ハルカ-2

 《転移》とは、このゲームで恐らく最高位の能力だ。内容は名の通り、瞬間座標移動。《転移玉》という値段のバカ高いアイテムを使うことで、一つにつき一回きり、この広大な大陸全域の好きな場所に瞬間移動できる。厳密には、各地に存在するチェックポイントを選択して転移するのだ。


 自宅や五大都市の門の前はもちろん、一度でも宿泊していれば世界中のどの宿屋にでも移動できる。


 砂漠の都デザーティアから北方向に広がる超広大な砂漠《アリバン砂漠》には、全部で四つのオアシスが存在し、それぞれがチェックポイントの役割を担っている。《夏風のオアシス》はデザーティアから数えて三つ目のオアシスだ。稼いだ距離が多少リセットされるけれど、メルティオールに向かうにはそこが最も近い。


 それなのに、これまでさんざん温存してきた《転移玉》が、ここにきてまさかの不発とは。時計もバグっているし、フレンドとの交信さえできないときた。


 さすがに私も、少し途方に暮れてしまった。今にして思えば、寝ても覚めても頭のなかはメルティオールにたどり着くことばかりで、あまりに余裕が足りなかった。


 出発時、貯金はけっこうあったのだけれど、《グランドホース》のゆきまると転移玉をひとつ買ったら底が尽きた。ほんの残りで《ポーション》や《フラッシュボム》などの消耗品を買い足して、飲み水や食料は後回しだった。


 ぐぅぅ、と、思い出したように腹の虫が空腹を告げる。所詮しょせん電気信号がつくりだした嘘っぱちの飢えだ……と、甘くみていた。仮想とは言え、この空腹感と喉の渇きは耐え難い。


 何かの間違いを期待して、アイテムストレージの食品欄を開く。当然、見事に空っぽだった。


「……どうしよう」


 不覚にも涙が滲みかけたが、どうあがいても身から出た錆だ。気合いで引っ込め、とにかく動いてみようと立ち上がる。


 前と後ろ、どちらかに出口があるかもしれない。勘で前を選択すると、私はなるべくエネルギーを消費しないよう小走りで駆け出した。


 色気のない土壁に囲まれたこのフィールドは、灯りという灯りは天井の小さな穴から差し込む陽の光だけ。蛇行する洞窟の先はぽっかり闇の穴が浮かんでいて様子が分からず、目視できるのは十メートルが限界だ。


 突然モンスターと鉢合わせるなんて可能性もある。スキルは消費SPに比例して使うとそれなりに疲れてお腹も減るのだけれど、避けられる危険は避けるべきだろう。


 私は目を閉じ、《ヒットマン》の"ジョブスキル"――【シックスセンス】を発動させた。


 「スキル」と名のつく技能が、《ユートピア・オンライン》には複数存在する。強力な攻撃技を放つ"武器スキル"。高ランクの武具防具に宿る"装備スキル"。そして、各ジョブごとに三つ設定された特殊能力、ジョブスキル。


 発動方法は、いたって簡単。アイテムをストレージに格納するのと同じように、頭のなかでスキル名を強く念じるだけ。明確な意志を持って念じれば、システムはちゃんと応えてくれる。


 【シックスセンス】は、索敵さくてきスキルだ。自分を中心とした半径五十メートル以内にいるモンスター、プレイヤーの"気配"を察知することができる。


 気配、というとなんともスピリチュアルだが、実際そうとしか表現できないのだ。私もどんな原理なのか見当がつかないのだけれど、【シックスセンス】を発動すると、「あそこの茂みにモンスターがいるな」なんてことが、ごくごく感覚的に分かる。アクティブなモンスターに対しては、背筋にチリリと火が着くような――"殺気"のようなものまで感じる。


 常時脳に干渉しているシステムが、それこそ私の脳の「第六感」と言われている部分にまで訴えかけているのだろうか。


 それはさておき、何より【シックスセンス】の優秀な点は、これもあくまで感覚的にではあるのだけれど……「感知した敵の力量レベルを測れる」ことにある。


 測定感覚はざっくり分けて、私より「弱い」か「同じくらい」か「強い」かの三パターン。そのなかでもある程度は序列を見極められる。実にアバウトな能力だが、これがけっこう役に立つ。


 このスキルがあればギリギリ倒せるラインのモンスターの群れを探し当て、最高効率でレベル上げができるだけでなく、あまりに勝算の低い相手との戦闘は未然に回避できる。私にとって、このスキルは最大の生命線だった。


「……なに、これ」


 いざ【シックスセンス】で索敵を終えた私の声は、思わず震えた。


 感知したいくつもの反応が、ことごとく明らかに《アリバン砂漠》の平均レベルを逸脱している。


 もはや確定的だ。この迷宮は、地上の砂漠とは全く推奨レベルの異なる別のフィールド。私は、とんでもないところに迷いこんでしまったのかもしれない。


 次の瞬間だった。たった今新しくひとつ、何かとてつもない気配が、索敵領域内に凄まじいスピードで突っ込んできたのだ。


 ――化け物がくる。


 真っ正面から、強力なモンスターがこちらに向かってきている。恐ろしい速度だ、接触まで数秒とかからないだろう。気配が濃くなるごとに、全身の肌が粟立つほどの圧力が伝わって、緊張感が加速度的に増していく。


 隠れられる場所は……ない。今から走って逃げても追いつかれる。そこまで判断して、私は迫り来る化け物と交戦する覚悟を決めた。


 ところが、相手との距離を正確に把握すべく発動し直した【シックスセンス】が、私の戦意を根こそぎ吹き飛ばすほどの気配を拾った。



 二匹目だ。



 さっき感知した化け物のすぐ後ろをピッタリくっついて、こちらに向けて迫る反応がもう一つ。


 第六感と連結したシステムが大音響で警笛を鳴らし、ぶっ壊れたような電気信号が脳に流れ込んで、全身にただならぬ悪寒を走らせる。


 さっき察知した化け物より、更に数段ヤバい気配が、直列繋ぎのセットで真っ直ぐ私に向かってくる。


 もはや逃走一択だったけれど、いかにも遅すぎた。前方からただならぬ地響きと怪物の咆哮が聞こえる。洞窟そのものが、揺れている。こうなってはもうスキルなどなくとも、化け物の圧力を肌で感じる。


 くそ、と悪態を吐いてスカートのポケットから《フラッシュボム》を取り出すと、私は発動のタイミングを図った。ギリギリまでひきつけて上手くやれば、一度で二体とも足止めできるかもしれない。


 ──と、私は、獣の唸り声と地響きに紛れて、何か聞こえることに気づいた。


 獣の咆哮に比べてかなり高音の声。それは――人の悲鳴、のようにも聞こえるような……


「うわぁぁぁぁぁぁ……」


 微かに聞こえる、男にしては高く、女にしては低い声。



「うわぁぁぁぁぁぁァァァァァァッ!!!!!」



 気のせいなどではない。声変わり途中の若い少年、そんな感じの……"人間"の叫び声。


 呆気にとられて構えた手が下がる。そんな私の目の前の闇から飛び出してきたのは、化け物などではなく、可愛らしい少年だった。


「へ……?」

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