一章03:勇者、リーナクラフトの召喚 Ⅱ

「あー、えっと、おかしいな……あはは……」


 ほんの半刻前まで意気も軒昂だったリーナクラフトは、近村のパルナクラッテに入るや呆然とする。


「ねえポチクロ。あそこの角においしいンヌブルドゥドゥーグ屋さんがあったんだけれど――」


 青ざめた表情でクロノに問うリーナクラフト。そこにはウザいほどに元気ハツラツだった彼女の面影は、微塵としてない。


「いや、ンヌブルドゥドゥーグって言われても、僕には分からないのだけど」


 だいたいこの世界に来たばかりの僕に、異世界オリジナルなメニューを示されても分かる訳がない。せめて日本の食材がなぜかあります! みたいな適当な世界観だったら良かったのだが……


「ん〜あのネチッこいドロドロのネバネバ風味を説明するのは難しいなあ……あっ、あの辺の人に適当に聞いてみよー!」


 言うや駆け出すリーナクラフトの背中を、取り残されたホシノクロノが冷めた目で見つめる。いかんいかん、見ているだけで疲れるタイプだ。たぶんパッシブスキルにMPドレインとかついているのだろう。


(ん〜、キャラ紹介みたいなページに何か書いていないものか)


 一人になった事でスマホをいじる余裕ができたクロノは、ソシャゲといえば定番のキャラプロフィールに目を落とす。


(は〜親密度0。そこ忠実かよ?)

 

 どうやら召喚師たるクロノは、呼び出したばかりのリーナクラフトとの親密度が低いらしく、史実に残るおおまかなストーリーしか閲覧できなかった。当然、彼女の好みであるンヌブルドゥドゥーグとやらは、一言も書いていない。


「ぼ、ぼっちクロノ……」


 と、聞こえるのはリーナクラフトの声。おいいい加減名前ぐらい覚えてくれよと顔を上げるクロノの前には、顔面蒼白の彼女が立っていた。


「うわっ!?」


 驚いたクロノは反射的に後ろに飛び退く。いやなんだこれ、死んだ魚が陸揚げされてものの数分、みたいな顔をしている。人間、どうすればこんな絶望に満ちた顔ができるのか……ガチャ天井まで金を溶かしたクロノでさえ、ここまで悲惨な面持ちにはならない。


「ンヌブルドゥドゥーグ屋……ぜんぶ潰れちゃったんだって……」


 全部? 言うに事欠いて全部!? いやリーナクラフトの話によればかなりポピュラーなグルメという印象だったが。確かに彼女が生きた時代から一定の年代が過ぎているから、日本で言うナタデココのように流行り廃りが激しい食材なのかもしれない。


「ははは……だってリーナちゃん、さっき超絶人気食材みたいな事いってたじゃないすかー」

 

 クロノは、慣れないちゃん呼びに頬を引きつらせながら応じる。初対面なのだし、いきなり横柄な口調というのもおかしいし、かといって改まり過ぎるのもどうやら合わない。ここはクラスの体育会系と絡む時のように、なんちゃって◯◯っスで乗り切るほかないのだろうか。


「う……うん。そのはずなんだけど……」


 いきなり落ち込んでしまったリーナクラフトが少々哀れになって、クロノは仕方なく自分で村人へ話しかけた。いずれにせよこの世界の事は知りたかったのだ。唐突に「ここはどこですか?」と聞くよりも(おそらくは)馴染み深いであろう食材について聞いたほうが怪しくはない。


「あ、すみません。ンヌブルドゥドゥーグ屋さんがこの辺にあるって聞いたんですけど……」


 リーナクラフトと会話が出来ている時点で、この世界の住人との日常会話は成立するとクロノは踏んでいた。それがどういう仕組によるものかは分からないが、不便でない以上は掘り下げて考える必要はないだろう。


「え? あんたもンヌブルドゥドゥーグを食べたいのかい? あれはずっと前の勇者様が一人で何十人前も食べてたからなんとかもってたけど、その勇者様がお亡くなりになってからは数ヶ月で潰れたよ。だいたいあんな生臭くて粘っこいの、一年に一回、罰ゲームでも食べたくないよ、あたしゃあ」


 と、恰幅のいいおばさんは答えた。……ふむ、なるほど。ネバネバして不味い。触感の特徴はリーナクラフトの証言と一致する。しかるに納豆やヨーグルトといった発酵食品の類いだろうか。とはいえ、これで謎は全て解けた。ンヌブルドゥドゥーグという料理が人気だったのではなく、リーナクラフトという個人の需要によって支えられていた極めてマイナーなメニューだったのだと。




「どうだった……?」


 すっかり精気の果てた顔で座り込むリーナクラフトのもとに、首を振りながらクロノは戻る。どうやらこれは、仮に女の子として生きたとしても、そう簡単にモテるキャラではないだろうとだけ推し量る。世の常として、大食漢というだけでも男は引くのに、それが同性ですら眉をひそめる珍味だとすればなおさらだ。


「いや、十年前に潰れているらしい。恐らく君……リーナちゃんが亡くなってからの出来事だ」


 どうにもシリアスな流れの為、そのように口調を変えるクロノ。あれからの聞き込みで、ちょうど今年で、リーナクラフトが亡くなってから十年の月日が経ったところまでは調べがついた。


「ううっ……ボクが生きていれば、ンヌブルドゥドゥーグ屋さんも無事だったんだ……許せない……魔族のやつら……」


 なるほどそこでそう来るか。自分が殺された事よりそっちですか……クロノは少々引きながらも、いずれにせよこれでリーナクラフトが奮起するなら好都合と内心で一人頷く。


「うーん、しかし女の子をこんなに落ち込ませるなんて、魔族ってのは酷いものだ……行こうリーナちゃん。一緒に魔王を討伐するんだ」


 たぶん、恐らくだが。この世界がゲームめいた何かを模しているのなら、エンディングの条件は魔王の討伐。そこから先どうなるかは分からないが、ともあれクリアさえすれば、何かしらの景色は見えてくるはずだ。最悪なのは、迫り来る魔族に抗せぬまま、この世界で死んでしまうという展開。まさか都合よくリトライがあるとも思えないから、そこだけは気をつけなければいけない。


「お、女の子ッ!!?? クロピはボクが女の子に見えるのッ!? ううッ……嬉しいな……よ、よしがんばろう! ボク頑張るよ。ね、一緒にちゃっちゃと魔王倒そ? そしてぴゅっぴゅと結婚しよッ!」


 恐ろしい飛躍だ。いや、可愛いのは認める。このリーナクラフトは、そこらのアイドル顔負けに可愛らしい。が、この精気を吸い取られるウザさ加減と、恐らくはゲテモノ好きであろう味音痴を顧みるなら、長年連れ添うには相性が合わない……恐らく、ホシノクロノが先に死ぬ。


「そ、そうだね! 早く魔王を倒してけ……結婚しようか! うん、それがいい! 行こうリーナちゃん!!!!」


 そう返しながら、ホシノクロノは疲れ果てていた。それは陽キャや体育会系と絡んだ後に感じる、膨大なMP浪費の感覚に似ていた。


「よしッ! そうと決まれば早速ディナーフルコース! えへへ……そのあとは宿で昨晩はお楽しみでしたね!!! みたいなー!!!!」


 と、元気を取り戻したリーナクラフトが手を掲げる頃、ホシノクロノは重大な事実に気がついた。


「お金が……ないな」


 ――そう、異世界転生したばかりのホシノクロノは無一文だったのである。

 

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