シュン-1

 外を目指して、俺たちは目抜通りを歩いた。軽食や甘味を販売している露店や、武具屋と思われるかまど付きの小屋、宿屋など、様々な商店がいらかを争っている。


 どこからともなく聴こえてくるケルト音楽は、この町のBGMなのだろうか。肉やパンの焼けるいい匂いが、鳴り物の軽快な音色に乗せて飛んでくる。目に入るもの全てが珍しく、俺もシュンも歩くペースがいっこうに早まらない。


「なぁ、兄貴……この人たち、行動力高すぎないか? もう商売なんて始めてさ」


 商店で働く人々をキョロキョロ見回して、シュンが感嘆する。


「いや、この人たちはたぶんNPCだ」


「えぬ、ぴー、しー?」


「ノンプレイヤーキャラクター。つまり、ゲームの中のキャラクターってことだよ。武器を買ったり、宿を借りたりする相手がいなきゃ、ゲームが成り立たないだろ?」


 ついさっきログインしたばかりのプレイヤーが、もうこんなに馴染んで店まで出せるわけがない。彼らはアルカディアによってデザインされた、言わば仮想の人間だ。体の質感から目の動きに至るまであまりにリアルだから、シュンが本物の人間と見間違う気持ちも分かる。


 シュンは大きな目をぱちくりさせて、慌てて辺りの人々を見渡した。


「ば、バカ言うなよ、この人たちがみんな……」


「おーい、そこの人! サンドイッチ、焼きたてだよ!」


「ほらっ! 喋った! 絶対人間だって! 失礼なこと言うなよ!」


 黒い肌の露店商に遠くから呼び掛けられたシュンは、彼を指差しすごい剣幕で俺を怒鳴る。


「じゃあ、あの店主の横、もう一回通りすぎてみろよ」


「はぁ?」


 シュンは不審な顔になったが、踵を返して一度は通りすぎたサンドイッチ屋の前を再び横切った。


「おーい、そこの人! サンドイッチ、焼きたてだよ!」


「な?」


「……ホントだ」


 先ほどと全く同じトーンと身振りで、店主は俺たちにサンドイッチを勧めてきた。NPCは設定された行動を繰り返すだけの存在だ。少し観察すれば、人間との見分けは難しくない。


「おっちゃん、サンドイッチひとつ!」


「買うの!?」


 驚く俺をよそに、満面の笑みを浮かべたシュンの手の上に、「まいど!」と店主がサンドイッチの包みを置く。店主の人懐っこい笑顔に、シュンは「ありがとう!」と手を振った。


「すげー、頭の中でチャリンって音が鳴った! 自動で所持金から引かれるのな!」


 シュンの目の前には、現金がサンドイッチひとつぶん減ったことを通知するウィンドウが展開していた。初期所持金額の千《ルビー》から、サンドイッチひとつで百ルビーも引かれている。


「なにやってんだよ、その金で新しい武器が買えるかもしれないのに!」


「いいじゃんか。あのおっちゃんがあれ以外の言葉を喋るのか、気になったんだよ」


「それだけの理由で……?」


「えへへ。まいど、って言ってくれた」


 嬉しそうにニンマリ笑うシュンに、俺は呆れ半分苦笑した。NPCが礼を言ったのは、プレイヤーが購入した際の行動パターンとして、そう登録されていたからに過ぎない。


 けれど……俺も、あの店主があんなにいい顔で笑うなんて、思わなかった。


「あのさ、俺も半分金出すよ。一口くれ」


「いいけど、全然味しねーよ? 空気食ってるみたい」


「そうなの? まぁまぁ一口」


「おい、一口でかいって!」


 そんな感じで歩いていると、いつの間にか、俺たちは町から外へと続く門に到着していた。


 一歩外に出ると、一面の平原が広がっていた。簡単に舗装された散歩道が緩やかに蛇行して伸びている以外は、緑一色の壮大な景色だ。


 平原には、あちこちで小型のシルエットが歩き回る姿を散見できた。ぼよん、ぼよんと跳ね回る、青いブヨブヨした球体。緑色の肌をした小人。


 RPGの世界ではお馴染みと言えるモンスターたちの姿が、俺と同じ次元に実体を持って存在している光景に、心から震えた。


「あいつらを倒せばいいのか?」


「あぁ、うん」


「この剣で斬るのか。……なぁ、あいつらってなにか悪いことしたのか?」


「えっ」


 純粋無垢なとび色の瞳で見つめられ、俺は答えに窮した。そういうゲームだから……なんて言っても、シュンは納得しないだろうし。


「う、うん。人を襲うモンスターだからな」


「なるほど。じゃあ、心は痛むけど、やろう」


 シュンはひとつうなずくと、無遠慮に手近のスライムに向かって距離を詰めていく。「ま、まてまてまて」と俺は慌ててシュンを追った。


「お前はケンカは強いかもしれないが、ゲームは勝手が違うぞ。視界の左上に意識を集中すると、緑色のゲージが出てくるだろ? それがHPだ。なくなると死ぬ」


「なるほど、これか。わかった」


「まぁまぁ、まずは兄が手本を見せてやるよ。いいか、アクションゲームで大事なのはヒットアンドアフェイだ。攻撃に必死で無駄なダメージを受けてるようじゃ、一人前とは……」


 腰の短剣を抜いて、いざスライムに背後から襲いかかろうとしたそのとき、近くの茂みからいきなりゴブリンが飛び出してきた。


「ひぃぃぃぃぃっ!?」


 緑色の小鬼は、その醜悪な顔を歪めて躍りかかると、ものすごい力で俺を組伏せた。世にも情けない悲鳴を上げる俺をよそに、シュンは、


「ふッ!」


 弧を描くような側頭蹴りでゴブリンを吹き飛ばした。呻きながら立ち上がろうとするゴブリンの元へなおも容赦なく走り、鼻っ面に膝を入れる。


 血を模したような赤い光の欠片を振り撒いてたたらを踏んだゴブリンは、ぎゃあぎゃあと喚いてシュンに掴みかかった。シュンは背中の剣に手を掛けると、


「おらぁっ!」


 やっぱり離してゴブリンを殴り飛ばした。剣、使わないのかよ!


 ゴブリンは赤いライトエフェクトをぶちまけながら転がった先で、短い断末魔を上げて粉々に砕け散った。


 無数のポリゴンへとかえり、存在した痕跡さえ跡形もなくゴブリンが消えると、シュンのアバターが一瞬、まばゆい光に包まれた。頭上に踊る、『LEVEL UP!』の金文字。


「えーっと、ごめん、兄貴。話の途中だったのに。なんだったっけ?」


「……なんでもない」

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