四章07:孤軍、ミッドグラッドの奮戦 Ⅰ

「なんだアレは……クソッ……クラスS……ベヒーモスだっ!!!」

「馬鹿な……本部からの増援もまだだってのに!」

「退避、退避だ……俺たちの手に追える相手じゃねえ!」

「クソッ、どこに逃げりゃいいってんだ! 山全体が震えてやがるぞ!」

「来るッ!」

「うわああああッ!!!!」

「畜生、応戦ッ……がアッ!!!」

「駄目だ……こんなの……ッ」


 全ては一瞬だった。怒涛のように嵐が押し寄せ、それで何もかも終わっていた。駐屯地を警備していたアルマブレッサ南方軍は壊滅し、歩哨として出ていた冒険者の一団だけが、かろうじて災禍を逃れていた。


「どうするんだ、団長……あんなの相手にしてたら命がいくらあっても足りねえぜ……」

「騎士団が退避っつってるんだ。俺たちが逃げたって、誰も咎めは……」


「だが、やつが向かった方角……あれはバースロイルの街だ……お前ら、何の覚悟もなくクラスSクエストを受けた訳じゃねえだろ?」

「ですが団長……」


「オルテガ……お前は逃げたきゃ逃げろ。他の連中も、だ。どいつもこいつも、街に家族がいるだろう。だから逃げろ、逃げて帰って家族と抱き合え……俺は、俺は……皆が帰る場所を踏み散らす……あいつを止める」


 団長と呼ばれた男が一人剣を握り、決意を語る。その檄を聞いた者は、結局誰一人としてその場から去ろうとしなかった。


「へっ……どのみち俺の足じゃ逃げ切れねえ。それに麓まで降りてどうする? 馬車で呑気に揺られてる最中に、きっとあいつに踏み潰されちまう。――嫌だなあそれは、戦って死ぬより、もっと嫌だ」


「違いねえな……格好つけて街を出てきて、それでおめおめ逃げ帰って、誰に合わせる顔があるんだ? はっ……やめだやめ。勝った負けたはいくらでも盛ってやるが、逃げた話だけは盛れねえからな。酒の肴にもなりゃしねえ。行こうぜ、団長」


「フン……どいつもこいつも馬鹿ばかりだ……俺も含めて、な。――カンパナリア。お前はどうする。逃げずとも、ここで身を潜めるという選択肢もある。誰も恨まん、好きに選べ」


「わ、わたしは――、帰る場所が、ないから……ここしか、ないから……やります。こ、怖いけど……」


「分かった……すまねえな、リア。――よし、そうと決まれば野郎ども! ミッドグラッド最後の大仕事だ! 気合いれてかかるぞ!」


「「おおーー!!!!」」




 彼らの名はミッドグラッド。バースロイルギルドでトップランクに位置する、古豪団の一つである。バースの風が組織力で勢力を維持していたのに対し、ミッドグラッドは実戦重視。すきのない編成と綿密な連携で、これまでも数多くのランクAクエストをこなしてきた。


「正攻法でやり合うのは無理だ。幸いにここは山岳、崖までおびき寄せて落とせれば、多少は時間が稼げるだろう」

「となると誰かが囮に――?」


「無論、団長の俺が囮になる。騎兵の俺なら馬の扱いに慣れている。まあ問題ない」

「団長……」  


「そう暗い顔をするな。オルテガとリベロは崖の側で待機。俺がクラスSを引きつけたら、一斉斉射で足を止めてくれ。リアは負傷者が出次第、ヒールで即時回復を」


 ざっと指示を出し終えた団長は、空を仰ぐ。今回彼らは、ゾルド准将の中継地から二つ離れた駐屯所に派遣されていた。小さな村落の跡地ではあるが、そこにしつらえた即席の拠点は、さっき現れたベヒーモスに瞬時に蹂躙されてしまった。山が揺れる頻度が増している。恐らくクラスS……ベヒーモスはじきにここに至るだろう。


「それじゃあ皆、行ってくる。ヤツをおびき寄せたら……あとのことは頼む」


 想像以上だ、と団長は思う。今まで、並の騎士団が音を上げたランクAを、幾度も屠ってきた実績のあるミッドグラッドだ。今回も、同じように作戦でどうにかできると踏んでいたが……この空気、この威圧感、いつもとは何かが違う。いやそんな事は、戦場に踏み入った瞬間から感じていた事ではあるのだが。


 ――刹那、空を竜が舞う。黒の旅団か、と団長はかぶりを振る。まったく、単騎でベヒーモスに挑もうというのだ、気が触れていると笑みを零す。ああ、あんな風に強かったら、こんなに震える必要もなかったろうか。及び腰な作戦に逃げる必要もなかったろうか。だが、それでも、それでもここに在る以上、逃げる訳にはいかない。


「行くぜ!!!」 


 両頬を手で叩き、手綱を握りしめる団長。折れる木々と土煙が、ベヒーモスがすぐ側まで迫っている事を暗に告げる。そして団長は躍り出た。覚悟を決め、脳内にこれまで戦った魔物の中で、最も強かったものの何倍も強い何かを描きながら。


「――」


 絶句。或いは絶望。絶望とすら形容できないなにものか。

 気勢をあげた団長の声は萎み、馬は動くのをやめた。誰も死にたいとは思わなかったが、死ぬしか無いと脳が、神経が、恐らくは理解したのだろう。


 ベヒーモスは眼前に在った。まるで虫けらなど意に介さないとばかりに、まっすぐにまっすぐに進んできた。木々に並ぶ巨躯。戦艦に匹敵する巨体。砲火を幾重にも合わせたような、咆哮。


 それが全てだった。ミッドグラッド団長、ハーミッド・ヘテロクロイツが見た光景は。

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