ワタル-3

 ワタルはしばらく、感情の読めない顔でじっと俺を見ていたが、突然耐えかねたように吹き出した。


 面食らう俺をよそに、ワタルはくつくつと笑いをこらえながら、さも楽しそうに破顔する。


「ごめんごめん、やっぱりシンジさんの息子だなぁと思ってさ。心配しなくても、君をお父さんのところへ突き出したりはしないよ」


 先ほどまでの緊迫感はなんだったのか。一気に脱力し、俺は椅子の背もたれによりかかった。


「実は彼が流している「外に出るな」という放送は、シンジさんの本心そのままじゃない。ハナミヅキの出方をうかがうための牽制だ」


「牽制……?」


「システムの変更点を鑑みても、ハナミヅキの目的の一つに“殺し”があるのは明白だろ。「外に出るな」と繰り返し放送することによって、ハナミヅキがとれる行動は「五大都市に自ら足を運ぶ」ことに限定される」


 そうしてワタルのような実力者を町に派遣し、プレイヤーたちに自衛と迎撃の技術を授けながら、まんまとザガンがおびき寄せられてくるのを待つ作戦か。


「ううん……そう簡単にいくものですか」


「だから牽制って言ったろう? 僕たちはハナミヅキ側に最低一人、恐ろしいキレ者がいると見てる。運営本部の襲撃もメインシステムのスーパーセキュリティを突破したことも、並大抵のわざじゃない。放送の狙いも必ず見破ってくるはずだ」


「あぁ……そうなれば、むしろ迂闊うかつに攻めて来なくなるわけか」


「そう。数百人規模の大集団だから、指示が行き届くかは疑問だけどね。一部のバカが乗り込んで来たならカモにするだけだよ。五大都市の全てにアルカディアの研究員が一名駐在してるから」


 たったの、一人? 俺が怪訝な顔になったのを見てか、ワタルが苦笑する。


「仕方ないんだよ。アルカディアの社員、シンジさん入れても五人だけなんだ。零細企業にも程があるよね」


 俺は心の底から仰天した。


「五人!? 五人で、この世界を創ったんですか!?」


「理論と基盤ベースだけだよ。形になったのは地球防衛党含む、あらゆる人々のお陰だ」


「いや、その理論と基盤が一番難しいんじゃ……」


 俺には見当もつかない話だ。こんな途方もない世界を、たったの五人の頭が生み出しただなんて。


「でも、たった一人で町を守れるんですか」


「大丈夫、一人ひとりがけっこう強いから。運営本部が襲撃された日も、五人でハナミヅキ百五十人を一応は全滅させてるからね。もっともその隙に、セキュリティを突破されてしまったわけだけど……」


 それは、「けっこう強い」どころの話ではないだろう。あのゲイルが下っ端クラスの集団だぞ。今更ながら、ワタルと戦う選択をしていたらと思うとゾッとする。


「まぁ、というわけだから、アルカディアはむしろプレイヤーが力をつけることに歓迎的だよ。ただ実の息子となると、シンジさんがなんて言うか分からないから、君のことは秘密にしておく。その装備だと、滅多なことでは死にそうにないし」


「……恩に着ます」


「君さえよければ、この町に住まないか? 町の皆さんを鍛えるのを手伝って欲しいんだ。ハナミヅキを殺したいなら、なにも旅をしなくたって町で待てばいいんだって、さっきの話で分かったろ?」


 俺は首を横に振った。


「せっかくですけど、俺に他人を鍛える余裕なんてありません。それに、五大都市付近には雑魚mobしか湧かないから」


 俺は最短ルートで強くなり続けなければならない。これからもやることは変わらない。旅の道中で少しでも効率よくレベルを上げて、次の町でまた手がかりを探す。この繰り返しだ。


「そうか、残念。君は時折、随分怖い顔をするね。紅茶を飲みなよ、毒なんて入れてないから」


「……いただきます」


 カップを鼻に近づけると、フルーティーな香りが鼻腔を突き抜けて、全身をほぐされたような気分になった。一口、口に運んで、舌に走ったあまりの美味さに愕然とする。


「美味しい……です」


 俺は紅茶なんて初めて飲むが、こんなに上等な味は初めてだ。甘さと酸味の絶妙なバランスが調和する液体を飲み込むと、えも言われぬ芳香が鼻に抜ける。


「そうだろう? これほど複雑な味覚の再現には苦労したんだ。これでも君は、まだこの世界の食事が虚しいかな」


「……少し前までは、好きでしたよ。なんでもとにかく美味そうに食い散らかすバカが、向かいに座ってたから」


「そうか……。ごめん。僕たちを恨んでいるだろう」


 ワタルの表情に暗い影が落ちる。それは自分でも分からなかった。ワタルたちがもっと、ちゃんとしていたら、確かにシュンは死なずに済んだのかもしれない。


 少し間を空けて、俺は首を横に振った。


「たぶん、俺は……まだこの世界が好きなんです。楽しいと思える日が、もう二度と来ないとしても、ずっと好きだと思います」


 ワタルは虚を突かれたような顔で、俺を見つめた。


「君が再びこの世界を楽しめるように、全力を尽くすよ」


 深く頭を下げたワタルに、俺は小さく頷いた。

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