第二十七話 禁止区画
後方では激しい銃声が続いている。急がなくてはアンが危険だ。
それに研究所の時計では時刻は深夜2時。転移してからすでに4時間が経過している。
ケイにできるのは仲間達の無事を祈りつつ、テンキの研究室を目指す事だけだった。
合成樹脂の白い床、清潔な空間、照明も充分で、空調まで行き届いているが、建物内には外ほどではないが時計頭が待ち構えており、出会い頭に時空剣で斬り捨てながら探し回る。
随所にある電子掲示板に見取り図などの案内がご丁寧にされ、道に迷う心配がないのだけが救いだった。
そして一つの研究室らしき、生物工学と銘打たれたフロアが見えてくる。
そこは目的地ではないのだが、ガラス越しに緑の液体の詰まった円柱が並んでおり。
さながらバイオプラントのような部屋で、考えるより先に足が止まってしまった。
チューブでつながれる培養槽の一つ一つにナンバープレートが置かれ、中身は――四肢らしきねじ曲がった触肢を複数持つ白い胎児のような、海洋生物めいたものが浮いている。
ここで、何かの生体実験がされているのか、これはそのサンプルなのか――もしくは、とケイはその、おぞましい可能性に思考が行き当たり、総毛立つ。
(こいつらまさか……新しい、ヒト、なのか……?)
いずれは惑星内をこの生物達が闊歩し、エメスをも――そう考えるといてもたってもいられず、ケイは唇を噛み締めて再び駆け出す。
それからさして間を置かず、その部屋は見つかった。
かつての、テンキ博士の研究室。
狂気に囚われ、エデンを暴走させた犯人の私室としては、取り立てて目を引くものはない。PC端末に、顕微鏡、シャーレー、書類、と、華やかさはないがいかにも研究者らしい実直な雰囲気である。
外ではいまだにけたたましい騒音が響いていた。もたもたと観覧している場合ではなく、ケイはまずテンキ博士の端末を操作し、あらかじめサカシから受けたレクチャー通りにファイル内を検索する。
「強制シャットダウンプログラム……! どれだ……!? ないぞ……っ」
だが、目を皿のようにして調べても、ほとんどはテンキ博士の私的なアーカイブばかりで、それらしいプログラムは見当たらない。
キーボードを叩く指に、力が入らなくなる。
(やはりエデンが、自滅のきっかけになるようなものを残しておくはずがない……)
藁をも掴むような期待と焦りで火照った頭に、冷水をかけられたような心地。
認める他なかった。強制シャットダウンプログラムはもうどこにも存在しないのだと。
(冗談じゃない……危険を犯してここまで来て、アンだって外で戦っているのに……!)
失意とも脱力とも、怒りともつかない泥のようなどす黒い澱が腹の底から滲みだし、ケイの気力を奪い去りかけて――未練がましく漁っていたある画像ファイルが、目に留まる。
深緑の木々と明るい木漏れ日、そして研究所を背景に、のどかに微笑む三人の男女が映っていた。
目元に皺が多く老けて見える男性と、傍らに寄り添う三十代程の美しい女性。
そしてその二人と手をつなぐようにして楽しそうに笑う、4、5歳くらいの女の子。
(待て……この女の子、どこか……あいつに面影が……)
アン――いや、リウ。
そう、リウだ。
ファイル名もよく見れば、ジョウ――リイナ――リウ――と名前がある。
ならばこの三人は……テンキ博士とその妻、そして幼い頃のリウに間違いないだろう。
ファイルが作成されたのは10年も昔――厳密には300年以上前だが――そしてファイルに添付される形で、音声ファイルが再生できるようになっている。
(音声ファイルが加えられたのは、この写真作成から5年後……か)
恐らくどちらも、テンキ博士の持ち物に違いあるまい。
であれば、どこかにエデンへ通じる手がかりが残っていないか――そんな思いとは裏腹に、ケイの中ではテンキ博士に対する好奇心も否定できない状態になっていた。
「……こんなに幸せそうな家族に囲まれて、あんたはどうして……エデンなんかを」
あんな悪魔の機械を作ってしまったのか。そして暴走させてしまったのか。その理由が少しでも知りたい。
だから気がつくとケイは、その音声ファイルの――再生ボタンを押していた。
夜も更け、静寂に包まれた一寸先も見えない林の暗がりをヘッドライトの光が切り裂き、緩やかにカーブしたコンクリートの道の上を、彼は慣れたハンドルさばきで進んでいく。
自家用車である黒のセダンには何年もお世話になっており、この道を往復するのも何百回目になるか知れない。家から仕事場まで、毎日通っているのだから当然だ。
すると後ろで、ふわあ、と可愛らしい欠伸が聞こえた。
彼はバックミラーに目をやり、後部座席のチャイルドシートにちょこんと座って、ウサギっぽい丸いぬいぐるみを抱える、愛娘のリウを見ながら優しく声をかける。
「今日は遅くなっちゃったからね。リウも疲れた?」
「うーん……へいき。ちょっとお腹空いちゃっただけ」
「そうか。家に帰ったら、何か作ろうか。何がいい?」
んー、とリウは大儀そうに首を傾げ、世界最大の問題を解決するかのように一声上げた。
「オムレツ!」
「いいよ」
「ナポリタン!」
「それはちょっと……カロリーが多いんじゃないか? 間を取って――オムライス作ろう」
「だきょーする」
難しい言葉を知っている。彼は思わず噴き出し、すぐにそれを引っ込め、声を低くした。
「お父さんの作るオムライス……美味しい?」
「おいしいよー」
「そうか……ならいいんだけど」
「お母さんのと同じくらいおいしいよ!」
彼は一瞬、心をのぞき見られたみたいに息を呑み、一拍置いて――かすかに笑った。
「そう言ってくれると、嬉しいよ。リウ……」
林道を抜けて、急な崖沿いの道に差し掛かる。
鬱蒼とした森の向こうには、蛍の光めいてぽつぽつと輝く街の明かりが見えていた。
「あのさ、リウ……」
「なあに?」
「お母さん、いなくて……寂しくない?」
言ってから、彼は後悔した。
物心ついて、両親の顔や声、愛情を覚えた頃に突然母親を病気で亡くしたのだ――寂しいに決まっている。
それでも尋ねてしまったのは、父親としてもいたらない自分への、免罪符だろうか。
なのに、リウは。
「ちょっと、寂しいよ」
「そう……だよね」
「……でも、お父さんがたまにこうして研究所までつれてってくれるしー……別にリウ、ひとりでも大丈夫だから。ともだちいっぱい作るし、大きくなったらお父さんの仕事てつだうし」
「リウ……」
「あ、でも、ほんとはもっと早く帰って来て欲しいな! ひとりの夕食なんていうのは、ぞんがいむなしいもんだよ」
「ははは……まったく、この子は……」
誰の影響か、無理矢理小難しい言い回しをしたがるリウに笑いを漏らしつつ、彼は視力の落ちた眼鏡越しに、視界が潤むのを感じた。
「お父さん、今は大事な仕事の真っ最中で、しばらく帰りは遅くなるかも知れないけど……リウが来たいならできるだけ連れていくし、早く帰るようにするからね」
「むりしなくていいよー」
心配するつもりが、逆に気遣われてしまった。そんなに自分は頼りなく見えるだろうか。
でも。
「ありがとな、リウ……」
そう、小さく口ずさむように呟いた、直後。
前方の路上に、火の玉のような光が、ふらふらと漂うように抜け出て来たのである。
「なんだ、あれは……?」
手のひらほどのサイズの、極彩色の球体だ。
肝試しやいたずらに使うおもちゃの人魂か何かだろうか。
車が接近してもその場から離れようとしないため、やむなく彼はブレーキをかけようとして。
何の前兆もなく、突然その球から放射状の光がこぼれだした。
最初はライトアップされる程度の光量だったのが、近づけば近づくほどに激しさとまぶしさを増し、彼は反射的にハンドルを切っていた。
「う、うわ――うわぁぁぁっ!」
フロントガラス越しに、さながら太陽でも直視したみたいな凄まじい光が当てられ、視野が真っ白になる。
後部座席からもリウの悲鳴が響き、とっさにハンドルを切替えそうとするも、一歩遅く。
すでにタイヤを軋ませながら急な方向転換をしてしまった車はガードレールを突き破り、崖へと突っ込むようにして車体を傾かせ――光から逃れられたかと思った先には、深い闇の底へと呑み込まれてしまっていて。
――耳をつんざくような衝突音と、襲いかかる衝撃に全身を揺さぶられ、彼の意識は急速に遠のいていった。
「……うぅ……っ」
どれくらい気絶していたのか。
ぱちぱちと、何かが燃えて焼けるような音と匂いが、彼を呼び覚ます。
どうやら衝撃で車から叩き出され、離れた場所に転がり落ちてしまっていたようだ。
四肢をあちこち打ち付けてひどい痛みはあるものの、不幸中の幸いにも下は草や茂みがクッションになってくれたらしく、変にひねったり折れたりはしていないようだ。
「リウ……? ――リウッ!」
身を起こして呼び掛けても、娘の姿は、近くになく。暗闇のどこからも声は返らない。
燃えている。
何かが。
少し行った、木立の先で。
嫌な――ガソリンの臭いが立ちこめる、そちらへと目を上げて。
火の粉を吹き上げて炎上する、逆さまになった自分の車が見えた。
「……リウッ!」
まさか、あの中に。彼の身体は別の何かに突き動かされるようにして立ち上がり、車から発される熱も煙も気にせず、側へと駆け寄っていく。
「リウ! ――……!」
そして、見つけた。
あっさりと、何の心の準備もなく。
ぺしゃんこに潰れた後部座席の窓から、残骸の間に挟まるようにしてはみ出している――うつぶせになった小さな身体。
力なく垂れた華奢な腕。綺麗な茶色から黒く変色した髪。
「あ……あぁぁぁぁぁぁぁッ!」
身も世もない絶叫を上げて、彼はその身体を抱きかかえて、引っ張り出そうとする。
炎に巻かれ、車体の熱にいぶされながら上半身がみるみる血みどろになっていくのも意に介さない。
ただ少しでも早く、その身体を――娘を、痛いものから引き離そうとして。
「リウ……リウ、お父さんの声が聞こえるか? 目を開けるんだ、目を――!」
二の腕が火傷に覆われるのも構わず、娘の顔をこちらへ向けさせて――動きが止まった。
分からない。どこが目だろう。どこが鼻だろう。耳がない。口もおかしな形をしている。
「……リウ……?」
喉から絞り出されるような、か細い声は彼のもので。
最愛の娘が彼に対して語りかける事は。
あの朗らかな微笑みを見せる事は、二度となかった。
――彼の慟哭が、ただ一人、夜闇へ消え入るように突き抜けて。
その側で、どこか見守るように、あの極彩色の光が、静かに瞬いていた。
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