第十六話 時計塔

 清々しく澄み渡る中天に位置する太陽がまぶしく、また涼しくそよぐ風が頬に心地良い。


「おおぉっ! いい景色ではないか! こうして上から街を眺めるのも乙なものだな!」

「魔法科学とは驚くべき技術ですね。アンドロイドもびっくりです」

「はしゃぐのはいいけどお前ら、ゴンドラから落ちないようにな……」

「ふふ、楽しんでくれているみたいだね。朝から用意しに行った甲斐があったよ」


 精霊祭最終日。ケイ達は英気を養うのも兼ねて贈品会――精霊からの贈り物を民衆に開示する式典――へ出席しようという話になっていた。

 だがいざ外に出てみれば、ケイが初日に見かけたあの気球がさも当然の如く家の前に留められ、それは肝を潰したものである。

 この日に備えてラキが準備してくれていたらしく、ケイ、アン、ヨル、ラキの四人で気球に乗り、王都上空から観光と洒落込んでいるのだった。


「ラキ、あなたはこんな時もその本を読んでいるのですね」

「マイペースな奴よ……」

「まあ、ライフワークみたいなものだから」

「――って、あれはラッセルとリリィ! おーい!」

「……よう、ケイ! 空の旅はどうだー?」


 バザール街横の宿屋のテラスからはケイの姿を認めてか、ラッセル達が笑顔で手を振ってくれていた。


「空からだと、いろんな発見があるな……前の時はそれどころじゃなかったし」

「あはは、リベンジさせてもらうって言ったからね。……どう、移住したくなったかい?」

「それは……な。ここはいい所だし、みんな優しいし。――けど、やる事が残ってるから」


 そっか、とラキから弟を見るような温かい眼差しを送られ、気恥ずかしく目を逸らす。

 宴もたけなわという事で、町並みの喧噪もピークに達している。

 するとその時、王都中に届くかのような重厚な鐘が鳴り響いた。


「あれは……」


 そこにあったのは、広場から天を突くようにそびえる巨大な時計塔である。

 白塗りの柱の頂に嵌る大時計は何とも荘厳な意匠で、鐘の音とともに二つの針は12時を示していた。


「こうして見るのは初めてかな? ……あれがこのジェムゼック――ひいてはレクスリーナを象徴する、午後を告げる時計塔さ」

「ふむ。なるほど魔王城でもあれほどに雄大かつ精巧な時計はない。それにかすかだが、魔力の片鱗を感じるぞ」

「察しがいいね、魔王様。そう、何を隠そうあの時計塔は、今の時の魔法使い――ジヨール陛下お手製でね。下の方に扉があるんだけど、時魔法じゃないと開かないようになっていて、月一のメンテナンスも陛下直々に行われるらしいとか」


 ではあの時計塔は単なる記念建造物にとどまらず、時魔法の産物といっても過言ではないのだ。

 その証拠に周囲には国内外問わず観光客が詰めかけ、兵士達が交通整理や見張り番に立っている。ラキに言わせれば精霊祭以外でも連日あんな大盛況なのだという。


 そしてついに王城が見えて来た。

 まず視界に入るのは、たなびく国旗。オレンジ色の丸に黒い線が二股に分かれて入っている、さながら時計を思わせるデザインである。

 何重もの胸壁や塔に守られた城は豪壮にしてきらびやかにそびえ、あふれんばかりの威光を放ち、見る者全てを威圧するようだ。


「ボクは気球を戻して来るから、先に会場へ入っててね」


 城門前でラキと別れ、さあいざ城内へ入ろうとした矢先。


「む……そこ行く君達、待ってはくれんか」


 と、急に横合いから呼び止められる。


「もしや君達は……娘が世話になったという恩人ではないかな?」


 何事かと目を向ければ、豪奢な赤マントと冠を被った身なりの良い老人が、こちらへ歩みを寄せて来ていた。


「お、恩人……ですか? いや、誰の事――」


 相手が相当位の高そうな風貌である事も手伝い、ケイは思わず頬を引きつらせて答えると――老人が相好を崩しながら放った次の言葉に、目を剥く羽目になる。


「と、申し遅れた。私の名はジヨール。この国の王などをやっておる。不作法な我が娘ゼノサに代わり、挨拶させていただこう」

「お……王様っ!?」


 胃がでんぐり返ったような衝撃にのけぞると、ジヨールは深い知性のたたえられた双眸に、好々爺然とした微笑を乗せる。


「君は確か、ケイと言ったな。勇者の剣盗難事件においては、よくやってくれた。改めて礼を言おう」

「そ、そんな……俺はその……きょ、恐縮です」


 続いて、ジヨールは自身の名乗りにも特に動じないヨルへと視線を下げて。


「その幼い姿とは裏腹に、あの気難しい闇の精霊を従わせる上に、とても強い魔力を持つとゼノサから聞いている。会えて光栄だ、ヨル殿」


 浮浪者めいた少女相手にも丁寧な態度を崩さないジヨールに、ヨルは傲然と胸を張る。


「ふっ、余の方こそ、時の魔法使いたるレクスリーナの王に会えて嬉しいぞ。貴様こそ、中々に秀でた政治手腕の持ち主だそうではないか。これよりしばしジェムゼックに滞在するゆえ、その手並みをせいぜい拝見させてもらうとしようか」


 ヨルの態度の大きさから変に勘ぐられないか、ケイはひやひやものである。


「ははは……そう期待されては、これは無様を見せられんな」


 そしてジヨールは、これまた銅像めいて中空を見つめているアンへと声をかける。


「それで、君は……」

「アンです」

「う、うむ……? 娘とよろしくやってくれているようで、感謝するぞ、アンデス」


 ぷっ、とケイは吹き出しそうになったが、ヨルに肘鉄を食らい悶絶する。


「一国の王がなんでこんな所にいるのだ。受付の真似事でもしているのか?」

「それも一興ではあるが、実は人捜しでな。件のゼノサと、大臣のトゥルスの姿が朝からどこにも見えんのだ」

「それは、変ですね……だから国王陛下御自ら捜されているのですか?」

「うむ。もう城中を回ったのだが、ゼノサはともかくトゥルスまで行方不明になっているのは解せぬ。いつもなら奴は汗だくで、会場の準備や賓客の対応に忙殺されているはずなのだが……このまま戻ったら、私がそれらの仕事をさせられてしまうぞ」


 いや弱った、とぼやく国王。どうにも悩み方が俗っぽいが、確かに気にかかる話だ。


「――と、これ以上君達の手をわずらわせるわけにはいかんな。今少し時を置けば贈品会が始まる。会場は門を抜けて右に行った所だ。さあ、早く行きなさい」

「は、はい……」


 急かされるように門をくぐらされ、ケイ達はそのまま会場へと向かう。


「……王様って言うからにはもっと堅苦しい人かと思ったけど、結構気さくな人だよな」

「お年を召しているようですが、その一挙手一投足には隙がありませんでした」

「人間にしては見所のある御仁だ。あの傑物からあんな残念な勇者が産まれたとは信じられんぞ」


 城内に併設されている会場の内部はワインレッドの絨毯が敷かれた階段状の広間で、オペラ劇場を彷彿とさせる作りだ。

 すでに多くの客が椅子を埋め、座る事さえできないのではと危ぶんだ時。


「がはははは! 突っ立ってるそこなネイバー達! こっちに来い! がはははは!」


 暇をもてあましてざわつく客の声を断ち割るようにして、唐突にばかでかい笑い声が向けられた。

 そいつは赤ら顔のがさつそうな大男、どうもケイ達を指して隣席へ手招きしている。


(……真っ昼間から酔っ払いか? 変なのに絡まれたくないな……)


 無視しようかとも思ったが、これまた繊細さとは無縁な女性二人組がさっさとその席へと行ってしまっている。

 仕方なくケイもついていった。


「がはははは! 俺のプレゼントを悪漢どもから奪い返した英雄と会えるとは! たまらんぞ! がはははは!」

「……は?」


 着席するなりケイの肩をばしばし叩き、意味不明な事を吐く大男。

 その頭には可憐な感じの似合わない冠が乗せられている。


「あの……人違いじゃないのか?」

「がはははは! ああ、その様子だと俺が俺と分からんか! パレードの時にもラキといただろうが、俺だよ俺、がはははは!」


 ……なぜここでラキが出てくる。

 もはや疑惑と警戒心が最高潮に達した時。


「――ムガナクスム……と言えば思い出すかな、ネイバーよ。がはははは!」


(ムガナクスム……? って……確か、精霊の……神。――精霊神……あの!?)


「い、いや、何言ってんだよ……パレードで見た時は、もっと……」


 そう、少女の姿だった。決してこんな肌の浅黒い、筋骨隆々でむさい大男ではない。


「がはははは! 実は俺は七曜に対応した属性の姿と人格を持っていてな! 一日ごとに変化するものだから、人違いされんよういつもこの冠を被っているのだ! がはははは!」

「マジかよ……」


 言われてみれば先ほどの冠、パレードで見覚えがあるような。


「そやつの言っている事は本当だ、七面倒くさいがな。……余はあまり好かぬ」


 ヨルが素っ気なく呟き、よそを向いてしまう。


「月は闇! 火は火! 水は水! 木は風! 金は雷で土は土! 日は光! 日替わり精霊神とは俺の事だ! がはははは!」

「様変わりしすぎだろ……」


 今は多分、土属性が出ているのか――見た目的に。なんとなくこれが風とか水とか嫌だ。


「それにネイバーよ、よもやゴーレムを連れているとは驚いたぞ! がはははは!」

(……! こいつ……一目でアンをロボットだと見抜いたのか……!?)


 ぞくりとうなじを正体不明の何かが這ったような感覚がして、ケイは居住まいを正す。


「えっと……む、むかつく様……だったっけ? どうしてここにいるんだ……?」

「がはははは! ムガナクスム、だぞ! お茶目ちゃん! それにこの式典の主催は俺とジヨール共同のようなものだ、俺がいて何もおかしくないだろうがはははは!」


 ――その直後、ぱちりと会場奥にある舞台がライトアップされ、周辺が静まりかえる。


「親愛なるレクスリーナの人々よ! 本日は集まってくれて礼を言う! 精霊祭は存分に楽しんでくれただろうか? 今日はその最後の日、お待ちかねのプレゼント公開の日だ!」


 まるでショーの支配人か何かのように現れたのは、誰あろうジヨール本人だ。

 観客達を見回し、大仰に身振り手振りで歓迎の意を示している。


「がはははは! 昔は長い挨拶やら口上やら演説があったのだが、そんなもんつまらんから俺が廃止させた! とにかく楽しく陽気に! がモットーだからなっがはははは!」

(うるせぇ……)


 と、舞台脇に配置されている楽団がパララララララ……とドラムを叩き、ジヨールが黒子から小さな宝箱を受け取った。


(あれは……盗賊から取り返した、勇者の剣の入っていた宝箱か……)


 あの時は中身を確認できなかったが、ついに開帳されるのだ。

 自然と胸に緊張を走らせる。


 ――刹那。


「ちょおっと待ったあぁぁぁぁぁぁぁ!」


 劇場全体にびりびりと金切り声が炸裂し、ケイやジヨールも含め観客達はぎょっとする。


「その勇者の剣――あたしがいただいたぁぁぁぁぁッ!」


 ものすごい破壊音とともに舞台上の天井が砕け、埃やら木片やらを飛び散らせつつ、くるくる回転しながらジヨールの真横へ降り立ったのは――何を隠そう。


「ぜ……ゼノサ!? やぶからぼうに何をしておる!」


 ジヨールが驚愕の表情を浮かべているのを一瞥したそいつ――勇者姫ゼノサは、おもむろに腕を伸ばすとジヨールから宝箱をひったくる。


「勇者の剣にふさわしいのはこのあたし! 黙って城の宝物庫で腐らせるなんてもったいないわ!」

「……何をほざいているのだあのたわけ者は。気でも触れたか?」


 ヨルは呆れ返ったような仏頂面で立てた膝に顎を乗せる。


「がはははは! 面白い! その勇者の剣は選ばれた所有者に超越的パワーを与える! 勇者姫が選ばれし者にふさわしいか、見せてもらいたいぞ、がはははは!」


 だが火に油を注ぐように余計な事を吐く精霊神がここに一人。

 ただならぬ有様にうろたえる観客達を尻目に、ゼノサは水を得た魚のように舌なめずりし、すでに封印の解かれている宝箱を開け、中身をまさぐる。


「よしなさい、ゼノサ! こんなものは前代未聞だぞ! 王族にはあるまじき振る舞いだ!」

「って、あら……? 思ったより小さいわね、これ本当に剣?」


 目を丸くするゼノサの手に握られていたのは――薄い石灰色の棒だった。

 刃さえない、鍔すらない、本当に単なる棒だ。

 剣の柄より少し長いくらいの。棒。どう見ても棒。


「で、でもこれが勇者の剣のはず……ならみんなとくとご覧じろっ! 本当に偉くて凄くて敬われるべきなのが誰か! さあ剣よ! いざ力を見せなさいッ!」


 ゼノサが上から降り注ぐ陽光へかざすように棒を振り上げる。

 ごくり、とその瞬間だけは観客達も黙り込み、成り行きを窺っていたのだが。


「あ、あれ……?」


 ……いつまで経っても静かなものだ。ぴよぴよと、鳥のさえずる声だけが響いている。


「なんだ、何も起きないぞ……」

「勇者の剣、じゃなかったのか……?」

「いや、むしろあの勇者姫に、その資質がなかったんじゃ……」


 なるほど、と人々のささやき声が混じってくる。

 やがてそれらは波紋のようにゼノサを取り囲み、ごまかしきれない程多く、そして大きくなっていった。

 当のゼノサはというと――棒を構えたまま、次第にぷるぷると震え始め、頬に朱が昇っていく。心なしか、目尻にも涙が溜まりつつあるようだ。


「ぜ、ゼノサ……」


 ジヨールが気遣わしげに声をかけた時、ゼノサは舞台から駆け出し、どよめきが上がるのもよそに袖から走り去って行ってしまった。


「追いかけよう」

「お供します」

「やれやれ……まったく手のかかる勇者様だ」


 ケイが椅子を蹴って立ち上がると、アンとヨルも続く。

 ゼノサはすぐに見つかった。柱が並んで中庭の見える回廊で立ち止まり、棒を握りしめてうなだれ、震えている。

 側には意外にも健脚だったのか、ジヨールが先に到着しており。


「ゼノサ……一体どうしたというのだ。お前は何のつもりで……」

「なによ……なによなによ! どいつもこいつも! なんで私を褒めないのよ! 認めないのよ!」


 ケイ達を振り返ったゼノサは顔を紅潮させ、唇を噛み締めて大粒の涙を浮かべていた。


「何を言っているのか分からない……私は、いやトゥルスも、臣下の皆も、常にお前に寄り添っていたはずだ。だというのに……」

「そんなのじゃ駄目なの! もっと……もっと私を持ち上げなさいよ! ちやほやしなさいよ! あたしは勇者なのよ!? 世界を救ったのよ!? なのに……どうして!」

「ゼノサ……」


 弱り果てたジヨールは口ごもるが、堰を切ったようにゼノサはわめき続ける。


「ちょっと時間が経てば忘れるわけ!? 誰が世界を守ったのか! 魔王を倒したのか! 痛かった! 辛かった! 大変だったの! なのにちょっとわがまま言ったくらいで陰口悪口三昧……もういい加減にしてよぉッ!」

「といっても、魔王を倒した後、お前さんは何をした?」


 その時、回廊の奥からゆっくりとやって来たムガナクスムが、呵々大笑した。


「何もしとらん! ただ毎日ぐうたら遊び歩いて、何の役にも立たんゴクツブシも同然ではないか! 勇者の剣盗難事件でも醜態をさらしたというし、これで兵も民も愛想を尽かさん方がおかしいわい、がはははは!」


 ゼノサは雷にでも打たれたように硬直し――ぎりぎりと歯ぎしりする。


「なによ……やっぱり誰も分かってくれない。こんなの……こんなものがあるから、誰も私を見ないんだ。こんなのが――あるからッ!」

「ぜ、ゼノサ、何を!?」


 ジヨールが制止する間もなく、ゼノサは手の中にある棒を……勇者の剣を、中庭へ渾身の力でぶん投げてしまう。

 ちょっとした癇癪だったのだろう。

 いかに勇者の強肩といえど、ただちに捜せば剣は見つかったに違いない。


 ――その剣が、花壇の裏から飛び出して来た黒い影に、キャッチされなければ。


「……へ?」


 投球フォームのまま間の抜けた声を発したゼノサの――みんなの前で、その黒い影は棒を逆手に掴み直すと、風のような速さで塀から外へと飛び出して行ってしまう。


「おい――やばいんじゃないか、剣……あれ、もしかして、盗まれたんじゃ……?」


 それこそショーじみた滑らかな展開すぎて思わず確認を取る程だったが、すでにヨルが中庭へダッシュし、塀を駆け上がっている。後には無言でアンが続く。


「――ええい何をしている! さっさと追いかけんと逃げられるぞ!」


 ヨルの一声でケイとゼノサも我に返り、謎の盗人を追って走り出すのだった。

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