第三十話 タイムホールショット

 太陽の差す海面へと浮上するように意識が戻ってくると、何か柔らかいものの上に頭が乗せられている感触があった。

 怪訝に思って目を開けると。


「アン……?」


 ややぼやけて見える視界には、アンの横顔が映り込み――ケイの声に反応したみたいに、こちらを向いた。


 ――金属骨格のむき出しになった顔半分があらわになり、ケイは瞠目して飛び起きる。


「身体に異常はありませんか?」

「お前の方が異常だらけだろ! それ……大丈夫なのかっ?」


 問題ありません、と半分だけの涼しい表情で答えるアンの身体は、損傷を受けていない部分がない程にぼろぼろだった。

 銃創、裂傷、アザ――人間ならばまず命がないだろう状態。

 にも関わらず、アンは約束通りにここまで――研究室までやって来て、いつの間にか気絶していたケイを膝枕して、看病してくれていたのだ。

 ありがたい思いとともに、何一つ用を成せなかった自分の無様さに虫唾が走る。


「ごめん……プログラムを見つけるどころか、なんか……倒れてて」

「いえ」

「途中でさ……お前の声が聞こえたんだけど、もしかして俺……キーワード言ってた?」

「はい。前後不覚のようでしたが、休ませるよりも真実を伝える方が先決と判断しました」


 ケイは額を押さえてうなだれ、一呼吸置いてから低く呟く。


「俺は……ずっとリウに、生かされてたんだな。アンを送り込んだのも、時間銃を託してくれたのも。さもなきゃ、とっくに死んでいた……」

「……リウが死亡した時点で、本来なら私が起動するはずでした。ですが時空断裂事故が発生し……彼女から発信された信号は、時空間の中に迷い込んでしまったのです」

「時空間……?」

「あらゆる時間につながる、狭間の空間のようなものです。本来はタイムマシンなど、特殊な装置を利用して通過するものですが、何の準備もなければ、ゆうに数百年のタイムラグを経て目的の時間軸へ出てしまいますし――悪ければ、二度と出られません」


 リウの信号はエデンルームから時空間へ迷い込んで数百年もさまよい、そしてケイが目覚めたのと同時期に、ようやくアンの元へとたどり着けたのだろう。


「ならあの時、お前がぎりぎりで間に合ったのは……本当に奇跡だったんだな。おかげで俺は……こうして生き延びられている」


 でも、リウは死んだ。

 その事実が、ケイから熱という熱を奪い去っていくようだった。


「俺のせいで……俺が、適合者なんかに選ばれたせいで」


 今なら克明に思い出せる。リウと別れたその後――何者かに尾行され、路地に入ろうとした瞬間、暴行を受けて気絶させられたのだと。

 きっとそのまま、またセントラルエデンパークまで逆戻りに運ばれて。


「だっていうのに……今の今まで俺は、何も知らずに……あいつの思いなんか、何一つ理解しないで……っ」


 声が震え、嗚咽めいた吐息が漏れる。

 ただただ、こんな事態に巻き込まれた自分を不運だと呪っていた。

 ――その責任が他ならぬケイ自身にあるなんて、考えもせずに。


「なんで……あの時、聞けなかったんだろうな? あともう一歩、踏み出せていたら……俺だって、何かあいつの力になれたかも知れないのに。あいつを――死なせずに済んだかも知れないのに……っ!」


 一年、会わなかった。いや、会えなかった。

 だけどそれでもう、お互いの心は離れてしまったのだと――勝手に思い込んでいた。

 それでもリウは、会いに来てくれた。

 その背中に担いきれないくらいの重い決意を乗せて、けれどケイに心配かけないよう、わざと普段通りに強がって。


「やり直したいよ……やり直せるなら……! 運命を変えるなんてご大層な事は言わない、でも、あの時にもう一度戻って……あいつの手を、引っ張ってやれていたら……っ」


 深く、あまりにも深い後悔の水底へと沈み込みかけるケイの、力なく落ち込んだ肩に――そっと、冷たくも柔らかい感触が触れた。

 わずかに目を上げれば、静かに側に来ていたアンが、まるで慰めるみたいに両の手を置いていたのである。


「……テンキ・リウは、最後までリウとして生きて死にました。それは彼女にとって幸せな事だったのか、私には分かりません」

「アン……」

「ただ、私は今……あなたが名付けてくれたアンとして、存在しています。そういう意味では――リウの気持ちがなんとなく理解できるような、そんな気がするのです」


 アンは、情感のない――けれども、嘘のない透明な眼差しでそう告げて。

 ケイの中で何かが崩れていくような感覚とともに――どこか暖かなものが、満ちてくる。


「俺さ……リウの事を思い出してから、時々、お前を……リウみたいに見る時があるんだ。だけどそれはお前の存在を、侮辱している気がして……だから今まで言えなくて」

「別に、いくらでもどうぞ。機械なので気にしません」


 実に、あっけらかんと。――もしくはケイの心情を慮ったからか。

 ケイはその言葉を聞いて、何かが内側で決壊していく感覚を覚えて。


「ごめん……」

「……」


 そのままアンの肩へ頭をもたせかけ……しゃくり上げた。


「……ごめんな、リウ。俺……すごい、会いたいよ。お前にも……父さんにも、母さんにも……みんな……どこ行っちまったんだよ。俺を……一人にしないでくれよ……!」


 一目もはばからず、ケイは泣く。

 アンはケイが泣き止むまで、何も言わずにその身体を抱き続けた。




 すでに、研究所の周囲は時計頭の増援に取り囲まれていた。

 しかしケイはアンから身を離し、ジャケットから時間銃を取り出す。

 そして研究室の窓辺から、工業区の方角へと銃口をかざした。

 この二つともが、シロガネやリウの遺品だ。

 その遺志を継いで、生きなければいけない。


「それが、生きている者の義務……そうですよね、レイカさん」


 ぽつりとこぼしたケイの手の中で、時間銃のパネルに――新たな文字が浮かび上がる。


 ――『タイムホール』――


 撃ち放たれた弾丸は一条の軌跡を残し、どこまでも彼方へと飛んでいく。

 そうして、はるか先の地平で――花火が花開くかのように、くすんだ白のような――否、もっと禍々しい、黒を反転させたような色合いをした、底なしの大穴が開いた。

 空に渦を巻くその虚無は雄叫びじみた鳴動を鳴り響かせ、地表にある建造物を、時計頭達を、施設を、機器を、道路を車両を、巨人の手で引きはがすみたいに吸い上げ始める。

 さながら竜巻。あるいは濁流、空に開いた地割れ。局地的に重力が逆転したように物体が浮き上がり、例外なく穴へと呑み込まれ――分解され、微塵となって消えていく。

 時空を破壊し、風穴を開けて――そこにあらゆる物体を吸い込ませる。

 時空間の流れに呑み込まれたものは、二度と戻ってこれない。

 これがケイの、恐らく最後になるだろうアンロック――タイムホールショットだった。




 ――おい、ジョウ、ここにいたのか! 聞けよ、俺はついにエデンの蛇を完成させた!

 ――……。

 ――お前のエデンが巻き戻しならこいつは加速だ。だがただの加速じゃねぇ、こいつの真価は物体が変化するまでのラグを壊す事にある。……つまり最適化だ。エデンの蛇に調節された人間は失敗する事がなくなる、そいつが何を意味するか……っておい、待てよっ!

 ――お前の話に付き合っている暇はない。

 ――な……なんでだよ! てめー、最近おかしいぞ! それに、その急速な老化……お前まさか、タイムカプセルを使ったのか……!?

 ――だからどうした。

 ――ふざ……けんなよっ! てめぇ、リイナが死んだ時、俺に言ったじゃねーか! 『リイナは最後まで天寿を全うした。それを意図的にねじ曲げても、彼女は喜ばない』ってよォ! だから……俺も引いたんだ、お前が腑抜けたわけじゃねぇって安心したからな!

 ――その話は関係ない。私には……やるべき事があるのだ。

 ――それってよ……リウの事か? あのガキを生き返らせるために、お前はタイムトラベルを繰り返して……その反動で身体だけでなく、脳味噌まで老いぼれちまったってか?

 ――……。

 ――はは、こいつは傑作だ! あの超天才のテンキ・ジョウ様が、たかがガキ一匹のために倫理もなんもかんもほっぽり捨てて、エデンみたいなクソオナニーマシンにかかりっきりとはよ! せっせとエデンの蛇を作ってた俺が馬鹿みてーじゃねーか、あぁ!?

 ――……。

 ――なんだよ、何か言えよ。なんで俺の方を見ない。なんで何も見ようとしない。……待てよ、どこに行く。まだ話は終わってねーんだ。待てよ……待てって!


「ちっ……久しぶりに、嫌な事を思い出しちまった」

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