第十話 テンキ・リウ

 たゆとう意識の中、ぼやけた光景が浮かび上がる。

 人がいる。歩いている。それも二人。


『あのさ……お前の持ってるそれって、ロボット……だよな?』


 一人は学ラン姿の――ケイ自身、だろうか。

 それも今より幼い。中学一年生、くらいか。


『そうだよ。小学校卒業の記念に、作ったんだ。可愛いでしょ?』


 と、もう一人――こちらはセーラー服の、茶髪の少女だ。

 華奢な腕に一抱えあるくらいの、丸まったウサギみたいな耳と寸胴の胴体を持つ、玉虫色のロボットを抱えている。


『へぇ……相変わらずそういう変なの作るの、好きなんだな』

『へ、変なのなんかじゃないよ。まだ動かないけど、そのうちAIも組み込んで自立駆動式にするんだ』

『えーあい……? じりつくどー……?』

『自分で考えて、自分で動くロボットの事。人間より頭が良くなるし、人間よりずっと頑丈で器用なんだから。ケーくんなんかワンパンで沈むよ』


 少女は――顔は霞がかったようで表情はよく分からないが、鈴の鳴るように笑う。


『いや俺、別にロボットと戦わないから……てか、そんなの作ってどうする気なんだよ』

『そりゃ、一緒に遊んだり宿題を代わりにしてもらったり……じゃなくて! 夢、そう夢のため!』


 夢、とケイが呟くと、少女はこくこくと首を縦に振る。


『いつかね、みんなを幸せにしてくれるようなロボットを作りたいんだ。人の気持ちが分かった、人に寄り添える、そんなロボット。どれくらいかかるか分からないけど、ね』


 赤いリボンが、揺れて。少女がこちらを見て、笑った。

 今度は輪郭が、はっきり見えた。


「……リウ……?」




 自分の声で目が覚めた。同時に、氷水でも流し込んだみたいに頭の中が鮮明になり、今の今まで忘れていた記憶が、映像を含んだあぶくのように浮かび上がってくる。


 自分には、幼なじみがいた。


 家が近所で、よく遊んでいた、機械とか工作が好きな、ちょっと変わり者の少女。

 名前は――名前は、そう。

 リウ。

 テンキ博士の娘、テンキ・リウだ。まさかこんな大事な事まで忘れてしまっていた現実に呆然としてしまう。


「ざっと8時間。がっつり寝てましたね」


 頭の上から聞こえて来た言葉に我に返り、ケイはアンがかけてくれていたらしい毛布をはぎつつ身を起こし、壁にかけられた時計を確認すると、なるほどとうに時間凝縮を一度挟み、ぐっすり眠っていたらしい。

 次の時間凝縮まではもう一時間を切っている。


「やっとお目覚めね。調子はどう?」


 ドアが開いてレイカが入って来た。


「いや……大丈夫です。ここまで案内してくれて、改めてお礼を言わせて下さい」

「それには及ばないわ。これからあなた達には存分に働いてもらうつもりだもの。……と、そういえばあのラキという人だけど、驚かされてばかりよ。少し前には怪我人や病人を全員治して、今じゃ子供達と遊んでもらってるから、むしろ私の方が感謝したいくらい」


 稀代の魔法使いの面目躍如というべきか。ケイもつい自分の事のように嬉しくなる。


「ナリキラーは全滅していたと思っていたのに、まだ生き残りがいたなんてね。――うまく言えないけれど、中でも彼女は他とは一線を画す、凄い力を持っているように思えたわ」


 ま、まあ、とケイはレイカの観察力にぎくりとしつつも曖昧に濁しておき、アンを見る。


「それで、アン……お前の事だけどさ、なんかよく似てるんだよ。……幼なじみのリウに」

「……特定のキーワードを検出しました。データベース内の記録情報と合致。セキュリティレベルが一部アンロックされます」

「……は?」


 リウ、とケイがはっきり発音した途端にアンの両目が緑に輝き、小さなパネルが浮かび上がると、文言を機械的に吐き出し続ける。


「私の製造者及び命令を下したのはテンキ・リウ。彼女のシグナルをキャッチし、私は起動されました」

「お、おい、急にどうしたんだよ……アン……?」


 と、今度は前触れもなくアンの目の輝きが消え、何とも言えない沈黙がその場に落ちる。


「……ケイ。あなたの発した特殊なキーワードを条件に、一部私の記憶領域がアンロックされるようです。私自身がそれを自覚せぬようセーフティがかかっていただけで」

「つ、つまり……今の『リウ』って単語のせいで……忘れていた事を思い出したのか?」


 アンが頷くと、ケイはまだ驚愕が抜けきらないまま懸命に頭を働かせる。

 だとするなら今のはアンの誤作動でもなんでもなく、発せられた言葉の内容も――真実?


「ちょっと、待ってくれ……それなら、それならお前を作ったのは……リウ、なのか?」

「はい」

「リウが、お前を俺のところに寄越した……? 俺を守るよう命令をプログラムして?」

「はい」

「じゃ、じゃあ他には……? 他にはないのか? リウは何か言ってなかったのかっ?」

「不明です。ですがいまだ私のデータベースには一部プロテクトがかかっています。アンロックのためには特定のキーワードをお願いします」

「キーワード、って……一つだけじゃないのか? 一体いくつあるんだ?」

「不明です」

「そもそも何で、そんな面倒な方式なんだよ? あいつ自ら来ればいいじゃないか……!」

「不明です」

「ヒントくらいないのか? さっきのは本当にただの偶然で……見当もつかねぇよッ……」

「不明です。甘えないで下さい」


 いらだちのあまり思わず畳を殴りそうになったが、下らない真似をするなと言わんばかりのアンの絶対零度の視線にさらされて多少思考が冷える。


「……そうだな。リウの無事が分かっただけでも安心だ。はは、あいつ、今どこで何をしてるんだろうな。こんな時になんだけど、あれで結構たくましいし、博士号取れるくらい頭もいいからうまく生き延びてるはずだ。いや、案外医療区から通信して来てるのもリウかも知れない。それならお前や俺の位置を知ってたのも説明がつくし――ああ、そういえばお前の姿をリウが自分と似せて作ったのはなんでなんだろうな。でもよく見たら年はリウより上くらいか……? あれ、でも、あいつと最後に会ったのって、いつ――」


 傾けた頭を手のひらで支えるようにして早口に喋り続けるケイを、アンが遮った。


「テンキ・リウは、すでに死亡しています」

「――え……」


 殴られたように、頭が真っ白になった。

 手足から力が抜けて現実感が薄れていくと同時に、アンの放った言葉が、塗りつぶされた空白を無意味に回り始める。


「……嘘だろ……なんだ、それ……」


 胸にのしかかるような、衝撃。――崩れていく地面へ必死にしがみついて、それですぐ近くにもう一つ足場がある事に気がついて、胸をなで下ろしながらそちらへ手を伸ばそうとした瞬間、目の前で音もなく霧散していくような。

 それこそ――これだけ世界が壊れてもなお、リウが死ぬ事だけはありえないと、根拠もなく思えていた。

 そういう奴だったのだ。なのにもういないなんて。視界がぐらつく。


「死因、その他一切の状況は不明。ですが彼女は間違いなく死亡しています」


 追い打ちのように告げるアンに、なんで、とケイは自失したまま聞き返すしかできない。


「彼女が死ぬと同時に特殊な信号が発せられ、その受信が私の起動条件でした。ならば、私が今ここにいるという事は――」


 ……うまくものが考えられない。実感が湧かない。

 そこへ、静かにレイカが口を挟む。


「ねえ……あなたのお友達、リウさんの父親……そう、テンキ博士の事だけれど」

「テンキ……博士?」

「ええ。今のエデンを作り出した、実質の開発者……彼ももう亡くなっているけれど、存命時、私の父からはその……テンキ博士にまつわる黒い噂を耳にしていたの」


 言いにくい事だけれど、とレイカが嘆息する。


「法律で禁じられていたアンドロイド……そしてあなたの――アンから教えてもらったけれど――時間銃。それらを見て確信を深めたわ。きっとこれは……『時空断裂事故』」

「時空……断裂、事故?」


 ケイが目を丸くして聞き返した、その直後だった。


 けたたましい警報音とともに、小屋の外から叫び声が響いて来る。

 レイカの所持していた無線も鳴り始め、かと思うと秒速で取り出されており。


「何事なの!?」

『敵の攻撃だ! めちゃくちゃな大群……第一、第二防衛ライ……突破……負傷者……』


 ノイズ混じりの音声へかぶさるように爆発音が連続し、通信が途切れる。

 レイカは背中のアサルトライフルを前へ回して両手で抱えながら身を翻し、ドアから出て行った。


「お、俺も行きます!」

「ケイ、今あなたは冷静ではありません。ここで身を潜めて様子を見るべきと提案します」


 冷静さを欠いている事も、無謀な事も言われるまでもなく理解している。

 だけど。


(――ここで縮こまって隠れてたら、何しに戻って来たってんだよ、俺はッ!)


 アンを小屋に残して恐慌状態に陥っている車庫内を抜け、シャッターから外へ躍り出ると、通路の闇を時計が埋め尽くし、目前の広場にまでその群れは詰めかけつつあった。


「撃ちまくれ! ここで何としても食い止めるんだ! 絶対に車庫へは入れさせるなッ!」

「後退しながら敵を最終防衛線まで誘い込みなさい! 集中攻撃で一網打尽にするわ!」


 反響する悲鳴と怒号、飛び交う弾丸、弾け飛ぶ時計、散らばるガラス。

 マズルフラッシュがひっきりなしに暗闇を染め上げるが多勢に無勢、敵が頭部を腕で庇う事もあり、敵の数が減っている風には見えない。


「待って、ケイ」

「ラキ……!?」


 駆け付けたラキが、戦場の壮絶さに立ち尽くすケイの肩にそっと手を置き、首を左右に振る。

 それから前へ出ると、横倒しの車を盾に防戦を続けているレイカを見下ろした。


「みんなに一度、下がるように言ってくれないかな。――巻き込みたくないから」

「え……あなた、何をするつもり――」


 ラキは真剣な表情で杖を一振りすると、身体の周囲に十数個もの火の精霊を呼び出し、照明のように明るい光をもたらす。


「みんな、苦しんでる。時間を突然に奪われ、大切な人を理不尽に殺され、明日にも未来にも希望を持てていない」


 そして、時計頭達を見据えた。


「――だからボクは戦うよ。キミ達を……許してはおけない」


 いつしか銃声はやみ、男達も固唾を呑むようにラキの後ろで、ケイと同じく成り行きを見守っていた。

 ラキが呪文を唱え始める。迫り来る時計頭の群れにも、何も臆しはせず。


「……炎の壁よ」


 そろそろ『音』にも慣れ始めたとひそかに自負していたケイをしてその度肝を抜く程に、もはや轟くばかりの精霊語が、頭の中で鐘のように鳴り響いて。

 次の瞬間、ラキから発せられた陽炎のような波が、ひしめく時計頭達をまんべんなく覆い込み――爆発するかのように、周辺一帯が激しく燃え上がったのである。


「時計なんて狙う必要はない――全部燃やしてしまえばいいんだから」


 ラキの言葉通り、鋼鉄などといった金属や合金をも上回る耐久性を備えているはずの金属骨格はとろけたバターみたいに溶け落ち、通路にはどろどろとした溜まりが見る間に広がっていく。


「爆弾にもびくともしない奴らをこんなにたやすく一掃するとは……なんてパワーだ」

「ナリキラーにしても規格外すぎるぜ……何者なんだあの魔女っ子姉ちゃん」

「まさか、本当に……俺達現実の偽物とは違う――架空の本物なのかもな……」


 大炎上する圧倒的火力を前にした驚声と安堵を含むざわめきを尻目に、ラキは火の精霊達をねぎらうように微笑みかけていた。


 その、時。


 ――……カシンッ。……カシンッ。


 音が近づいて来た。

 硬質な、金属めいた足音だ。


 だが、なぜ。


 ――どうしてそいつは、いまだ最大火力のまま燃え続けている、時計頭をも溶かしきる程の炎の海の中を歩いて、平然とやって来られる……?


「なんだ……あいつは……?」


 誰かが、一同の意見を代弁するかのように、呆けたようなセリフを送った。


 炎をかき分けるようにして現れたのは、漆黒の人型――ロボットだ。

 黒い甲冑を帯びたように、フォルムは昆虫的で凹凸が目立つが、パーツの一つ一つは丸みを帯びた曲線を描き、しなやかさと屈強さを合わせ持つ、騎士か狩人を思わせる佇まい。

 足の先端は細長い棒のようだが、重なった具足部位が一歩ごとにスライド音を鳴らしているのである。

 左手には直角三角形に近い幅広の赤いブレードを把持し、外見と合わせてそいつが紛れもなく戦闘を目的とした機体である事が示されており、さらに左のショルダーには。


「モデル……アール……?」


 ロボットの名称なのかは不明だが――血文字のような刻印で、『model.R』と彫り込まれていた。


「こいつ、強襲型……なのか……? いや――それにしては」

「ああ……不気味だ。時計がないなんて……」


 身体のどこを見ても、時計が一つも見当たらない。

 こんな相手は初めてだ。真綿で首を絞めるかのような、いい知れない不吉な気配が、そいつから放たれている。


 漠然と漂うその不安を吹き飛ばすかのように、マイクが銃を掲げ、意気を込めて叫んだ。


「びびんじゃねぇ、敵は一人だ! お前ら、畳みかけるぞ!」


 叱咤に突き動かされるように男達がわっと距離を詰め、黒いロボットを射程に収める。

 しかしそれまで押し黙っていたラキが、血相を変えて叫んでいた。


「駄目だ、みんな! そいつに近づいちゃ――」


 撃てェ! との雄叫びとともに一斉銃撃が始まる。

 始まったはずだった。

 数発、男達のアサルトライフルからは銃弾が発射されただけで、その身動きがぴたりと停止する。

 次いで銃が、力なく床へ落ち――赤いしずくが、ぽたぽたとその後を追った。

 黒いロボットは、駆け込んでいたはずの男達の背後へと悠然と移動し――振り抜いていたブレードをだらりと下ろす。

 男達の首が、宙を舞った。

 一拍置いて、思い出したようにその軌跡を追いかけるようにして鮮血が飛沫く。

 無数の間欠泉が噴いたかのようなその光景に、ケイの思考は停止した。


「くっ――はああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 炎の壁に勝るとも劣らない激しい『音』が鳴り響き、杖を構えたラキの眼前に巨大な火球が生み出される。

 標的は、着実にこちらへ近づいて来る黒いロボット。

 ラキは何ら遠慮もなく、その小型太陽めいた炎の塊を、敵へ向かって投げつけた。


 なのに。


 横一閃へ振るわれたブレードによって、炎の球はあっさりと斬り裂かれたのである。


「な――み、見えない……!?」


 驚愕のあまり、反応の遅れるラキ。

 瞬刻にして、黒いロボットはもうそこにおらず。

 空に斬撃の像を残してラキの真横を通過し、顔に当たるランプ部分から緑の光を放った。


「……え? ……ラキ……?」


 ラキは突っ立ったままで、ケイの呼び掛けには応えない。


 ――応え、られない。


 杖が、落ちた。ラキの両目からこめかみにかけて真一文字の亀裂が走る。

 亀裂は腹部、そして膝にも、明らかに人体の奥深くまで、深々と描き込まれていて。

 血が。とどまる事のない血飛沫が。

 その三カ所から吹き出して、ラキを赤く染め――前のめりにくずおれさせていた。


「ラキ……? ラキ!? ――ラキィィィィィッ!」


 ケイが金切り声にも近い叫声を上げた刹那、背後の車庫から爆音が轟いた。

 シャッターをぶち抜いて爆炎と爆風がケイを、生き残ったわずかな人間達を巻き込み、紙吹雪のように吹き飛ばす。


「う……あ……。なに、が……?」


 地面に叩きつけられ、漏れ出た火にあぶられ、息も絶え絶えにケイはぼやけた視界を巡らせる。

 そして見た。燃え盛る広場。荷台を燃やして暴走するトラックが車庫を飛び出し、突き当たりの壁へ激突して横転――土塁代わりの他の車を玉突きのように弾き飛ばして。

 倒れ込んだままのラキの上へ降り注ぎ。

 ぐしゃり、と潰音を立てて血溜まりが飛散し、めらめらとそこも炎へ呑み込まれていく。


「あ……あぁ……うああ……っ」


 頬を、冷たい滴が伝い――かと思えば、力強くケイの身体は誰かに引き起こされていた。


「立ちなさい! ここから逃げるのよ!」


 見れば、髪や頬をひどく焦がしたレイカだった。ケイも似たような有様だろう、そのまま彼女はきびすを返し、車庫の方へと駆けていく。


「積み込んだガソリンや燃料タンクに引火して、こんな爆発が……! なんて事……!」


 足を引きずってその後を追えば、中は阿鼻叫喚と化していた。

 赤々と照らされる車庫内。断続的な爆発炎上から逃げ惑う人々。転がり、火に舐められ続ける焼死体。そして。


「奴ら、上層から――天井や壁をくり抜いて来ているわ! どうして、こんな正確に居場所を掴まれているの……!?」


 隔壁を掘り抜いてできた穴から、時計頭がわらわらと虫のように這い出て来ている。


「裏手の非常口から上階へ逃げられるわ。一人でも生き残りを連れて脱出するのよ……!」

「無理だ……そこももう、安全かどうかは分からないだろ……!」

「ここで全員死ぬよりはマシよっ! 私達は絶対に生き延びないといけないの!」


 言うなり、レイカは襲い来る時計頭に鬼気迫る形相でアサルトライフルの銃弾を見舞う。


「――それが……生き残った者みんなの義務なんだからッ!」


(生き残った者の……義務……)


 一瞬彼女の姿と、シロガネの背中が重なった。

 ケイは――歯を食いしばり、全力で駆け出す。

 時計頭をかわしながら、炎の奥にアンのいるはずのプレハブ小屋が見えて来て。


「その向こうに非常口があるわ! あなたは先に行って――」


 追って来るレイカの真横のコンテナから、時計頭の腕が突き出た。

 レイカの頭は死角から来た金属骨格の手に握り込まれ、果実のように潰された。


「あ……、ひ、ひぃっ、ひぃああああああっ……!」


 血に染まった眼球が一つ、放物線を描いて飛んできてケイの胴をかすめ、ひきつけを起こしたように飛び退いた先で、頭部を失い崩れ落ちるレイカ。


 ――その時計頭の手首には、おしゃれにしてはちょっと奇抜なデザインの、腕時計が肉に食い込むようにしてくっついていた。


 時計頭がレイカの身体をまたぎ、こちらへ頭部を巡らせて――そこへ銃弾がぶち込まれた。

 アンだ。松葉杖を支えに小屋の陰から出たアンが、レイカの落としたアサルトライフルを拾い、それで時計頭を破壊したのである。


「あ、あぁ……うぅ……!」

「ケイ。時間がありません。時間銃を使って下さい」

「なん、だって……? じ……かん……?」


 ちらと窓から小屋の時計を見て――凍り付く。


 午前5時51分。


 もう、時間凝縮まで10分を切っている。


「あなたがあちらへ転移すれば、ひとまず助かります。ここは私に任せて、転移を」

「転移……」


 時間銃を取り出した。チャージは済んでいる。


 助かる。


 これを、使えば――。


(また……また、なのか? また、俺は……)


「あ……ああ、あああああ……ッ!」


 もう何も分からない。

 ただ無我夢中に、震える指を引き金にかけて。


「ッ――あああぁぁぁぁぁぁ……!」


 ――『エメス』――





ケイはその場にうずくまり、腹の底からうめき声を上げた。


「くそ! ――くそぉぉぉぉッ! 俺はっ、俺は……また!」


 頭をかきむしるようにしながら肩を揺すった時、テーブルに当たった衝撃で、紙切れが床へ落ちてくる。


 ――ラキへ宛てた、置き手紙だった。


「ああ……ああぁぁぁぁぁっ! 俺は……うぁ……どうしてッ!」


 手紙を握りしめて、床を叩く。手の皮膚が裂けるのも意に介さず、己を罰するように。

 どうして戻って来た。立ち向かうのではなかったのか。

 それどころか、この世界に来てはじめによくしてくれた、友人と言ってもいい彼女を――せっかく出会えた生き残りの人々も、レイカまで、目の前で何もできずに、失って……。


「――拳が痛みますよ」


 その時、脇へ屈むようにして近づいて来た誰かが、爪が食い込む程に握り込まれたケイの手を、そっとほぐすように包み込んだ。

 冷たい手に、ケイの頬から伝った涙が流れて。


「アン……?」


 側にいたのは、また――置き去りにしたと思い込んでいた、アンドロイドの少女だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る