第二十八話 ケイ
「なんて……事だ」
ケイは、彼の――テンキ博士が味わっただろう悲しみと絶望を、その幽鬼のような訥々とした声音から、身に迫るように感じ取っていた。
(これが……エデンを暴走させた、きっかけなのか……?)
娘の死。それはテンキの人生観を一変させる程のもののはず。
であればそれを契機に狂気に取り憑かれ、自暴自棄になり――というのは、充分ありうる話だ。
「でも……待てよ。それより……」
謎の発光体についても気にはなる。
だが一歩引いた視点から見れば、凄惨だけれど世界のどこにでもありふれた、不幸な事故だ。
だからこそ無意識に思考から追い出そうとしていた、あまりに不可解で、考えたくもないその疑問。
「リウは……10年前に……死んで、いた……?」
どくん、と心臓が脈動し、血液の流れ込んだ頭が――鈍く疼く。
……では。それなら。今のリウは。
――これまでケイが共に過ごして来たリウは、誰なのだ。
「つっ……!」
その瞬間、鈍い疼きが、だしぬけに釘でも打つかのようなずきずきとした鋭い痛みへ変わり――ケイは自分が鼻血を出している事に気がついた。
(この、脳がえぐられるような感覚……! 似てる、時空剣を手にした時と――!)
思い出そうとしている、のだろうか。ケイが、今まで忘れていた事を……。
平衡感覚が生え失せてぐらりと反転するような感覚とともに、ケイの意識は身体の内側へ――記憶の奥の奥まで、引き込まれていく。
あの日。高校の、入学式の日。
下校しようとしたケイは、リウから届いたメールで、セントラルエデンパークに呼び出されていた。
ずっと疎遠になっていての突然の連絡に驚きはした。
だけどそれとは別に、久しぶりの再会に喜ぶ気持ちがなかったといえば嘘になる。
だから言われた通りにセントラルエデンパークの、入り口前広場まで行くと――噴水の前で、リウは待っていた。
「よう」
「……うん」
いざ会ってみても、どんな顔をすればいいのか分からない。
かける声も、素っ気のないものだ。自分はこんなに冷たい奴だったかと思った時、リウはゲート前を振り返り。
「……ごめん。中、入れそうにない……」
ケイも同じようにゲートの方を見ると、そこには客に混じって数人の警備隊の人間や、サングラスをかけた黒服達が立っていて、まるで検問のような状況だ。
「お父さん……私に建物に入って欲しくないみたい。だからあんな……」
「まだ……お父さんと仲直りできてない、のか」
「ごめん……」
いい、とケイはかぶりを振り。
「……こっちから行こう」
リウの手を引き、広場をぐるりと周って地下のロータリーまで降り、裏手の搬入口から見張りの目を盗んで中へと侵入した。
階段を上がり、業務用の連絡通路を二人で歩く。
「こっちなら、正面から乗り込むよりはマシだろ」
「スニーキング……みたいだね。ちょっと楽しいかも」
「お前な……」
とりあえずは、呼び止められたり捕まったりはせずに来られた。
やって来たセントラルエデンパークのロビーは盛況で、展示されている兵器や転生手術のCMが流れるモニターの前に、多くの人が集まっている。
ケイとリウは中央にあるモニュメント前へ向かい、二人で並んで台座へ腰掛けた。
黙々と座る二人を、周囲の喧噪が包み込んでいく。
リウと並んで座るのは良くあった事なのに、しばらく顔を合わせなかっただけで、何とも言えない距離感が生まれてしまっていて。
「1年くらいかな……お前ずっと学校に来なかったよな。今日の入学式にもいなかったし」
嫌な沈黙に耐えかねてケイは言葉を吐き出し、横目でリウの様子を窺う。
久しぶりに会うリウは一見して大きな変化はないものの、妙に元気がなくうつむきがちで、目の下にもうっすらとクマができている。
「……今まで何してたんだ。家にいたのか? それとも……研究所とか」
その瞬間リウの肩が跳ねるように動き――上目遣いの双眸が、ゆっくりとケイへ移る。
「ケーくんはさ……転生手術って、どう思う?」
「は……?」
「手術……受けてみたかったり……する? どうかな……」
どうって、とケイは口をへの字に曲げた。
リウが何を考えているのかはよく分からない。
何せ普段から節操なく思考があちこちに飛んでいるらしく、話題の突飛さについていけない時もしばしばだ。その突拍子のなさが、付き合いを飽きさせない魅力でもあったけれど。
だが今回はそういうゆったりした事柄を抜きに――とりわけ深刻そうな事情を抱えたような面持ちだ。
何を思っているのかも、どう接してやればいいのかも分からない。
「別に……俺はいいかな」
だからケイにできるのは、せめて偽らずに答える事だった。
「どうして……? なりたい自分に、なれるんだよ。それこそ理想そのままの」
「俺……今の自分に満足してるから、さ」
ケイは壁に貼られた転生手術の宣伝ポスターを何気なく見つめる。
「家族がいて、友達がいて、退屈だけど、毎日が平和で……たまにこうやって、お前とも話せて」
リウは何も言わない。でもその頬が少し、赤らんでいるような気がした。
「だから……これ以上の俺なんて、何も思いつかないんだ。そりゃ、手術を受ける人の意思や、覚悟をけなすつもりはないよ。だけど……他の人からこれはいいものだって、人生に関わる事を勧められても、はいそうですかって気軽に受け取りたくないだけなんだ」
うまく言えない。だがリウはなんとなく、ケイの言わんとする所を察してくれたようで。
「そっか……ケーくんは、しっかり者なんだね」
「どうかな……なんていうか、自分だけの力でなんとかしていける限り、俺は俺でいられるっていうか……あー」
すると、リウはふらりと腰を上げて、ケイに背を向けて歩き出す。
「お、おい……どこ行くんだ……!?」
「ん。家に帰る……」
「もう帰るのか……? 来たばかりなのに……」
こくり、とリウは頷きながらも、足は止めない。
ケイはわずかにだけ逡巡し、そして。
「待てって……」
リウの正面に回り込み、肩を軽く叩いて顔を上げさせる。
――今日初めて、リウと目が合った。
芯の強そうな、けれどどこか儚げな、何度見ても変わらない、綺麗な瞳だった。
「お前……何しようとしてるか知らないけど、大変なら……辛いなら言えよ」
「……」
「なんかさ……そのうち会わなくなって、こういう事もまああるか、って諦めかけてたんだけど……久しぶりにお前の顔見て、声聞いて、マイペースな会話とかもして、やっぱ、気づいたんだ」
ケイは一拍置いて、喉から言葉を絞り出す。
「――その、お前とは……友達でいたい」
「ケーくん……」
急激に恥ずかしさがこみ上げて来て、それだけ言って今度はケイの方から振り返らずに身を翻す。
すると――後ろの方から、リウの小さな声がした。
「たとえ……私が……でも。……して……くれますか……?」
それは何かとても大切な――魂からの叫びにも似たものだと、ケイの心の奥深い部分が告げていたのに。
耳をそばだてても聞き取れそうになくて、気恥ずかしさも残っていて。
だからケイは、あえて聞き返さずに立ち去って。
でも。けれど。
そのリウの残した言葉は……今、この瞬間に、はっきりと蘇っていた。
――たとえ。私が……。
――私が、偽者でも……。
――……愛して、くれますか?
「『愛』……特定のキーワードを検出しました。データベース内の記録情報と合致。セキュリティレベルが一部アンロックされます――」
リウはドアを開けた。下方に見える階段からは冷たい空気が吹いて寒気を誘い、つい二の足を踏みたくなる。
「……どうしても行くのか?」
「うん」
リウの足下へ寄り添うように、暗闇へ向けて緑に光る目を瞬かせるのは、玉虫色の丸っこいロボット――エンドウ・ケイの人格を忠実に再現した人工知能『ケーくん』である。
「お父さんが何を隠しているのか……この研究所地下のどこかにあるはず」
「何もないかも知れないぜ?」
「きっとあるよ。今のお父さんは絶対おかしい。娘として、私には止める責務があるから」
「やれやれ……ま、何が出て来ても俺が守ってやるから、安心してスパイごっこしようぜ」
「ありがとう……ケーくん」
頼もしい相棒を伴い、リウは階段を下りて父の研究所、その厳重に秘された地下へと進んでいく。
一つ一つの部屋のセキュリティは堅固で、マップすら見当たらずしらみ潰しにしていくしかないが、それでもエレベーターの階はかなり下層まであり、この地下が相当の規模である事が窺える。
「この部屋……何か気になる」
リウは自前の端末を接続して手早くセキュリティを解くと、その部屋へ踏み入る。
すると奥には、淡い水色の培養液の詰まったカプセルだけがぽつんと佇み――一体のアンドロイドが眠っていた。
「これ……アンドロイド……なの?」
ケーくんもまた、あっけにとられたように目をぱちぱちと発光させる。
「こいつ、リウに……そっくりだよな」
そこに入っていたのは、リウとうり二つの少女。
クローンか何かのように細部まで再現がされ、眺めているとぞわぞわとした悪寒がリウの胸中に去来する。
「お父さん……こんな、ものまで……」
リウ、とケーくんが気遣わしげな声をかけるも、気分が悪くなるのを止められなかった。
アンドロイドと人間の、二人のリウ。けれどいずれも実は、本物のテンキリウではない。
オリジナルのリウは10年前に交通事故で死んでいて、ここにいるリウは――転生手術を受けて生み出された、二人目のリウだった。
(私は……本物じゃない。事故で死んだ、本物の代わり……)
当時のオリジナルとしての記憶や人格そのものの改変を受けた彼女は、リウとして生きるよう教育を受けた。
本来のリウが生きるはずだった時間を辿らされて数年。何不自由なく育てられている。
最高級の衣食住、教育環境、人当たりのいい友人達。
(でもそれは……全てお父さんから与えられたもの……あらかじめ用意されていたレール)
不満はない。充分に幸せでもある、そうはっきり口にできるのに――昔からどこかしら、言葉にできない空虚なものを抱えていた。
5年間分のオリジナルの記憶はある。リウとして培って来た経験もある。
でも、思い出はない――アルバムやビデオを見ても、何一つ心が動かないのだ。
(私は……本当は、誰だったの……?)
かすかに残った、リウになる前の人格が、声にならない声を発している。
私はどこの誰だった。名前は。その時の知り合いは。友人は。兄弟は。父親や母親は。
本当に、手術を受ける事を望んでいたのか――何一つ知らされないし、知る事もできない。
父からリウである事を無言で求められる度に、期待される度に心が壊れそうになる。
(ケーくん……)
そんなリウの側にいたのは、一人の少年だった。
ケイだけが、父の用意した世界の外にいる存在だった。悪い影響を与える、付き合いを辞めろと度々言われたが、リウは耳を貸さず――一緒に遊んだり、勉強したりした。
だけどそんなケイも、幼なじみの自分が別のリウになっている事までは気がついている風ではなかった。
そこだけがリウの中で杭のように刺さっている。さらけ出せない、言いたいのに言い出せない。
それを話したら全てが壊れてしまう。知らず知らず、父に与えられたものより、何よりも大切にしようとしていた何かを。
この赤いリボンだって、とリウは思う。
オリジナルのリウはずっと短髪だったが、ケイに言われて伸ばすようになった。
その方が似合うからと。すると父に叱責された。
――どうして? 自分の髪型くらい自分で決めさせてよ。
――リウは髪を伸ばしたりしないんだ。
あなたが言っているのは誰の事。本当に私を見ているの。
いっそそう言ってやりたかった。そうすると父もリウの反発心を悟ったのか。
――なんだ、その顔は。リウはそんな顔はしないぞ。やめなさい。
リウとして産まれ直しての、初めての正面切った反抗だった。
半ば髪を引きちぎられ、怒りと悔しさのあまり家出して、ケイと出会った。
そして二人で町に繰り出して、歩き回って……リボンを買ってもらった。
嬉しかった。こんなの、初めての経験だった。
言われるままにリウとして生き続けていたら……きっとあり得なかった一時。
(私は……みんなが……ケーくんが幸せになれる世界を作りたい。そのために、エデンの製作にも協力してた。けど……)
その日を境に、ケイとの逢瀬を父に禁じられた。監視もついた。
そして、エデンについても――雲行きが怪しい。
(最近お父さんは誰にも言わずに、一人でエデンの調整をしてる。エメスについても、異次元の観測以来転移や転送に関しての研究は秘匿されたまま……)
父が何を企てているのか、知りたい。
そう思ってここまで来て、出会ったのは自分とよく似た、アンドロイド。
「このアンドロイド……特別な機能なんかはついてないみたいだぜ。ほんとにただ、お前を――いや、数年後のお前を模して作り出されたって感じだ」
「本当だ……今の私より、数歳年上……高校生くらいかな。どうしてそんな……」
いや、これこそが父の狂気なのかも知れない。リウはそう思い至る。
父は転生手術のみに飽きたらず、さらにシミュレートしようとしているのだ。
5年前のオリジナルが死なず、自分の思い通りに生きた、リウを作り出そうと。
もしそうだとしたら、今までの自分の人生は何だったのか。
父にとって、逆らいすぎた自分は『リウ』として不要なのだろうか。
だからこんな、代替品を――。
「なあ……こいつ、どうするよ?」
ケーくんが弾力のある足でぽんぽんと飛び跳ねて、カプセルを示す。
「放ってはおけないよ。お父さんは……どうかしてる。だったら私も考えがあるから」
オリジナルなら、あるいは運命を受け入れたかも知れない。
でも、ここにいる今の自分は――自分らしく、生きていたいと思う。
(お父さんを止めなきゃ……このままだと、必ず良くない事が起こる)
それから、リウは父の目を盗んでアンドロイドの改造に着手した。
様々な機能を追加し、もしもの時のため、ケイを守ってくれるように一つだけ命令を下した。
「『エンドウ・ケイを守る』……これでよしっと」
「リウ。お前自身はいいのか? この調子で探り続けたら、お前だって危険なんだぞ」
「大丈夫だよ。私にはケーくんがいるじゃない」
「あー、そうだったな。へへ、こりゃやる気が出るってもんだ!」
それから、一つのバックアップとしてもアンドロイドを利用する事にした。
リウの見たものや聞いたもの、知り得た事を自動的にアンドロイドのデータベースに送信できるよう、小型の記録装置を自分のリボンにくっつけておく。
「誰かが勝手に情報を引き出さないように……特定のキーワードを入力しないとアンロックできないようにして、と。――あ、間違ってもこの子の事をケーくんが好きにならないように、クールでドライな性格に変更しとこうっと……」
「おいおい……オレのオリジナルも大変だな……」
さらに、父が過去に開発した小型タイムマシンを、アンドロイドが目覚めた時に近くのボックスから排出されるよう配置する。
「このタイムマシンがあれば、もしもの時もケーくんも自分の身を守れるはず」
「前に部屋へ忍び込んだ時勝手に持ち出した上に、魔改造しすぎだけどな……」
それで、とケーくんが聞いてくる。
「何を、こいつの起動トリガーにするつもりなんだ?」
「――私の、命」
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