歴史に残らない英雄たちに敬礼を

江戸エド

第1話

 一番上の兄に後継ぎの嫡男が生まれたのが五年前。そして今年、その兄に第三子の次男が生まれた事で二番目の兄の結婚が許された。

 「お前はどうする?」

 待ちに待った釈放の日を迎えた囚人のように喜びを嚙み締める二番目の兄ニックの横に立つ僕に父は問うた。

 「僕は軍人になろうと思います」

 「お前が?」

 その小さな体で?と言いたげな視線が、人並の成人男性より頭半分低い僕の背丈をあざけるように下から上へと走った。

 「お前には無理だ。止めておけ。お前が軍には行った所で恥を搔くだけだ。諦めろ」

 「それでも僕は軍人になろうと思います」

 父の顔が、物分かりの悪い人間に出会った時のようなあきれと侮蔑の混じったものに変わった。

 「私の言う事が聞こえなかったのか?私は止めろと言ったんだ」

 逆らう事は許さん。僕を睨む父の眼はそう言っていた。

 「いいえ、止めません。たとえ軍人になれなくても、僕はこの家を出ていきます」

 「何だと?お前は自分が何を言っているのか分かっているのか。お前が何不自由のない暮らしが出来ていたのは誰のおかげだ?この私のおかげだろ!」

 「僕が何不自由のない暮らしをしていたかどうかは意見が分かれるところですが、今まで育てて頂いた事には感謝しております。ですがこの家に……何をするにしても父上や兄上にお伺いを立てなければならないこの家に、僕の未来はありません」

 「フン、下らん。実に下らん理由だ」

 「父上にとってはそうかもしれませんが、僕にとってはそうではありません」

 「いいや、お前の言っている事は誰が聞いても下らん理由だ。嘘だと思うなら私の土地を耕している哀れで貧しい小作人共に聞いてみるといい。きっと奴らはこう言うだろう。何とも羨ましい贅沢なお悩みですね、と。お前に分かるか?生まれた時から親の作った借りを返すために死ぬまで畑を耕す事を運命づけられた奴らの苦しみと絶望が。お前はそれを分かっていて言っているのか?自分には奴らと同じくらい未来が無いと」

 「自分が彼等より恵まれている事は分かっています。僕は彼等と話をした事も仕事を手伝ったこともありますから」

 「なら分かるだろう。たとえ望まない人生であっても、人は神から与えられた人生を生きるしかないと」

 「……そうですね。父上の仰る通りです。だから僕は自分の人生を生きます。たとえ父上が反対しようとも、僕は僕の、神に与えられた人生を生きます」

 僕はそう言って呼び止める父や家族の声を無視して家から飛び出した。



 ♦♦♦♦


 二段ベッドの真下から響くすすり泣く声で僕は目を覚ました。

 「泣くなよ。大丈夫。今日もどうにかなるさ」

 そう思わなければ、口から絶えまなくこの世の理不尽を詰め込んだ罵詈雑言を吐き出す教官たちのしごきに、半日だって耐えられる気がしない。

 「どうにかなるかな?」

 「どうにかなるよ」

 君と僕は教官たちのお気に入りだからね。


 家を飛び出した僕は、貯めていたなけなしのお金を使い潰してクレイン王国南部に唯一ある大都市ポートクレイクの募兵所を訪ねた。

 当初の予定では、そこで士官学校に入るための試験を受けて士官学校に入学するつもりだった。

 でも思ってもいなかった理由で僕は試験を受ける事さえ許されなかった。

 『試験を受けるには、上級将校以上の階級を持つ軍人貴族の推薦状が必要だ』

 受験資格に貴族出身である必要があると聞いた事はあったけど、そんな物が必要だなんて一度だって聞いたことは無かった。

 『第一王子のキャスパー殿下が士官学校に在籍している間は、推薦状が無い者は入学させないように上から通達が来てるんだ。悪いが、どうしても士官学校に入りたければ、推薦状を持ってくるか、殿下が卒業する三年後に試験を受けに来るかだ』

 冗談じゃない!こっちは有り金はたいて家を飛び出してきてるんだぞ!そんな、三年も待てる訳ないだろ!

 実際には叫んでいないが、出来る事なら思いっ切り叫んでやりたかった。

 でももしあの時そんな事をしていたら、僕は無一文のまま募兵所から追い出されて、一般兵として軍に入隊する事は出来なかっただろう。


 とにかく、想定外の問題はあったが、数日に及ぶ適性検査を経てクレイン王国の軍人として採用された僕は、軍人に必要な基礎的な素養を習得するために、募兵所のあるポートレイクから徒歩で半日の所にある、南部方面軍の訓練所で、新兵基礎教育訓練課程というものを受ける事になった。

 「泣き止んだか?」

 「うん」

 「いいぞレオル。良くやった」

 僕のあからさまなおだてに、下から噴き出すような小さな笑い声が起きた。 

 「大丈夫だ。僕がついてる。今日も一緒に頑張ろう」

 「うん。ありがとう。ほんと、感謝してる。俺みたいな……」

 「クソで出来た案山子かかし?」

 「あー……うん、そう。クソで出来た案山子。ははっ……」

 「教官たちの言う事なんて真に受けるな。あの人達は僕に生まれながらのペテン師なんてあだ名を付けたんだぞ?」

 「あー、それについてはどうかな。全くの出鱈目というわけでもないだろ?」

 この図体がデカいだけの案山子野郎が……言うじゃないか。

 「なるほど。そうか。ありがとう。君の率直そっちょくな意見が聞けて嬉しいよ。今日も一日お互い大変だとは思うけど、今の君ならもう僕の助けは必要なさそうだ」

 「えっ……?あ、いや、ちょっと待ってくれ、ウィル。違うんだ」

 「おやすみ、レオル。君の貴重な睡眠時間をペテン師野郎の僕なんかのためにわざわざ割いてくれてありがとう。とても嬉しかったよ」

 人間には必ず良い所と悪い所がある。僕の場合、良い所はお人好しな所ではないかと思っている。悪い所は……あまりに人が良過ぎるから、馬鹿で愚図でノロマなクソみたいに役に立たない図体がデカいだけの案山子野郎に虚仮こけにされてしまう所だろう。

 「お願いだから機嫌を直してくれよ、ウィル。ちょっと口が滑ってしまっただけで、全然悪気は無いんだからさ」

 つまり、悪気はないけど本心では僕の事をペテン師野郎だと思っているという事だね。

 「悪いけど静かにしてくれるかな。今は少しでも体を休ませておきたいんだ。きっと今日も一日大変だろうからね」


 朝は起床ラッパの音と共に部屋に入って来る訓練担当教官のがなり声で始まる。

 「お目覚めのお時間ですよ、お嬢様方。さっさとそのだらしなく垂れ下がったケツを上げて並べ!出来損ないのクズ野郎共がいつまで俺を待たせるつもりだ!ふざけるな!朝立ち自慢は俺の用事が終わってからにしろ!分かったか、この恥知らずのカマ野郎共!」

 「「はい、教官殿!」」

 「ご機嫌はうるわしゅうございますか?」

 「「ご機嫌麗しゅうございます、教官殿!」」

 「よし!点呼はじめ!」

 ベッドの前に一列に並んだ訓練生たちは、教官の号令が終わると同時に、部屋の出入り口から奥へと順に番号をカウントしていく。

 「第二訓練小隊総員32名!現在員32名!所在不明者無し!」

 取りまとめ役の訓練生が報告を終えると、訓練担当教官は物音一つしない静かな部屋をゆっくりと歩き、直立不動で並ぶ僕たちの顔を一人一人確かめていくと、部屋の奥の壁際で綺麗な回れ右をして僕達に向き直った。

 「どいつもこいつも情けない面をしやがって。お前らはいつになったら一人前の兵士面が出来るようになるんだ?俺が引退する時か?ふざけるな!お前らはここを保育所か何かと勘違いしているのか?だったらここが何処か教えてやる。ここは命令一つで死ぬまで戦う兵士を育てる場所だ!驚いたか?」   

 「「いいえ、教官殿!」」

 「本当のことを言え。本当は俺を聖母様と見間違えたんだろ?残念だったな。俺は聖母様の次に優しい男だが、お前らのようなクズ共には地獄の悪魔よりも容赦ない男だ。嬉しいか?」

 「「はい、教官殿!」」

 「今日は朝からお前らの大好きな戦闘訓練だ。朝礼には完全武装で集合しろ。解散!」


 世間の人達は戦闘訓練と聞いてどんな光景を思い浮かべるだろう。

 黒い三角帽子に赤いジャケットを着て、真っ白なズボンに膝下まである黒い長靴を履いた兵士がライフルを肩に掛けて整然と行進する姿だろうか?

 肩が触れ合うくらい密集した兵士達が指揮官の号令でライフルに弾を込めて、ずらりと槍衾のようにライフルを並べる姿だろうか?


 「正面30メルト、突撃発揮地点まで匍匐前進!分隊!前へ!進め!」

 僕達は体の左右に広げた手足を虫のように前後に動かして、地面に体を擦りつけながら指示された場所まで這って行く。

 「誰が止まって良いと言ったあああー!止まって良いのは死んだ奴だけだ!」

 地べたにつくばったまま動かない、愚図でノロマなクソで出来た案山子を、床を走るゴキブリを見つけたかのように踏みつけた教官は、その血走った目が零れ落ちそうなくらいにまぶたをかっぴろげて怒鳴り散らした。

 「俺の許可なく勝手に止まるんじゃねえ!動け!動け動け動け動けえええ!」

 一番最初に突撃発揮地点に到着して分隊全員が揃うのを一息つきながら待っていた僕は、大きくため息を吐いて這いつくばって来た道を同じように這って戻って行く。

 実戦だったら絶対誰も助けに行かないだろうに、と思いながら。

 「おやおや、こいつは素晴らしい。ただデカいだけでクソの役にも立たねえ案山子を助けに来るお人好しの物好きがまさかこの世に存在するなんてな!信じられるか?!だが魔女の婆さんをぶっ殺すのにそいつを連れて行くつもりなら止めておけ。そいつは、身代わりになるどころか婆さんの気を一瞬だって引くとすら出来ねえクソの役にも立たねえ案山子だからな」

 馬鹿にしやがって。来なきゃ来ないで仲間を見捨てた臆病者、卑怯者と散々罵るくせに。

 「おい、ペテン師野郎。何故今頃のこのこと戻って来た?俺のご機嫌を取って俺の部屋に夜這いに来るつもりなんだろ?なら残念だったな。俺は結婚するまで純潔を守る主義だ。だがどうしても俺の口の中に舌を入れたいのなら、まずは俺の両親に挨拶してからだ。お土産は何だ?近くのパン屋で買ったミートパイか?ふざけるな!お前は俺のママが作ったミートパイを食べるくらいなら、その辺のパン屋が片手間に焼いたミートパイを食べた方がましだとでも言いたいのか?!」

 軍はいつも兵士に理不尽を強いる。

 「お前は俺のママを侮辱するつもりかッ?!」

 「いいえ、教官殿!」

 「だったら、俺のママが作ったクソまずいミートパイに敬意を払え」

 「はい、教官殿!」

 「黙れ!今は戦闘中だぞ。いつまでクソみたいな案山子といちゃついてやがる。さっさと突撃位置に着け!」

 歩兵に考える頭は必要ない。必要なのは、ライフルを撃つための腕と戦場を駆けまわるための脚。 

 「右!左!右!左!歩調おおお、数えッ!」

 「1!2!3!4!1!2!3!4!」

 「何だ、そのなよなよした歩き方は!ケツの穴でも切れてるのか?!実家で飼っているひよこの方がまだ早く歩けるぞ!もっと力を込めて歩け!そんな締りの悪そうな歩き方で男が落とせると思っているのか!この尻軽ビッチ共!」

 戦場に辿り着けなければ如何に強い兵士であってもただの案山子に過ぎない。 

 戦う事が兵士の役目なら、その本領は何処までも歩く事にあると言えるだろう。

 「おい、ペテン師野郎。クソで出来た案山子の具合はどうだ?最高か?」

 「はい、教官殿!」

 行軍から遅れ始めたレオルの背を押していた僕は、そう教官に答えた。

 「そいつは素晴らしい。褒めて遣わす。小隊!駆け足にいー!進めッ!」

 くそったれが!

 「どうした、ペテン師野郎。遅れてるぞ。さっき俺に言った言葉は嘘だったのか?」

 「いいえ!」

 僕は必死にレオルの背を押した。無駄にでかくて重い、汗でぐっしょりと濡れたクソみたいに不快なその背中を。

 「そのクソの不始末はお前の不始末だ。お前の不始末は俺の不始末だ。お前は俺に恥を掻かせるつもりか?」

 「いいえ!」

 「だったらその見苦しいクソを今すぐ俺の小隊に戻せ!」

 「はい、教官!」

 「ふざけるな!俺が欲しいのは返事じゃねえ!結果だ!結果を出せ、ペテン師野郎!」

 必要な事ならば、兵士はどんなに理不尽な命令であろうと成し遂げなければならない。たとえその結果が自身の命を失うことであっても。

 

 「後ろだ!ウィル!」

 カロン軍曹の警告に、僕は即座に左足を軸にしてくるりと背後へ振り返った。

 目に映るのは、脇を掠めるように通り過ぎる銃剣と必殺を確信した一撃を寸前でかわされて驚きに目を見開くスペンサー兵の顔。

 その顔に振り返った時の勢いのままに叩きつけた銃床が致命的なまでにめり込む。


 僕の名前はウィル。ウィル・カル・アガト。クレイン王国の南部にちっぽけな領地を持つ木っ端貴族、アガト男爵家出身の第三近衛連隊第一中隊本部に所属するしがない一兵卒の一等兵だ。

 僕達は、革命によって王国から共和国に国名が変わったスペンサー共和国の、名も知らない土地で死闘を繰り広げている。


 丘の頂上をぐるりと囲うように横たわった荷馬車を盾にして革命軍へ発砲を繰り返す兵士達。丘を覆う丈の高い茂みに身を隠して攻撃をしてくる革命軍。馬車の天井で腹ばいになって革命軍を迎え撃つ狙撃手たち。辺りは銃口から吐き出された大量の白煙に覆われていて、息をする度に吸い込む白煙のせいで僕の鼻と喉は痛んだ。目からは白煙を洗い流すように絶え間なく涙が流れている。

 「ウィル!ウィル!ロニーが撃たれた!助けてくれ!」

 顔が陥没して血を含んだ泡を口から流すスペンサー兵を、呆然と魅入られた様に眺めていた僕は、僕を呼ぶ仲間の声で我に返り「今行く!」と声のした方へと白煙の中を駆けていく。

 「ウィっ?!ウィル!助けてくれ。ロニーの右腕が千切れそうなんだ」

 革命軍が使う弾丸は、骨に当たると内部から破裂したような威力を発揮する。

 

 僕は肩から下げている医療バッグから止血帯を取り出すと、肘の上の所で千切れかけているロニーの腕を締め上げた。その痛みでロニーが悲鳴を上げたが、僕はそれを無視して血が止まるまで容赦なく絞め上げる。

 「後は僕に任せて!」

 「あー、分かった。ロニーを頼む。死ぬなよ、ロニー」

 僕達が置かれている状況は、どんなに楽観的に言っても絶望的だ。

 殿しんがり部隊に志願した僕達37名の一個歩兵小隊に対して、追撃してきたスペンサー革命軍の兵士は、一個騎兵小隊約20騎と一個歩兵中隊約120名。

 丘の頂上に横倒しにした荷馬車を並べて作った即席の防御陣地は、革命軍の絶え間ない銃撃によって穴だらけになっており、先ほどは丘を覆う見通しの悪い茂みから突撃してきた兵士と陣地内で乱闘までした。

 希望は無い。僕達が居るのは革命によってスペンサー王国を共和国に変えたばかりの孤立無援の敵地。逃げ場はない。僕達は味方を逃すために死ぬまで戦わねばならない。でももし僕達が生き残れるとしたら、それは四倍以上いる敵を撃退して速やかにこの国から脱出する他にないだろう。


 「ロニー、悪いが戦闘中に痛み止めを打つことは出来ない。打つと薬の副作用で意識が朦朧とするから。だからもし生き残れたら自分で痛み止めを打ってくれ」

 僕は一回分の痛み止めが入った小さな金属製の注射器のケースを、ロニーの胸ポケットに入れた。

 「血を止めて傷口の洗浄をしただけだから、後の治療は痛み止めを打った後にして貰うといいよ。痛みを感じなくて楽だから」

 ロニーは僕に頷いてありがとうと言った。

 「ついでに、俺の拳銃に弾を込めてくれ。片腕じゃ、弾を込めている間に戦闘が終わっちまいそうだからな」

 庭で寝転ぶ飼い犬のようにホルスターから外れて地面に横たわる、ガンベルトから伸びるランヤードで繋がった新型の回転式拳銃を手に取った僕は、その円筒形をした弾倉から空薬莢を取り出して、自分の弾薬ポーチに入っていた拳銃用の弾丸を装填してロニーの手に持たせた。

 「ウィル!手が空いてるなら銃弾を配れ!」

 「はい、ティンバー中尉!」

 僕の初めての実戦は、耳元を飛び交う銃弾に怯えて震える余裕すらなかった。 


 

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