エデンサイド Ⅲ

第十二話 強襲型

「生命反応ゼロ……生存者、なし」

「くそっ――!」


 アンの報告を受け、破損したコンテナの壁を殴りつける。

 だがそれで気分がいささかも晴れるわけもなく、鼻腔を突く焦げ臭さが気にならなくなるわけでもなかった。

 車庫内は目を覆いたくなるような惨状だった。ドラム缶やコンテナの残骸、崩れた天井。絵の具のように飛び散っている黒ずんだ血痕。

 焼死体以外に死体は見当たらない。つまりこれは――そういう事だろう。


(ラキの姿は……ない。……まさか、もう)


「しっかし、ここだとたった6時間しか動けないんでしょ。吸血鬼より不便よね」

「鉄臭くて殺風景な場所だな。早く星覆う天蓋とやらを観賞してみたいが」


 うちひしがれるケイをよそに奔放にのたまい、挙句勝手に車庫から出て行く二人である。


「お、おい待て待て、一人で行くのは危ない――」

「む……火の精霊の魔力を感じるぞ。あっちの方だ」

「えー、こっちじゃないの? 似たような魔力があるんだけど」

「え、火の精霊ってまさか……あ!」


 二人の言う通り、少し通路を折れて行った先にふよふよと漂う人魂――ではなく見覚えのある赤い光が。

 もしやあれは、と四人で後を追っていくと、地下の一角に小さな資材置き場を発見した。


 出入り口もドア一つのみで、その隙間から火の精霊が入り込んでいき。


「……やあ、ケイ。来てくれたんだね」

「ラキ!」


 入れ替わるように顔を出したのは、なんと捜していたラキその人だった。


 あれだけ生存は絶望的だったのに、本当にもう一度会えるとは、と感極まりそうになり――その両目には包帯が厚く巻かれ、エメラルドの瞳が覆い隠されている事に気がつく。


「……その目」

「ああ、これかい? 傷が深すぎてちょっとね――でも前にも言ったように、目の代わりはこの子達がしてくれているから」


 火の精霊が一つ、肩の辺りに浮遊する。

 だが三角帽子や服もぼろぼろで、ラキのくぐった鉄火場の凄惨さを物語っていた。


「やあ、ゼノサ。まさかキミまで来てくれるとは、一体どんな気まぐれなのかな」


 ラキの目線――包帯に隠されて分かりにくいが――がゼノサへ移る。


「別にあんたのために来たんじゃないし。死んだとかなんとか、いちいち眉唾なのよ」


 ぷいとそっぽを向くゼノサに苦笑し、次いでラキはヨルを見て――数秒、停止した。


「これはこれは……この魔力は、もしやと思ったけれど……」

「ふっ、初見で余の秘めし魔力の膨大さを悟ったか……なかなか見所のある魔法使いよ。そう、その通り! 余こそが魔を統べる暗黒の帝王、まお――」

「魔王ヨルリシュア様だね。まさか生きてらっしゃったとは……よろしくお願いするよ」


 腕を組み、尊大極まる態度のヨルを華麗に流し、最後にラキはアンへ笑いかける。


「キミも無事だったんだね。足の方はもう大丈夫なのかな。ボクの魔法で直してあげられないのが残念だよ」

「問題ありません。お気遣いをどうも」

「あれ、二人とも、面識あったのか?」


 怪訝に感じて尋ねると、どうやらケイが寝ている間にすでに顔を合わせていたらしい。


「それにしてもキミは、機能的な精巧さと、精緻な美しさを両立した、なんて素晴らしいゴーレムなんだ。ほれぼれするねぇ……」


 と、うっとりするように呟くラキから精霊が離れ、アンの身体を舐めるように回転する。


「ね……後でちょっとだけ、ちょっとだけでいいから中身見ていいかい?」

「そうですね、中身の見せ合いっこしましょう」

「何の話だよお前ら……それよりラキ、後ろにいるのは」


 室内には、他にも生存者と思われる数人の男女が身を寄せ合っている。ラキは頷いた。


「そうだね。状況を説明するから、みんなとりあえず入ってよ」


 資材置き場は車庫よりも狭く、放置されたコンテナ群と、数台の大型トラックが停められ、搬入口へ続くシャッターの側に端末が用意されているだけだ。


「あの後、ボクは生き残りを連れて車庫を出て……ここまで避難して来た。でもいずれ、追って来る時計頭に捕捉されてしまうだろう――その時医療区から通信が入ったんだよ。セントラルエデンパークから脱出させてやる、ってさ」

「医療区、から……」

「彼は二つのルートを提示した。一つはここから、第三ハイウェイを抜けてブリッジを越えるルート……進路には時計頭だらけだけどね。もう一つは、時計頭との遭遇をなるべく避けて、通気口や地下を伝って遠回りしながら進むルート」

「だったら遠回りルート1択じゃないの」


 当然でしょと口を挟むゼノサに、それがそうもいかないんだ、とラキが首を振る。


「事前にハイウェイ側の時計頭達を排除しておかないと、とても遠回りルートは使えない――そう言われたんだ。だから陽動と隠密の二手に分かれての進行が前提というわけ」

「それで……ラキはどうしようとしてたんだ?」

「……明日にでも、ボク一人でハイウェイルートへ特攻するつもりだったよ」


 ラキはほの苦い微笑みを覗かせる。


「できるだけ敵を引きつけている間に、生き残りをみんな遠回りルートへ進ませてね」

「そんなの――それじゃあんたが死んじゃうじゃない」

「うん。でも、みんなを見捨てたくはなかったから……命を賭けるには値するよ」

「ラキ……」


 悲壮な空気が満ち始めた時――やおら場にそぐわぬような啖呵が室内に響き渡った。


「ふっ、心意気はあっぱれよ。その囮とやら、我々に任せるがいい!」

「え……えぇぇっ! ちょっとあんたっ、何言っちゃってるわけぇ!?」


 がーんと目を剥いてゼノサが食ってかかるが、豪語してのけたヨルは動じない。


「なぜだ、これがもっとも合理的な策であろう。最強の我々が大暴れし、その間に無力なる民を逃がす。人間の為に働いてやるのは少々癪だが……今回はその魔法使いに免じよう」

「私も賛成です」


 と、アンがシャッター横の端末をいつの間にか操作し、何かの図面を表示している。


「恐らく通信はこの端末から行われたのでしょう、ルートを確保したマップも送付されています。この通りに進めば、確かに医療区へは最短で到達できるはず」

「確かに、な……俺達の目的も元々そっちだったわけだから」


 危険なのも命がけなのも、今に始まった事ではない。

 じゃあ、とラキが声を上げると、むぐぐと口をもごもごさせていたゼノサも、諦めたようにため息をつき。


「分かったわよ……置いて行かれても仕方ないし、今回だけは付き合ってやるから」

「……ありがとう、みんな……恩に着るよ」


 話は決まった。ラキが生存者達に説明している間、ケイ達は一台のトラック前へ行き。


「これに乗っていきましょう。運転は私が行います」

「おお、異世界の馬車というわけか! 余も一目見た時から乗ってみたいと思っていたぞ」


 と、ヨルは身体を跳ねさせて無邪気にトラックの周囲を回っているのだが。


「ゼノサ……どうしたんだ?」

「あ、あたし……乗り物とか、暗いところとか、高いところとか駄目なのよ……」

「ま、マジかよ……?」

「馬は平気なんだけど、馬車とか船も駄目で……うう、揺れてる、地に足が着かない……」


 などと、乗った時の事を思い出したのか、早くも気分が悪そうである。


「大丈夫かい? ちょうど酔い止めの薬があるんだけど、使う?」

「いらないわよ! てか乗り物が駄目なのは前にどっかの誰かの箒に乗ったせいだからッ」

「ああ……なるほど」


 ラキの運転がトラウマで乗り物にも乗れなくなったとは、さすがに同情せざるを得ない。


「ふん、では貴様とはここでお別れだな。……いやいや、世に知られた勇者がこの程度とは、これでは余にとっての脅威でも障壁でもなんでもないというものよ」


 やれやれと肩をすくめるヨルに、ゼノサはがるると歯をむき出す。

 どうやら対抗心から恐怖を忘れたらしく、いの一番に荷台の方へと駆け込むと、小窓を開きアンを睨み付ける。


「狭いのも苦手だからあたし、こっちに乗るから。――ちょっとアン、あんた、あたしのためにちゃんと安全運転してくれるんでしょうね」

「善処します」

「何よ、きんっきんに冷えた鉄みたいに冷めた奴ね!」

(鉄だけどな)


 ともかく運転席にはアン、助手席には――。


「……ラキ? お前も来るのか? こっちは危険だし、他の人と一緒にいた方が……」

「ボクもこのルートで行くつもりだったしね。迷惑でないなら、連れて行ってよ」


 ラキは怪我人ではあるが、当人の強い要望があるなら無理強いもできない。

 ケイとヨルも荷台側へ乗り込み、すでに隅で体育座りして震えているゼノサを生暖かく見守る。

 と、トラックの液晶パネルが自動で点灯し、サポート音声が高速で流れ始める。


『早くキーを差して下さい認証して下さい三十秒以内に行われない場合ただちに通報します』


 こういった車両一つ一つには事故を防ぐための高性能独立監視AIが搭載され、盗難車の数も激減しているのだが。


「どうする、どこかにキーなんて……」


 ケイの声を遮るようにどん、と何かを破壊する音がした。

 ぎょっとして運転席側が見える小窓へ目をやると、アンが滑らかな動きでAIの積まれているパネル下部のパーツを手でぶち抜き、その両眼を緑に発光させている。


「この程度のAIならたやすく掌握できます。たった今、私達を所有者に書き換えました」


 直後、トラックにエンジンがかかり始め、アンが改めてハンドルを握る。


『アン様、その他大勢様、快適なドライブをお楽しみ下さい』

「では、発車します」

「お、おう……」


 端末操作でシャッターが開き、トラックがゆるゆると動き出す。

 ゲートからインターチェンジを抜け、トンネルへと差し掛かると、アンがアクセルを踏み込みスピードを上げた。


「ふおぉぉっ! すごいスピードが出ているぞ! これが科学とかいうののパゥワーか!」

「う、動いてる……やだ、これ以上動かないで……で、出ちゃうから……」


 ケイも助手席へ声をかける。


「ラキ、本当に平気か……?」

「大丈夫、昨日一晩で魔力を使いすぎただけだから……心配かけてごめん」


 無理するなよ、と答えた直後、無言でハンドルを握っていたアンが口を開いた。


「敵の接近を確認しました」

「――な……ど、どこだ!?」

「前方と後方。挟まれています」


 小窓を覗くと、確かに前方にはふらふらとうろつく時計頭の姿があるが、こちらはアンがトラックを交互へ走らせる事で回避している。

 ならばとサイドミラーへ視線を流せば。


「なんだ……何か来る……複数!?」


 四つ足の――猫科の猛獣に酷似した骨格を持つ、獰猛そうな時計頭だった。

 その強靱な四肢で強くコンクリートを蹴り、俊敏極まりない速さでトラックへ肉薄している。


 時計の数は――三つ。ケイは産毛が逆立つような戦慄を覚えた。


「ここでは場所が悪い、上へ移るぞ!」

「あ、ああ……!」


 敵襲と聞いてからのヨルの判断は迅速で、後ろの扉を蹴り開けると逆上がりの要領でくるりと荷台の上へ上がっていく。

 ケイも差し伸べられた手に掴まり、ヨルの人外らしい膂力を味わいながら上へと登った。

 獣型は併走するように追いついており、後ろ足で道路を蹴って跳躍し、その体躯をしなやかに伸縮させて飛び込みながら、鋭くぎらつく爪を振り下ろしてくる。

 対してヨルは鎌を顕現させ、腰を落とすように構えを取ると。


「――ダークネス・リーパーッ!」


 半身をひねり、漆黒のオーラを纏わせた鎌をその鼻面めがけて振り抜いていた。

 銃弾や爆薬をも受け付けない鉄壁の時計頭の骨格は、たったのその一撃のみで軽々と両断され――道路へ叩きつけられると、彼方へ置き去りにされていく。


「次ッ!」


 すぐさま構え直したヨルは、宣言通り次から次へと飛びかかってくる獣型を、当たるを幸い薙ぎ払う。

 千々にちぎれ飛んでいく仲間の残骸を目にしてか、敵も正面突破は難しいと判断したらしく、今度はトンネルの壁や天井を猛スピードで駆けながら、上方や側方から取りつこうと試みて来た。


「させるか……!」


 ヨルの後ろで様子を窺っていたケイは、暴風のようなヨルの攻撃をかいくぐって来た獣型に、巻き戻し弾をお見舞いする。

 どういう仕組みか、発砲から着弾までの空隙というか、ラグそのものが存在しないらしい時間銃は、ただ照準を合わせて引き金を引くだけで避けられる事もなく命中させられた。

 動きを戻され、慣性に引っ張られ、おまけに風圧に巻き込まれて吹っ飛んでいく獣型達。

 いける。この調子で前衛をヨル、後衛をケイで担当すれば、連中を一体たりとも寄せ付けず、耐え凌げる――。

 しかしその時、トラックがトンネルを抜けた。周辺はドームのような球状の広大な空間となっており、血管のように曲がりくねったハイウェイが上下左右に連なっている。


「おお……星が見えるぞ。世界がこんなでも、あの輝きは変わらないのだな……」


 思わず、といった風情で手を止めて上を振り仰いでいるヨル。ケイもつられて見上げれば、確かにずっと上空にある天井部分は透明で、その向こうには真っ黒な空と、満点の星々がちりばめられていた。


(あれは……宇宙か? 俺達のいる場所……そんな高所の方にあるのか)


 一体どれだけエデンによる改修が進んでいるのか、と感嘆と憂鬱な気持ちが半々になった直後。

 星々を欠けさせるように、大量の飛翔体がこちらへ近づいて来るのを認めた。


「……まさか……」


 鳥類の骨格、翼を備えた時計頭。時計は頭と両翼に一つずつ。

 ハイウェイの間をくぐり抜けて滑空し、雲霞の如くトラックへと迫っているのである。

 その輪郭をはっきり捉えられるようになったあたりで、鳥型の翼がぎちぎちとうごめいた。

 水浴びでもするかのように揺らし、震えさせて、その間から、以前にも見たあの長大な針が何本も、何十本も生えそろってくる――。


「いかん、来るぞ!」


 ヨルの叫びと同時、無数の針が雨あられと降り注ぐ。

 ライフル弾並みの速度で迫り来るそれらをヨルが鎌を振り回して撃ち落とすが、それでもこぼれた幾本かはトラックの荷台や運転席を貫く。


「アン、ラキ、大丈夫か!?」

「問題ありません。フロントガラスが木っ端微塵になっただけです」

「そ、そうか……」


 前方の道路にも墓標のように針が刺さり、アンがエキセントリックな走行でもって躱してくれているが、なおも獣型達の追走は続きヨルは応戦に手一杯、鳥型も新たな針を生成し始めている。

 巻き戻し弾を撃ち込んでも、射程から遠すぎるせいか効果はなく、その上一体や二体倒した所で……と歯がみした刹那。


 あの――『音』が瞬時に聴覚を支配した。


 視野が膨れ上がるように陽炎が立ち上ったかと思うと、指向性を持つ熱波となって鳥型達を呑み込んでいく。

 そして小さな、とても小さなささやき声が耳朶をくすぐった。


「運動熱量と物体温度を反転させた。――炎を浴びて、凍るといい」


 ぴしっ、と陽炎の波が通り過ぎた後の鳥型から、異音がする。

 その翼はささくれ立ち、霜が張ったかのようにじわじわと氷が滲みだし――活動を鈍らせていく。

 ばきぃっ、と一体の翼が根元から折れて、墜落を始める。

 他の個体も次々と氷に包まれ、あるいは他の個体と衝突し、あっけなく砕け散った。

 直前まで針の雨を降らせていた恐るべき敵は、すでにして氷像へと変じ、雹となってケイ達の視界から消えていったのである。


「敵の力を利用し、消耗を最小限に仕留めたか。何とも鮮やか、芸術的でさえあるな……」


 ヨルが感心したように呟き、背後で軽く回転させた鎌で獣型を跳ね飛ばす。

 あれだけの勢力を誇っていた敵の数はこの短期間で殲滅され、進路にも障害物は見当たらない。


「間もなく医療区へのゲートが見えて来ます。しばらくお待ち下さ――……え?」


 きょとんとしたような、アンのあまり聞かない声がして、ケイは荒くなった呼気を整えながら運転席側へ近づいた。


「どうした、何か異常でも……」

「……肉眼で確かめられるはずです。前方をご覧下さい」


 言われるままに顔を上げ――瞠目した。

 すぐ奥にはこの長かったハイウェイの終わりである、ゲートが見えている。

 だがその手前には、道路同士を連結するブリッジがあり。


「橋が……上昇している……!?」


 エデンの干渉によるものだろう、中ほどから折れるように、前と後ろ側の橋架が上向き始めており、もはや橋というより勾配である。

 到底、このトラックで渡れるわけもなく。


「くそっ、ラキ、魔法でトラックを浮かせる事はできないか……っ?」

「……ごめん。魔力はもうすっからかんだよ」

「どどどどうすんのぉ……これじゃあ谷底に真っ逆さまよ!? ――おげぇっぷ!」


 ゼノサの声を最後に沈黙が落ちた。

 トラックはいまだ全速力を出し続けている。

 ハイウェイの下に落ちれば、生きていられるかすら怪しいだろう。


 止まるしか……ないのか。

 ここまで来て。


 ――もっと、もっと速ければ……!


「このまま……進んでくれ」

「ちょっ、あんた、マジで何言って――!」

「死にますがよろしいのですか?」

「考えがある。俺を信じてくれ……」


 一斉に異が唱えられるが、ケイは時間銃のパネルを睨み続ける。

 そこへヨルが。


「信じてやれ」

「魔王様……本気で言っているのかい?」

「酔狂などではない。こやつなら何かやる。さっきの立ち回りも悪くはなかった。進むも死、戻るも死……ならばここは一つ、賭けてみようではないか、我らの命運を」

「ヨル……ありがとう」


 視線を上げないまま礼だけを告げると、ふっと小さな笑いだけが返ってくる。


「……了解しました。トップスピードを維持します」


 気のせいかアンがいつもより事務的に応じ、トラックは進み続けた。


(やれるはずだ……やらなきゃいけないんだ)


 ケイはいつの間にか時間銃のパネルに、表示されていた『スピードアップ』を見つめる。

 時間銃を荷台へかざし、深呼吸をしてから――。


「うおっ!?」


 その矢先、ハイウェイの向こうから高々と跳躍し、二体の獣型が飛び移ってくる。

 それと、ケイが時間銃の引き金を引くのは同時で。

 ぐい、と身体が内臓ごと後ろへ引っ張って行かれるかのように強烈な重力がかかり、ヨルともどもとっさに荷台へ伏せてこらえる。


「な……何が起こったんだい……っ?」

「加速しています。このトラックの速度が……先ほどより数倍に」


 圧倒的急加速を始めたトラックから一体の獣型はあっさり引きはがされ虚空へ消える。

 が、もう一体はぎりぎりで荷台側面へ張り付き、こちらへ距離を詰めて来ていた。

 視界が一瞬で上向きになる。トラックが滝登りのようにブリッジを駆け上がっていた。


「くっ……!」


 ヨルは鎌を荷台へ突き立てるも、そこで手が柄から滑り――その小柄な身体が、宙へと投げ出された。


「ヨル!」


 ケイは鎌に掴まりながらヨルの手首を捕まえ、すんでのところでこらえるも加速と重力は過酷で、今しも腕が離れてしまいそうだ。


「ケイ、後ろから敵が来ている! このトラックも――余の事はいい、手を離せ!」

「嫌だ!」

「貴様が死ぬぞ!」

「それでも嫌だ……死んだって二度と手を放すもんか……ッ!」

「ケイ……」


 ヨルが叫ぶのをやめ、目を瞬かせた時。

 突然の浮遊感が全員を襲った。

 途切れたブリッジの先端から、ついにトラックが躍り出たのである。


 ケイもヨルも、獣型までが空を泳ぐようにトラックから離れていき。


「ぬおおおおおおぉぉぉっ!」


 全身から凄まじい魔力を発したヨルが、なんともう一本の鎌を作り出して荷台へ強引に突き立てる。

 位置が入れ替わるように後ろへ流されるケイの手を捕まえ、抱き寄せるように黒いマントで包み込んだ。

 充分な加速を得たトラックはほとんど上がりきっていた逆側のブリッジまで到達し、その坂の表面をこするように着地しながら滑落した。

 鼓膜が――身体中の骨がばらばらになるような衝撃が襲って来る。

 天地がひっくり返り、そして。


「……と、止まった、のか……?」


 恐る恐る目を上げれば、トラックはかろうじて原形を留めた上でドリフトし、ゲート前の道路に黒い傷痕をつけた状態で停止していた。

 これだけの事があったのに身体の節々が痛むくらいで、不思議とケイに怪我はない――ヨルが守ってくれたからだろうか。


「ふう……どうにかこうにか、という所だな。まあ急造のチームにしては上出来か」


 ヨルも平然とした顔でケイから身を離し、ぴょんとトラックから飛び降りる。

 ケイも平衡感覚が怪しいものの後に続き、アン達へ声をかけた。


「みんな……無事か?」

「はい」

「あはは……貴重な体験ができたよ。こんなにエキサイトなフライトは初めてさ」


 だがしかし、荷台からゼノサの声が聞こえない。――まさか、落ちて。


「……くっさ!」


 と、一足先に荷台を覗き込んでいたヨルが鼻を押さえて飛び退く。それから思い切り顔をしかめてケイの方へ来ながら、ふるふるとかぶりを振った。


「中は地獄絵図だ……そっとしておいた方がいい」

「あ、ああ……」


 何しに来たんだろうな、あいつ。そう思っていると、じろっとヨルが睨んで来る。


「にしても……こんな事になるなら先に言わんか。危うく全滅するところだったぞ」

「すまない……」


 謝るしかない。時間銃の性能は信じていたもののまさかここまで劇的とは予想できず、おまけに注意を呼び掛けるつもりが敵の襲撃で中断されてしまったのも大きなミスだ。


「まあ、良かろう。この経験を糧に、もっと強くなれ、ケイ。貴様には素質がある」

「そうかな……?」

「そうとも。極限状態での身のこなしと判断力、輝くものがあったぞ。後は心持ち次第だ」


 にこっ、と屈託なく微笑みかけられ、ケイも自然と肩から力が抜けて、しまりなく笑い返した。

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