられているバクスが誰よりも身に染みて理解した。

 カルセルは自分を誤って撃ち殺しても構わないと思っていると。

 「……そいつと、そいつと、そいつの三人は間違いない」

 「俺もお前も碌な死に方をしないな」

 カルセルの持つ拳銃の銃口が酒場の隅に寄り集まっている浮浪児達へ再び向いた。

 「俺は知りたいことがあるだけで、お前達を傷つける気も殺す気もない。だから、余計な事も誤魔化すようなこともするな」


 ♦♦♦♦


 街の何処かで銃声が鳴った。一発、二発、応戦するように先ほどとは違う銃声がいくつも鳴った。

 それが何処で鳴っているか確認しようとしたのだろう。集合住宅の真ん中を貫くように螺旋を描く中央階段の二階へ上がる途中の、集合住宅の出入り口が良く見える場所に陣取っていた男が首を傾げるように銃声のする方向へ耳を澄ませると、ビュンという音がして、耳を澄ませていた男の側頭部に太くて短いクロスボウの矢が刺さった。

 ベルナルドは慣れた手つきでクロスボウの弦を引いて矢をつがえると、慎重に足音を殺して階段を上る。

 ——何だ、これは?新型の拳銃、にしては大きいな。

 先ほど殺した男の手には、見た事の無い、おそらくは一般的な回転式の拳銃とは全く違う仕組みで動く拳銃なのだろう。

 並の拳銃より倍以上重くて大きいT字型をした拳銃には、肩当てのための木製ストックが取り付けられていた。

 銃を保持し引き金を引くためのグリップの中には、細長い長方形の鉄製の箱が、グリップの底から上に向かって差し込まれており、グリップの上部、そこも長方形のカクカクした形状をしていて、その先からは銃口が突き出している。

 銃身の上のカクカクした箱状の上には指を一本引っかけられそうな、ボルトの頭のような丸い突起が突き出しており、その丸いボルトの頭の後方には、丸いボルトの頭を後方にスライドさせるためと思われる溝が銃身に沿って切られていた。


 ベルナルドは周囲の気配を探って、近くに誰も居ないのを確認すると、銃身の上部にある丸いボルトの頭のような突起をゆっくりと引いた。

 中にはバネが入っているらしく、少し後ろに引いた丸いボルトから手を離すと、ボルトはバネの反発力で勝手に元の位置に戻った。

 再度丸いボルトを引いていくと、グリップの上部側面にある左右に開きそうなスライドドアらしきところが開き、そこから弾頭の付いた銃弾が勢いよく飛び出して、床に落ちた銃弾が静まり返った中央階段に、些細だがよく響く甲高い音を響かせた。

 ベルナルドは身じろぎ一つしないで耳を澄ませ、人の動く気配を探る。

 ——誰にも、気づかれては、いないか……はあ~、さすがに今のは肝が冷えたな。しかしそれにしても、何処の誰が考えて作ったのかは知らねえが、何て恐ろしい仕組みの銃を作りやがるんだ。

 銃弾が飛び出した、開いたままのグリップ上部側面の中を覗いたベルナルドは、心の底から戦慄した。


 グリップの中に差し込まれていた細長い長方形の箱の中にはぎっしりと銃弾が装填されており、引いたままだった丸いボルトを元の位置にゆっくりと動かすと、グリップの中に差し込まれていた弾倉の一番上にある銃弾が弾倉から押し出されて、その先にある薬室に銃弾が装填された。

 ——やっぱり思った通り、連発銃か……ったく、何で頭の良い連中は、馬鹿でも分かるような愚かな発明をするんだろうな。

 ベルナルドは、男が肩に掛けていた縦長のキャンバスバッグの中を見て、予想通りに連発銃用の細長い弾倉がいくつも入っているのを確認すると、男の肩から連発銃用の弾倉が入ったキャンバスバッグを外して、自分の肩に斜めに掛けた。

 

 ♦♦♦♦


 かすかに銃声のような音がした気がしたけど……幻聴か?

 「どうしましたか?」

 「あ、いえ。何でもありません。銃声のような音がしたような気がしたので。すみません。集中します」

 ハリス曹長から傷口の縫合方法を教えて貰った僕は、ハリス曹長の指導を受けながらひたすらに豚肉に付けられた傷を縫っていた。切り傷、刺し傷、引っかき傷、指でほじくったような銃傷。

 血痕と血の臭いが染みついた屠畜とちく小屋にある大きな作業台の上には、次に習う内臓の縫合の実演に使うための豚の内臓が奇麗に解体されて並んでいる。

 それが視界に映る度に、僕は何でこんな所で、解体されたばかりの豚肉に付けられた傷口を気が狂った異常者のようにひたすらに縫っているのだろう、と気を滅入めいらせた。

 「きましたか?」

 「あ、いえ。まだ大丈夫です。でも何か、正気がガリガリと削られている気がします。たぶん、解体されたばかりの新鮮な肉と贓物が目の前に並んでいるからだと思いますけど」

 「手の中でうごめく生きている人間の生暖かい内臓は、今とは比べ物にならないくらいに正気を削られますよ」

 そんな光景と感触を想像してしまった僕は、目の前に並ぶ内臓をハリス曹長に投げつけて逃げ出したくなった。

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