第25話

 歴史をかんがみれば、国を捨てて逃げた王はそれなりにいる。それは国の命運を尽きさせないためであったり、いずれ舞い戻って国を再興するためであったり、単純に死にたくないという我が身可愛さからであったり、理由は様々だが王が国を捨てて逃亡することは昔からあった事だ。

 だから、国を統治する王としての責務や権力を何一つ持っていないソニア王女が自国を捨てて逃げ出したところで、口さがない連中以外は誰も彼女を非難したりはしないだろう。むしろ大抵の人間は彼女の境遇に同情するだろう。

 しかしそれは他国の人間に限っての話であって、スペンサー王国の人達からしたらソニア王女は我が身可愛さに国を捨てようとした卑怯な臆病者以外の何物でもないだろう。

 「僕にはそんな人には見えなかったけど」

 ソニア王女と接した時間はスカーフを貰って退席するまでの数分間だけだから、間違いないとまでは言えないけど、それでも僕には彼女が我が身可愛さから国を捨てて逃げるような臆病な人には見えなかった。

 高い知能と財力がある事だけが取り柄のアルベルトとかいうスカした馬鹿の口車に乗るような軽薄さや愚鈍さも感じなかった。王族らしい鼻につく気位の高さはあったけど。

 だからどうにも腑に落ちない。

 何故あの王族らしい気位と教養を持っているように見えたソニア王女が、あの高い知能と財力しか取り柄の無い馬鹿みたいにスカしたアルベルトとかいう男の、見方によってはお前は自分さえ良けりゃそれでいいんだろう?と自身の覚悟と倫理観を虚仮にしている様にも受け取れる提案に乗ったのか。

 しかし同時に僕はそんな事を知って何になるのかとも思う。

 僕は外交官でもなければ他国の貴族達に顔が利く著名人でもない。ただ命令に従って戦うだけの何処にでもいる一兵卒に過ぎない。そんな僕がソニア王女の真意を知って何になる?もし仮にソニア王女の真意が擁護するに値するものだったとしても、僕に出来ることなんてホッチス隊長に意見をいうことくらいなのに……

 「滑稽だな」僕は。「まったく、身の程知らずにも程があるだろ」だいたいどうやってソニア王女の真意を知ろうっていうんだ?有象無象の一兵卒の分際で。そもそも何で僕はソニア王女の真意を知りたがっているんだ?

 僕はソニア王女と会った時の事を思い出しながらその理由を探ったが、これという理由が思い当たらない。あえて理由を上げるのなら、ソニア王女と会った時に感じた印象と彼女がしようとしたことの印象が全く違うからだろう。だとしたら僕は、その腑に落ちない理由が何なのかが知りたいだけで、別にソニア王女がどうなろうと知った事じゃないという事か?ならこのもやもやした気持ちは何だ?何が気に入らない?ソニア王女が非難される事が気に入らないのか?

 僕は苦笑した。

 まったく、ほんと、懲りない奴だなぁ僕は。

 

  ♦♦♦♦


 「どうでした?見つかりましたか?」

 カリーナは自身に仕える侍女の一人が自室に入って来るなり問いかけた。

 「はい。ソニア殿下が仰られた通り、地下牢の壁から隠し通路が見つかりました。現在、オックス卿自らがその通路に入って調査を行っております」

 王弟であり王の護衛を専門とする近衛連隊の連隊長でもあるオックス公爵の生真面目な顔が脳裏に浮かんだカリーナは、あの方ならそうするでしょうねと小さく微笑んだ。

 「真実でしたか……」

 舞踏会でカリーナの側付きをしていた侍女リーザは、部屋に入って来た侍女の報告を聞いて残念そうに顔を曇らせた。

 「だからと言ってソニア殿下があの男の話を真に受けていたという証明にはならないわ。そうですよね、カリーナ殿下」

 不安そうに窓の外の様子をちらちらと見ていた侍女は、リーザの考えが間違いであって欲しいと思っているのだろう。その顔は夫の浮気が嘘であって欲しいと願う妻のようだった。

 「……たとえ冗談でも許される事と許されない事があるわ」

 それはあの子も分かっていたはず。なのに……どうして?どうしてあなたが、何であなたがあんな軽薄な男の話に乗ったの?あなたはそんな男の話に乗るような頭の悪い人間でも無ければ、自分だけは助かりたいと思うような薄情な人間でもないでしょ?


  ♦♦♦♦

 

 通りを点々と照らすかがり火と荷車から落ちた荷袋の様に道路脇に横たわっている幾人かの遺体。

 革命軍の作戦が始まってから一時間の間にアルス少尉たちが倒したのは、革命軍を自称するならず者共ばかりで、スペンサー軍とはまだ一度も交戦していなかった。

 「有益な情報でもあったか?」

 通りが交差する交差点にバリケードを張って作った小さな指揮所に入って来たベルナルドに、アルス少尉は問いかけた。

 「あると思うか?」

 誰かが始めた火事場泥棒に触発されたならず共が有益と言えるような情報を持っているはずもなく、尋問を終えて始末されたならず共の死体が近くの空き家の一室を埋め尽くしそうだった。

 「そろそろ頃合いだろう?」

 ベルナルドの言う通り、幾度かの交戦を得た仲間たちは、当初のような命令が耳に入らないほどの極度の緊張状態にはなく、周囲の状況や仲間の様子を気遣えるだけの余裕があった。これなら指揮官が変わっても大きな問題にはならないだろう。

 「スペンサー軍と一度も交戦していないのが気になる」

 しかし彼等が今まで相手をしていたのは何の戦闘訓練も受けていないならず者だ。連携と戦術を駆使した戦い方をする正規兵と対峙しても彼等が今まで通りに戦えるかは疑問符が付く。

 ——一度でも交戦の経験があればその疑問符もはっきりとするのだが……

 とアルス少尉は眉間に皺を寄せた。

 「俺は別にどちらでも構わない。誰が裏で暗躍しようと俺に関係が無ければどうでもいい事だからな」

 「義なくして善はなく、善なくして世に平穏はなし」

 「犠牲なくして平穏なしと言った奴もいるけどな。それで?どうするんだ?」

 「……勇なき義は義にあらず」

 アルス少尉は周囲に居る人たちの顔を見た後、意地の悪そうな笑みをベルナルドに向けた。

 「何が起きても腰を抜かすなよ?」

 誰に物を言っていると言いたげにベルナルドは不愉快そうに口元を歪めた。

 「忘れたのか?君は今日絶対にありえない体験をしたばかりだろう?」

 その時の事を思い出したのか、先ほどとは違う理由でベルナルドは不愉快そうに口元を歪めた。


  ♦♦♦♦


 王宮の南側にある一番街から四番街には貴族の邸宅が並び、その両隣、王宮の北側に貴族位を持たない富裕層の豪邸や上流階級向けの劇場や商店が並ぶ五番街と六番街が王宮を囲う防壁の様にあり、平民街と呼ばれる七番街から十二番街はその外側に並んでいる。そして憲兵隊の本部は五番街と六番街と七番街の三つの街区が接する広場にあった。

 「貴官の懸念していた通りになったな」

 全ての憲兵部隊を統括する憲兵隊本部総監フランク大佐は、生粋の貴族らしいお高くとまった澄まし顔で目の前に立つ病人の様に頬が痩せこけた騎兵隊長に言った。

 「その内のいくつかは私の警告に耳を傾けて頂けていれば避ける事が出来ました」

 内心の苛立ちを隠す無表情でカルセルは言った。

 「そう思うのなら何故貴官自らが私に報告をしなかった?」

 カルセルは眉根を寄せた。

 「仰られている意味が分かりません。何故私がフランク総監殿に直接報告をしなければならないのでしょう?」

 フランク大佐は「これだから平民出の士官は」と物覚えの悪い生徒の相手をすることにうんざりしている教師のようなため息を吐いた。

 「不愉快だ。不愉快だよ、カルセル大尉」

 反抗的な生徒を前にした教師の様にフランク大佐は威圧的な目でカルセルを睨みつけた。

 「私と貴官は対等か?貴族である私と平民の出である貴官は対等か?」

 カルセルは内心とは裏腹の微笑を浮かべた。

 「いいえ。フランク総監殿と私は対等ではありません」

 「だったら何故貴官は私に直接報告する事を怠った?」

 「……馬鹿なのか?」

 「なにっ?」

 「聞こえませんでしたか?でしたら先ほどより大きな声で言いましょう。馬鹿なのか?!今外で何が起きているのか理解出来ないほどの馬鹿なのか?!」

 フランク大佐は信じられないものを見たかのように目を大きく見開いた。

 「……貴様は誰に何を言ったか分かっているのか?」

 「もちろんです」

 カルセルは口元に笑みを浮かべて言った。

 「フランク総監殿はお分かりですか?今が国家存亡の危機だという事を」

 そう言ってカルセルはフランク大佐が座っている豪奢な執務机に近づきそのよく磨かれた天板に思いっ切り手の平を叩きつけた。

 「こんな所で暢気に座っている場合かッ!今すぐそのだらしなく垂れ下がったケツを上げろ!」

 今にも襲い掛かって来そうな猛獣のような目で怒鳴られたフランク大佐は、親に叱られた子供の様に首をすくめて仰け反った。

 「それと、二度と俺を下らん理由で呼び出すな。次は殺すぞ。分かったか?」

 カルセルは再び豪奢な執務机に手の平を叩きつけた。

 「分かったのか?!分からないのか?!どっちだ!どっちなんだよ、この役立たずの間抜け野郎!」



 

  

 

  

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