序章03:騎士団長、ソルグレンの恐怖

 城内は、悲鳴にすら包まれなかった。本当の恐怖を目の前にした時、人はきっとああなるのだろう。王国軍近衛騎士団、宮廷魔道士、僧兵に名だたる勇者候補生。その全ては微動だに出来ずに、ただただ眼前の光景を見つめる他なかった。


 アレイスターと名乗る少年が手を掲げた瞬間、光と共に現れた6つの影。それらはいずれも一騎当千。人の世に牙を剥き、或いは崩壊せしめない程の驚異であり、我々が束になった所で手に追える相手ではない。


 通常、魔王軍は一拠点を攻めるに辺り、一人の将軍しか遣わせない。そうであって初めて、我らヒトにも、幾千の屍の末に勝利の希望が見いだせるのである。――それが、まさか同時に6人とは。


 この中にあって、まだ与しやすいのは黒鉄のアイゼンタールか、籠絡のスネドリーだろうが、それとても人理の極致。総力を結集し一人を相打ちに取れれば御の字といった所だ。


 見れば我が主、ゲオルギウス三世は、無惨にも失神のうえ失禁している。とはいえ惨めではあるにせよ、さりとて我が国の盟主であり、お仕えする主である事に変わりはない。ソルグレンは騎士団長のせめてもの挟持に従い、剣を抜き王と、少年の間に割って入る。


「アレイスター!! やはり魔の手先か!」


 声と四肢が、上ずって震えているのが分かる。だが分かっていたとしても、退く訳にはいかぬのだ。我が人生を賭してきたこの王国と、敬愛した亡き王妃様の為にも。


 鉄壁のソルグレン。王国随一と謳われる古豪の騎士の気勢に、ようやっと数名の騎士が剣を抜き駆けつける。


 しかしてソルグレン当の本人は、既にプレッシャーに押しつぶされかけていた。武に通ずれば――、すなわち達人になればなるほど、己と相手の力量差を感じ取れるというもの。その歴戦の第六感が、目の前に立つ全ての影が、自分より遥か上を行く事を寸時に理解し、大脳から全神経にまで告げて回る。


 そんなソルグレンが額から粒の汗を流す頃、眼前の影にも動きが出る。魔王アザナエルを制するように、魔王軍筆頭騎士、戦慄のギャシュリークラムが立ちはだかったのだ。


「パパは寝てていーよ。アタシが全部、片付けちゃうから」


 ――来た。銀髪をなびかせ、さながら子供のように無邪気に、蛙を殺すように造作なく、微笑みながら距離を詰めてくる。


 これが果たして戦士の顔か。戦慄のギャシュリークラム。魔王軍の先鋒にありながら、年端も行かない小柄な少女。一見隙の多い所作の、その全てに無駄がなく。瞬きの一瞬で百億回は射殺されそうなほどの、瑞々しい殺気に満ちている。


 我々は、こんなものを相手に戦争をしかけようとしていたのか。魔王軍の尖兵としか剣を突き合わせたことのないソルグレンは、改めて魔王軍の持つ、兵力の驚異に絶望を覚える。これほどの恐怖、これほどの隔絶に、人は一体どう抗し得るというのだろう。やがて脳髄は思考を放棄し、代わりに走馬灯が駆け抜ける。――終焉だ。王国も人も、この謁見を以て終わりに至るのだ。


 だがソルグレンがそう観念した時。前方から声が聞こえた。




「なになに大丈夫ッ?! ホシノクロノッ! じゃないやアレイスター!」


 轟音。石壁が崩れ落ちる音。そこに立つのは、隔離されていたリーナクラフト・アーメンガード。すなわちかつての勇者の一人だった。


「大丈夫だ。少々ガチャの引きが悪かった――、いや、大当たりなんだが、少々良すぎたとでも言うべきかな」


 この状況にありながら、かの少年アレイスターは余裕綽々といった所だ。そこに駆け寄るリーナクラフトに、ギャシュリークラムは不快そうな視線を向ける。


「なに? アタシに斬られた死体は邪魔しないでくれる?」

「残念! それは昔の話ですよーだ! 今のボクは強化されて全然強いんだからッ!」


 そう叫び力こぶを作るリーナクラフト。おおそうだ。全てが魔の軍勢に囲まれても、この少女……いや少年だけは人類の味方であるはずだ。ソルグレンは視界を被うほどの怯懦きょうだに抗うように自らを鼓舞する。


「は? 生意気いわないでくれる? なんなら先に、アンタを殺しちゃてもいいんだけど?」


「待てギャシュリークラム。マスターの名において命じる。内紛も、人類に仇なす行為も禁ずると」


 馬鹿な。この少年、こともあろうか魔王の軍勢に言の葉で挑むなどと。そんな事が出来ているなら、もうとっくに人間界は戦争を終え、平和的な領土割譲で平穏を留めている筈だ。


「ちょ……マスター! せっかくいいところだってのに……はあ、仕方ないわね。今回は見逃してあげる」


 だがしかし、アレイスターの静止はそれだけで効力を発した。嫌々ながらも頭を垂れるギャシュリークラムに、魔王を含む総員が続く。


「驚かせたようで申し訳ありません。こちらのガルガンチュアは全員、現物ではありますが、人間界に仇なす者ではありません。――少なくとも僕がいる限りにおいては、絶対の服従を約束させましょう」


 現物ではあるが敵ではない。いったいどういう事かとソルグレンが訝しむ間にも、アレイスターは続ける。


「詳しい説明は省きますが、向こうには向こうで、魔王やギャシュリークラムは存在します。そして存在するからには、ガチャでこうして召喚ができるわけです」


 要するに鏡写しの複製品という事なのだろうか。魔法に疎いソルグレンには憶測しかできないが、呼応したようにリーナクラフトが応じる。


「ま、要するに、ボクの目が黒いうちには、魔王にもギャシュリークラムにも、好き勝手はさせないってこと!」


 眩しいほどの白銀の鎧に、快活なショートカット。一見する分には少年だが、よくよく見れば少女であろう事は容易に想像がつく。それはアレイスターによって召喚されたからなのか。遠い記憶を探るしかできないソルグレンだったが、そんな事は関係ないとばかりに、眼前のアレイスター一行は踵を返す。


「証明は以上です。その気になれば一瞬で王国を灰燼に帰さしめる事ができるという現状を、あえて理性で阻むという一点を以てしても、僕という存在が人類に仇なすものではないと示す証左ではないでしょうか」

 

 反論などできる者のある筈もない。誰しもが虚脱し、あるいは放心のなか安堵の笑みを湛え、力尽きたまま膝をついている。それは神の審判に項垂れる哀れな民草のようでもあった。


 微動だにできないソルグレンが見送るなか、アレイスターたちの姿は、巨大な門扉の奥に、光と共に消えていった。

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