ケント-3
木々の狭い隙間を縫うようにして、走る。激突する恐怖を捨てて更に加速すると、逃げ回るウサギの背中をとうとう捉えた。
ウサギは背後を振り返るなり、つぶらな目をギョッと見張って速度を上げる。
現実世界で、俺はとても俊足とは言えなかった。これほどの猛スピードで走った経験などないはずなのだが、どういうわけか、目と体は早くもこの速度に馴染んできている。
向こうの世界で俺が睨み続けてきたゲーム画面というのは、1フレーム(約0.015秒)を争う世界だ。一瞬で千変万化する画面を前にまばたきなんて許されないし、常に動物的な反射が求められる。
誰も誉めてくれたことはないが、俺は某大人気FPSタイトルや吹っ飛ばしアクションゲームで世界ランク一桁を死守していた。動体視力と反射神経には自信がある。
今さら多少高速で飛び込んでくる情報を処理するくらい、わけもなかった。操るのはコントローラーではなく自分の体だが、運動能力は低くとも、どうやら運動神経だけなら悪くない方だったらしくーー襲いかかってくる無数の木をひょいひょいかわし、更に加速を続ける。
気持ちいい。現実世界の貧弱な肉体では、こんな身のこなしは絶対にできなかったはずだ。思った通りに体を操れる、この、筆舌に尽くしがたい快感。ウサギの背中が、いよいよ近くなってきた。
だが、手を伸ばそうとしたとき、またしても石ころが弾丸のごとく飛来した。今度は
「くそ、邪魔すん……あ」
不覚。
猛スピードで走っていた俺は、一瞬注意をおろそかにした隙に、木の根っこに盛大につまづいた。ごろごろごろーん! と派手に転がって顔面から地面に這いつくばる。
「悪いね、もらってく」
慌てて顔を上げた俺を尻目に、少年は笑顔で右手を振り抜いた。矢のごとく石ころが飛び、逃げるうーちゃんの後ろ足に命中。HPは一割ほどを削るにとどまったが、衝撃でうーちゃんは転倒し、起き上がれない。
《ダウン》状態だ。あんなに小さなモンスターを相手に、石ころ一つでダウンを狙えるプレイヤーがいるなんて、信じられなかった。
少年は木から飛び降り、転んだウサギのもとへ歩いていく。まずいーー俺は、
「ーー【
それは、《スキル》の詠唱。
引き抜いた短剣の刃が黄色のライトエフェクトを帯びたかと思うと、次の瞬間、全身をシステムに乗っ取られた。
意思とは無関係に、体が自動で動く。俺の体は地面を蹴り飛ばし、目にも留まらぬ速度で少年に向かって突進した。ハッ、と振り返った少年の目に、狼狽の色が浮かぶ。
一瞬の
スパァン、と小気味いいサウンドエフェクトが弾けて、俺の体に自由が戻る。一気に少年を追い越してゼロ距離に迫った俺に、ウサギは目を丸くして呆然としていた。
素早く短剣を放り投げ、両手でうーちゃんに飛びつき、抱き締めた。
『《
もふもふ、ふわふわの感触を腕のなかに感じながら、アナウンスに耳を傾ける。どうにかうまくいった……。安心すると、どっと体が重くなった。
「……やられた。すごいね、突進攻撃スキルを移動のためだけに使うなんて」
苦虫を噛んだような表情で、金髪の少年が声をかけてきた。改めて見ると、やはり絵画から飛び出してきたような美形だった。
【電光石火】は、短剣専用の初級突進技。三メートルまでの距離を駆け抜けて剣を突き出す、という素朴さだが、突進速度はアジリティーの値に比例するので、俺が繰り出せば目にも留まらぬ高速移動技となる。
「ギリギリ当たらない距離だと思ったからな……まぁ、もしうーちゃんを倒しちまっても、お前にとられるよりはいいと思って」
「ずいぶん嫌われたなぁ」
「ムカつくやつだとは思ったけどな。それぐらい、すげえ身のこなしと
「
「俺は……セツナ。変な名前だろ」
「そうかな? かっこいい、ぴったりな名前だと思うよ。速い君に」
俺は照れ隠しに目をそらして、「なんだそれ」とだけ言った。捕まえたうーちゃんは一度アイテムストレージに格納し、俺とケントは一緒にグリーン村まで戻ることになった。
短い帰路で、俺とケントはすぐに打ち解けた。滅多に出会えない同い年の日本人、というだけではなくて、お互いに、この
この奥深いゲームを熱心に勉強して、勤勉にレベル上げやクエスト攻略に励み、この世界をめいっぱい楽しんでいるケントの姿勢は好ましかった。道すがら、たくさん話をして、盛り上がって、笑った。
胸のまわりが、あったかくなった感覚は、本当に仮想のものだったのだろうか。
村に帰ると、村長の娘にうーちゃんを引き渡した。娘は泣いて喜び、俺に抱きつき、村長も深々と頭を下げて謝意を述べた。
イベントクエストはクリアとなり、俺はそれなりの金と経験値、それから《クロビットシューズ》という黒いスニーカーを報酬として受け取った。早速スニーカーの詳細情報を確認する。
「ランクB! おお、固有スキルまでついてるぞ。移動速度も上がるみたいだ。これもまだ、レベルが足りなくて装備できないけど」
「セツナはこれ以上速くならなくていいだろ。僕にくれよ」
「やだね」
軽口を叩きあい、夕焼け空の下をセントタウンまで一緒に帰った。別れ際、フレンド登録を交わした俺たちは、「今度は一緒に狩りをしよう」と約束した。
有り体に言えば、友達になった、のだと思う。
帰宅すると、なぜかすぐに母から「いいことあった?」と聞かれた。はぐらかしたが、普段からは想像もつかないほど饒舌で、フレンド一覧画面を開いてはにやにやする俺に、「今日の兄貴きもい」とシュンにまで引かれる始末だった。
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