ココロ-2

 ほどなくして、ワタルの妻、ユリアが小さな少年の手を引いてきた。母の背中に半分隠れて、物珍しそうに俺を見上げる。


 まだ三歳程度だと思われるが、他人の俺が家に上がっていてもこれだけ大人しくしていられるのは二人の教育が良いためだろう。


 ワタルの紹介によれば、彼の名はトオルといって、二人の間に生まれた子どもだそうだ。わんぱく坊主だとユリアは言うが、それなら今は人見知りをしているのかもしれない。


「可愛いですね」


「うん。このころが一番かわいいってよくいうよね。けど、いざこのまま体が成長しないとなると、さすがに複雑かな」


 あぁ、そうか……既に容姿登録を終えてしまった俺たちは、もう、アバターを固定されてしまっているのだ。俺もあと一年も待てば10センチと伸びて、身長170センチ台に到達したに違いないのに。


 まして生後三年で成長を止められてしまったトオルの災難は、俺の比ではない。これからどんどん知性がはぐくまれ、言葉も達者になっていき、思春期だって迎えるはずなのに、一生アバターが三歳児のままではのちに発狂するのではないか。


「実は、《成長》や《老い》の再現にも着手していたんだよ。この世界で、もう新たな命を授かることはできないけど……この小さな命を、ちゃんと大きな体にしてあげたいっていうのが親の気持ちだ。小さなお子さんがいるおうちは僕らの他にもたくさんいる。ザガンを取っ捕まえたら、まずはその研究を再開したいな」


「へえ……トオル君のためにも、頑張らないといけませんね」


 しばらく、ユリアやトオルも交えて談笑した。ワタルはふと、少しだけ言うのを迷うようにして切り出した。


「実はね、アルカディアに日々寄せられているハナミヅキの目撃情報が非常に集中している都市があるんだ」


「本当ですか!?」


 机に乗り上げんばかりに身を乗りだす。自分でも、目が爛々らんらんと輝いているのが分かった。やはりアルカディアには、その手の情報が集まっていると思っていた。俺が一般プレイヤーなら、それらしき人を目撃したなら保安官NPCよりよっぽど運営に連絡するからだ。それを言うと、ワタルは決まり悪そうな顔になった。


「もうシステム権限的には一般のプレイヤーとほぼ同じなんだけどね。僕にしてあげられることは、これくらいだけど……」


 そう前置きして、ワタルは俺にマップ画面を開くよう促した。言われるままに可視化したメニューからマップを開くと、ワタルが手を伸ばして俺のパネルに触れる。


 赤紫色の光が、ワタルの開いたパネルから俺のパネルに、ワタルの手を伝って流れるように表れた。ワタルが手を離したとき、俺のマップ画面に大きな変化が起きていた。


「これは……」


 俺のマップの大部分を覆っていた白霧が、強風で吹き飛ばしたかのように綺麗さっぱり消失していた。俺のマップは全域がクリアに表示され、各地名もきちんと記されている。


「マップの共有ってやつだよ。フレンド間でのみ可能な小技なんだけど、知らない人が意外と多い」


 出会ってすぐに俺はワタルとフレンド契約を交わしていたのが、その恩恵はかなり大きかった。ワタルは自分のパネルのマップにマーカー機能を使って何やら記し始める。


 終わったと見えて再びワタルがマップを共有すると、俺のマップの一点に赤いマーカーで丸印が付けられた。「そこが例の目撃情報多発ポイントだ」とワタルは言う。


 白銀都市、《メルティオール》。ユートピア大陸の北極に位置する五大都市だ。


「北ってことは……寒いんですか」


「寒いね、かなり」


 ワタルが真顔で頷く。俺は静かに辟易へきえきした。暑いのも嫌いだが、寒いのももちろん好きではない。


「白銀都市って言うくらいだからねえ。フィールドや都市のデザインは僕の担当じゃないから苦情は受け付けられないかな。……ただ、問題は寒さより道のりだね」


「距離なら、俺はもうセントタウンからここまで、同じだけ歩いてきましたけど」


 五大都市は中心の《タイロン》を除いて、ひし形を描くようにして東西南北に散らばっている。西のココから北のメルティオールまでは、俺が今日まで歩いてきた道のりとほぼ同じ距離のはずである。


「距離は同じだね。でも、セントタウンとタイロン、それから東の《くに》が穏やかな温暖湿潤季候なのに対して、デザーティアとメルティオールはかなり厳しい環境設定になっているんだよ。その間を結ぶ道のりの険しさは君が歩いてきた道と比べ物にならない。ここから半分は砂漠、それからもう半分は豪雪地帯だと思った方がいい」


 んなバカな。


「この世界、暑さや寒さで普通に死ぬようになってるから気をつけて」


「普通に死ぬの……」


「うぅん、やっぱり心配だな。君に万が一何かあったらシンジさんに合わせる顔がない。《転移玉てんいぎょく》で連れていこうにも、君が一度も行ったことのない場所には連れていけないからなぁ」


 すまなそうに頭をかく。転移とはいわゆる瞬間移動のことだ。それを可能とする転移玉てんいぎょくは超のつく希少アイテムで、使いきりの一つでも小さな家が建つほど高価な代物。その名前がサラッとワタルの口から出たことに仰天する。やはり研究員のステータスは別格だ。


 どのみち、ただでさえ絶望的に人数の少ないアルカディアの手をこれ以上借りるわけにはいかない。


「いえ、ありがとうございます。俺なら大丈夫です。乗り物とかってこの辺りで売ってないんですか」


「馬なんかのペットモンスターなら売り場はないでもないけど……高いよ?」


 ワタルの言葉に、俺は喚び起こされた記憶を複雑に思いながら笑った。


「いやぁ……実は結構あるんです、お金」


 現在の俺の所持金──10086572ルビー。ざっと、転移玉が二つ買えるだけの金額が懐にある。


 これは、母のくれた金だ。


 出発の日に、大量のおにぎりやシチュー鍋に混じって置かれていた金色の豆。道中、ふと気になって詳細画面を喚び出したところ、説明欄に『高値で取引される』という文言を見つけた。


 名を《ヘブンビーンズ》というらしいその豆は、いわゆる“換金アイテム”だったのだ。旅に出る俺への、小遣いのつもりだったのかもしれない。


 母はフィールドにも出たことがないようなレベル1のプレイヤーだったので、そんなに期待せず旅先の道具屋で売却してみたのだが。


 提示された桁数に疑似視覚野のバグかと本気で思った。


 10000000──1000万ルビーだ。シュンとゲイルの所持金を引き継ぐ前の俺の所持金が6000ルビー程度だったから、これはふざけた額である。


 よくよく確認すると、Sランク、つまり俺の刀やシュンの腕輪と同価値の代物だった。こんなもの母はどこで手に入れたのだろうか、と勘繰ったが……よくよく考えてみると、父から贈られたものとしか思えない。父にそこまでセンスが欠如しているとは思わなかった。


 ともかく、そんなわけで俺はポーションなどの必須アイテムを十分以上に揃えて旅に望むことができたのだった。


 このことは、ワタルには黙っておくことにした。母を置いてきたことに対して、うんざりするような正論を吐かれるのは御免だ。


「そうなのかい? じゃあ、今日はこのあと買い物に行ってくるといい。ユリア、案内を頼むよ。オススメのアイテムをリストにまとめておくからね」


「ありがとうございます」


 今日は泊まっていきなさい、というワタルとユリアの厚意に有り難く甘えさせてもらい、夜までの時間をメルティオールへの旅の準備に費やした俺は、一週間ぶりに家の中で眠ることができた。

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