蒼炎-2

「は、はぁぁぁ? なんだ、そりゃ……」


 さしものゲイルも笑みを消し、半歩後ずさる。蒼い炎が撒き散らす灼熱の中でも、涙は蒸発することなく溢れ続ける。


 腹の底からえ、石畳を猛然と蹴り飛ばした。


 景色が高速で後ろへ流れ、ゲイルの顔が瞬く間にズームアップする。ギョッと見開く三白眼。蒼い炎を纏った桜色の刀身が、闇夜に横一文字よこいちもんじ光芒こうぼうを引いた。


「あ、危ねええええ!」


 大きくのけ反り、ゲイルは辛うじて凶刃から逃れた。すぐさま刀を握り直し、ぐっと踏み出した太ももに力を込めると、俺を包む炎が更に勢力を増した。


「あっっっつッ!?」


 熱気にたまらず顔を覆い、ゲイルはその敏捷性アジリティに物を言わせて小動物の如く後退した。――逃がすわけ、ないだろうが。


 脳の血管がブチ切れそうなほど唸り、力み、跳ぶ。蒼い炎の塊は周辺の空気を灼き尽くしながら、一瞬にしてゲイルの醜い顔へと爆進した。


「は、速……ッ!?」


「――ォァァァァァァァアッ!!!」


 新聞紙をいくつも重ねて一度に引き裂いたような音が、手元で炸裂した。迸る鮮血が石畳を瞬く間に赤黒く染め、錆びた鉄の臭いがぶちまけられる。


「ギィアアアアアアアアアアアッ!!!? アッ、アッ、ァァァアッ!!? い、痛ェェェェェェェェェエエエアアアアアッ!!!」


 ボロ雑巾のように石畳の上をのたうち回り、耳がイカれるような絶叫を上げ続けるゲイルの体には、肩口から腰にかけて、凄まじく深い刀傷が走っていた。


 その、あまりに尋常じゃない痛がり方に戸惑う。同時に、俺の体にまとわりついていた炎が、水をかけたように消えた。瞬間、どっと体が重くなり、刀を取り落としそうになる。


 ゲイルはピタリと叫ぶのをやめたかと思うと、臓器を吐くのではと思うほどせ返り、おびただしい量の血を吐いて、また喉を壊さんばかりに叫び始めた。


「黙れよ……」


 ゲイルのHPは、このたった一発でイエローゾーンに深く突入していた。痛みがダメージ量に比例するなら、地獄の痛みに違いない。


 刀の攻撃力が、俺は、いっそ虚しかった。痺れた頭でも、このまま死なれてはたまらない、と強烈に思った。咄嗟とっさにズボンのポケットをまさぐり、緊急用に物質化している回復ポーションの瓶を取り出すと、金切り声を上げて悶絶するゲイルの口に突っ込む。


「ぶっ、ゴハッ、オェェッ!?」


「さっさと飲め」


 せてポーションが逆流し、顔中の穴からあらゆる液体を出して見るも無惨に苦しむゲイルは、それでも砂漠で干からびる寸前の旅人がするように、貪るように瓶の中身を吸い上げた。ゲイルのHPは、それで八割近くまで持ち直した。


 俺はすかさず刺さった刀を抜き、あらん限りの力で再び突き刺した。毛細血管が焼き切れそうなほど眼球を飛び出させ、ゲイルは口に咥えていた瓶を噛み砕いた。今、どれほどの痛みがコイツの脳に届いたのかを想像したら、気の遠くなるほど僅かだけ、胸がすいた。


「ヤ、ヤ、ヤメテ……! シ、シニタクネェ……ッ!!!」


 ゲイルの眼球は、この激痛の中においても、しきりに左上に動いた。自分のHPが表示される場所だ。この男が、死に物狂いでHPの全損を拒むのを見るたび、心臓に釘を打たれるような痛みが走る。


「お、弟クンのことは、わ、悪かったよ! ほんの、ジョークのつもりだったんだ!」


 殺意に勝る衝動は、ないらしい。我を忘れ、刀を三度みたび引き抜いて振り上げた俺に、ゲイルは奇声でまくし立てた。


「お、おおおオレを殺しても意味ないぜっ!? オレは下っ端だからよォ!? この計画にゃ又聞きで乗っかっただけだし、アッ、そうだ、オレを殺せばお前、ソーマ様に殺されちまうぞ!?」


 もう、喋るな。


 全身全霊で拒絶するような断末魔は、頭を刀で突き刺したら静かになった。白目を剥いたゲイルのアバターは、同じくはちみつ色のライトエフェクトに包まれると、粉々に砕けて空へ昇っていった。


 光の雪が逆さに降る月夜を、俺は石畳に刀を突き刺したまま、力なく立ち尽くした。


 先刻までゲイルが転がっていた血だまりの中央に、黄金色こがねいろに発光する球体が浮かび上がったことに、かなり遅れて気づく。不思議な光の球だった。形は丸いが、質感は、液体や気体に近い。


 それに手を触れると、明滅する光の球はひときわ目映くまたたいて、俺の体に吸い込まれるように消えてしまった。俺の体が、とくん、と鼓動するように光を放つ。


『《Gail》さんのレガシーに触れました』


『《Gail》さんの所持品と獲得総経験値が引き継がれます』


  どこかで聞き覚えのあるアナウンスが内耳に響き、直後から、無限にも思える『Level Up!』の通知がひっきりなしに流れ続ける。


「…………いらねぇよ」


 不意に、空から一筋の雫が落ちて石畳の上を跳ねた。ぽつりぽつりと降り始めた雨粒は、やがて突然の驟雨しゅううとなって、立ちすくむ俺の体を冷やした。

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