第八話 時間銃
「ラキ、怪我は大丈夫か?」
「怪我って程おおげさなものじゃないよ。魔法で応急処置はしたからね。でもありがとう」
崖を回り込み戻って来たラキは、本人の言う通り大した傷はない風で、ケイも安堵する。
「さて、お姫様。とりあえず無事で良かったよ」
「ふん。危うくミイラ取りがミイラになるとこだったけどね」
憎まれ口を叩く王女も気にせず、親しげに声をかけるラキを見て、ケイは小首を傾げた。
「ラキ……こいつと顔見知りなのか?」
「ちょっとあんた、平民のくせにこのあたしに向かってこいつ呼ばわりって」
「まあ、色々とね。ボクが王都に居を構えた後に一悶着あって。でも今は仲良しさ」
食ってかかろうとしてきたゼノサだが、のほほんとしたラキの語り口に毒気を抜かれたみたいにため息をつき、細剣で馬車の車輪をすぱっと切って鞘を回収する。
「……ラキは魔法薬の調合も得意だからね。美肌になれる化粧品とか、声が高くなる飴とか、安眠して幸せな夢が見られる白い粉とか、それなりに世話になってるのよ」
「薬自体は値切りに値切られて格安で買い叩かれてるけどね」
なんだかんだ、交流のある関係なのだろう。
得心がいったケイはしかし――ゼノサの背後で、黒山のような巨躯が立ち上がるのを目にして総毛立つ。
「危ない、後ろ……!」
その声が間一髪届いたのか、もしくは足下に伸びる狼の影に気がついたか、ゼノサは横っ飛びにその場から逃れ――直後、投げつけられた馬車の残骸が猛然と飛来してくる。
たまたま側にいたラキがケイの腕を引いて射線から離してくれたが、砕け散る馬車をカモフラージュに人狼は林へ飛び込み、そのまま崖を駆け下りて行ってしまった。
「くっ、手負いの獣の分際で……!」
「――待って、深追いは危険だよ!」
怒り心頭のまま追い立てようとするゼノサをラキが制止し、注意深くあたりを見回す。
「倒れた盗賊達までいなくなってる……戦いの最中、潜んでいた仲間に運ばれて行ってしまったみたいだね。でも今は先に、勇者の剣の回収を優先しよう」
「ちっ……仕方ないわね。さっさと見つけましょ」
手分けして探し、それらしい物品がもう一台の馬車の中に安置してあるのを発見した。
「この中に、剣が入っているのか……? ナイフくらいしか収まらなさそうだが」
封印の施されたいかにもな意匠の宝箱だが、これが思いの外小さい。
「いや、この箱そのものには精霊による強力な封印が施されている。ダミーに利用するとしても、これ程手間のかかるものを作るのはかなり骨のはずだよ。本物だとボクは思う」
「ま、あんたみたいな貧民にはこの箱の価値なんか分かんないでしょうね。それに剣って言っても、想像も付かないくらい色んな種類があるんだから」
ケイに向かって馬鹿にしたように鼻を鳴らしたゼノサは、それからすぐに渋面を作り。
「それにしてもあいつら許せないわね。あたしのルベージュ・フルーレは取り上げられるし、魔封じのルーンが描かれたロープでぐるぐる巻きにされて魔法も使えなかったし、あんな魔物と一緒に暗いところに押し込められるし……もう腹立たしいったら!」
その事だけどさ、とラキが、男達の着用していた軽鎧の破片を地面から拾い上げる。
「この鎧……精霊語のルーンが刻んであるんだ」
「ルーン?」
「道具に対して魔法的な効果を付与するための、触媒みたいなものだよ。とても貴重な品だから、そうそう出回らないはずなんだ……この周到な手際はまるで、あらかじめ魔法使いを相手にする事が分かっていたような……練られた計画だと思う」
確かに、馬車を用意していた事や、魔物と協力している風だったのも解せない。
そのあたりも鑑みて、ラキは罠の可能性まで考慮して深追いを禁物としたのだろう。
「彼らはドメハ諸島に向かう、と言っていた。その言葉が本当なら、船を使って運河を越えられたらもう追いつけないかも知れない」
なんで、と尋ねたケイに、ゼノサが見下したようにうろんな目をした。
「はぁ。ドメハ諸島とうちは相互不可侵の条約を結んでるの。あそこは海賊が幅を利かせる無法地帯だから、食物や毛織物とか融通する事でご機嫌を伺ってるのよ、この物知らず」
「だからそこに犯罪者が逃げ込まれるともう手が出せないんだ。あの海域を治めるボンゾ大王自体が海賊のようなものだからね。金次第で国同士の取り決めすら簡単に破る連中さ」
「……なんか、そのあたりの動きも、裏で何かの組織が糸を引いていそうな感じだな」
「幸い剣をそこまで持って行かれる前に取り戻せたんだ、ひとまずは安心していいと思う」
「とーぜん。その勇者の剣はあんな連中にはもったいないわ。もっと高貴で勇敢で優秀な英雄が持つ方がふさわしいのよ」
その英雄とやらが誰を指すのか、ゼノサという人間が分かって来たケイはげんなりする。
「ふっ、いーいあんた達? 七日目には絶対王城に来なさいよ……あーそれと、トゥルスにお小言もらうのもかったるいから剣を運ぶのはそっちでやってよ、もうくたくただし」
さっさと帰ってシャワー浴びなきゃと、ころころ表情を変えながら立ち去ってしまう。
「……彼女は万事につけて大概あんな感じだけど、悪く思わないで欲しいかな」
遠ざかっていくゼノサの背中をなんとも言えず見つめるケイの心中を、ラキが見透かしたように苦笑する。
「ただちょっと寂しがり屋で、わがままなだけだから」
「ちょっとだけ、か……?」
「それより、ケイ。今回は本当に良く頑張ってくれたね。おかげで助かったよ」
「いや、俺は別に何も……」
謙遜しなくていいよ、とラキはこちらへ向き直り、屈託なく笑った。
「――さあ、帰って祝杯を挙げようか」
ラキが盗品の宝箱を城まで届け出て、夕刻。
隠れ酒場へと再び二人で足を向ければ、扉が開いた瞬間にぱんぱんとクラッカーが鳴り響き、ケイは目を白黒させた。
「よっ、勇者様のお戻りだ!」
「そらそら、こっちに来いよ!」
あれよあれよと引っ張り込まれ、テーブルへ座らされると、冒険家達は快活に破顔しながら酒を勧めたり、肩を叩いたり、拍手したりと思い思いの手荒い歓迎を受けさせられる。
「もう王都中で噂になってるぜ? 盗賊共を追い払ってお姫様を救い、勇者の剣まで取り戻したんだってな。さすがはラキの見込んだ男だ!」
「ラキも水くさいわね。そんな事件が起きてたなら私達にも一声かけてくれれば良かったのに、この子と二人で冒険に出かけちゃうんですもの」
「あはは、まあ内密にするようにって言われてたからね」
「そうなのか? 俺はさっき繁華街でうろつくゼノサ姫を見かけたんだが、大声で今回の一件を吹聴して回ってたぜ。自分を美化しすぎてるあたりはすごい眉唾だったけどな」
「ありゃりゃ……もう箝口令どころじゃないね。トゥルスも苦労するなあ」
それにしても、とラッセルが近づいて来て、ケイを真摯に見つめて頷きかけた。
「――ラキを守ってくれてありがとな。最初はちょっと頼りなさそうに思えたんだが、お前の事、見直したぜ」
「そんな、俺は……」
首を振ろうとして、ケイはラッセル達の純粋な目の輝きや、何の含みもなく自分を仲間として受け入れようとしてくれている温かさに気がつく。
そうか、と思った。
こういう事なのだ、ラキの真意は。ラキは別に伊達や気まぐれでここまでケイを案内してきたわけではない。
溶け込める、居場所を作ってくれようとしていたのだ。同じ仲間として、目的を同じくする友として、苦楽をともに過ごすために。
故郷を失い、身寄りもないケイが、この異世界で孤立しないよう――一人きりにならないように。
――それなら。
「……俺の方こそ、これからよろしく頼むよ。みんなの話、良かったら聞かせて欲しいな」
そう告げれば、ぱっと冒険家達は表情をほころばせ、こちらこそとばかりに騒ぎ立てはやし立てながらつついたりどついたり、彼らなりに歓待してくれる。
ケイもふっと重荷が軽くなるように、あるいは氷が溶けるように目尻が緩み、あるかなきかの微笑が浮かぶ。
そうして輪の一歩外から見守るようにしていたラキと目が合った。
「ようこそ、レクスリーナへ」
そう、魔法使いは晴れやかに笑ったのだった。
「……なによ、ちやほやされて持ち上げられて。さぞかし舞い上がってんでしょうねぇ」
気配を隠し、隠し酒場の戸口から中を覗き見る一人の少女がいた。ゼノサである。
「変な魔法道具に、センスゼロのけったいな服装……どこからかラキに拾われて来た難民だか棄民だかだそうだけど、何もしてないくせにいい気になってまぁ」
「姫様こそ、都の皆にはいつも可愛がられていたではありますまいか」
「ふぅえっ!?」
猫のように飛び跳ねてから振り向くと、憂い顔のトゥルスが立っていた。
「とぅ、トゥルス!? こっちに来てるんなら言いなさいよね!」
「言いましたとも。しかし姫様はまったくちりとも反応なさらず……何をなさっておいでかと思えば、あのように人へ嫉妬をくすぶらせていらっしゃるとは」
「し、嫉妬なんかしてないわよ! ただあたしは、あんなよそ者にでかい顔されちゃ、この国の勇者姫としての格好がつかないから監視しているだけで――」
矢継ぎ早に言い訳を並べるが、トゥルスは嘆かわしそうにかぶりを振るばかり。
「そのような事をされずとも、姫様が品行を正し、皆にもっと親愛を持って接しさえなされば、かつてのように信頼や人望を取り戻す事もかないましょうに」
「うるさいわね! なんだってあたしがそんな人の顔色を窺うような事をしなきゃなんないのよ。だってあたしってお姫様でしょ? 勇者なんでしょ!?」
ゼノサはヒステリックにわめき、もう一度酒場の方を憎々しげに見やる。
「そうよ、本当に偉くて素晴らしくて強いのは誰なのか、思い知らせてやらなきゃ」
「姫様……そうして強さばかりを誇示されようと、本当の強さというものは手には入りますまいぞ」
ゼノサがむっとしてトゥルスを睨めつけるが、大臣は落ち着き、真っ向から見返して。
「確かに姫様はお強い。魔王よりも、何よりも強いでございましょう。ですが、今の人々は腕力による強さよりも、優しさにおいての強さを求めていらっしゃいます」
「優しさにおいて……の強さ……?」
「さようでございます。人を慈しみ、喜びも悲しみもともにする、互いに理解し合おうと歩み寄ってくれる者――そう、ちょうどあのような」
トゥルスがゼノサの横へ立ち、穏やかな眼差しでケイやラキ達を眺める。
「私はジヨール陛下の若き頃よりお仕えしておりますが、陛下は常日頃からそのように、民の誰もが思い合える、信じ合える国を作ろうとしていらっしゃいました。姫様も、幼き頃は陛下の後を継いだら、誰よりも強く優しい王様になると、無邪気ながらも思いを込めて言ってらしたでしょう。覚えておいでですかな」
「し、知らないわよ……そんな、10年も昔に喋ってた絵空事なんて」
ゼノサは居心地悪そうに目を逸らす。
そんな彼女に、トゥルスは団子鼻を持ち上げるようにして、くすりと笑った。
「綺麗事でも、理想に過ぎずとも、それを実現しようと邁進するのが、王のあり方というものでございます。姫様はお一人ではありません。陛下も、私も、姫様を慕う多くの臣下や人民もいらっしゃいます。ですからどうか焦らず、じっくりと己の気持ちを見定めてくださいませ」
「なによ……結局いつもの小言じゃない。そんな使い古したお説教であたしを止めようとしたって、大間違いなんだから……」
反駁するゼノサにはいつもの勢いがなく、思い煩うようにもう一度酒場の盛り上がりを一瞥して、重いため息をついた。
精霊祭は夜になろうと変わらず開催されているようで、家に入っていても喧噪そのものは壁や窓越しに聞こえて来る。
ケイは一人、テーブルに置かれたランプの明かりに照らされるようにして、両手に白い銃を引っかけるように、視線を落としていた。
あれから、隠れ酒場ではてんやわんやのパーティが始まり、夕食代わりに色々と食べされられ、飲まされた。
さすがにアルコールは勘弁してもらったが、おかげで心地良い満腹感と、身体から湯気が立つような火照りを感じている。
楽しかった。あんなに笑ったのはいつぶりか。ラッセルもリリィも気持ちの良い人達ばかりで、いつまでも騒いでいたいと思ったし、今度冒険したいと約束も取り付けた。
……ここにはエデンが星にかぶせた鋼鉄の天蓋も見当たらず、残酷な時計の怪物達は影も形もない。時間に悩まされる事もない。それこそ楽園のようだ。
いっそ何もかも忘れて、ここで新しくやり直すのも一つの選択なのかも知れない。
――でも。
「……アン。……シロガネさん」
エデンに残して来た、二人。短い間だけれど仲間として行動を共にした、二人。
アンのあの、握った冷たく、柔らかい手の感触が忘れられない。
シロガネの、娘を思う寂しげな笑顔が忘れられない。――忘れられるはずがない。
(それに……ああなる少し前、アンは言っていた)
ケイのせいで時計頭に見つかる、直前。アンの事について話題が一度、移っていた。
その時に彼女は、自らの肉体には自然と傷が治る自己修復機能があるらしい事と……。
――私の頭部にあるコアが破壊されない限り、機能停止に至る事は恐らくありません。
「っ……」
すぐ耳元に、アンの平坦な声色が蘇って来た気がして、ケイは額を指で押さえる。
「アンは……ひょっとしたら、まだ、生きているかも知れない」
絶望的な別離ではあったけれど、一縷の望みまで捨てるのは、まだ早計なのではないか。
そうであって欲しいという希望的観測に過ぎないのかも知れない。
ただ諦めたくなくて、がむしゃらにこじつけているだけかも知れない。――だけれど。
「戻る……か?」
呟いた途端どきりと脈が一つ打ち、胸の奥へ押し込んでいた恐怖が鎌首をもたげてくる。
だが、とケイは白い銃を掲げるように持ち上げた。
この銃には、きっと世界を渡る何らかの機能が搭載されている。なら、もしかすれば、エデンへ戻る事もできるのではないか。
パネルには元のようにタイムカウントが表示され、こちらへ来てからというもの、数字は0。
いや――実のところ、一度だけタイムが20分程逆戻りした瞬間がある。
(あの……『リターン』を撃った時だ)
恐らく、このタイムは銃にチャージされたエネルギーの目安なのだろう。だから平常時はカウントが減り続け、0になるとエネルギー満タン。
だが途中、ケイが銃から『リターン』の弾丸――巻き戻し弾を撃った事で、その分だけエネルギーが減り、タイムが増えた。
別段充電器にかけるでもなく自然とエネルギーが回復するのは何とも近未来的で便利である。しかも、エネルギーが続く限り、あの巻き戻し弾は連続して撃ち続けられるはずだ。
(転移した原理や、どうして巻き戻し弾が撃てるようになったのかとか、エネルギーの最大値はどれくらいなのかとか、こいつに関してはまだ分からない事だらけだが……)
こうしている間にもエデン世界の時間が経過しているとしたら、この瞬間にもアンは危険にさらされ続けているという事になる。
それも、いるはずのないケイを探して、延々と。
悩んでいられる余裕はとっくにない。むしろ遅すぎたくらいだ。
今すぐ決断しなくてはならない。行くか、とどまるか。
とどまるなら、もうエデンの事は忘れよう。そうした方が、いっそ後腐れがなくていい。
後は――ケイの心次第だ。
と、言い聞かせるように選択肢を示して見せたが。
「とっくに終わってしまった世界だけど、あそこが俺の帰る場所なんだ……だったら」
呟くと、視界に霧がかるようだった迷いが晴れた。
すると答えの代わりに、銃のパネルからタイムが一時的に消えて、『エデン』と短く表示される。
これだ――ごくりと生唾を飲み下す。
条件はまるで分からないが、この状態でトリガーを引けば、再びエデンへ舞い戻る事は可能なはず。直感的に、それだけを感じ取る。
ラキには置き手紙を残した。謝りと、礼の言葉を書き綴ってある。
ラキなら、きっと分かってくれるはずだ。ケイの決断を。
(本当に良くしてくれた……だからこそもう一度、立ち向かおうと思えた……)
恩返しできないのは残念だが、絶対に忘れない。せめて、最後まで生き抜くと誓おう。それがラキの真心へ応える事だ。
息を止め、腹に力を込めて、トリガーにかかった指が、引かれていく。
あの時とは違う、紛れもない自分の意思で。
「ケイ、まだ起きてる? ボク、これからちょっと王城に――」
「え――」
玄関のドアがだしぬけに開かれ、そこに立っていたのは、隠れ酒場から帰る道すがらに別れた、ラキの姿。
指のかけたトリガーから、かちりと音がして。
ドンッ、と激しい衝撃音が鳴り響き、ケイの周囲にあの、ガラスのひび割れが無数に刻み込まれ――全てが闇へと崩れ去っていった。
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