ログイン-2
突拍子も無い主題に続いて、話の詳細と、いくつかの動画のURLが添付されていた。
父が語ったのは、一つの報告と、一つの提案。
『世界で初めて、幾万人の意識を収容できる広大な仮想世界を創った。
希望する者は、我々と共にその世界に移り住み、人生をコンテニューしないか』
事細かに記された詳細と、添付されていた動画は、どちらも父の語った世迷い言に信ぴょう性を持たせるものであった。それでもこれが正常な時代であれば、さすがに鵜呑みにする人間は少なかっただろう。
父の投稿は、拡散性の高いネットの世界で話題となるや、瞬く間に世界中に
テレビに映る、六年ぶりに見る父の姿は、世界を救う英雄そのものだった。
父は二十年かけて、VRゲームの開発に命を懸けてきたと語った。それが完成間近というところに来て、地球滅亡のニュースが飛び込んできたのだという。
『私は、やっと形になりかけている自分の研究を諦めたくありませんでした。そして、もっと諦めたくなかったのは、私のゲームを楽しんでもらえたはずの、皆さんの笑顔と命です。以上の理由から、私は、私の世界を、皆さんを救うために使えないかと考えるようになりました』
後に、聞かなかった者はいないとまでされる、葛城慎司の30分に及ぶ演説の一部だ。精悍な雰囲気とは裏腹に父はフランクで、同時に口がうまかった。彼の言葉には、どれも絶対的な説得力があった。カリスマ。その言葉が、ぴったり似合う男だった。
時にジョークを交え、軽快に語る父の夢物語を、弱りきった人類が最後の希望として
そこから世界は、音を立てて回り始めた。シンジの語る大規模な仮想世界と、その世界に意識ごとフルダイブする技術の理論自体は既に完成していた。シンジは世界屈指の頭脳と技術が集結した《地球防衛党》に声をかけ、その理論の実用化に向けて協力を要請した。
人類の存続を懸けた、ゲームのプレゼンである。父は見事に地球防衛党を口説き落とし、二十年かけた父の研究は、世界一の技術者たちの手で、最速、最高品質で現実になった。
それを支えたのは、続々と手を挙げた有志の技術者だけではない。作業所で缶詰になって夜通し働く技術者たちに毎晩食事を振る舞いに駆け込んだ飲食業の人々や、必要な資源を世界中から大車輪の勢いで運び込んだ運送業の人々など、とにかくたくさんの人間だった。
父の夢が、絶望にあえぐ人類に前を向かせた。
父は最初から明言していた。理想郷には"定員"があると。一席でも多く増やすよう全力は尽くすが、残された時間では、どんなに多く見積もっても5万人が限界だと。そして理想郷の地を踏むことのできる人間の選定は、アルカディアの社員5名とその家族以外は、公平に抽選で決めさせてもらう、と。
自分が乗れるとも全く分からないノアの方舟を、人々は必死に創り上げた。地球防衛党のリーダーは、後にこう語った。
『シンジのぶっ飛んだ話に付き合うのは、最高の現実逃避だった。いい歳こいたおっさんが、最後にバカやれて良かったよ』。人類を理想郷へ導く舟は、完成した。
抽選は家族が離れ離れにならないよう世帯単位で行われ、激烈な競争を勝ち抜いて抽選によって選ばれた世帯には、招待状が送られた。
葛城家は、アルカディアの研究員である父の家族ということで、無条件で招待状が届いた。優越感がなかったと言えば、嘘になる。最低限の相手にだけ別れの挨拶を済ませてから、俺たち家族は、舟へ向かった。
舟は東京の地下に造られていた。頑強なシェルターだ。一目見てわかるほど、厳重に厳重を重ねた警備体制だった。受付に招待状を見せ、真新しいエレベーターに乗って地下に降りた俺たちが見たのは、だだっ広い鋼鉄製の大部屋に整然と並べられた、無数の黒いカプセル。
大の大人が横になれるほど広いカプセルの中で、俺たちは余生を過ごすことになる。コールドスリープに近い、栄養を摂取する必要のない冬眠状態となって、意識だけ仮想世界にダイブするのだ。
選ばれた人間だけがログインし、他の人間が全て死に絶えた後は、無人のシェルターが、無人の発電所からの電力供給によって、少なくとも
問題は、最終的に用意されたそのカプセルの台数だが――実に、十万台以上。シンジの見積もった限界値の、倍を上回った。シンジいわく「最初で最後の計算ミス」。協力してくれた人間の数と努力が、シンジの想定を大きく超えたのだ。
抽選で公平に選ばれた十万人超の人間には、シェルターの警備や受付、その他雑務が割り振られた。シェルターで働く人間は、理想郷に行ける人間のみ。そうしなければ、権利を横取りする人間が現れるのは明らかだ。
俺たち家族は最初に招待状が届いたし、日本在住だったからほとんど一番乗りだった。しっかり働いて、同じく幸運にも権利を勝ち取った人々をどんどん迎え入れた。
向こうの世界で一緒に暮らす仲間だから、皆、積極的に会話を交わして友好的な雰囲気だった。中にはすごく怖い人や、近寄りがたい感じの人もいたけれど。
母と弟は既に友だちをつくってしまったようだったが、俺は二人ほど人付き合いが得意ではない。一人だけ、配布された向こうの世界の“説明書”を暗記するほど熟読して過ごした。
一週間で、集まった招待状の数が、発行した数と一致した。全員集合だ。満を持して父が現れて、俺たちに簡単な説明をした。いよいよ、カプセルに乗り込む段になった。
母と弟と、三人並んで隣り合わせのカプセルが割り当てられた。音を立てて、一斉に十万のカプセルが開いた。凄まじい光景だった。乗り込む直前、白衣のポケットに手を突っ込んだ父が、超然とした含み笑いで近づいてきた。
父は母と少しだけ何か話してから、ちょっとだけ緊張したような顔で、俺と弟の頭に手を置いた。
「楽しめよ」
たったそれだけ。俺は、父に心を見透かされたような気がしてたじろいだ。不謹慎かもしれないし、こんなこと言ったら、抽選に外れた人たちに呪われそうだが……俺は――六年ぶりにプレイする父のゲームを前にして、心が踊って仕方がなかった。
いざカプセルに横たわると、直角に立ち上がっていた分厚い蓋が、ぷしゅうと音を立てゆっくりと降りてきた。一度閉まると、もう二度と出られない。
暗闇、静寂、言い知れぬ不安感の全てを、光が切り裂いた。
『ようこそ』
仰向けに横たわる俺にとって、今や天井となった蓋の内側、ちょうど目の位置に、その文字列が闇の中から浮かび上がったのだ。その下には『Welcome』『欢迎光临』『Herzlich willkommen』……あらゆる言語がずらりと続く。一番上の慣れ親しんだ挨拶に、そっと指で触れると、光る画面は弾けて消えた。
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