砂の都-3

 女性は驚いた顔で立ち止まった。日よけの白いスカーフで顔を覆っていて気づきにくかったが、目を見張るほどの美女だ。年齢は二十代半ばだろうか。


「あら、見かけない顔ね。聞きたいことって?」


「はい、その、ハナミヅキ……例の襲撃犯について、情報を集めているんです。黒ずくめの怪しい男とか、ソーマっていう名前の人物とか、なにか知っていることはありませんか」


 女性は困ったような顔で、曖昧に笑った。


「そうねぇ、わからないわ。……ねぇ君、そんな情報集めてどうするの? えらく重装備だけど」


 女性が母の顔に近い目つきになったので、俺は反射的に後ずさった。


「い、いや、別に! それにしても、すごい活気ですね。どこの町も今ごろは、みんなプレイヤーハウスに閉じ籠っているものだと」


「あぁ、それは」


 なぜか気恥ずかしそうな顔で女性が目を伏せたとき、どこかから、瓦礫の崩れるような音が響いた。


「なんだ!?」


「モンスターだ! モンスターが来たぞー!」


 遠くから、一人の男が血相を変えて叫びながら走ってきた。町はあっという間に騒がしくなるが、目の前の女性は「まぁ」とだけ言っておっとり口元に手を当てる。呑気のんきにもほどがある。


「なにのんびりしてるんですか、逃げてください!」


「でも、君は?」


 返事ももどかしく砂地を蹴飛ばし、俺はこちらに走ってきた男と入れ替わるようにして音の方角へ向かった。脚力にものを言わせて跳躍し、背の低い建物の屋根に跳び移る。


 視界が高くなると、どうやら北側の城壁が破壊されたらしいことが分かった。300メートルほど遠方、石造りの城壁に一ヶ所大砲でも浴びたような大穴が空いており、そこから崩れた瓦礫を踏みしめて、黒い毛並みの、武装したゴリラのようなモンスターが続々と侵入してきている。


「三、四、……五匹か。城壁の耐久力を破るなんて、始まりの街付近にいていいレベルじゃないだろ」


 これまでモンスターは、至近距離に接近しない限り戦闘アクティブ状態になることはなかった。しかしザガンの襲撃以降、この世界に生息する全てのモンスターが常時アクティブ状態となっている。


 アクティブ化したモンスターはプレイヤーの気配を能動的に探し、一度見つけると見失うまでしつこく追いかけてくる。何らかの気配を察知して、モンスターが町へ集まってくることは十分考えられる話だった。


 幸い五大都市を囲む城壁の耐久力は高く、減っても一定時間で全回復するため、レベル一桁程度のモンスターでは束になろうと傷一つつけられない……はずだったのだが。


 襲撃以前からの名残で、中ボスクラスのモンスターがゲリラ的に湧く現象がしばしば起こる。かつてならウマいイベントで済んだものが、今では天災そのものだ。


「……ん?」


 城壁に空いた大穴へ向かって屋根から屋根へ跳んでいた俺は、驚くべき光景を目の当たりにした。穴から侵入してきた黒い毛むくじゃらのモンスターたちに、町の人々が殺到していくではないか。


「おいおい、なにやってんだ。死にたいのかよ」


 無意識に速度を上げたのも束の間、信じがたいことが起きた。幾重にも重なりあう強烈な閃光が弾けて、五体いたモンスターが一斉に目を覆い、たたらを踏んだのだ。


 あれは――《フラッシュボム》の閃光!?


 《フラッシュボム》とは、廉価な戦闘アイテムだ。テニスボール大のガラス玉で、投擲とうてきすると放物線の頂点で炸裂し、閃光を撒き散らす。


 閃光を目視したプレイヤーやモンスターは、五秒程度《眩惑》という状態異常になり、視力の大半を失う。コストの割に実用的なアイテムなので、多くのプレイヤーが狩りで愛用する。


 顔を覆ってその場に立ち尽くした毛むくじゃらのモンスターに、人々が一斉に矢の雨を浴びせる。一目見て、訓練された動きだ。


「おい、このモンスター強いぞ!? ライフが減らない!」


「俺たちで倒す必要はない! 家族を守りたけりゃ、持ちこたえろ! 後衛部隊、《フラッシュボム》第二波用意!」


 距離が近づくにつれ、男たちの怒声が聞こえてくるようになった。モンスターの姿も鮮明になる。金属の胸当てを装備し、丸太のようなこん棒を握った巨大な“ヒヒ”だ。体長は三メートル近い。真っ黒な毛で全身を覆うなか、鼻っ面だけが化粧を塗ったように赤い。


 ヒヒたちが一斉に《眩惑》から脱した。大きな体をぶるんと振って目を開く。間髪いれず、盾を構えた後衛のプレイヤーたちが、用意していた二個目の《フラッシュボム》を一斉に投擲とうてきした。


 俺はコートの袖で顔を隠し、閃光から逃れる。プレイヤーと違って、アルゴリズムに忠実なモンスターは閃光をモロに受ける。回復も束の間、五体のヒヒは再び目を潰されて――


 ――いや、一体かかっていない!


 一人、ボムを高く投げすぎたか。五体のうちの一体だけ《眩惑》がかからず、心なしか殺気のこもった目でプレイヤーたちを見下ろした。それまで統率のとれていたプレイヤーたちは、一人二人とパニックに陥り、恐怖と悲鳴は伝染してあっという間に瓦解した。隊列がぐわりと、目に見えて崩れる。


「な、なにしてる! 誰か次のフラッシュボムを……」


「うわぁぁぁぁぁぁ逃げろぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


「おい! ……あ」


 隊長格の男の足元が陰る。ヒヒの巨体が男の前に立ちふさがり、鼻息荒くこんぼうを振りかぶった。


 この距離、間に合うか。


 猛然と距離を詰めていた俺は、足場の屋根のふちギリギリを蹴って大きく飛翔すると、空中で腰の刀に手をかけた。まだ十メートルほど先にいるヒヒを睨みつけ、両足を揃えて屈める。


 黒いシューズが、まばゆい青色のライトエフェクトに包まれた。


 《クロビットシューズ》固有スキル、【二段ジャンプ】。


 空中で、不可視の壁を蹴ったように。俺の体はヒヒめがけてロケットのごとく打ち出された。まだ少し重い腰の刀を引き抜く間にも、ヒヒの巨体がみるみる近づく。


「【一閃いっせん】」


 唱えたそれは、刀スキルのごくごく初歩。それでも詠唱の瞬間、システムアシストに乗っ取られた俺の体は熟練の剣士さながらの手際で刀を操り、すれ違いざま、横一文字にヒヒを斬り裂いた。


 仕様上、胴体が真っ二つにこそならないものの、腹から背までを貫通する刀傷を走らせたヒヒの体は大きくのけぞり、夥しい量の赤い光片こうへんをぶちまけた。


 血液のようなダメージエフェクトが適用されるのは、プレイヤーだけ。ヒヒはHPの全てを刀に食いつくされ、その場で断末魔を上げて粉々に砕け散った。


 一方、着地のことを考えていなかった俺は派手に砂地を転げ回り、装甲が高いおかげで痛みこそあまりないものの、実に格好がつかなかった。


「だ、誰だ!?」


「いたた……そんなことより、下がって。あとは俺がやりますから」

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