第23話

——いつもそうだ。俺はいつも肝心なところで役に立たない。父ちゃんが働いていた工場の事故で死んだ時もそうだ。母ちゃんは父ちゃんが死んで哀しかったし、心細かったのに俺や妹や弟のために毎日寝る間もないくらいに働いてくれた……なのに俺は泣いてばかりだった。俺が家族のために必死に働いていれば、俺がもっとちゃんとしていれば母ちゃんが死ぬことは無かったのに。妹や弟たちが親戚の家にバラバラに貰われて行くことも無かったのに。俺が、俺がちゃんとしていれば……母ちゃんが死ぬことは無かったし、妹や弟たちがバラバラに貰われていくことも無かった。

 「おい見ろよ。こいつ泣いてやがるぜ」

 心の底から人を馬鹿にする笑い声が、バルジの意識を覚ます。

 ——誰だ?誰が誰を笑い者にして笑ってるんだ?

 「おい起きろよ、腰抜け。てめーも一緒に埋めちまうぞ。ああ?」

 頭を小突かれた痛みに顔をしかめて目を開けたバルジの目に映ったのは、服を剥ぎ取られて下着姿になった男女の死体を、悪態をつきながら裏口へ引き摺って行く浮浪児達の姿だった。

 ——……どういう事だ?俺はあいつに撃たれて死んだんじゃないのか?何で俺はまだ生きてるんだ?

 「おい何だよ、その顔は!ぎゃははは!マジかよ!マジで受けるんだけど、その顔。おい、お前らも見ろよ!マジで受けるぜ、こいつの顔。こいつ、こいつマジで自分が死んだと思ってやがんの。きゃははは!」

 ——嗚呼……そうか。死んだんじゃないのか。

 生きていた事に安堵したような落胆したような判然としない感情を感じたバルジは、その顔にがっかりしたようなほっとした様な表情を浮かべた。

 「どうした、腰抜け。死んでなかった事がそんなに残念か?」

 目の前に立つ耳障りな笑い声を上げる浮浪児の顔へ視線を上げようとしたバルジは、目の前に立つ浮浪児のズボンに一丁の拳銃が刺さっているのに気が付いた。

 「いいだろう?」

 バルジの目の前に立つ浮浪児は、バルジが自分の持っている拳銃を見ている事に気づくと、それを自慢げに抜いて見せびらかす様に自身の顔の横でちらつかせた。

 「へへっ、こいつがあればもう怖い物無しだぜ」

 ——怖い物無し?

 バルジの脳裏に、カルセルに銃を突き付けられた時の光景が浮かんだ。

 ——こいつがあれば怖い物無し?

 バルジは鼻を鳴らして笑った。

 「ああ?何だてめーこの野郎。何笑ってんだよ、てめー。ぶっ殺すぞ!」

 そう言って目の前に立つ浮浪児はバルジに銃を突きつけたが、バルジの笑みは消えるどころかますます深くなった。

 「怖いもの無しだって?」

 「笑うんじゃねえ!殺すぞ!」

 バルジの前に立っている浮浪児は更に一歩前に出てバルジの額に触れるくらいに銃の銃口を近づけた。その瞬間、バルジは突きつけられた銃を鷲掴みにしてぐるりと手首を捻り上げた。

 「これでも怖いもの無しか?」

 目の前に立つ浮浪児から銃を奪ったバルジは、まだ起こされていなかった撃鉄をカチリと起こして目の前に立つ浮浪児に銃口を向けて言った。

 「ああ?どうなんだよ。答えろよ。こいつがありゃもう怖いもの無しなんだろ?」

 「あぁ……いやぁ……」

 「ああ、そうだったな。お前はもう持って無かったんだったな。わりぃわりぃ。今のは聞かなかったことにしてくれ。いいよな?」

 「……あぁ」

 バルジは壁に背中を摺りながら周りの様子に細心の注意を払って立ち上がった。

 「俺からこいつを奪い返そうなんて考えるなよ」

 目の前に立つ浮浪児に銃口を向けたままバルジは壁沿いにシナーハウスの出口へと擦り寄っていく。

 「追いかけて来るなよ。追いかけてくる奴は誰であっても撃ち殺すからな」

 出入り口のドアに手を掛けたバルジは、最後に念押しの脅し文句を言うと、さっとドアを開けて店の外へと飛び出した。

 

 しかし飛び出したはいいが、バルジには何一つとして行く当てが思いつかなかった。クリスたちが向かった貧民街に唯一ある聖父教会以外に。

 「今から行ってもなぁ……」

 クリスにこれでもかというくらいに馬鹿にされる姿が思い浮かんだバルジの心は重く、教会に足を向ける事に強い抵抗感を覚えた。

 だがそれでもバルジは教会に行くしかない。

 「あ~もう、何で俺はあんな馬鹿な事をしちまったんだ」

 シナー・ハウスをねぐらにしていた浮浪児達と敵対してしまったバルジは、もう二度とシナー・ハウスに近づくことが出来なくなったし、そこを塒にしている浮浪児達の縄張りでスリの仕事をすることも出来なくなった。

 「俺だけ下働きの仕事が貰えなかったらどうしよう……」

 ——もしそうなったらクリスにもっと馬鹿にされるんだろうなぁ。

 そんな更に気が重くなるような事を考えながらも他に行く当てのないバルジは、仕返しに来るかもしれない浮浪児達の襲撃を警戒しながら教会へと渋々と向かっていた。

 「人殺しだー!人殺しがいるぞー!聖父教会のスチュワートは子供をさらって殺す人殺しだぞー!」

 遠くはないが近くもない所から聞こえた、やけくその様に叫ぶクリスの声に、バルジは「クリス?!」と驚きの声を上げた。

 ——クリスなのか、今の声は?

 教会に行っているはずのクリスの声が何でこんな所で?とバルジは聞き間違いを疑ったが、聞き間違いではないかもしれないとバルジは足を止めて耳を澄ませた。

 「クソッ!クソッ!クソッ!クソオオオー!」

 ——ああ、クリスの声に間違いない。

 確信を持ったバルジは息を大きく吸って全力で駆け出した。

 どうして?何で?とバルジの頭にはいくつもの疑問が浮かぶが、そんな疑問はクリスの心の底から悔しそうな叫び声を聞いた今考えるべきことじゃない。考えるべきなのは、誰かに追われているらしい自分より足の速いクリスとどうやって合流するか。

 バルジは頭の中に地図を広げ、クリスの逃走経路を予想したバルジは、クリスが気まぐれを起こして予想が外れないことを祈った。

 

   ♦♦♦♦


 クリスの逃げ足が速いのは、人混みに紛れ込むまでの長くても数分の間のみで、それを超えると不安定な食生活による体力不足が影響して途端にスピードが落ちた。

 ——くっそお、力が入らねえ。脚から力が抜けていく。

 逃げ出した当初は顔の判別がつかないくらいに大きく引き離した距離も、今では追いかけてくる相手の足音が聞こえる距離まで縮まっていて、その距離は走る程に短くなっていく。だからこのまま何も起きなければ、クリスが追っ手に捕まるのは時間の問題だっただろう。

 「うおっ?!」

 「動くな!動いたら撃つぞ!」

 自分のすぐ後ろに迫っていただろう男の予想外の出来事に驚くような声と、殺されたと思っていたバルジの怒鳴り声を耳にしたクリスは、思いがけない幸運を疑うような驚き顔で振り返った。

 「バルジ……?お前、バルジなのか?」

 「ああ?ああ、そうだよ。臆病者のバルジだよ」

 「あっ……いやぁ……わりぃ」

 「ばかやろう。こっちに来る暇があるならさっさと逃げろ。てめーがいたら俺がいつまで経っても逃げられねえじゃねえか」

 「え?ああ。そうだな」

 バルジに近寄ろうとした足を止めたクリスは、その足を反転してその場から立ち去ろうとしてもう一度バルジに振り返った。

 「バルジ……フィッシャーが、フィッシャーが捕まっちまったんだ。教会の奴らに、教会の奴らが、スチュワートの野郎が俺たちを騙しやがったんだ!」

 クリスの目から涙が零れた。

 「……そうか。分かった。後は俺に任せてお前はいつもの場所で待ってろ。今のお前がここに居たって何の役にも立たねえからな」

 「……そうだな。今の俺は、邪魔だな」

 「分かってるなら早く行け」

 角から棒を突き出して転倒させた若い男から視線を外さずにバルジは言った。

 そしてバルジは待った。

 「私が誰か分かっているのですか?私は聖夫教会の修道士ですよ。今すぐその銃を下ろしなさい。天罰が下りますよ」

 クリスの足音が聞こえなくなるのを待っていたバルジは、クリスの足音が聞こえなくなった瞬間、目の前の男の顔に狙いを定めていた拳銃の引き金を引いた。

 「上等だよ、くそったれ」

 

 

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