砂の都-2

 そこから目的地までの十数キロは、この一週間でもっとも過酷だった。


 気象情報ウィンドウが示す気温は46℃。太陽から降り注ぐ紫外線の矢が、痛みを伴うレベルで肌を焦がす。口の中の水分はあっという間に空気中の砂ぼこりに食われて、舌がひび割れそうだ。どれも仮想のダメージとは思えない辛さで、砂に足をとられて満足な歩行もままならず、旅立ちから初めて根を上げそうになった。


 刀を杖がわりに、風が吹けば倒れそうな足取りで、四方を陽炎に囲まれた砂漠を延々と歩くこと、数時間――大きな砂丘を越えた俺は、その向こう側に広がる景色を目の当たりにして、安堵のあまりに膝から崩れ落ちた。


 緑が、ある。


 それに感動した。茫漠ぼうばくとした乾燥地帯をぶった斬るようにたくましい河川が走り、その川沿いに、豊かな緑に囲まれた街が発展していた。高い石壁に覆われているものの、球根型の白い屋根が特徴的な、背の高い建物がいくつか見える。


 俺は吸い寄せられるように、どこかアラビア風の趣向漂うその街をめがけて、砂丘を駆けおりていった。


「つ……着いた……」


 門の前までたどり着いて、俺はとうとうその場にへたりこんだ。疲労困憊とはこのことだ。どうやら気温や接種水分量などの条件によって、疑似疲労感の感じかたは変動するらしい。旅では特に、現実同様の体調管理が必要そうだ……。


「それにしても……不用心だな。門が全開だなんて」


 俺は、まるで来るものを歓迎するように開放された鉄門を見上げて唸った。上方の看板には《デザーティア》と刻印されている。desertia――砂漠の都。


 意を決して門を潜った途端、俺は間違えてパチンコ店やクラブの扉でも開けてしまったのかと思った。


 一気に空気が変わった。魔法のランプに空飛ぶ絨毯、そんなものまで売ってそうな、砂と白と宝石の色で彩られた砂漠の都の町並みには、人々の威勢のいい声や笑い声が満ちていた。俺はしばし呆気にとられて、その場に立ち尽くした。


「なんだ、この町……」


 一瞬、今まで悪い夢を見ていただけのような気になった。この町は、以前までの、平和だったセントタウンそのものだ。システムに保護され、与えられた安寧あんねいを謳歌する二万人の人間のエネルギーで、セントタウンはいつもこんな風に、活気に溢れていた。


 俺が旅をしている一週間の間に、何かあったのか。もしや、既にアルカディアはシステムを奪還し、世界には再び絶対的な秩序が戻った……そんな夢物語でもない限り、この町の熱気には説明がつけられなかった。


 俺はかぶりを振って気を取り直した。当初の目的は変わらない。町についたのだから、まずはハナミヅキの情報収集だ。


 ハナミヅキの情報は、その名前以外はほとんどないと言っていい。ヒントになるのは、ゲイルの服装ぐらいだ。ヤツは黒いぼろ布のようなローブを羽織っていた。あれが共通のコスチュームだとすれば、大きな手がかりになるだろう。


 それから――俺の記憶が正しければ、ゲイルは「ソーマ様」という名前を口走っていたはず。様をつけて呼ぶからには、ハナミヅキのリーダーにちがいない。これも、なにか手がかりになればいいのだが……。


 当面、俺は五大都市を転々としながら、町の人々に黒ローブの目撃情報をたずねて回ることになる。デザーティアはその一歩目だ。


 早速、すぐ近くの青果店から男性プレイヤーが出てきた。購入した色とりどりの野菜や果物を紙袋に抱えて、俺の前を横切る。チャンスだ。


「……あ……えと……」


 蚊の鳴くような声で呼び止めた(?)俺を、男性は気づくことなく素通り。俺は半分上げかけた手をそのまま上げて、後頭部をポリポリかいた。


 しまった、タイミングを逃したか。しかしさっきの人はちょっと無愛想な感じだったから、話しかけなくて正解だった。あせる必要はない。優しそうな人を選んで声をかければいいのだ。


 頃合いよく、今度は白い頭巾姿の女性が通りがかった。いかにも優しそうである。俺は今度こそと意気込み、大きく息を吸った。


「ア……ア……」


 山から降りてきた化け物か。


 うめいている間に、女性は俺には目もくれず行ってしまった。小さくなる背中をしばらく未練がましく見つめてから、ガクリと項垂うなだれる。


 今俺は、これまでのどんな過酷な旅路より、大きな難関に直面していた。



 知らない人に話しかけるの、ハードル高すぎ。



 ネットゲームの中でなら、これまで俺はむしろ多弁で饒舌だった。人気者で、ファンだってたくさんいた。顔の見えない相手に対してなら、マイク越しにどんなに強気な態度もとれた。


 しかし、この世界ゲームだけはどうにも勝手が違う。現実の顔同士を付き合わせて、生の言葉で会話するのは、現実世界と全く同じ緊張感がある。


 せめて、戦闘やクエストの中でプレイヤーと関わるというような状況なら、俺も少しはコミュニケーション能力を発揮できるのだが……こうして町の中で、俺のことを全く知らない、自分の生活をしている人に、それをぶったぎって声をかけるというのは、俺にとってどんなゲームよりも難しい話だった。


 一ヶ月も過ごしていながら、俺が満足に会話できたプレイヤーは家族を除けばケントだけだ。勇んで旅に出たのが、あまりに滑稽に思えてくる。



 ――仕方ねえなぁ、兄貴は。



 俺のすぐ右から、聞き間違えようのない声が聞こえて、俺はハッと顔をそちらに向けた。


 シュンが、そこに立っている。黄昏色たそがれいろに淡く発光する、半透明の体で。


 まばたきすれば消えてしまいそうな、儚い幻だ。シュンは俺に微笑みかけると、先ほどの女性の背中を追って元気よく走っていった。「すみませーん!」とその背をつかまえて、俺の方を指さし、人懐っこい笑顔で両手を合わせる。


 その女性が本当にシュンと会話し始めるかというところで、幻は消えた。もちろん、女性は歩む速度を少しも変えることはなく、どんどん遠ざかっていく。


 俺は、真っ直ぐ、シュンの消えた場所と、去っていく女性の背中を見つめた。


 もし、これが、シュンも一緒の旅だったら。ケントと約束していたような、三人での、楽しい旅だったら。


 俺はブレーン担当で、こんな風に人に上手に頼るのは、シュンの仕事になっていただろう。仕方ねえなぁ、兄貴は。今までもそう言って、俺の苦手なことはシュンが笑ってやってくれた。俺の世話をすることが、シュンは好きみたいだった。


 シュンは、もういない。


 胸のリングをぎゅっと握る。今までシュンがしてくれたことを、無駄にするわけには断じていかない。今もシュンは、きっと天国で、情けない兄にやきもきしていることだろう。


「――……すっ、すみません!」


 聞こえるはずがないのに、俺は叫んだ。小さな手に背中を押された気がした。駆け出し、俺は無我夢中で女性に追いつくと、俺の砂煙を上げる勢いに仰天する女性に大して、精いっぱいの笑顔で両手を合わせた。


「少しお時間いいですか? 聞きたいことがあって!」

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