序章04:宮廷魔術師、ノールグラントの慄然

 ――そんな事は、一国の頂点に立つ魔道士クラスを千人束ねたとしても不可能だろう。宮廷魔術師ノールグラントはそう結論し慄いた。


 眼前に立つアレイスター・クロウリーを名乗る少年は、いとも容易く魔王格の何者かを召喚して見せたが、それができるのならこんな戦など、ものの一年もせずに終わりを見ているに違いない。


 先刻、王の間で詳らかにされた禁断の召喚術。人理崩壊規模の方陣が敷かれた後、現出したのはこともあろうかアザナエル、すなわち敵軍の将、魔の中の王である。さらにはその腹心から魔将に至るまで、尽くがこの少年に跪き、あろうことか指示を請う始末なのだ。


 福音か、それとも開けられたパンドラの箱なのか。ノールグラントは見せつけられたあまりの超常に、どう判断を下すか迷う事すらできぬほど、理性そのものが蒸発していた。


「……ですので、もしご入用な施設、素材、人員等ございましたらお伝え頂ますよう、なにとぞ宜しくお願いたします」


 恐る恐る口から出るのは、杓子定規しゃくしじょうぎな定型文。上、すなわち王からの勅命によれば、とにかくこの少年、アレイスター・クロウリーの要請に従い、可能な限りの支援を行うべしとの事なのだ。無論、機嫌を損ねたが最後、自らの命どころか国家そのものの崩壊に繋がりかねないのだから、ノールグラントは自身の双肩にかかる責任の重さに、今一度震える。


「はあ。でしたら工房を一つ。なるだけ厳重で堅牢なものを。それから魔術師の助手、施設を守る衛兵を若干名、なるだけ優秀な者を。あとはこの国、いや地上の、ありとあらゆる魔術素材を、可能な限り。それだけして頂ければ、残りは我々だけでもどうにかなるでしょう」


 あどけなさの残る少年は、髪をぼりぼりと掻きながらそう告げる。本当にこんな子があれだけの軍勢を招き寄せたのか。疑わしくなるほどに、今の彼には覇気がない。


「かしこまりました。ではお宿はどういたしましょう。工房のご用意にも数日はかかる見込みですし、ご要望があれば見繕わせて頂きますが」


 しかし侮ってはいけない。事実として少年の隣には、歴代勇者筆頭格のリーナクラフトが立っている。――そしてその背後には、目を背けて逃げ出したくなるような禍々しい魔王の軍勢が。


「うーん、まあこんな一座ですから、できれば貸し切りという形にして頂きたいのですが。なるだけ目立たず、他の宿泊客がいないような場所。そこはその、よければ良いほど良いとという事で」


 むしろ平身低頭なぶん却って気味が悪い。やむをえずとノールグラントは、最上級の宿を貸し切りで取るよう、配下の者の耳元で囁く。王宮から地下通路で繋がるそこは、各国の要人のみが宿泊できる、五つ星級のホテルだった。


「は、ではそのように手配させて頂きます。他にご用命があれば」


「いえ、もう大丈夫です。王宮からホテルまで繋がっているなら手っ取り早い。僕たちはそのルートを通って早々に宿へ向かいます。ご心配はご無用、食事やルームサービスなど、必要になればこちらから呼びますので、不用意なお気遣いはなさらないでください。なにぶん色々、秘術の類いが多いもので」


 と、ノールグラントの言葉を遮るようにアレイスター・クロウリーは応える。そしてそのまま踵を返すと、異形の軍勢を率い地下道へと向かっていった。あとに残されたノールグラントは、気の抜けたようにその場に座り込むと、人生で最も深い溜息を漏らしたのだった。

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