エメスサイド Ⅴ

第七章 第三十一話 精霊神ムガナクスム

 エメスに戻って来ると、祝勝会に使われていたホールは惨憺たる有様だった。

 テーブルは砕けて横倒しになり、壁や絨毯は乾いた血にまみれて黒ずみ、落下したシャンデリアの破片が所狭しと散らばっている。

 来賓客や非戦闘員の使用人達はすでに避難したのか、ぱらぱらと姿があるのは兵士や将官くらいのようだ。

 皆一様に疲れ果てた顔をしており、武器をお守りのように抱えて地べたに座り込んでいたり、泣きじゃくる怪我人の励ましや手当てなどをしていた。


(たった1日で……こんな……ひどすぎる)


 呼吸をすれば鼻腔を濃い血臭が刺激し、セントラルエデンパーク地下の車庫内にいた人々と重なって見える。

 どれだけの死闘が繰り広げられたのか――とその時、視線を巡らせたドアの向こうから、見慣れた二人がこちらへ駆け寄って来るのを認めた。


「――ヨル! ゼノサ! 無事だったんだな!」

「当たり前よ! てかあんた、のこのここっちに戻って来てどういうつもり?」

「ふっ、ゼノサよ、本当は喜んでいるくせに照れ隠しはみっともないぞ」

「ななっ、誰がっ!」


 酸鼻を極める戦場跡でも、二人はどちらも欠ける事なく、いつも通りの元気な姿だ。

 ほっとするあまり、ケイも頬を緩めてしまう。


「けど、二人とも無事で良かった……時計頭達はどうなったんだ? 妙に静かだけど……」


「それがあいつら、急にあたし達の目の前で消えちゃったのよ。現れた時と同じように、いきなり忽然と! 必死に武器振ってたこっちもぽかーんとしちゃって」

(消えた……って事は)


 セントラルエデンパークのお膝元に位置する第一工業区――一国にも匹敵するその広大な面積の大半を時空に開いた穴がもぎ取り噛み砕いた事で、生産工場は機能停止まで追い込まれ、今やエデンにおいての活動時間は23時間まで延びている。

 それと連動してのエメスでのその効果――襲撃自体は改変できなかったが、サカシの読みは的中したようだった。


「とはいえ、敵の全てではなかったがな。ラキとムガナクスムが加勢に戻って来てくれなければ、我がもの顔で居座る連中を追い出す事は難しかっただろう」

「ラキが……そっか」


 本当に宣言通りに帰って来てくれたのは嬉しいが、傍観者めいたムガナクスムまで手を貸していたというのは意外だった。


「そうだ、あいつは――タイムハンターは?」

「あんた達が転移した後くらいかな……その後すぐにどっか行っちゃったのよ。あーあ、残念。もう少しでぎったんぎったんにしてやれたのに!」

「やれやれ、むしろ命拾いしたのは我らの方だぞ……奴が退くまでのたった数秒の交戦で、二人揃って戦闘不能に追い込まれたのだからな……」

「そう……なのか」

「ふがいない話だが、やはり奴は桁が違う。正面からの力押しは無謀……何か対策が必要だな」


 改めて知る、タイムハンターの理不尽な強さだが、ケイ達の行動では奴が消滅する事はなかったのだ。工場で大量量産されているそこらの時計頭とは格が違うのだろう。


「ねえ、ところで……アンはどうしたの?」


 当然と言えば当然の疑問に、ケイはアンとともにエデンで実行した作戦の事を話す。


「だから、本人の希望で傷を癒すために残ってる……でもこっちも放っておけないからさ」

「て事は……戦いが楽になったのはあんたらのおかげってわけね。礼は言わないけど」

「……奴はああ見えて相当に無理をするタイプだ。一つ借りができてしまったな……」


 アンを残して来た事に憂いがないわけではないが、滅多な事はないだろう。それに。


(出がけにあいつからも、俺にやるべき事をやるよう言われたからな……)


 それから、二人の勧めでケイは図書館に連れられて行った。

 戦場から遠く、ゆえに被害を免れた図書館にはすでにラキと――。


「いよう! ケイ! 無事だったか! 会いたかった……ゼェ~~~ッッ!?」


 ……赤い外套を羽織り、長袖を肘までまくり上げた、赤い髪のビジュアル系ロックバンドぽい若い男が、静謐を是とするはずの図書館中に乱反響する声量でシャウトして来た。


「あはは……ムガナクスム様、図書館では静かにね」

「おうっ! 悪かったな! これからは気をつける……ゼェ~~~ッッ!?」


 どんな姿でもある意味共通したムガナクスムのうっとうしさに辟易しつつ、ケイはラキの前に置かれた赤と黒の本――ヴルゴーの書を見つける。


「ケイ、キミが無事で良かったよ。もう察してるとは思うけど、これからムガナクスム様に教わった術法を試そうとしているところなんだ」

「物を通して残留思念をぉ~……ホゥッ! こんこんノックして呼び出すんだゼェ!」

「でも、それで出てくるのはヴルゴー……フリウスなんだよな? 話を聞いたりして、答えてくれるものなのか……?」


 いや、と、ラキは真顔でかぶりを振る。


「ボク達が今から呼び出すのはレクス……レクス・ヴルゴー本人なんだよ」

「な、なんだって……!? それって……っ」

「俺様もびっくりなトゥルース! なんとなんと、我らがレクスくんはとっくのとーにくたばり、あの世へゴー!」


 痩身を見せつけるようなトンチキなポーズを取りながらムガナクスムは頷く。

 諸悪の根源と目されていた時の精霊、レクスはとうに死んでいた。

 それを裏付ける言動は、フリウスからもあったが――となれば、確かに呼び出す事は可能、なのだろう。


「それじゃ、やるよ……」


 まだ状況を受け止めきれていないが、ラキは詠唱を始め――『音』が発生し始める。

 だがこれは今までの魔法とは異なり、小さくなったり大きくなったり、安定しないのだ。


「ちょ、ちょっと、なんか変な感じよ!? 大丈夫なの!?」


 ゼノサがたじろぐのも無理からぬ話で、『音』が太く細く軋んでいくのに比例して突風が巻き起こり、ヴルゴーの書のページがめくられるとともに鼓動めいた蠢動を感じる。


「……なんだ、この波動は……! 何か、手応えがおかしい……!」


 額に脂汗を浮かべるラキとは対照的に、ムガナクスムはテンション高く飛び跳ねて。


「コッ、コッ、こいつはスッゲェェェ! 次元の壁がひっぺがされて、ビッグなエクトプラズムがゲートインして来るゼェェェーッ!」

「くっ、おいムガナクスム貴様! これは何がどうなって――!」


 刹那……ヴルゴーの書の真上の虚空が、ぐにゃりと歪んだかと思うと。

 目もくらむ程の極彩色の光が発露し――そうして青白い、人の形を取り始めたのである。


「こいつが……レクス……なのか?」


 厚手のフードをかぶり、顔は見えない。

 しかし中空に浮遊し、ケイ達を睥睨するように佇むそいつからは――いい知れない異様な圧力を感じられた。


「驚いたよ……まさか、次元の向こうからやってくるなんて……」

「次元……?」

「うん。正確な位置は不明だけれど……彼はここではない、どこか別の世界で命を落としたんだ。だから本当なら、この魔法も無効になるはずだったのに……残留思念となっても、いまだ凄まじい力を保持してる。そして次元という不可視の壁を貫き、現れた――」


『……おれの名はレクス・ヴルゴー』


 その時、目の前の人型からノイズ混じりの、喉に絡む合成じみた声がした。

 それは『音』にも似た、脳へ直接刻むような、表現するならテレパシーめいた語りである。


「あ、あんたが大陸の歴史をめちゃめちゃにした、元凶のメーワク精霊なわけ……!?」

『おれは時の管理者。全ての時間を操り、永劫に君臨する神……』


 ゼノサの糾弾など通じていないかのように、己に酔いしれるようなレクスの言葉は続く。


『おれは時間そのものにして、かけがえのないただ一つの永遠。――何物にも代え難いおれを、人間は誰もがこぞって求めた……エゴまみれの、薄汚い追跡者どもが!』

「は……な、なに言ってんの、こいつ……? マジで意味、分かんないんだけど……!」

『人間は愚かだ……愚かで愚図でクズだ。おれはお前ら人間どもが憎くて憎くて仕方がない。だから――いくつもの次元の、全宇宙の全人類を殺し続けて来た』


(全人類を……殺して来た……!? ……な、なんだよ、それ……!)


 権利とか、命とかを軽視しきった、しかもそれが当然といった無軌道な口ぶりに、怒るよりもおののくよりも先に絶句してしまう。


『人間が裁くに値するか、いつも試練を課す』

「試練……だって?」

『今回は時魔法と称して、おれの力の一部をくれてやった』


 そこでレクスは、忌々しげに舌打ちし。


『結果、お前達は使いこなした――やはり災厄だったッ!』

「……まるでパラノイアだな。何様か知らんが、貴様の言葉は何もかもいかれておるわ。そんな理由でフリウスを取り込み、精霊や魔族、人間達との戦争を煽るなど……!」

『許しもなく時空に干渉しようとする低劣で低俗で低次元なお前らゴミ人間どもを一匹残らず抹殺する。それだけがおれの望み』


 暗鬱とした喋りが続く中、鼓膜を押し潰すような重苦しい律動が始まった。

 図書館の床や壁にヒビが入り、本棚がドミノ倒しのように倒れ、窓が次々と割れていく。


『お前ら殺す。全部殺す。絶対殺す。殺し尽くす。おれのステージにまでたどり着く者はいてはならない。痛がって。苦しみ抜いて。死ね。死んじまえ』


 叩きつけられる怨嗟にケイ達は完全に圧倒され、誰一人ものも言えない状態だ。

 やがて魔法の効果が切れたのか、レクスの姿は空間と同化するように滲み、消えていく。

すると臓腑までをも握り潰されるような威圧もなくなり――嘘みたいに鳴動も止まった。


「……想像以上に……とんでもない相手だったな……力も、思想も」

「だが……レクス・ヴルゴーが一連の事態の主犯である事は確からしいな」

「そ、そんな事より……! あいつ、本気で言ってんの……? 人間を殺すとか、時間の神とか――死んだせいで、頭が狂ったわけじゃなく……?」


 そう、力があろうとレクスはあくまで、精霊神の生み出した精霊の一部に過ぎないはずだ。

 なのにあの言動は――と、みんなの目がムガナクスムに向く。


「ムガナクスム様……あなたなら彼の話がどこまで真実か、知っているはずじゃないかな」


 おうだぜ! とムガナクスムはノリノリで長いマイクを生成して。


「振り返れば500年前――俺様と時同じくしてやって来た、超々々高次元などこぞの存在……それがレクスくんの正体なんだゼェイ!」

「は……はぁっ!?」

「種族も違えば魔法系統も違う、精霊でもなんでもない単なる赤の他人だったんだゼ! でもでもそれだと孤独なピーポー、可哀想なもんだから、俺様の愛するジュニアと名乗らせてあげた! どうよ俺様、優しい? 優しい……ゼェ~~~ッッ!?」

「なによその確執! 買い物帰りの近所のおばちゃん並みに介入してるわねあんた!?」

「ちょ、ちょっと待て……つまり」


 軽い調子で投下されていく爆弾発言の数々に、懸命に情報を整理しつつ纏めていく。


「……異なる次元にも力の序列があって、お前達は上位の次元からやって来たから……魔法や時間といった概念を操れるのか?」

「そのとーり! た、だ、し! ヨワヨワ次元に降りてくると俺様達のスペックもそれに合わせて一時的にグレードダウンしちまう、契約なんかが必要なのはそのためだゼ」

「な、ならあいつの神とかいう名乗りは……」

「きっと自称だゼッ! 称賛されるのは気分いいんだゼッ!」


 びしっとガッツポーズ。ケイはめまいをこらえるように額に指を置いた。他の皆も似たような、狐につままれたような引いたような顔である。

 こんな途方もないでたらめな連中に目をつけられてしまったのかと思うと、驚きよりも呆れが先に立つというものだ。


「で、でも……レクスはとっくに死んでるんでしょ? ならもう何もできないんじゃ」

「どうかなゼ~? あれだけの力の持ち主だ、ちょっとくらい死んでても生きてるかも知れんゼ! 死んだレクスくんの現在地も判明してないしな!」

「なにそれわけ分かんない、どんだけよ……!」


 憤懣やるかたない、と鼻息を漏らすゼノサは置いておき、ケイはぽつりと言った。


「死んでいるのに死んでいない……としたら。――レクスが今どこにいるのか……分かったかも知れない」

「えっ、ケイ、ほんと?」

「それを確かめるためにも、悪いんだけどゼノサ……ジヨール陛下と話をさせて欲しい」


 そうケイが頼むと、なぜか途端にゼノサは歯切れ悪く視線を泳がせて。


「お父さんは……その……今は。……ま、まあいいけど……」

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