フリーバトル-3

 珍しく目を輝かせ両肩を掴む俺の剣幕に、ケントは目を丸くして圧倒されていたが、やがて、彼の顔にも高揚の色が挿した。


「許してもらえるかな……許してもらえたら、最高だなぁ」


「もらえるに決まってるって! 向こうじゃ俺たち子どもは、大人に守られなきゃ生きていけなかったけど……よく考えりゃ、今は俺たちの方が強いじゃん! 俺たちを脅かすような存在なんて、この世界のどこにあるんだよ!」


 俺は舞い上がり、一人小躍りした。あとはシュンをどう説得するかである。レベル上げの効率が爆発的に上がるという点を推せば、一ヶ月先まで友だちとの約束で埋まっている彼でも揺らぐかもしれない。


「俺、今日はもう帰るわ! 早速母さんに話つけるためにも、門限破って機嫌悪くするのだけは避けたい」


「あはは……あんなにキレイで優しそうなお母さんなのに、セツナは随分怖いんだね」


「見た目に騙されるな、あれは不老の鬼だ。親父のことがあるからゲームにだけは寛容だったけど、怒らせたらマジで死ぬ」


 ケントは信じていないみたいだった。「またメールする」と言葉を交わして、俺たちは別れた。


 どうにもテンションが上がってしまい、俺は家までの道を自然と駆け出していた。丘を駆け降りてセントタウンの門をくぐると、街区をぐんぐん加速し、駆け抜けていく。


 茜色は濃紺に飲み込まれ、黒い雲の切れ間から満月が煌々こうこうと顔を出す。


 いい夜だった。噴水広場を横切り、目抜き通りを風のごとく走り抜けて人々を仰天させ、途中で折れて人通りのまばらな路地に差し掛かる。


 狭い路地の壁を交互に蹴って跳躍し、切り取られた夜空を突き破るようにして屋上へ飛び出す。一気に視界が開け、冴えた夜の空気が俺を歓迎した。気分のいいときに使う近道だ。勢いそのまま組積造そせきぞうの屋根の上を走って、一息に居住区を目指す。


 障害物はなにもない。俺は能力を惜しみなく発揮して疾走した。羽のように軽い体で、このままどこまでも行けそうな気分になってくる。


 ふと。奇妙な違和感が片隅で疼いた。


 静かすぎる。


 このあたりに人通りが少ないのは、珍しいことじゃない。普段からこの時間帯は人気ひとけがなく、だからこそ思い切り走れるのだ。いつもここに差し掛かると、BGMの『セントタウンのテーマ(夜)』がやけにはっきり聴こえてーーそうか。


 BGMが、聴こえない。水を打ったような静けさだ。疾走しながら、俺はふと、世界にひとりだけ取り残されたような不安を感じた。いつの間に、BGM設定をミュートにしていただろうか。



「ーーよぅ、速いな、少年」



 耳元で、しわがれた声がほとばしった。


「はっ!?」


 心臓が跳ねとぶような衝撃に目を見開いて真横を見れば、高速で走る俺にぴったり追随する黒い影が、至近距離でわらっていた。


 ボロボロの黒いローブを羽織り、フードを深くかぶった男である。俺の足についてこれるプレイヤーなんて、この町にいるはずがない。シュンやケントでさえ、単純なかけっこでは俺の敵でないのだ。


 オレンジ色の三角屋根を滑走しながら減速し、足を止めた俺の前に、少し先まで行って止まった男が立ち塞がる。まるで行く手を阻むように手を広げ、下品な笑みを浮かべて。


「NPC……じゃないな」


 真っ先に疑ったのは《ゲリラクエスト》。こちらの意思に関係なく、突然、半強制的に発生するクエストのことだ。しかし、男の雰囲気は、単純なアルゴリズムが動かすNPCにしては異様すぎる。


「アハハ……NPCィ? バカ言っちゃいけねぇよォ。このオレ様が、ロボットに見えるかい?」


「……マトモな人間にも見えないけどな」


 フードを目深まぶかにかぶった男の顔は鼻から下しか見えないが、俺は十分すぎるほどの不快感を覚えた。


「フヒヒッ、言うねぇ」


「……あんた誰? 俺に何か用か」


 この町の人間でないことは確かだ。俺を越える速さを持つプレイヤーがいたらシュンが必ず噂を聞いているはず。そもそもこんなやつ、町にいたら目立つに決まっている。


「いやいや、ちっと試したいことがあって近場のデカイ町に来たんだけどよ、すげぇ速さで走っていくガキがいたもんだから。ついてきたってわけ」


「それだけ? 悪いけど急いでるんだ、用がないなら……」


 立ち塞がる男の横を構わずすり抜けようとした俺の首筋に、冷たい金属が触れた。うっ、と動揺して足を止め、喉笛に突きつけられたソレを目にした瞬間ーー栓を引っこ抜いたみたいに、血の気が引いた。


 短剣の、刃。


 急激な寒気が全身の肌を粟立てる。そのダガーナイフは、“俺の”だ。俺の腰に備え付けた鞘から、男が躊躇ためらいなく引き抜いた。


 フードの隙間から見えた男の目は、笑っていなかった。言葉など一つも通じそうにない目。今にも、何ら躊躇ちゅうちょなくナイフを突き込んできそうな、獣のような目に睨まれて、喉がカラカラに乾く。


 悪夢を見ているのか、と思った。だって、有り得ないのだ。こいつが、“抜刀”している事実そのものが。


 ここはセントタウンのど真ん中。街区では、プレイヤーは武器を抜くことができない。何人なんびとたりともだ。この世界の唯一神であるシステムが、そう決めている。


 町中ではたとえどれだけ力を込めようとも、まるで接着剤で固められたように鞘と刀身が引っ付いていて、武器を抜くことができない仕様になっている。鞘のない武器は物質化することすらできず、ストレージに格納するまで町の中に入れない。


 まして、装備状態になっている他人の武器を抜くなんて行為は、不可能中の不可能。そんなことがオンラインゲームで許されれば治安は最悪、盗み行為が頻発ひんぱつして運営に抗議が殺到、あっという間にサービス終了に追い込まれる。


「カハハハハ……最高だなその顔ォ。余裕ぶっこいてたガキが恐怖で固まるその表情ォ……ゾクゾクするぜェ……」


 ひらひらと慣れた手つきで短剣をもてあそび、俺の首を刃の先でなめ回す。原初的な恐怖が俺の体に絡みついて、一歩も、動けない。


「試したいことがあるって言ったよなァ。色々試させてくれてありがとうよ。マジで武器が抜けた……んじゃ次はァ」


 その瞬間、腹部を体感したことのない衝撃が貫いた。


 目にも留まらぬ膝蹴りが鳩尾みぞおちに食い込んで、俺の体は“く”の字に折れ曲がる。


「カ……ッ!!!?」


 信じられない激痛に目をひん剥いた俺の体は、ボールを蹴ったように吹き飛ばされ、屋根の上を猛烈に転がり、下へ落ちる寸前に摩擦まさつで止まった。


「アァ……ッ、うえッ、ゴホッ……!!?」


 チカチカする視界の中で盛大にむせ込みながら、うずくまり、激痛の走る腹部を握りしめる。喉に血の味が込み上げ、何度も咳き込む。


 有り得ない、有り得ない。戦闘時の痛覚は著しく減衰されるのが、ユートピア・オンラインの仕様だ。現にこれまで、俺は幾度となくモンスターやケントの攻撃をこの身に受けてきた。こんなーーこんな、気が狂いそうなほどの激痛なんて、向こうの世界でだって感じたことがない。


「ブハハハッ、飛んだァ! マジで攻撃できんじゃん、HP減ってんじゃん!!」


 身の毛がよだつとは、この感覚を言うのか。反射的に自分のHPゲージに目をやってーー三分の一近くも抉れているソレを目の当たりにして、呼吸を殺された。


 有り得ない、有り得ない有り得ない有り得ない。町のど真ん中で攻撃を受け、あまつさえHPが減るなんて、絶対にあってはならない。何が起きている。何が起こっている。


 これは、本当に現実リアルなのか。


 何も受け入れられずただ痛みと恐怖に震えて這いつくばる俺の上から、けたたましいサイレンが降り注いだ。世界全域に警告色けいこくしょくのライトエフェクトが閃き、夜空が血に染まったようにあかく瞬く。


『緊急事態発生。緊急事態発生。運営本部が襲撃を受けています。現在総力を上げて迎撃中。皆様はくれぐれも外へ出ないようにしてください。繰り返しますーー』

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