ハルカ-1


 照りつける陽光を物ともせず、軽快に砂上を駆け抜ける騎馬の姿があった。


 白馬が跳ねるようにその巨躯を踊らせるたび、くらまたがる少女の長い赤毛が、鮮やかに広がる。


 数あるペットモンスターの中でも白い毛並みの《グランドホース》は設定値が優秀で、反面、屈強な男も瞬く間に振り落とすほどの暴れ馬だが、少女の騎乗に危うさはない。


 白馬を駆るその騎士のような精悍さを差し引いても、美しい少女だった。


 誰のとなりに並べても相手が気の毒になるほど小さな顔に、くっきり大きな碧色へきしょくの目。小ぶりだがスッと通った鼻筋に、ぷるんと彩りを添える桜色の唇。


 全てのパーツが――ド派手な深紅のロングストレートヘアでさえ――完璧に整い、調和しきっている。


 その美貌にはまだ僅かに幼さが残り、年齢は十代だと思われる。体の女性的な部分の成長も、やや途上か。あと容姿登録を数年待つことができれば、今白馬に乗っているのは国を傾けるほどの美女であったに違いない。


 彼女は日焼けを知らない肌をプリプリと苛立ちで張り詰めさせて、ただ前方を射抜くように睨んでいた。


 丸一日以上、睡眠はおろか、満足な食事も休息もとっていない。少女、ハルカにとって、そんなことは些事さじだった。空腹感も疲労感も眠気も、所詮しょせんまやかし物。そんな虚構きょこうをケアしている暇があれば、一馬身でも目的地との距離を縮めたい。


 一刻も早く、北極の都市――メルティオールへ。


「っ!?」


 少なくとも、ハルカに漫然運転の自覚はなかった。実際は、それに近い極限状態だった。


 ハルカは我が目を疑った。突然、ごばばぁ、と腹の底が冷えるような轟音を上げて、進行方向目と鼻の先に巨大な流砂が出現したのだ。


 直径十五メートルはくだらない、沼や湖とでも例えるべきその大きな砂漠の棺桶は、自ら飛び込んできた餌に歓喜するように大口を開ける。


 働かない頭を叩き起こし、ハルカは電流の如き反応で白馬に鞭を打った。愛馬《ゆきまる》はその間の抜けた名前はさておき、大変優秀なペットモンスターだ。すぐさま逞しい前肢まえあしを折って急制動し、立派なひずめで砂漠を滑走する。


 たったひとつ、ハルカにとって誤算だったのは――《ゆきまる》もまた、最後に食事と休息をとってずいぶん久しかったこと。そして飼い主として、そんな初歩的なことすら頭から抜けていたことだ。


「あっ!!」


 《ゆきまる》の体ががくりと傾く。最大スペックで使役できる限界リミットを、とっくの前に越えていたのだ。減速も回避も間に合わず流砂に飛び込み、急な傾斜をごろごろ転がりながら、ハルカは呆然と己を呪った。


 意識が茫漠な砂の海に沈む直前に、ハルカは最後の力を振り絞って《ゆきまる》の召喚を解除した。ハルカと同じく流砂に飲まれていた白馬は、疲弊しきった声で弱々しく鳴き、光とともに姿を消した。


 ハルカの指の先まで、もったいつけるように呑み込むと、流砂は腹を満たしたように消滅し、後には、ただ無限に続く砂漠が広がるのみだった。





――side:ハルカ――


 いつもの悪夢を見た。


 上体を跳ね上げるようにして目を覚ました私は、バクバクとうるさい胸を押さえて、まなじりに滲んだ涙を拭った。


「……私、どうしたんだっけ」


 頭が何かを整理する前に、私は顔を上へ向けていた。きっと、高いところから落下したのだということを、なんとなく体が覚えていたのだろう。


 仰いだ上方には青空はなく、十メートルもの高さに土気色の天井が覆い被さっていた。そうだ、確か流砂に飲まれて……


 歯噛みする。あれほどゆきまるに無理をさせながら、とんだドジを踏んだ。情けない。直前で《送還》したから怪我はしていないはずだけど……。


 目線を元に戻す。私が座り込んでいるのは、両脇を土壁で囲まれた、土一色の洞窟のようなところだった。横幅、天井ともにかなり広く、隠しフィールドにしてもあまりに規模がデカい。


 流砂の下に、こんな迷宮がフィールド設定されていたのか。問答無用でゲームオーバーが確定する系統の、今となっては悪質極まりないフィールドトラップでなかったのは、せめてもの救いだと思うべきかもしれない。


 飲み込まれた時、否応なしに気が遠くなる感覚があった。強制的に《気絶》状態になる仕様だったのだろうけれど、一体どれくらいの間気を失っていたのだろうか。


 半ば茫然自失としながら、再び上を見上げる。


 天井の隙間から、サラサラと音を立てて落下する砂と一緒に、黄金色の陽光も入ってきているから、外はまだ明るいと思っていい。


 だが、人一人が通り抜けられそうな穴は、どうにも天井部には見当たらない。自分は確かにあの辺りから真下に落下したはずなのに。


 これを見る限り、この天井とさっきまで私がいた砂漠は直接繋がっているわけではなさそうだ。あの流砂は設計者がデザインした、この迷宮への特殊な移動方法なのだろう。


 となれば、元の場所に帰る方法はなんだろう。洞窟は前にも後ろにも続きがあり、やんわりと曲線を描きながら奥へと伸びている。


 見知らぬ場所に一人隔離されたこの状況に、純粋な不安と恐怖を覚える。真っ先に、私は知人にコールすることを思いついた。故郷のデザーティアに一人、頼れる研究員の知り合いがいる。


 しかしメインメニュー画面を展開した私は、ただただ狼狽することになる。


「え……?」


 デジタル時計が表示されているはずの箇所が、見慣れないデザインで塗り潰されている。赤い長方形の枠に囲まれた赤文字『ERROR』──


 不安が一気に加速した。フレンド一覧画面へと祈るような気持ちで指を走らせるも、フレンドへコールするための選択肢の部分は全て同じ『ERROR』の赤文字が烙印でも押すように潰していた。


 時計のバグ。通信不可。私はわらにもすがる思いで、たったひとつだけ所持している虎の子の超絶貴重アイテム――転移玉を懐から取り出し、無我夢中で叫んだ。


「転移、《夏風のオアシス》へ!」


 だが、認証音は鳴らない。いつまで待っても全身を光が包むこともない。ペタン、とお尻が冷たい地面についた。

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