第三十四話 タイムハンター 下
「……どうやらやっこさん、本気になったっぽいね」
「本気……あれが、タイムハンターの……」
光が収まるとともに、ムガナクスムがそう漏らし――ケイもまぶたを上げた。
暗雲の下に佇むのは、極彩色に輝くエネルギーの翼を蝶のように出力しているタイムハンター。顔面部の光も虹色じみた色彩へと変じ、えも知れぬ底知れなさを感じさせる。
「この魔力……桁違い、だ……。化け物、め……!」
「でも……でもっ! やるしか……ないでしょ!」
細剣を握り込んだゼノサが奮起の声を上げ、ヨルもこわばった表情で頷き、立ち尽くすタイムハンターへ一斉にかかろうとして。
ケイの視界が、真っ赤に染まった。
「え……?」
――なんだ、これは。
……血……?
赤い世界の中で、全身から大量の鮮血を噴き出したゼノサとヨルが――声もなく倒れる。
「ゼノ、サ……? ――ヨルッ!」
何が起きた。
今の一瞬。かすかにだが、二人と重なるように、絡みつくような無数の剣閃が走るのが見えた気がした。
……斬られた? いつ? あの――瞬時に? 奴は一歩も……動いていないのに?
状況が掴めず疑問符ばかりが浮くのに、どくん、どくん、と動悸だけが早くなる。
なんで。
どうして二人は――立ち上がらない?
なぜ……ケイの呼び掛けに応じない?
「攻撃が命中するまでのラグがゼロになる連続攻撃。とんでもないね」
頼んでもいないのに、ムガナクスムが耳元で解説を始めている。
「予備動作すら必要ない。防ぎ方や回避方法は……ちょっとボクにゃ思いつかないかな」
「……なんだ……なんだよ、それ。それじゃ、まるで……」
「時魔法だね。……劣化コピーにしてはやるじゃないか」
虚脱するくらいさっぱりと、ムガナクスムは言い切った。
「劣化、コピー……? 何の話だ……」
「言ってなかったっけ? あれはレクスくんを機械で再現したものなんだよ。だから戦い方も、時魔法を使えるのもみんな、レクスくんを模倣しているせい。言ってみれば、完成度の高い粗悪品……って表現ももったいないはりぼてみたいなもんだけどね」
手が震え、目の周りに付着した二人の血がちゃんと拭えない。うまく……頭が働かない。
「みんなも色々頑張ってはいたけど、もう限界かな。まあ相手が悪かったよね。それなりに楽しませてもらったけど……結末はこんなもんか」
観戦モードどころか、すでに興味をなくしつつあるらしいムガナクスムの、醒めた声色。
(ここまでなのか……こんなものが末路なのか……? 必死に暗闇の中を歩み続けてきた道は……ここで途切れてしまうのか……?)
けれど。
「はぁ……はぁっ……!」
絶え間なく血を流しながらも、鎌を支えになおタイムハンターと対峙する、華奢な影。
「……ヨル……っ!」
「――真の姿を解き放て……ダークネス・カースドアポカリプス!」
そう告げたヨルの魔力が、かつてない程に膨れ上がり――大鎌にも変化が起きる。
先端までが黒の波動に染まり、難解かつ圧倒的な量のルーンが刻み込まれていくと――折りたたまれていた刃は、さながら翼が広がるように三日月型へと湾曲していく。
さらに闇のオーラがドーム状になってヨルの矮躯を包み込み――そうして、そこからゆっくり歩み出して来たのは。
一人の、妙齢の女。長く黒い髪をなびかせ、大鎌を背負った、死神のような出で立ちの。
でも、どこか面影のある――。
「あんた……その姿……ヨル……なの……?」
顔半分と下あごを斬り潰され、裂けた片目をうっすらと開けた、ゼノサが小さく尋ねる。
果たして、その女――ヨルは頷きを返す。
「これが、余の真の姿……全盛の魔力、十全な肉体……恐らく奴とも渡り合えるはずだ」
確かに、先ほどまでとは魔力の総量や、立ちこめる深淵のような威圧感も別物だ。
「で、でも……っ」
ゼノサは、泣き出しそうな表情で声を絞り出す。
「あんたの生命力……徐々に減って、来てる……っ」
「……わずかな期間のみ全力を出せるその代償は、己の生命」
対してヨルは、小さく笑った。
「余の命はもう……長くない」
「う、そ……そん、な……!」
「何を犠牲にしても、ここで打ち勝たなくてはならない。たとえ命を投げだそうと――余はそう……誓ったのだ。それが魔王としての責務。課せられた定め」
だから、とヨルはむしろ穏やかな調子で鎌を携え、肩越しにゼノサへ言葉を投げる。
「後は……この手で終わらせる」
「ヨル……!」
ヨルは全身に魔力を纏わせ、漆黒の弾丸の如く一直線にタイムハンターへ肉薄していく。
盾のように掲げた大鎌で予備動作なしで飛んでくる斬撃を耐え忍び、切り刻まれながらもヨルは、その間合いに標的を収め。
「――はぁっ!」
大上段から豪速の鎌を振り下ろし、ついにタイムハンターへと届かせた。
ブレードで大鎌の一撃を受けるも、たたらを踏むタイムハンター。
ヨルは続けざまに踏み込みながら、返す刀で鎌を振り上げ――下方よりの斬り上げで敵を高々と打ち上げた。
かと思えば間髪入れずにヨルも跳躍し、猛然と追撃を仕掛けていく。
反撃を許さぬ怒濤の猛攻に、ケイは目を奪われる。
やられる一方だった時とはまるで別物の動き。光明の兆し。
あれなら、勝てるかも知れない。
でも、ヨルの命は――。
加速をつけたヨルが腰をひねり、遠心力を加えた大振りの横薙ぎで吹き飛ばすと、距離を開けて滞空するタイムハンター。
――目を疑う光景が起きたのは、その矢先だった。
黒雲の切れ間から染み出すようにして、タイムハンターの姿が、数が、泡立つかのようにみるみる増加していくではないか。
「な……なんだ、あれ!? 分身……幻覚か……!?」
「違うよ――どうも、数瞬前にこの場所にいた過去の自分を『連れて来た』みたいだね。だからどれも実体で同じ戦力だし、ヨルに対する対処法も全員が心得ている」
「そんなのもう、なんでもアリじゃないか――!」
おおまかに数えても百体以上ものタイムハンターに、さしものヨルも驚愕を隠せず。
一斉に突貫して来る敵を防ぐ事すらかなわず、二百を越える無尽の刃に引き裂かれ。
華のように血しぶきを舞わせ、糸の切れたように地面へと崩れ落ちたのだった。
「ヨル! ……しっかりしろ、ヨルっ!」
助けなければ。
――助けなければ!
しかし気持ちとは裏腹に、今のケイは半身を引き起こすのがやっとで。
(動けない……俺がやらなきゃいけないのに、なのに……っ!)
倒れたヨルへ向け、一体に戻ったタイムハンターが剣を振りかぶるのを見ているしかできない。
「ククク……これでは……無駄死にも……いいところではないか」
「ヨル――ッ!」
血溜まりに伏せたまま自嘲するヨルへ、タイムハンターが高圧縮されたエネルギーの刃を放出し、大地を両断しながらヨルを無情にも切り裂く――。
だが絶殺の光は、ヨルを捉える事はなく――眼前で、蛍みたいな粒子となって爆散する。
「かっこつけてるんじゃ……ないわよ。あんた一人で、戦ってるんじゃないんだから」
半死半生。
手入れされた金の髪も、優美な燕尾服も余す所なく血に濡らし、それでも細剣を構えて。
――そこに、ゼノサが立っていた。
「ゼノ……サ……?」
「あたしはね……決めたのよ。まがい物のこの力でも……ケイもアンも、ヨルもラキも……父さんも、国のみんなも、みんなみんな守るって!」
輝きを帯びた双眸でタイムハンターを睨み、満身創痍のどこに残っていたのか、その全身からまばゆいばかりの力をあふれさせていく。
「住む世界が違う、会った事もないあたしのお姉ちゃん……最後まで、愛する人達の未来を願った遺志も、受け継がなきゃいけない。ここから紡いでいかなきゃいけない……!」
その思いは時を越えて、潰えぬ光と共にゼノサへと、託される。
「だから私は、負けない。絶対に、絶対に――負けられないんだああああああッ!」
魔力が爆発し、天井知らずの光輝が大空を衝く。
「あの凄まじい力は、エデンの規定した規格にはなかった。……偽物から、本物になれたんだね。ゼノサ……」
ムガナクスムが、小さく呟いて。
「ふふ……限界の壁を、更に超えたか。よくよく、無茶苦茶な奴よ……だがそれが貴様ならば、さして驚く程の事でもないのやも知れんな」
ヨルもまた、触発されるかのようにとうに底切れた身を押して立ち上がり――絶大な闇の力を顕現させていく。
「我が魔力に宿すは魔王の誇り。この身に背負うは魔族の命脈。……だが今は、奪われようとする、全ての未来のために戦おう。そうだろう、真の勇者よ」
ゼノサは静かに頷き――一歩、踏み出す。ヨルもまた肩を並べ、歩み出す。
寄り合わされ、互いに共鳴しながらどこまでも高まり合う二つの力は――決してタイムハンターに劣るものではなく。
瞬きした直後には、三者の最後の激突は始まっていた。
無数に作り出される、隕石が衝突したようなクレーター群。
飛翔の勢いで空気が弾け飛び、雲は四散し、衝撃波だけで周辺の山や森が千々に吹き飛んでいく。
もはや誰の目にも何が起きているのか判別できず、ただただ連続する雷鳴のような衝撃音と、空にヒビが入る程の力のぶつかり合いを、固唾を呑んで見つめる事しかできない。
そうして中距離を開けたタイムハンターの周囲に、数百を上回る実体が染み出し始めて。
「使わせるな!」
「応――ッ!」
中空を交差したヨルとゼノサが、両方向から敵へ迫り――再び交錯しながら、双牙の如きコンビネーションでもって、叩き落としてのけたのである。
貨物エレベーターでの、ただ同時に攻撃した時とは比較にならない精度の連携に、タイムハンターは時魔法を行使する暇さえ与えられない。
さながら無重力空間で四肢を乱雑に振り回すようにきりもみ回転しながら、土煙を上げて地面へ打ち付けられていた。
『ダークネス・オブ・ザ・ライト!』
挟み込むように間合いを取ったヨルとゼノサが、拘束魔法を双方から撃ち放つ。
闇の気を纏った漆黒の鎖と、光り輝く黄金の茨の二重奏。
タイムハンターを起点に絡みつくように融合し――ようやくその機動を、見事に殺して見せていた。
「ラキ!」
その名を叫び、二人は上空へと仰向ける。
いつしか、宵闇のようであった戦場付近は、身をあぶるような高熱と、昼間のような明るさに照らし出されていた。
沸々と火炎流を発し、こぼれ出さんばかりの熱量を力ずくで球の形に凝縮しているような――地上の酸素という酸素を使い切る勢いで生成された、それはもう一つの太陽だった。
「これで……終わりだ――!」
その真下にて浮遊するラキが、握りしめた杖ごと腕を振り下ろす。
この地に集った人々の魔力を結集させて作り出した巨大な火球が、凄まじい鳴動を引き起こしながらタイムハンターを押し潰していき――その姿は白熱する質量の中へと消えていく。
だが。
「いかん……パワーが足りん! ……奴の力は無尽蔵か――!」
太陽は寸前で押し止められ、その上、光と闇の網もまたあえなく引きちぎれていく。
これではとどめを刺すどころか、1分と持たずして跳ね返されてしまうのは時間の問題だろう。
「……レクス・ヴルゴー。キミは間違っていないのかも知れない。ボク達は愚かで、醜くて、自分の幸せさえ手に入れば後はどうでもいい――そんな一面があるのも否定できない」
でもね、とラキはゆっくりと構えを解き――その身に壮烈な炎を纏い、金色の輝きを瞳に乗せて、竜の姿を取っていく。
「それと同じくらい、人は人のために一生懸命になれる生き物なんだ。だからボクは、失望などしていない……だから、この命までもを……燃やし尽くそう――!」
ラキが火球へ向けて、烈火の如く猛進する。
そして魔力のありったけを右の拳に乗せ、眼前にある火焔の塊を――殴り飛ばした。
その一撃を推進力とした火球は一層の勢いと急加速をつけ、今度こそタイムハンターを呑み込んで、あまつさえ地中そして地底、地核へと潜り込み。
大地から放たれる無数の火柱が、さながら昇り竜のように空を雲を突き抜け、どこまでも燃え上がった。
無限に近い熱量と、爆発ではなく内側へ取り込もうとする炎の獄。
人の願いと星の怒りは時さえ消し切れない程に、全てを焼き尽くすまで止まらない執拗な攻撃で。
永久に続くかと思われた炎の饗宴。
それは前触れもなくふっと蝋燭の火を消すように止まり、大きなクレーターの真ん中で――砕けかけた陶器のように変わり果てたタイムハンターが、煙をうっすらと上げ、仰向けに倒れていた。
「終わった、のか……?」
誰かが、そう呟き……ラキがクレーターの前に降り立つ。
今にも倒れそうなふらふらな状態。
しかも煤だらけになったひどい顔で振り返り――最高の笑顔を作った。
瞬間。
ラキの背後に、黒い影が肉薄する。
「……え?」
溶解し、一本のみとなった得物を携えた、タイムハンター。
そいつはぶっ壊れかけとは思えぬ速さで、ぽかんとした表情でいるラキへ迷わずブレードを振り下ろし。
――割って入ったケイが、時空剣を交わして受け太刀を取っていた。
「……おぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
刃を恐れず強引に踏み込み、膂力だけで剣をはじき返し――そうして、胴抜き一閃。
胴体を真一文字に斬り飛ばされたタイムハンターはどうと倒れ込み。
――機構内で小規模な爆発を幾度か起こして、今度こそ、永遠に動かなくなった。
「やった……やったあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 勝った勝ったぁぁぁぁぁぁ!」
真っ先に歓呼を上げたのはゼノサで、無邪気に飛び跳ねて喜ぶその姿に、生き残った人々にも、勝利したのだという実感と安堵がこみ上げ、次第に快哉が上がり出す。
駆け足で戻って来た青空の下。ウォーベルク平野に、あらん限りの勝ちどきが轟いた。
「やったじゃねぇか、お姫様! 勇者の面目躍如だな!」
「ふっ、幼なじみの私は信じていたぞ、ゼノサなら奴を討ち果たせると!」
「へへへ……ま、まあこんなのお茶の子さいさいってとこよ。……あ、そうだ……!」
人々に取り囲まれ照れ隠しに笑っていたゼノサは、誰かを探すように目をさまよわせる。
少し離れた場所に背を向け、ヨルは立っていた。
その白い繊手は指先から霧のように崩れかかっている。
――フリウスの最期を想起させるように。
「ヨル……!」
もう、一刻の猶予もないのかも知れない。
けれどヨルはもう片方の手に、何やらふわふわした黒いオーブのようなものを乗せており、それを眺めていたかと思うと。
おもむろに口元へと持っていき。
ごくごくっと。
「飲んだっ!?」
酒でも呷るように得体の知れない黒いものを喉へ流し込んでしまったヨルは――あっという間に身体の崩壊が止まり、むしろ生き生きと魔力が活性化していくではないか。
「あんた、それ……もしかして……!」
「うむ。タイムハンターが倒れた事で、魔力コアが自然と抜け出てきたようだな。あれ程の戦いでも消失しておらんとは、さすがは余の魔力よ」
「て、事は……つまり……」
「代償は相殺された。もはや余が消滅する事はない。やれやれ、一時はどうなる事かと」
と、そこでヨルは妙にゼノサが押し黙り、視線を下向かせている様子に気がつくと。
「なんだ、泣いているのか? 余が無事だったのがそんなに嬉しいか、くくっ……」
「なっ、別に泣いてないわよ! なによ、急にでっかくなっちゃって……何様よ」
同じ目線、それか少々見下ろすような頭身に成長したヨルが、ゼノサの目元にかかった髪をくすぐるように持ち上げると、ぷいっとそっぽを向かれてしまう。
にやにやしながらひとしきりからかってから、ヨルはちらりとラキの方を見やる。
元の姿にこそ戻っているが、竜態そのものは器用に炎で隠していたようだ。ヨルもうっかり大声で名乗りとか上げてしまっていたが、兵士達に気づかれていないのは僥倖か。
「それにしてもラキといい、美味しいところを持っていきおって。……なあ、ケイ?」
振り返る。だがヨルの視界に入ったのは激変した地形を吹き抜ける一陣の砂塵だけで。
――ケイの姿は、どこにもなかった。
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