ケント-1

 次の日も、その次の日も、俺とシュンは毎日、朝早くからフィールドに出掛けた。


 この世界のシステムや戦闘に慣れてくると、レベル上げの効率はどんどん上がった。レベルが上がるにつれて徐々に探索範囲を拡大し、手強いモンスターとも戦うようになった。


 《死亡》も経験した。モンスターの攻撃を受けてHPがゼロになった瞬間、本体とアバターの接続が切れ、体の感覚がなくなる。奇妙な浮遊感に包まれて、自分の体が痛みなく粉々に砕けて消えるのを眺める。数秒、意識だけの世界を旅した後には、自宅のベッドで目を覚ましていた。


 ペナルティとして、次のレベルに上がるために溜めていた経験値を半分没収されたときは泣きそうになったが、現実で死ぬことを考えればなんてことない。


 戦闘時の"痛覚"が非常に鈍く設定されていることも大きい。以前狼型のモンスターに噛みつかれたときも、まるで麻酔の上から甘噛みされたような感じだった。


 「死んでも生き返る」「痛くない」。この二つの安心感は絶対的で、フィールドには俺たち以外のプレイヤーの姿が日に日に増えるようになった。


 第二の現実世界となったユートピアを、ゲームとしても楽しもうと発起ほっきした者が、続々と攻略に乗り出したのである。


 俺たちの住むセントタウンには、ユートピアに移住した全人類の五分の一、二万人あまりが生活している。ユートピアには《五大都市》と呼ばれる五ヶ所の大きな町があり、残りは他の四つの町でそれぞれ暮らしているようだ。


 俺たち家族を含む、セントタウンで暮らす二万人のうち、移住後一週間以内に武器をとり、フィールドに出掛けたのはーーおよそ四割。実に八千もの人間である。


 多くは俺たちのような若い世代、特に男子だが、それ以外もかなり目立った。


 このゲームの初期ステータスは、確かに現実の筋力などによってボーナスがつくが、年齢や性別に応じて基準が調整されるため、子どもや女性、高齢者がハンデを背負うことはない。


 何よりこの世界では、たとえ現実で足を悪くしていても、全力で野山を駆け抜けることができる。肉体アバターを動かしているのはあくまで脳だからだ。フィールドで嬉々と刃物を振り回すおじいちゃんの姿は、ユートピアの風物詩になっている。思えば、彼らの子ども時代はゲーム全盛期だ。


 金や必要品は全てアルカディアから支給され続け、働く必要は全くなく、むしろ更なる金を手に入れるためにはモンスターを倒すのが一番ときている。今や、一万人に迫る老若男女が日がなゲーム生活を謳歌していた。


 これを理想郷と呼べるかは、人によるだろう。だが、世界は圧倒的に平和だった。


 システムは、どんな些細な犯罪も許さない法の番人。武器は町中では絶対に抜けないようになっているし、暴力はもちろん、「死ね」などの禁止ワードを連発するだけでもアカウントが一時凍結するレベルの罰を受ける。


 凍結したプレイヤーは身動きのとれない監獄エリアで刑期を全うしなくてはならない。オンラインゲームだけあって違法コードは厳重で、過剰なものはアルカディアによって少しずつ緩和されているものの、皆、行動や言葉には細心の注意を払っている。



 そんなこんなで、多くの人間がゲームを楽しんでいるわけだが。


 早々のスタートダッシュに成功した俺たちは、そんなアクティブプレイヤーたちの中でもレベルが頭抜けていて、皆から一目置かれる存在になっていた。


 特にシュンは、明るく友好的な性格とその強さから、カリスマ的な人気を誇った。出会ったプレイヤーとたちまち仲良くなっては、考えなしに狩りに行く約束を交わしてしまう。


 もちろん俺もそれに誘ってくれるのだが、初対面の人間と遊ぶなんて気が引けて、徐々に、俺とシュンは別々で行動するようになっていった。



 そんな俺にも、たった一人、この世界で友人と呼べるものができた。


 この世界にきて二週間近くが経ったその日、シュンに「兄貴ならクリア間違いなしの《イベントクエスト》がある」と勧められた。


「じゃあ、一緒に行こうぜ」


「いや、ごめん。行きたいんだけど約束があってさ。それに、報酬がもらえるのは一人だけ。アジリティー特化型が有利って話だから、オレじゃ兄貴には」


 すまなそうに手を合わせ、ペラペラと話す弟を、俺は「変わったな」と冷めた目で見つめた。乗り気ではなかったが、一日限定のイベントクエストが近所で開催されるなんて次はいつになるかわからない。


 結局、セントタウンから五キロほど離れた小さな村まで一人で歩いて向かった。


 イベントクエストとは、NPCと会話するなどすればいつでも挑戦できる通常の《クエスト》とは違い、特定の日時にのみ開催されるクエストだ。


 どちらもクリアすれば報酬を受け取れるが、イベントクエストは期間限定のため、報酬もより豪華である場合が多い。


《グリーン村》という、小さな酪農の村だった。家屋のほとんどが藁葺わらぶき屋根の牧場で、牛や馬型のモンスターが緑の上をのんびり歩いたり、牧草をんだりしている。


 広場に集まった百名近いプレイヤーの前で、赤毛を三つ編みにした可愛らしい少女のNPCは、涙ながらに訴えた。


「わたしが、赤ちゃんの時から一緒だったうーちゃんが……この間の嵐で逃げ出してしまって……! 冒険者さま、お願いです。うーちゃんを、見つけ出してください……!」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

イベントクエスト《うーちゃんを捕まえろ》が発生しました。


《概要》

グリーン村の町長、グリーン氏からの依頼。一人娘が大切に育てていた《韋駄天兎クロラビット》のうーちゃんが、迷いの森へ逃げ出した。誰よりも先に捕まえて、町長の家に連れて帰ろう。


《制限時間》

120分


《クリア条件》

うーちゃんを捕獲し、町長の娘に話しかける。


《失敗条件》

・うーちゃんを討伐する

・制限時間を過ぎる

・死亡する

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 全員の眼前に、一斉にシステムウィンドウが開く。軽く目を通してからそれを閉じると、わいわい騒がしくなる人混みを抜けて、一人、スタートラインになるであろう村の門まで歩いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る