エメスサイド Ⅱ

第十一話 魔王ヨルリシュア


「そっか……ラキの時と同じだ。お前も、こっちに来られたのか……」


 無事で良かった。アンだけでも。

 そう口にしたかったのに、疲労と混乱でないまぜになった感情が喉に詰まって、言葉を途切れさせてしまう。


「ケイ……休息を推奨します。今のあなたは、何か行動を起こせる状態ではありません」

「ああ……そうだな……。もう、頭の中……真っ白で。ちょっと……休む」


 アンにジャケットを脱がせてもらいながらよろよろとベッドへ這い上り、倒れ込む。

 アンが布団を掛けてくれたが、礼を言う気力もなく、意識が虚無へと埋没していく。


(静かだ……)


 外の精霊祭は四日目くらいだろうか。

 家主のいなくなった室内は火が絶えたようでひどく肌寒い。

 やかましくも賑やかだった精霊達の踊りももう、見られないのだろう。


 夜中、目を覚ました。


 精神的には疲労の極地にあったのだが、直前にプレハブ小屋で充分な睡眠を取っていたのとろくな食事をしていない事が、覚醒の一要因になったのだろう。

 もう一つ、ケイの意識をくすぐるような音がキッチンの方からしていた。

 ごそごそと、何かをまさぐるような無遠慮な物音だ。

 重い身体にむち打ち、寝台から出る。

 そこで自身の火傷や擦り傷、打ち身などの怪我に包帯やバンドエイドで応急処置がなされている事に気がついた。恐らく、眠っている間にアンが看護していてくれたのだろう。

 ランプを手に暗闇を進み、キッチンの方へ声をかける。


「アン……? 誰かいるのか?」

「ぬおぉっ!?」


 返ってきたのはアンの声でも鼠の鳴き声でもなく、何やら大仰な驚き声。

 そして光で照らした先には――一人の少女が棚にかがみ込んだ体勢で、こちらを見ているのが確認でき。


「……誰?」


 いぶかしさを声音に乗せて呟くと、少女ははっとしたように慌てて立ち上がり、流し台に背中をつけるとおおげさに胸を張って肩を怒らせ、冷や汗混じりに顔を引きつらせて。


「……よ、余の存在に気づくとは貴様、大したものだな! だがしかし、それでこの魔王ヨルリシュアから一本取れたと思うなら、大間違いだぞ!」


(……何言ってるんだこいつ……)


 よくよく見れば、少女の外見は小さく幼いながらも実に特徴的だ。

 紫混じりの黒の瞳に、病的なほど白い陶磁器のような肌。漆黒の髪は右のハーフアップサイドテールで、紫色の真珠の髪飾りで結ばれている。

 そして夜空を思わせるビロードのような黒マントと、下にはスモックとも言い難い黒い布きれを身体にぞんざいにかぶっていた。

 靴も底の部分だけを張り付けたものにバンドで無造作に巻き付けてあるだけと、いかんせん服装が浮浪者くさすぎるのが、余計に不審を煽る。


「……ケイ。どうかしましたか」


 これまただしぬけにアンが廊下側から顔を出す。

 騒ぎを聞きつけて来てくれたのだろうが、まるでその幽霊のような佇まいと声の抑揚のなさに、少女はぎゃっと叫びを上げて。


「も、ももももう一人いたのか!? しかもまったく気配を感じさせぬとは一体何者……」

「お前が何者だよ。もしかして泥棒か?」


 ケイがずばり問いかけると、少女は逆に指を突き出して何か言おうとしたが――その際、マントの内側から何か、硬い物が転がり出る。

 ころころと床を転がり、ケイの足下まで来たそれは――イチゴジャムの瓶だった。


「……なんだよ。やっぱり物盗りじゃないか……しかもジャムって。通報しないと」

「くっ! 事が露見してはもはやぜひもなし! ここは一度撤退させてもらうぞ……!」

「あ、おい待て……!」


 制止など聞こえなかったかの如く振り切り、その泥棒は玄関から飛び出そうとするも。


「ラキ、いるー? ちょっとルンゼファから身を隠せる便利な薬か何か……――え?」

「うおぉぉぉッ!?」


 ちょうどドアを開けて入って来て、ぽかんと目を瞬かせたゼノサと、正面衝突した。


「お、おい、二人とも大丈夫か……?」

「いったーいっ! だ、大丈夫なわけないでしょ! ううっ、おでこ割れてない……?」

「くぬぅ……ひ、久方ぶりにいいのをもらってしまった……効いたぞ、今のは……」


 額をそれぞれ抑え、その場で痛みにのたうち回り。


「一体なんなのよあんた……あ!?」

「それはこっちのセリフだ、この石頭め……む!?」


 同時に身を起こし、お互いの顔を見て、大きく目を見開き。


「まっ、魔王!?」

「……誰だ?」


 一方は驚愕したように、もう一方は怪訝そうに、という感じで、双方ともに指を突きつけ合ったのだった。


「……え? いや、どういう事……?」


 展開についていけず立ち尽くすケイの前で、勇者と自称魔王は睨み合い始めている。


「あんたなんでここにいるのよ……あたしがぶちのめしてやったのに! ヨルリシュア!」

「むう……何者か分からんが、貴様に倒された覚えなどないぞ? まずは名を名乗れ」

「はあ!? よりによってあたしの事を忘れたっての!? このゼノサ様を!」

「いや誰だ。まさか勇者でもあるまいに……」

「その勇者なのよ、あたしは! 悪逆非道の魔王を倒し、世界に光をもたらした英雄ッ!」

「馬鹿をぬかすな、今はゆえあってこんななりだが、余は勇者などに倒されてなどおらん。……悪逆非道である覚えもない」


 なんですって、とゼノサの双眸にめらめらと敵意の光が宿る。


「あれだけ! いっぱい! 人を殺して苦しめておいて、よくそんな事が言えたわね! あの最悪な魔王大戦の首領だった事、忘れたとは言わせないわよ!」

「知らぬ、と言っておろうが。余はそんな戦争など起こした記憶はないし、貴様のような若輩者に遅れを取るなどなおありえん。よもや貴様……嘘をついているのではないか?」

「は――はあぁぁっ!? なんであたしが嘘つき呼ばわりされなきゃなんないのッ!」


 ヒステリックにわめいたゼノサは、もう勘弁ならんとばかりに細剣を引き抜く。


「知らぬ存ぜぬを押し通せると思ったら大間違いよ……どうやって蘇ったか知らないけど、それならそれで、今ここで、引導を渡してあげる!」

「ふん、やってみるがいいわ小娘が……いや、確か偽勇者、だったかな?」

「言ったなこいつ!」

「お、おい、お前ら、ここラキの家だぞ……?」


 ケイの注意などどこへやら、すっかり二人は臨戦モードだ。

 少女――ヨルリシュアが腕を一振りしたかと思えば、黒いオーラが立ち上り、その手には鎌が握られていた。

 刃の部分は直角が多く四角く折り畳まれた、珍しい形をしている。

 身の丈よりも一回り大きく、とても細身で扱いきれるとは思えないのだが、ヨルリシュアは全身を回転させて遠心力を加え、ひとっ飛びに跳躍しながらゼノサへ斬りかかっていた。


「きえーい!」

「このっ……生意気な!」


 夜遅く。家主不在の魔法使いの家で、勇者対魔王の最終決戦が始まってしまった。

 ケイが嘆く暇もなく、嵐のような動きで二人は斬り結び合っている。


「なかなかやるではないか、ちょこざいな!」

「あんたこそ、小さくなってるから攻撃が軽いわよ! なめんなっての!」


 ヨルリシュアはその小型の身体を活かしてテーブルやタンスを足場や遮蔽物代わりに駆け回り、ゼノサの隙を突いて大振りの一撃を食らわせようとする。

 対するゼノサはさほど動かずカウンターに徹する構えだが、ほどなく戦局が変わった。

 ゼノサの警戒の間隙を縫うように突進したヨルリシュアが、一息に勝負をつけようと鎌を振りかぶったあたりで。


「――うぬっ!?」


 いきなり床を滑るようにしゃがみこんでしまう。


「もらったあぁぁぁぁぁライト・ブリンガァァァァァ――ッ!」


 そこを見逃すゼノサではなく、とどめを刺すべく剣にまばゆい光を纏わせた、刹那。


 ババババババッ、とアンに足下をフルオート射撃されて青ざめ、とぼとぼと後退してからぺたんと尻餅をついた。


「それ以上の交戦は許可しません。ケイの睡眠時間に差し障ります」


 ゴミでも見るような目と銃口を向けるアンに、ゼノサは唖然と口を半開きにしてから。


「い――いやあんた誰よ!? てか何その槍こわいんだけど!?」

「くぬぅ……腹が減ってもう動けん……」


 机の下へ猫のようにくるまった魔王は魔王で、ぐうぅぅと特大の腹の音を鳴らしていた。

 カオスである。だがすったもんだの挙句、妥協して会食の場が持たれる事になった――。


 かろうじて無事だったテーブルに明かりを立てて囲み、ほぼ足の完治したアンが急遽キッチンに立って調理してくれている。

 日中の内に食材の把握や下準備をしておいてくれたらしく、その手際は鮮やかで、戦闘以外でこんな技能を持っていた事にケイは驚かされた。


「むむっ、これはなかなかの珍味だが、なんとも癖になる味わい! スプーンとフォークが止まらん――アンとか言ったな、ぜひ魔王城の料理番に召し上げたいところだぞ!」

「はあ」

「ちょっと砂糖がききすぎかもだけど、ま、まぁ、及第点ってとこかなうん」


 野菜炒め、白身魚のムニエル、牛肉のテリーヌ、オムレツ、ナポリタンと次々運ばれてくる料理は豪勢なものばかりだ。


「それで、お前は確か、本当に魔王……なんだったか?」

「うむ! 改めて名乗ろう! 我が名はヨルリシュア、北の大陸を治める魔族の王なり! 親しみを込めてヨルと呼ぶがいいぞ」

「ふんっ。何が親しみよ、魔王の癖に笑わせんじゃないわよ」


 食事中だろうがお構いなしに突っかかろうとするゼノサをなだめつつ、ケイは尋ねた。


「どうしてその魔王が、勇者のいる王都のまっただ中に来ているんだ?」

「うむ、実は話すと長くなるのだが……」


 ヨルは肉を丸呑みしてから、食べる手を一旦止めて眉をひそめる。


「遡る事2年前。余は魔王城の外にある崖で月夜のお散歩としゃれ込んでいた。しかしふと背後に気配を感じた瞬間――突如何者かの攻撃を受けて気を失い、目が覚めると……」

「覚めると……?」

「身体が縮んでしまっていたのだ!」


 ばん、とテーブルを両手で叩き、卓上の食器を踊らせながらヨルが憤然と叫ぶ。


「恐らく何らかの理由で、余の体内にある魔力の源――略して魔力コアが抜き取られてしまったのだ。そのため身体年齢が逆行しただけでなく、余本来のスーパーパワーまでもが弱体化され、そこの偽勇者にさえ後れを取る始末よ……!」

「だから誰が偽勇者よ!」

「……襲った犯人は見つけられなかったのか?」

「……実は最初の一撃で崖下へ突き落とされてな。雲海を突き抜けてはるか下方の谷底へ叩きつけられ、数日をかけて弱った身体で死ぬ思いで舞い戻ったら――今度は魔王城が焼き討ちに遭い、家臣や兵士のことごとくが討ち果たされ、余は裸も同然となっていたのだ」


 その時の事は相当ショックだったのだろう、しゅん、としおれたようにうなだれている。


「ちょ、ちょっとあんた、でたらめもいい加減にしなさいよ! 魔王城も魔王も、このあたしが制圧したの! そんな――嘘も休み休み言いなさいよ!」

「嘘なものか……そんなものをつく理由がない。それにこれは余も奇妙に思っていたのだ。時置かずして人間の国々から、我ら魔の領域である北の大陸へと一方的な宣戦布告があり、ろくに態勢も整わぬまま襲撃をかけてきおった。同胞達は抵抗もできず虐殺され、しかも人間の国では、とっくに余や魔将達は勇者なる存在によって滅ぼされた事になっている」

「だって、それが事実でしょ……今さら被害者面する気?」

「ふん。悪賢い人間の事だ、余をこのような目に遭わせたのも、魔の領域を無法に荒らし尽くして行ったのも、全て貴様らの謀略に違いあるまい。その真実を白日の下に暴くべく、余はこうして王都にまで足を運び――」

「……腹が減ったから食べ物を盗みに入ったのか」

「ち、違う! 苦節2年! 耐え難いものではあったが、この家は他とは違う強い魔力の反応を感じ取ったのでな……どういうわけか、つい我が家のようにふらふらと足が……」


 はいはい、とケイは適当に聞き流しつつ、思案を働かせてみる。


 二人の意見のすれ違い。それも国という大きな単位での。

 それぞれが相手に騙されたと言い、自らの正当性を訴えている。

 一見して齟齬や食い違いしかない二人の供述だが、不思議と根底の部分で筋道が一貫している気もする。


「……けど、悪いんだけどさ。俺にとっては戦争がどうの国がどうの言われても正直ぴんとこないし、ヨルも今のところは、ゼノサの言うような話すら通じない悪い奴には見えない。さしあたって何か手を打つ必要はないと思う」


 なっ、とゼノサが眉を吊り上げて不服そうに中腰になるが、ケイは構わず続けた。


「今は先に、ラキについて話しておきたい。……行方が知りたいんだろ?」


 いきさつを説明するが、否が応でもラキの姿が脳裏にちらつき、目の前が暗くなる。


「……トラックの下敷きになるのを見たのが最後で……俺は時間銃でまた転移を」

「……で?」

「え……?」

「それで何が言いたいわけ? ――あのね、それくらいでラキが死ぬわけないじゃない」


 けろっとした風情で返して来るゼノサに、なぜ事の重大さが分からないのかとケイはいらだちを覚えるのと同時に、心のどこかで何かがくすぶるのを感じた。


「あいつはすっごい魔法使いなのよ? ちょっとやられたくらいで黙ってくたばる程優しい奴でもない。それをあんたは死んだと勝手に決めつけて、のこのこ帰って来たっての?」

「それは……」


 言われてみれば、直接亡骸を確認したわけではない。

 そんな時間がなかったから。危険すぎたから。――ラキの死を、直視したくなかったから。

 ひょっとすれば、アンと同じように生き延びている可能性だってある。


 ……いや、しかし、それでも。


「戻らんのか」


 どっちつかずにかぶりを振るケイの苦悩や逡巡を見通すかのように、ヨルがまっすぐな眼差しを向けてくる。


「助けを待っているのかも知れんのだろう。貴様はそこへ戻りはしないのか」

「それは……でも、また誰かを失う事になったら」


 頭では分かる。けれども煉獄の如くケイを苛む挫折感と無力感が、あまりに重すぎた。


「ふう……仕方ない。――では余が人肌脱いでやるとするか」


 ことん、と空になった食器を置き、ヨルが呟いた。

 え、と顔を上げれば。


「ついていってやると言っているのだ、この魔王ヨルリシュアが!」


 にっ、と勝ち誇ったような笑みを浮かべ、平べったい胸を叩いてそんな宣言をされる。


「な……ど、どうして……?」

「一宿一飯の恩義! これだけうまい飯を久方ぶりに――うん、ほんと久しぶりに――馳走してもらったのだ、この身一つで返す程度の礼は推して知ってしかるべきであろう?」

「あのね……相当やばいところなんでしょ? あんた馬鹿じゃないの、楽観的すぎよ」


 呆然としているケイを尻目に、ゼノサも呆れ返ったように椅子へ背をもたせかけて。


「……でも待てよ? 別世界だかなんだか知らないけど、あのラキを助け出したとなったらその評判はうなぎのぼりだったり……? ……うんうん、ふふくくくっ」


 などと怪しい笑いを漏らしたかと思うと、椅子を蹴っ飛ばすように立ち上がり。


「よーし、それならあたしも手を貸してやろうじゃないのっ、この世界最強の勇者がね!」

「何を言ってるのだ、世界最強はこの余に決まっておろう」

「なにおーっ! あんただって妙な事しないようあたしが見張っててやるんだから!」


 額を突きつけ合う二人の勢いに半ば呑まれていたが、そこにアンが囁いてくる。


「どういう風の吹き回しか知りませんが、戦力が多いに越した事はありません。気が変わる前に連れて行ってしまった方がいいのでは」


 早くもゼノサの人間性を察しているらしいアンだが、そんな気軽に行き来できるわけでもない。

 しかし現状打つ手は限られており、何より時間がない。


(ああ……でも、そっか。――全然諦めてないのか、俺)


 不意に不純物のない自分の気持ちが滑り込んできて、思わずふっ、と笑みがこぼれた。


「じゃあ……二人の力を借りたい。いいかな?」

「うむ」

「さっさと行きましょうよ」

「けど、本当に危険なんだ。生きて帰れるか分からない……俺には何の保証もできない」


 改めて真顔で警告するが、二人は意見を翻さない。


(転移のルール……6時間制限。連れて行けるのは恐らく半径数メートル以内の数人のみ)


 まだ分からない点も多いが、やはりこれが二つの世界をつなぐ唯一の頼みだ、とケイは時間銃を強く握りしめ、立ち上がって全員で輪になると、一つ呼吸を整えた。


「……行こう」


 ――『エデン』――

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