時削りのエデン

牧屋

エデンサイド Ⅰ

第一章 第1話 鋼の天蓋

 首のない死体。

 いびつな切断面からは鮮やかな赤い液体があふれ、紺色の警備服を濃く濡らしている。

 白いリノリウムの床の上へうつぶせに倒れた死体を前に、ケイは細い通路の真ん中で口元を抑えて、食道を駆け上がる吐き気をこらえていた。


 ぴちゃり、と上から水滴が垂れ落ちる音がして、びくりと弾かれたように目を上げる。

 死体の真上にある天井には、黒ずみ始めている大量の血痕が塗りたくったみたいに付着し、さらに闇のように開いた通気口の先からは、一定の間隔を開けて何かが垂れている。


 ……血だ。点々と血液が落ちて、溜まりを広げている。


 では、あの中にあるのはなんだ。この死体の忘れていった頭は、今どこにある。


 通気口の内部を目を凝らして確認しようとしてその可能性に行き当たり、ケイは鼻を突く鉄の臭いと、喉の辺りでとどまる不快な酸味をめまいとともに懸命にこらえた。

 膨れ上がる危機感が早鐘のように心臓を打ち始める。

 その時――死体の向こう側にある通路曲がり角から、足音が近づいて来た。


「くっ……」


 ぎくりと身を翻して来た道を戻り、やや後方にあるT字路の壁際へ身を隠す。

 あのまま突っ立っている選択肢はなかった。

 やってくるのがもしも、自分をここへ誘拐した犯人なら。

 あの首なし死体を作り上げた犯人なら。

 とにかく、様子を見よう――通路からわずかに頭を出し、息を殺して待っていると。

 カチッ、とその場には足音とは別の音が響く。


「時計の、音……?」


 張り詰める緊張にはそぐわない日常的な音がケイの耳朶を打ち、思わず口の中で呟きが漏れた直後、曲がり角から人影がゆらりと歩み出して来た。

 水色のポロシャツとジーンズを着た、中肉中背の男だ。

 腕や足を突き出すように歩いている以外は、おかしな点はないように窺える。

 だが――。


 その首から上には、あるはずのものがなかった。


 カチッ、カチッ、と一秒ごとに進む、ガラスと外装に包まれた二本の針。どこにでもあるような、ぜんまいと歯車で動く、機械式のプレーンなタイプの時計。

 ――その無機質な機械が頭の代わりであるかのように、首から生えていたのである。

 首筋からは鈍い金色の骨格が覗き、そこを伝うようにして血管のような赤い筋が幾本も伸びて、身体と時計をつなぎあわせているように見えた。

 男の四肢の先からは手や足を模した金属骨格が突き出て、ロボットのような足取りで床を踏みしめ、ぎこちなく腕を揺らして動作しているのである。

 有機体と無機物が生々しく結合しているかのようなおぞましさに、背筋から冷たい怖気が走る。


(――なん……だ……あれ、は……っ)


 人間なのか。あんな人間がいてたまるか。

 あんな――時計頭の化け物が。

 そいつは死体の側まで歩いて来ると、おもむろに屈み込む。

 そして左手の指を内側へ潜り込ませるようにうごめかせると、奥から血のように赤い繊維を纏った何かを取り出した。

 時計だ。針は動いていないが、頭にあるそれと酷似している。

 時計頭は片方の手で死体の肩を持ち上げ、首の切断面を自分の方へ向けるや否や――。

 左手に握っていた時計を、突き入れたのである。

 ぐちゅり、ぐちゅぶちゅとなおも血を噴き出させ、肉をかき分けて時計が強く押し込まれる異音。

 猟奇的趣味に思えるその光景に固唾を呑んで見守っていると、ほどなく変化が起きる。

 びくり、と死体が跳ねた。

 まるで電流でも送られたかのように二度、三度、と背中が跳ね上がり、首にねじ込まれた時計が床を叩いて嫌な音を立てる。

 その直後――時計に巻き付いた筋状の繊維が首の根本から死体の体内へと潜り込み、やがてカチッ、カチッ、とその時計の針が動き出す音がし始めた。


(おい……そんな……嘘、だろ……)


 見る間に死体の手の肉の内側がばりばりと裂けて、骨格が顔を出す。足も靴が破かれ、足首の先から同じような金属が飛び出す。あたかもサナギの脱皮のようで。

 ゆっくりと、死体は――死体だった何かは、身を起こした。

 近くにいる時計頭と並び、秒針の動く音だけを立てながら、静かにあたりへと時計を巡らせている。

 死人が蘇った、などとはとても喜べなかった。

 そいつらが揃って通路を歩き始めると同時にきびすを返し、可能な限り足音を殺して急いで離れようとする。

 震えが止まらない。心臓が破裂しそうだ。

 あれはやばい。見つかれば絶対にただではすまないだろうと本能が警鐘を鳴らしている。


「ここはどこなんだよ……どうすれば外に……っ」


 生きた心地もなく進んでいると、ガラスの窓が横一直線に角際まで続き、外の様子が見て取れるようになっていた。


「な……」


 しかしそれはこの場所の位置を確認するどころか、ケイの予想を根底から覆すような景色が広がっていたのである。


 無数の柱のような、光を瞬かせる奇妙な建造物が所狭しと林立し、そこかしこに曲がりくねったハイウェイが走り、空は天井か何かで覆われているようで太陽は見えず、薄暗い。

 球根のような形状の建物、摩天楼を彷彿とさせる高層ビル群、巨大な工場、鉄塔、血管のように這う道路と、多種多様な種類はあるもののどこも鬱蒼とした、四角四面の景観。合わせ鏡か万華鏡でも覗き込んだ風で、眺めているだけで立ちくらみを起こしそうだ。

 にも関わらず人の姿や声、車や人家などは影も形もなく、俗に言う近未来都市めいた作りでありながら、しんとして不気味な程に静まりかえっている。


「一体……何が起きてるんだ。ここは本当に……『エデン』なのかよ……」


 増え続ける人口。環境破壊。モラルの著しい低下。大気汚染。限られた土地の奪い合い。

 よくあるSF小説にありがちな、近年に挙げられる社会問題の数々。

 そこで政府は諸問題解決のため様々な研究開発機関と連携し、ついに完成させたのだ。


 ――時間管理型人工知能、エデンを。


 政府からの発表によれば、凄まじいまでの処理機能、及び学習機能を備えたスーパーコンピュータとして生み出されたエデンは、巻き起こる貧富の格差解消、犯罪の抑止、効率的な自然環境の復活、自然災害すらも完全回避といった、人に降りかかるあらゆる不幸、苦しみを取り除く事が可能であり、次世代を超えた永久絶対の幸福装置なのだという。

 素晴らしい時代の幕開けの記念と、これまで見守ってきてくれた地球への感謝を込め、国家間の長い会議の末にこの星の名を、人類を導き代表する偉大なコンピュータの名を取り、『惑星エデン』とした――。


「それが、なんだってこんな……誰もいないし、何もかも、変わり果てて……」


 エデンが誕生し、機械に関する技術レベルは格段に上がったけれど、ケイ達普通に暮らす市民の生活水準まで、特別変わりがあった訳じゃない。

 ――ケイにとってはいつも通りの、ごく普通の日々だった。

 変わった事といえば昨日、高校の晴れ晴れしい入学式があった事くらい。

 男子高校生一年として体育館で校長や教頭、教師陣の長々しい話を聞いたり、先輩やらOBやらが準備した歓迎イベントを見て行ったり、クラスの同級生達と簡単な挨拶を交わしたりと、なんて事もない、緊張気味ではあったけれど予定通りの出来事ばかり。

 その後は家へ帰ったはず――そのはずだ。

 どうもそのあたりから記憶が曖昧で、じわじわと胸を圧迫する嘔吐感とは別に、頭の芯が鈍く痺れるような感覚がある。

 そして、目覚めたら自分の部屋でも家でもない、たくさん機械の並んだ小部屋の中の、透明なカプセルの中に、白い患者服で寝かされていて。

 状況が掴めないうちにカプセルの蓋が開き、部屋を出てみると妙な通路が続く建造物らしき場所に出た。

 携帯といった外と連絡する手段は何もなく、この建造物がどういう所なのか手がかりになるようなものは今のところ見当たらず。

 見つかったのは胸の悪くなるような血の匂いを放つ、猟奇的な死体だけ。


 暗澹とした気分のままとぼとぼと歩き続ける。


「ここは……ロビーか……?」


 それまでの狭い通路が嘘のように、円形の広場を思わせる広々とした空間に出た。

 ただ電気の状態が悪いのか、壁や天井に埋設された電灯がたまに点滅して安定しない。


『ようこそ! 世界の中心、セントラルエデンパークへ!』


 突然聞こえて来た高い女性の声に胃がひっくり返るが、すぐ録音された放送だと気づく。


「セントラル……エデンパーク……? それって、エデンのあるっていう施設の事だよな」


『誰でも会える、すぐ話せる神様、コンピュータ・エデンは階段を上がったすぐ奥! 特別エレベーターでエデンルームまで直通です! ぜひ遠慮せず来てくださいね!』


 時折ノイズが入るものの、場違いなくらい明るいアナウンスや流れてくるポップな音楽に気が抜けそうになるが、慎重に歩を進めながら周辺を調べていく。

 通路ほど荒れてはおらず、血の跡もない。多少床が汚れているがその程度だ。壁のポスターには丸っこい胴体とウサギっぽい耳を持つ玉虫色のマスコットロボが描かれている。

 左手にはエレベーターが二基、右手には従業員用らしき通路に続いているドアが見えた。

 目前には台座があり、上部ではぱちぱちとホログラムのようなものが映ったり消えたりしていた。受付は台座の奥だが、誰もいない。

 左右にはぐるりとカーブしたロータリーがあって、それがそのまま広場側と接続して上階へ続いている。

 その先には豪華な扉のエレベーターが一基あり、上のパネルにはエデンルーム、と記載がされていた。


『ロータリーに展示されているのはいずれエメスへ到達するための、エデンの技術の結晶達です! 写真、ビデオなどでの撮影はオーケーですが、誤作動の原因となりますので柵を越えて触れたりはしないでくださいね!』

「エメス……? なんだ、それ」


 聞き慣れない単語に首を傾げるが、テレビとかで聞いたような覚えもある。

 言われてみれば、ロータリーには等間隔を開けて、一風変わった機械が飾られ、その機能などが細かにパネルに記されていた。

 時空波動砲という、よく分からないがとにかく凄そうな兵器を搭載した白い装甲戦車や、鉄骨よりも一回り巨大なアームを携えたパワーローダー、一人用コクピットのある小型円盤など、いかにも近未来な兵器ばかりだが、レプリカに過ぎないようだ。


『今の世界はお好きですか? エデンでは……希……の選ばれた……のみ……手術を……』


 急にアナウンスの調子が悪くなり、かと思えばロビー中心にある台座が、電子音を立てて勝手に起動し始めた。


「こ、今度はなんだ……?」


 現れたのは、大きな球状のモニュメント。しかし灰色の機械や建物に覆われ、トゲのように奇妙に歪んでいる。

 それが何なのか、台座前面のプレートに書かれた文字を目にして、ケイは思い知らされた。


 ――『惑星エデン』


「そんな……馬鹿な……」


 思わず、膝から崩れ落ちそうになる。

 この全てが機械に覆われた星が、現在のエデンだとでもいうのか。


 まだ事態を受け入れられずに呆けたまま、不意に視線が上へ傾く。

 エデンルームへ続くエレベータの壁の真上には、大きな時計がかけられていた。

 現在時刻は、午前5時59分。秒針はもうすぐ一周しようとしている。

 ケイの見ていた大時計が、まさに6時を迎えようとした瞬間だった。

 かちり。と、短針が指し示す。


 ――午前0時を。


 ぽかん、と口が開いた。


 なんだ。今、何が起こった。

 ついさっき、針は6時を示そうとしていたはずだ。

 なのに――どうして時刻は、0時を指している……?


 ぶつん、と周囲の電源が落ち、暗闇が視界を埋めた。

 それと同時に、響いてくるアナウンスも音楽も、ノイズしか聞こえなくなっている。


「ひっ……」


 大時計も見えなくなり、身をすくめてしまう。

 見える光源といえば、独立した電池などで動いている小型ライトのみ。


 ……カチッ、カチッ、カチッ。


 あの、時計の音を聴覚が――いや、意識全体が拾い、ぞくりとうなじが粟立った。

 大時計か。違う。音はすぐ近くから聞こえている。

 本当にすぐ近くだ。

 ほんの、耳元の。


 音が。音が後ろから。


 振り返ると、もうほんの数歩もない距離間に、あの時計頭の化け物がいた。


 カチッ、カチッ、と時計の音とともに足を踏み出して来る。

 どうして。さっきはいなかった。この一瞬で。なぜ接近を気づかなかった。

 後ずさろうとしたが、秒針が動く方が――奴の方が早い。

 時計頭が腕を伸ばしてきた。

 視野いっぱいに、血の臭いを漂わせる金属の手が迫る。


「う――うわああぁぁぁぁぁッ!」


 直後。

 ロビー中に反響する強烈なまでの破裂音がとどろいたかと思うと、目の前の時計に風穴が開いた。


「……え?」


 ひゅんっ、と何か熱を発する小さな物体がケイの頬をかすめ、惑星エデンのホログラムを破砕するかのように突き抜けていく。

 時計頭の腕ががくり、と下がる。――その頭に開いた大穴の向こうに、線の細い誰かが立っているのが見えた。

 ドンッ、ドンッ、と連続して轟音が響き渡り、その度に時計に穴が穿たれ、針や金具が無惨に飛び散っていく。

 ガラスの破片がケイへ降りそそぎ、反射的に顔を腕でかばってその場にしゃがみこんでしまった。

 さらに一発。時計頭の中心部がぶち抜かれるようにして部品の全てが砕け散ると、糸の切れた人形みたいにケイの方へ倒れかかってくる。


「う、うわっ……」


 情けない声を上げて横にずれると、時計頭は金属質な衝突音を立てて台座へうつぶせに崩れ落ち、それきり動き出す事はなかった。

 脂汗が堰を切ったように浮いて来て、こちらへと歩み寄ってくる新たな人影をただ見上げているしかできなかった。


「大丈夫ですか」


 二歩半ほどの距離を保ち、その何者かは尋ねて来る。

 女だ。ケイと年の近い、高校生ぐらいの少女。

 肩までかかるくせのない栗色のロングヘア、紺のブレザーと赤と黒のチェック柄のスカート。見目が整っている事を除けば、取り立てて特筆する事もない容貌。

 だが、その表情は無機的で、ケイを見下ろす目には何の感情も含まれておらず――その右手には、大口径の拳銃が握られ、わずかに煙を噴き、硝煙の臭いを漂わせていた。


「お……お前……は……?」


 あの時計頭は、人のようでいてあまりにもかけ離れた異形だ。

 この少女はその銃でそいつを撃ち、恐らくケイを助けてくれたのだろう。

 だからまずは礼を言ってしかるべきだろうに――その無感情な瞳を見ているとなぜか、先ほどの時計頭以上に異様な相手と対面しているような恐怖が湧いて来る。


「私はアンドロイド」

「え……?」


 けれど、その少女はケイの困惑や恐れなど眼中にないかのように、静かに言った。


「ケイ。あなたを守りに来ました」

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