序章05:召喚術士、アレイスターの憂鬱

 少年は、ホテルに着くや外套を脱ぎ、制服姿で椅子に座って項垂れる。ここ一月ろくに服を買う暇もなかった為に、彼はかつての世界で纏っていた学生服を、否が応でも着続けざるを得なかった。ゆえになけなしの一張羅はそこかしこに染みやほつれが散見し、鏡に映るやせ細った姿は、なるほど確かに、不審者以外の何者でもないなと哄笑を漏らすに足る。


(まったく、なんでこんな事になってしまったのか)


 少年――、すなわちアレイスター・クロウリーは、元来この世界の住人ではない。稀代の召喚師と認識されつつある彼自身が、他の次元から召喚された張本人なのである。


(くそっ……しかもよりにもよってこのタイミングで……)

 

 少年がほぞをかむにも理由がある。というのも、元の世界で学生の身分だった彼は、重度のソーシャルゲーム・ジャンキーであった。学業とゲームを両立し、ゲームに課金する為に株で小遣いを稼ぎ、まさに分刻みで管理された彼のスケジュールは、複数のタスクで埋め尽くされていた。


(ドラブルの五周年イベ、HGOのオークイベ……ああ、あのキャラのPUもあった……ギルド……順位報酬……ウッ……)


 国王への謁見という一大イベントをクリアした彼は、今更のように押し寄せる、もしこの一ヶ月を現世にいたならばなし得たであろうソシャゲのイベの数々に思いを馳せ口元を抑える。


 なにせ漫画や映画は後から見返せるが、ソシャゲのイベントはその時だけなのだ。いったい全てがクラウド化する中で、これだけ刹那的なゲームを考え出したヤツは誰なのだ畜生と、この時ばかりは少年も憎悪の念を湛えずにはいられなかった。場合によっては、復刻などないままにゲームそのものが終わる可能性だってあるのだ。


「なになにだいじょーぶ? クロノん! ボクがなぐさめてあげよっか???」


 すると少年の憂鬱を切り裂くように、ボーイッシュな少女が横槍を入れてくる。――リーナクラフト・アーメンガード。名だたる勇者のその一人に励まされ、少年は疲れ切った面を上げる。


「ああ大丈夫だよ。むしろ大成功と言ってすらいい。しかしまあ、当たりすぎと言えば当たり過ぎか……」


 と、ここで自らが召喚した少女を前に、現実の問題を思い起こした彼は、もう一度俯くと眉間を押さえる。敵軍の総大将と、そのブレインまるごとがそっくりそのまま召喚されてしまった現状は、ただのソシャゲなら神引きのリセマラ結果だと言えなくもないが、肉体を以て存在する今となれば、些かにやり過ぎだと思わざるをえない。


 最初に引いたリーナクラフトとて、人間界では最強格の一人だし、レアリティで言えば☆5は堅い。そこから中略を経て先刻の6人だ。魔王アザナエルと、その娘たるギャシュリークラムは文句なしの☆8、そこから続く臣下たちも、☆5以下には到底なるまい。


 しかし、しかしだ。ソーシャルゲームのお約束として、高レベルのキャラであればあるほど、育成には金と素材と手間がかかるのだ。これが現実であるなら、管理AIに複数のスマホを操作させて、面倒な周回は全て任せる事ができるのだが、己が肉体を酷使しなければならない現状は違う。レベリングに必要な素材は全て自前で見繕わなければならないのだ。


「なんですかクロノん? ボクの顔ばっかりじっと見ちゃって……えへへ、そんなにボクの事、好きですか?」


 いや、いや違うのだと少年は溜息をつく。無意識にあげていた顔が、ついついリーナクラフトに視線を合わせていたのは、彼女を好きとか嫌いという感情とは別個の、この少女一体を育てあげる為に費やされた時間と労力が走馬灯のようによぎったからだ。


「いや……お前一人にかかったコストを思い返して憂鬱になっただけだ。現に僕はここ一ヶ月、ろくに寝食すら取れていないんだぞ」


 大天使の羽、勇者の心臓、翼竜の爪、それから豪邸が一軒は建つ程度の金。それらを用立てた末にようやっとたどり着いたのが、レベルマスキルマ、限凸覚醒済みリーナクラフトである。武器防具ともに最高峰のものを用立てた今、人界で彼女を凌ぐ者は一人としていないだろう。


「またまた〜。ボクだってたまにお料理してあげたじゃないですか〜。子守唄だって、ラララ〜」


 う、うおお胃が痛くなると少年は腹を押さえる。だいたいこいつ、最高級の食材を一瞬で汚物の塊にしでかす、とんだ錬金術師じゃないか。それに子守唄ってのは言ってみればイージーリスニングでリラックス効果のあるやつをそう呼ぶのだろう。なんなんだあの音痴の極み、幼稚園の学芸会で歌われるような勢いだけの稚拙な歌は。様々な怨嗟を臓腑に滲ませながら、少年は努めて冷静な表情を繕う。――なにせ高レアリティの味方の殆どが魔王軍なのだ。ここで曲がりなりにも人間なリーナクラフトと、仲違いを起こす必要もない。


「ああ、それについては感謝している。だ、だがもうやらなくていいぞ。お前には前線で張り切ってもらわないといけないからな。僕の身の回りの世話は、他のキャラ……じゃないや、ガルガンチュアにやらせる」


 まったく面倒な設定を作ってしまったものだと少年は肩をすくめる。ガチャ。単にガチャではまずかろうと咄嗟に思いついたのが、ガチャとは何かの略称なんですよハハハ……というムーブメントだったのだが、今後の展開を考えると、その急造の設定に慣れていかないと、どこかでボロが出かねない。


「なんです? そのガガガイガーみたいなの。昨日まではなかった気が」


 即座にツッコミを入れてくるリーナクラフトに、色々と事情があってなと返す少年。正直このお気楽能天気な元勇者に、いちいち説明する体力などないくらいに、彼は疲弊しきっていた。


「ガルガンチュア・インヴォケーション。――まあお偉方に説明する時の便宜上の呼称だ。お前は無理に覚えなくていい」


 いい加減このうるさい元勇者に付き合うのも限界だと判断した少年は、自らのスマホを開くと、そこに映し出される各部屋の状況から、問題はないか一通りの確認を終える。異世界転移でインストール済みの全てのソシャゲには繋がらないが、この世界そのものをソシャゲに見立てたような、擬似的な何かが立ち上がるよう設定がなされている。


(魔王組は大人しく。世は並べて事も無し) 


 まあ正確にいうと、元人間組の一部幹部は退屈そうだが、人間界をろくに知らないギャシュリークラムだけは、ベッドの上でぴょんぴょんと跳ねはしゃいでいる。一応翌朝まで部屋からは出ないようにと申し付け、さらにはガルガンチュア単体では突破できない、マスターの固有結界で封じ込めてある。この疲労の一因には、その要らぬ労力も上乗せされているだろう。


「よし……じゃあなリーナ。僕は寝る。――いやもう寝ないと無理」


「おっ、じゃあボクが膝枕してあげよっか?? すごいよ〜。ぴっちぴちでもちもちするよ〜」


「馬鹿言え……膝枕どころか現状お先真っ暗……」


 椅子から腰を上げたところでぐらりと視界がゆらめき、そこで少年――、もとい本名ホシノクロノの意識は闇に消えた。そうして代わりに、ここまでの軌跡が思い起こされたのだった。

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