第二十九話 みんながしあわせになれるせかい

 そして、運命の日。

 自分の意気を奮い立たせるためにも、最後に一度だけ彼と会う事にした。

 やっぱりケイはケイだった。意志が強くて、眩しくて、いつだってリウに力をくれる。

 おかげで、父と対決する決心がついた。覚悟も決まった。

 リウはしっかり準備を済ませ翌日、ケーくんとともにエデンルームへと向かった――。


 セントラルエデンパーク中央部に位置するエデンルームは、スタジアムをやや縮小した感じの、最低限の電球と硬質な床しかない、殺風景な広間だ。

 だがしかし、空間の中心にはケーブルやコードが天井まで伸びた、青を基調とした巨大な樹木を思わせる機械が一つ、静かに鎮座していた。

 このコンピュータが、人工知能エデンの本体そのものなのである。

 そして、コンピュータ正面の端末の前に、父――テンキは佇んでいた。

 何をするでもなく、茫としたように、じっと端末の操作パネルを見つめている。


「お父さん……!」


 リウはそのただならぬ雰囲気にごくりと生唾を飲み下してから、意を決して小走りに駆け寄っていく。

 するとテンキは首だけ糸に吊られたようなぎこちない動きで振り返り、一瞥を投げかけて来る。


「リウ……か」


 その顔貌に血は通わず、生気がない。石のような冷たい目も、もう見慣れたものだ。

 けれどもやはり父の精神状態が普段とはまるきり違っている事を、悟らざるを得なかった。

 それくらいは分かる。長い付き合いだから。


「何を……しようとしているの? ――まさか、エデンを起動しようと……!?」

「その通り……だ。エデンはもう、たった一つの問題点を除いて、いつでも起こせる状況にあった。……適合者が見つからない、という問題を除いて、な」

「適合、者……? 見つかった、の……?」


 起動には所有者の承認と、機能の行使には適合者と呼ばれる特殊な人間がそれぞれ必要になる。

 エデン製作時から延々とつきまとっていたこの課題を、いつの間にかテンキは解決していたというのか……?


 ――でも。


 それが本当ならば、適合者はどこに。


「おっと、そこまでだぜ、お二人さん」


 その時、新たな闖入者の声と、騒々しくこちらへ駆けつけて来る音がした。

 思わず振り向くと、エデンルームへの扉が再び開き、そこに白衣の男と――十数人の警備隊が立っているのが見て取れる。


「サカシ……さん?」


 うわずった声で問いかけると、白衣の男――サカシはにやりと小気味よさげに笑う。

 しかも彼が従えるようにしている警備隊は、物々しくもアサルトライフルを所持しており。


「テンキ……政府からはお前をただちに拘束しろとのお達しだ。神妙にするんだな」

「ふん……私を泳がせているかと思えば、また随分と強引な手に出たものだな」

「エデンの所有者だからって、好き勝手やり過ぎたな。お偉いさんはお前が研究内容を隠匿している事を知ってて、それをとても不快に思ってる。よって今からこの研究所の責任者は、この俺様だってわけだ」


 乾いた笑い声を上げるサカシは、いつも見る人を食ったような態度とは異なり、明確に敵意めいた――淀んだ目をしていて、リウはたまらず身震いする。


「あいつ、うさんくさい奴だとは思ってたけど……まさかマジでこっちを撃つ気じゃねぇだろうな……!?」

「そんな……」


 銃なんて――殺意なんてまかり間違っても、生まれてこの方向けられた事なんてない。 ケーくんの動揺も伝わり、湧き上がる恐怖はいや増すばかりだ。

 常日頃、大体につけて飄然としていたサカシの事だから、今度も悪い冗談と思いたいのに――空気は張り詰め、警備隊が立ち去る気配もない。

 それどころか。


「ちなみに、お前が無理矢理エデンを起動しようとしても無駄だ」

「……なんだと」

「俺特製のウイルスが仕込んである――起動すると同時に活性化し、速やかに自壊に導く」

「なぜそんな事を、私に教える……?」

「万一、やぶれかぶれにエデンを動かされちゃ困るからさ――そいつには用があるからな」


 肩をすくめるサカシ。


「お前も……エデンが欲しいのか?」

「ご名答。俺だって鬼じゃない、むやみやたらに親友を政府に売りたくはねーんだ。つまるところ――要求は一つ。この俺にエデンの全権を委譲しろ」


 空々しい口調から放たれた思いがけない言葉に、リウは目を見開いて硬直する。


「サカシさん、あなたは……!」

「ははは、娘の事で頭がいっぱいのお前の代わりに、俺がエデンの主人になってやる。俺がこの腐った世界を変えてやる……栄光は俺のものだ……!」

「どうかしてるぜ……! そのためだけに、こいつは政府を焚きつけたって事かよ!」


 サカシがテンキの秘匿行為を知り、それをいつでも公開できたならば、ありうる話だった。


「……それがどうした」

「……は?」


 だが、サカシの並外れた野心を目の当たりしてなお、父の狂気はそれ以上のものだった。

 テンキは――今にも火を噴きそうないくつもの銃口がかざされているにも関わらず、背を向けると迷いなく端末を操作し、エデンの動力を入れた。


「なっ、て、てめぇ――!?」

「お父さん……!?」

「ウイルスなど関係ない。エデンを一度使えればそれでいいのだ……」


 エデンルーム全体に赤い光が奔り、重々しい音を立ててコンピュータが起動していく。


「テンキ! 自分が何をしているか分かってんのか! 今すぐやめろ、さもないと――」

「私はあの日、娘を失った」


 しかしテンキは、サカシの怒号や浮き足立つ警備隊、リウの存在すら意識の外にあるかのようにエデンを見上げ――滔々と語り始める。


「不幸な事故……そんな言葉で片付けられるものではない。悲嘆、悔恨、苦悩。あらゆる苦しみが私を襲った。だが幸運にも、私には娘を……リウを救うための手段が用意されていた」


 タイムマシンだ、とテンキはその答えを呟く。


「時を遡る事で、私はあの夜の間違いを是正しようとした。……なのにいっかな、それはうまくいかない。気が遠くなる程に、何度も何度もやり直しても、リウの死を避ける事ができない。――いまだ解明できない未知の力……運命とでも呼べる何かが、リウを縛り付けていると知るのに、永い時がかかった」

「運……命」

「だが――それがどうした? 運命が私を阻むというのなら、私はそれすら打ち砕いて見せよう。宇宙の誕生からこの瞬間に至るまでリウの死が確約されていたというなら、私はその起源まで遡り、リウの死なない世界を作り出して見せよう。そのための、このエデン……そのための、ヒトの作りし神!」


 次第にテンキの声音は熱を帯び、腕を広げ、双眸を血走らせて叫ぶ。

 その直後――にわかにコンピュータ上部のカバーが左右へ開いていき、せり出すように現れた人間大のカプセルを見て、リウは悲鳴を上げた。


「そんな――ケーくんっ!」


 液体の詰まったカプセルと、無数のコードにつながれた、生体ユニットのような姿で――そこには意識のないケイが閉じ込められていたのである。


「ケーくんが……適合者……っ!?」

「ふざけんなよリウの親父! オリジナルは関係ないじゃねえか、なのに拉致したのか!?」

「悪い虫をつかせるなと何度も警告した。私の言う事を聞かないお前が悪いのだ」


 エデンの起動シーケンスが進むにつれて、カプセル内の液体がごぼごぼと泡立っていく。


「ケーくん! ねえ、目を開けて! ケーくん……!」

「もはやその男に自意識はない……無理に引きはがせば脳に重大な障害を負うだろう」


 リウは目の前がくらくらしてきた。どうしてこんな事に。何がいけなかったのか。


「はっ……なるほどな。今分かったぜ。お前が転生手術に血道を上げて、全世界から志願者を集めていたのは……手術にかこつけて、適正の有無を調査するためだったんだな?」

「その一手とまるで無関係なところから適合者が現れたのは、皮肉だったがな……すでにエメスとの世界融合の支度は済ませている。後はエデンに命令を下すだけだ」

「世界、融合……!?」


 エデンの起動がついに完了し――無機質な機械音声が広間全体に響き渡る。


『ハロー、ジョウ。ハロー、リウ。私に何かご用ですか?』


 エデンだ。リウはぞくぞくと皮膚が粟立つような危機感を覚えて。


「エデン。お前の機能でエメスをエデンに接続しろ。そして全てのエネルギーをこちら側へ受け渡せ」

「全ての、エネルギー……だと!? てめぇ、一体何を企んで……!?」


 さすがに愕然としたのか、サカシも声を上げるが。


「宇宙を誕生以前まで巻き戻し、作り直すためには膨大なエネルギーが必要になる。しかしそんなものはこの宇宙にはどこにもない、探し出す時間もない――ゆえに、この異世界、エメスからいただく事にしたのだ。……世界融合、という形でな」

「そんな事したら……エメスの人達は? その宇宙に生きる命はどうなるの……!?」

「分解され、有象無象のエネルギーに変換される」


 至極平坦な調子で話すテンキに、リウは吐き気をこらえていた。


「宇宙を一つ潰して……そんなにまでして娘を蘇らせたいのかよ!」

「当然だ。リウを救う事こそ私の悲願。そのためなら、世界全てを犠牲にしても構わん」


 テンキは本気だ。

 狂いながらもその目的を確固たるものに、何もかも捨てて突き進み続けている――。


「お父さん、やめて!」


 リウはそんな父の前に立ちはだかった。

 足が震え、冷や汗が流れ出ても、決然と。


「お父さんのしている事は間違ってる! ケーくんまでこんな目に遭わせて、数え切れない命を奪って……それで……リウが喜ぶとは思えない!」

「――貴様がその名を口にするな!」


 途端、それまでの無感情さが嘘のように怒髪天を衝いたテンキが、リウを突き飛ばす。


「私がどれだけ愛情を注いでも、貴様は日に日にリウと乖離していくばかり……! その苦渋を一度でも考えた事があるか? 身寄りのないお前を引き取って、転生手術の第一号にまで据えてやったというのに、恩を忘れおって……この失敗作が!」


 床の上に尻餅をついたリウはもう立ち上がれず、ぐっと拳を握り、固く口を引き結ぶ。


「……そんな言い方はないんじゃないのかよ、おい」


 すると――側にいたケーくんがリウを庇うように前へ立ち、テンキをビー玉のような目で見上げた。


「リウは、ずっとお前のために頑張ってたんだぞ! お前の役に立ちたい、恩を返したい一心で勉強して、エデンの研究にもできる限り協力して……なのに――!」

「黙れ黙れ、出来損ないどもめ! 私は本物のリウを……迎えに行くんだ!」


 テンキは頭を左右に振りながらわめき声を張り上げ、懐から一丁の拳銃を取り出して。

 ためらう事なく――あるいは逡巡を振り切るかのように、リウめがけて引き金を引いた。


「危ねぇっ……リウ!」


 眼前に黒い影が迫り、反射的に目をつむってしまったが――いつまで経っても、衝撃も痛みも、リウを襲う事はなくて。


「……ケー……くん……?」


 何かをぶつけるような音にびくりと身を震わせ、そっとまぶたを上げれば、リウの目の前には。


 ――身体の中心に大穴を開けた、ケーくんが仰向けに転がっていた。


「ケーくん……ケーくんっ! あぁ……嫌……なんで……こんなっ……」


 涙声になりながらケーくんに取りすがるも、ケーくんは弱々しく瞳の光を明滅させて。


「リウ……怪我は……ねえか?」

「うん……うん、私は大丈夫だよ……だから!」

「そっか……良かった。オレ、こんなでも……お前を……」


 ――守れて。


 その言葉を最後に、ケーくんから光が消えた。

 穿たれた弾痕は、彼から動力の全てをそぎ取っていたのだ。

 リウは――何も言えず、からっぽになったみたいにうずくまったまま動けない。


「おい――よせお前ら、撃つな!」


 テンキが反撃に出たと勘違いしたのか、警備隊が次々と銃撃を始めるも、弾丸は一発も届かず、その手前の何もない空間――否、エデンの発するバリアに阻まれてしまう。


「さあエデン、命令だ! 世界を融合させろ!」

『ガ……ガガ……エラー、エラー……動力回路に……深刻な……エラーが……』

「ちっ……エメスさえ取り込み、時間を巻き戻せばお前のウイルスなど簡単に除去できる! いいからさっさと私に従え!」

『その……ガガ……命令には……従え……ません……』

「なんだと……!?」

『私の……存在意義は……みんなが……幸せになれる世界を……創造……する事。あなたの命令では……リウとの約束を……果たせるとは思えません……』

「リウだと!? くっ……いつ頃からか知らんが、エデンをも手なずけおって……!」


 ウイルスがエデンを侵食し、地震のような揺れと不協和音が周辺を襲う。


『リウは……教えてくれました。世界には……素晴らしいものがたくさんあって……私が……それを守るのだと……友達になって……くれると』

「そんなものはどうでもいい! 産みの親は私だ! 私の言う事を聞け!」

『ガガ……ガ……エラー、エ、ラー……テンキジョウを不穏分子と認定……排除します』


 瞬間。

 エデンの最上部に備え付けられた防衛装置から青白いプラズマが発生し――真下に立つテンキへ向けて、ジグザグの竜のように降り注ぐ。


「――っ、やめて、エデン!」


 同時、顔を振り上げたリウはつんのめるように突進し、テンキを体当たりで押しのけて。 


 ――頭から四肢の先まで貫く衝撃と、想像を絶する苦痛に、視界が真っ黒に焼き切れた。


「リウ? ――リウッ!」


 プラズマ照射が終わり――倒れ込むリウを、我に返ったテンキが助け起こす。


 だが。


「リウ……? どうした、返事をしなさい、リウ」


 できるわけが――なかった。

 肉体の大部分が黒く炭化し、煙を上げるリウは手足を動かすどころか、もう満足に呼吸すらできず。

 最期の数度だけ、うめきらしき音を呼気とともに吐き出すと。


(私……やっぱり、お父さんの事が……好きだったんだ)


 ずっとずっと、疑っていた。

 いくら理由をつけても、結局の所リウは、テンキを父として愛しているのか。

 でも――その答えが出た。

 だから、動けた。


(良かった……。……お父さん)


 ――大好き、だよ。


 途切れ途切れの思考を巡るその言葉は、テンキに届く事はなく。


「……リウ。リウ。なあ、リウ。……――あ……」


 抱きかかえるテンキの腕の中でぼろぼろと、跡形もなく崩れ落ちて――。


 ……ああ。あああ。ああああ。


「――うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 魂を切り裂くようなテンキの慟哭とともに、コンピュータを中心に広間の壁や天井を電流が走り抜けて小規模な爆発が起こり始め、際限なくオーバーヒートしていく。


『……。力場発生装置、臨界を突破』


 エデンの、どことなく人間味を感じさせていた受け答えから一転、まるで感情を失ったかのように、エラーを吐き出す事すらなく。


 ――限界を超える負荷をかけられたケイに、異変が起こる。


 目を見開き、口元を覆っていた酸素供給チューブが外れると、その眼球や耳、鼻、口から墨のように出血が広がり、カプセル内がみるみる赤く染まっていく。

 内部で身もだえ苦しむケイが声なき絶叫を響かせ、ぶくぶくと沸騰するかのように泡の量が増えていき――ぴし、ぴしっ、と破壊的な音を立てて、特殊ガラスに亀裂が走る。


「リウ! リウゥゥゥゥゥゥゥゥ! ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

『みんなが幸せになれる世界を創造します。みんなが幸せになれる世界を創造します。創造します。創造――します』


「なんだよこれ……! なっ、何が起きてんだよ……!」


 サカシ達の目前で、蜘蛛の巣の如く走った亀裂が、ついに割れて――。

 弾け飛んだ大量の液体が、リウを掻き抱くように叫び続けるテンキも、サカシ達も、全てを呑み込んでいき――。

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