一章06:性別、ステラクロウの変更 Ⅱ

 山間にあるコーンビルの屋敷は、領内の困窮が嘘であるかのように豪奢ごうしゃだった。英雄や神を模したであろう石像、分厚く複雑な文様の絨毯、ランプはそこかしこに灯り、外が夜であることを思わせすらしない。もしこれが日本だったら、公職であるにも関わらず暮らし向きが不適切だと弾劾の対象になっていただろう。――最も、この世界の領主とやらが、公金で働いているとは限らないが。


 ともあれ、クロノと起きたてのリーナクラフトは、このコーンビルの邸宅に客人として招かれたのだ。少なくとも今日の夕餉と寝所、うまくすれば明日以降の寝食も保証される、おそらくは条件付きで。


「は〜、すっごいお屋敷ですね〜!」


 と、一睡して体力を補充したリーナクラフトは邸内を見渡す。一方クロノはというと、自身が置かれた状況、この世界の在り様がどうであるのか把握すべく、あれこれと分析を重ねていた。


「大したことはございません。どれもこれも過去の栄光。先程も申しました通り、今は魔族の驚異に大わらわですからな……いかに壮麗な美術品とはいえ、それで腹がふくれる訳でもありません。手放したいのは山々ですが、国全体が貧困に喘ぐ現状、買い手も見つからない有様でしてな」


 そう自らの突き出た腹をぽんとするコーンビル。よくも言ったものだ。ならなぜそんなに肥え太っているのか。現実の独裁者といい、痩せた国で腹を膨らませる権力者は信用ならない。


「はへ〜、それは大変ですね! 早くなんとしても魔王を倒さなくちゃ!」


 しかしお気楽なリーナクラフトといえば、コーンビルの言葉を何一つ疑うことなく意気軒昂だ。やれやれとクロノが眉間に手を当てると、話題を変えるように声が飛んだ。


「それはありがたい限りです。と申されましても身体は資本、無理は禁物です。さしあたっては夕餉の準備が整うまで、お二人とも湯浴みなどなさってはいかがでしょう。どうぞごゆるりと長旅のお疲れを癒やして頂ければ」


 恭しく一礼するコーンビルの背後には、タオルを持った召使いたちが控えている。よく見れば誰も彼も……いいや彼女も、皆が若い女性である。そしてビンゴと頷くホシノクロノ、このおっさん、絵に描いた好色の部類だ。




「ふい〜、ついてるねえクロボン。まさか初日からこんなおうちに呼んでもらえるなんて」


 と、そのままに案内されたのは大浴場。テルマエ・ロマエも真っ青のそこは、この世界の衛生観念を褒め称えたくなるほどに手入れが行き届いている。中世といえば不潔なものと思っていたが、こうなると住んで暮らすのもやぶさかでない。――もしこれが、一般的な家庭にも普及していればの話だが。


「ええ、思ったよりも綺麗でほっとしました……あとは首尾よくここに橋頭堡きょうとうほを確保できれば……って、ええっ???!!!」


 給仕たちが去り、相変わらずステラの口調のままごそごそと服を脱ぎ始めたクロノだったが、そこで違和感に気づき頓狂な声を出す。


「な、なんでお前がここにいるんだよ……!!」


 そして思わず飛び出す素。なにせ隣のリーナクラフトも、堂々と服を脱ぎだしたのだ。元来が男のクロノに、これに驚くなというほうが酷である。


「え? なになにクロピン? これからお風呂入るんでしょ? 服ぬがないと。それそれ〜」


 それどころかリーナクラフトは、クロノの制服を脱がしにかかる始末だ。裸体を守る最後の貞操たる地味なショーツ(どうやら性別を変更すると、下着まで自動で変わるらしい)を剥ぎ取られたとき、そこでようやっとクロノは、自らの置かれた状況を思い出す。


「そ、そうか……僕は今……」


 刹那、背筋をぞわりと悪寒が走る。自分の身体であるにも関わらず、まるで他人のよう。見慣れない全ての光景に辟易とし、思わずリーナクラフトから背けた目は、立派な全身鏡の前で止まる。


「うわあ……」


 アホ毛付きのくせっ毛、じっとりとした三白眼、できかけのくま、貧相な胸。全てが哀れなほどに薄っぺらい薄幸な地味っ子が、そこには呆然と自らの胸を触り突っ立っていた。――そういえば、ちょっと前に大ヒットしたTSアニメも、最初にこんな挙動をしていたっけ。


「ほらほら〜、シホっちも女の子なんだから気にしない〜。行くよ行くよいざ大浴場!!!」


 対するリーナクラフトは、惨めなクロノ(女体化済み)を吹き飛ばすほどのナイスボディだ。艶めいた肌、しなやかな肢体、はちきれんばかりの胸、これぞまさにTHE健康と言わんばかりの物理的暴力。


 ――いやあこれ、なんだってコーンビルのおっさん、自分のことまで魅力的なお嬢さんなんて言ってくれちゃったりしたんだ。こんなん、ほんとにつま先からてっぺんまで従者と勇者って感じだし、クラスでいうなら陽キャ美少女の隣で晒されたボロ雑巾みたいになる陰キャ喪女じゃねえか。


 と、クロノがそう思うまでもなく痩せこけた身体は、無惨にずるずると浴場へ引っ張られていった。




「ひょおおおおう!!! 何年ぶりかわかんないけどおっふろーおおお!!!!」


 響く。そりゃ浴場だから響く。これ外に聞こえてないだろうかとクロノが要らぬ心配をする間に、リーナクラフトはお湯を浴びるや湯船に飛び込んでいく。いや貸し切りだし広いからいいんだが、確実にマナー違反だぞそれは。


 無言のまま頬を引きつらせるクロノ。いったい、これだけのラッキースケベ、稀代の美少女の裸体を目にしながらまるで興奮の仕様がないのは、置かれた自身の状況に頭が追いついていないのか、或いは突拍子もないリーナクラフトの行動にドン引いているのか、どちらなのか。


 そして逡巡とする間にも湯船からは容赦ないリーナクラフトの水鉄砲が飛んでくる。なんだこいつは、修学旅行の男子高校生か??? と無視を決め込み椅子に座って頭を洗おうと洗面器を取ると、今度は背後から胸を掴まれる始末。


「な、なんなんだよお」


 しかしてクロノ、情けない声しか出ようもない。仮初めの身体とはいえ女性としての格差を見せつけられ、なんか色々な意味合いで落ち込んでいるステラ・クロウことホシノクロノは、唐突に訪れる間隔に戸惑いを隠せない。


「かわいいかわいいス・テ・ラちゃんを、やさしいやさしいお姉ちゃんが洗ってあげようって言ってるんだよ〜。ほら〜ごしごし〜」


「……うう」 


 いまじゃつんつるてんになった股間をすいすいと触られ、クロノは敗北感たっぷりのため息を漏らす。もう駄目だ。こんなんじゃマスターの威厳もクソもない。ちくしょう、ソシャゲの主人公も、向こうの世界ではこんな扱いを受けてたんだろうか。


 惨めに惨めを塗り重ねて羞恥の極みに達したクロノ。それから後、湯船から先の記憶を、クロノは何一つ覚えていなかった。

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