第七話 勇者姫ゼノサ

 確かにスピードは出ていた。ものすごく。


(地面が揺れている……空が逆さだ……!)


 しかしそれ以上にラキの運転はエキセントリックで、振り落とされないようしがみつくので限界であり、飛び去っていく町や街道といった風景を楽しむ暇がなかった。


「うっぷ……っ」

「ごめんごめん、次はもっとゆっくりした乗り物で飛ぶからさ。いずれリベンジさせてよ」

「乗り物の問題なのか? 乗り手じゃなく……」


 深呼吸を繰り返し、どうにか胸が楽になってきたケイは、降下した周囲を見回す。

 どうやらすでに王都を出て、空気が湿って土の軟らかい林道へとたどり着いているようだ。

 鬱蒼とした木々に挟まれて緩くカーブした間道の、約20メートル程先にある岩陰には二台の馬車が留まり、行商人風の男が荷台の端に座ってけだるげに欠伸を噛み殺している。


「どうするんだ。とりあえず話を聞いて――って、おい、ラキ……!?」


 話を聞いているのかいないのか、ラキは男の方へと近づき、フレンドリーに声をかけた。


「やあ、ちょっと尋ねたいんだけどいいかな」

「ああ……? その格好、あんた魔法使いか? 俺達に何か用か?」

「それが、物探しをしててね。精霊祭の贈り物が何者かに盗まれたって話を聞いてさ……」


 そこまで言ったあたりで、うろんだった男の視線にかすかな警戒心が含まれる。


「物騒な話だな。その犯人が近くにいるのか? だったらさっさと避難した方がいいな」


 それには同感だよ、とラキが笑う。


「もう一ついいかい? ついさっき、ここにゼノサ姫が来なかったかな。あの方も盗品を探しているみたいでさ」

「知らねえな。俺達は今から港町へ出て、ドメハ諸島まで品を運ぶ所なんだ。お姫様がわざわざこんな獣道を通るとはとても思えん」

「それはどうかな……。ボクには、間違いなく王女様がここに来たと思うんだけど」

「どうしてそう思う」


 面倒くさそうに肩を回し、男は何気ない動作で荷台から地面へ降り立つ。


「それどころかまだ、すぐ近くにいるはずなんだ」


 ラキはすっと腕を上げて、その後ろにある荷台の――少しだけ開いた幌の暗闇を指差した。


「たとえばそこの――荷台の中とか」


 男は沈黙した。

 眉根をひそめ、剣呑な眼差しでラキを見据える。

 ラキは動じず、静かに。


「わずかだけれど。……今」


 その白魚のような指を、男の方へと向けた。


「キミの体温……変化したね」


 睨み合う二人。虫の鳴き声すら途絶え、肌のひりつくような緊迫感が張り詰めて、ケイは足先一つ動かせないままに成り行きを窺うしかなく。


 そして先に動いたのは。


「死ね!」


 突如として馬車の横合いから飛び出して来た、男の仲間とおぼしき二人の敵。

 ――寸時、これまでとは比較にならない程の強い『音』が脳内に響き渡り。


「な、なんだこれは――うわ、熱い……!」

「あちちちっ! あ、汗が止まらない……!」


 どうした事だろう、男達を包むように、突如として陽炎が湧き出して来たのである。

 相当の高熱を伴っているのか、瞬く間に男達の身体中から汗が噴き出て、それでもなお耐え難い暑さに服まで脱ぎ始める。


「熱い、暑い……水、水をくれぇ……っ。あへ――がくっ」


 白目を剥き、陸に打ち上げられた真っ赤なゆでだこのようにひっくり返ってしまう。


「ふふ……身体中の水分が枯渇して動けないよね。しばらく大人しくしているといいよ」


(……陽炎の中の空間だけをサウナか、炎天下の砂漠みたいな環境にさせて、急激な発汗による脱水症状を誘発させたのか……えげつねぇ)


「お――お前ら、そこを動くんじゃねぇ!」


 その矢先、一人目の男の怒鳴り声が響く。


 振り向けば、なんと縄と猿ぐつわで後ろ手に縛られた一人の少女を抱えるようにして、その首筋へ短剣の刃を押し当てていたのである。

 ケイと同い年くらいだろうか、明るい金髪碧眼に赤いヘアバンドをつけ、ポンパドールピンクの燕尾服を着ており、金色の肩章からふさふさした紐が垂れている。

 ボトムスは引き締まった身体のラインがよく分かる白タイツに膝下まであるベージュのブーツと、絢爛でしなやかな印象を受けるが、本人は男に抑えられむぐーむぐーと顔をしかめてうめいていた。


「動くなよ、指一本でも動かしたらこいつの喉を掻ききるぞ!」

「なっ……」

「……やっぱり王女様は馬車の中にいたんだね」

「な、なら、この人がゼノサ姫……!?」


 ラキの読みは当たっていたのだ。とはいえ現状、男に捕まっていては動くに動けない。


 幌馬車の奥から、犬のような、狼のような、ひどく恐ろしげなうなり声がした。


 人を本能的に怯ませるような不吉な声とともに、闇の中から二つの赤い眼が浮かび上がる。


「よ、よせ! まだお前の出番じゃ――」


 それに気づいた男は血相を変え、ゼノサへの注意もどこへやら、馬車へ振り向いて叫ぶ。

 直後。

 闇の帳から幌の布地も馬車の外枠ももろともに引き裂き、男を突き飛ばして巨大な何かが現れた。

 体長は人間の三倍はあるだろうか。ドドメ色の毛皮に覆われた上半身は筋肉が山のように盛り上がり、四肢もまた強靱な針金を織り込んだかの如く太く、腰巻きだけをつけた、真紅の眼光を放つ狼の頭を備えた――人にあらざる怪物だった。

 しかもそいつは、影だけを残すようなスピードでラキへ追い迫り――その腕を真っ向から叩きつけていたのである。


「ラキ!」


 十全に勢いの乗ったハンマーのような拳に対し、ラキは目の前に素早く炎の壁を作り出して攻撃を逸らすが、威力と衝撃は殺しきれずに後退させられ、壁はかき消されてしまう。


「探知魔法に、引っかからなかった……のは。そうか、人狼――魔物、だからか……」

「魔物……っ?」


 険しい表情でラキが呟いたセリフに戦慄する。

 では、この人狼と呼ばれる化け物が、かつて魔王大戦という戦争で人に猛威を振るったという――魔物。

 人狼はそんなラキを前に半身をかがめて拳を丸め、犬歯を噛み鳴らしていつでも飛びかかれるようにしている。


「ケイ……キミは、ここから離れるんだ。こいつの相手は、ボクが……」

「そんな……一人じゃ無茶だ!」


 焦燥に押されるようにして視界を忙しなく巡らせた寸刻の後――ケイはゼノサを拘束していた男が、馬車の側で仰向けに気絶しているのを見て取った。

 同時に、へたりこんだゼノサと視線が合う。


「んー! んー!」

「な、なんだ……? もしかして、縄をほどけって言ってるのか?」


 こくこくとゼノサが首肯した時、再び人狼が突進を開始する。

 銃弾よりもなおいっそう鋭く迅速なスピードにラキは防戦一方で、じわじわと追い詰められていた。

 ケイは目立たぬよう身を低くしながらゼノサの側へ駆け寄り、男が落としていた短剣を拾い、縄を切断しようとする。


「く、くそ……! う、うまく切れない……!」

「んー! んーんんー! んーんんんんんんんッ!」

「分かってるよ、急ぐから焦らせるなっ……!」


 だが健闘むなしくラキの手から杖がはねのけられ、人狼の蹴りが彼女の胴を打ち据えて吹っ飛ばす。

 木立の奥には崖があったのか、その下へラキは転落してしまった。


「ら、ラキっ! ――あ……」


 思わず振り向いた途端、血の気が引いた。


 見ている。奴が。

 こちらを。新たな獲物を。

 人狼は身を屈め、腰を落として飛びかかる姿勢を取っていた。

 ケイは手が震えるあまりに短剣を取り落としてしまう。

 けれども側にはゼノサがいる。見捨てるわけにはいかない。


「くそ、くそ――!」


 半ば反射的に、ジャケットのポケットに突っ込んだままの、あの白い銃を手にとって構えていた。

 以前は撃とうとしても何の反応もなかったが、ケイは覚えている。

 このチープなトリガーを引いた瞬間、文字通り世界を渡る事象が起きた事を。

 銃を武器と認識していないのか、脅威とすら思っていないのか、間を置かずに人狼が突撃してきた。

 呼吸を鎮めて、集中する。


(頼む……あいつを押し戻してくれ、押し戻して……戻して――)


 ぴぴぴ、と、小さな電子音。

 とっくに0になっていたパネルのカウントが変わり――『リターン』と表示される。


 同時にトリガーを引いた、瞬間。


 衝撃波にも似た反動が銃から発せられ、すぐ間際まで肉薄していた人狼が、急激に何かに引っ張られるようにして後方へと下がっていった。

 そして背中から巨木へと叩きつけられ、めり込む音とともに苦悶のうなりを上げる。


(な――なんだ、今のは……何が起きた……!?)


 何かに吹き飛ばされた感じではない、不自然な動き。

 まるで、逆再生――いや、巻き戻し。

 引き金を引いた途端、弾丸が出たわけでもないのに、リモコンで操作されたかの如く、奴自身が数秒前にいた時点と地点に、戻された。

 だが疾走の勢いや力み、慣性はついたままで、そのせいか巨木には背中まで食い込み、歯ぎしりしながらもがいている。


 ケイは銃を見下ろした。

 どくんどくんと、鼓動が早い。


 これがこの武器の力なのか。

 だがなぜだ。最初に使った時の、あの意識がはじけ飛ぶような衝撃と――ガラスの割れたような音は特にない。本来の用途とは何か違う気がする。


「んんー! んッ!」


 横合いからゼノサに肘でどつかれ、我に返る。

 人狼はその恐るべき膂力で巨木から身をもぎ離し、またしてもこちらへ接近して来ていた。

 だからケイは銃を構え直す。リターンの表示はまだ点灯したままだ。またトリガーを引けば、奴を押し戻せるはず。


 が、しかし、驚くべき事に。


 人狼は近くにあった大岩へ腕を巻き付けると――それを両腕で地面から一息に持ち上げ、腰を入れて思い切り投擲して来たのである。


「なっ、ば、馬鹿な――!」


 風を切り、うなりを上げて突っ込んでくる大岩。対するは玩具のような銃。

 ――戻せるのか。これで。こんなもので、本当に。


(や、やるしか……! うまくすれば、大岩を人狼まで跳ね返せるかも……ッ)


 唇を噛み締め、にじみ出た汗でぬめる銃を握り直してそう覚悟を決めた、矢先。

 前触れもなく、隣からまばゆいばかりの輝きが発せられる。

 白金が照らす、荘厳な光輝。


「うわっ……!?」


 太陽光を間近で浴びたようなまぶしさにまぶたを閉じかけたが、その狭い視野にケイは、槍のように伸びた一筋の光条が大岩を穿ち、粒子状の微塵にまで破砕する瞬間を目撃する。


「……はーあ。やっと自由の身になれたわ。ったく、最悪の気分」


 そう、面白くもなさそうな独白とともに、一歩、ケイの横から前へ出る影があった。


 そこにいたのは、気づかぬうちに拘束から解放されていた、ゼノサ姫その人。

 ケイが落とした短剣を使い、苦戦しながらも縄を切り落としたらしく、手首は多少赤みがかり、眉には皺が寄ってご機嫌斜めさをありありと見せている。


「あんた、助けるのが遅すぎるわよ、この間抜け。あたしが助けてやらなかったら今頃ぺちゃんこだったっての」

「え……」


 じろっと横目で睨まれ、ケイは憮然と口をつぐむ。

 態度はどうあれ、やはりあの岩を破壊したのは、このゼノサなのだろう。

 手には彼女の武器と思われる金の装飾が施されたゴージャスな細剣が握られている。

 どこから取り戻したのかと思えば、横倒しになった馬車から一緒に飛び出して来たのか、鞘だけが車輪の下に残されたままだった。

 そしてさっきのあの、光。

 魔法には光の属性もあるという。加えてゼノサが勇者として活動していたというなら――差し詰め、使ったのは光魔法、というところだろうか。


「ラキの奴も情けないわねー。あんな雑魚相手にいちいち手間取ってバッカみたい」

「お、おい、いくらなんでもそんな言い方……!」


 ラキは命がけでゼノサのために戦ったのだ。それをまるで当然かのようにふんぞり返り、こうまであしざまに言われては、ケイも黙ってはいられない。

 けれども、口論する程の猶予は与えられなかった。

 ゼノサと距離を測るように少しずつ前へ出ていた人狼が、意を決したかのように土を巻き上げ突っ込んで来たのである。


「うっさいわよ。あんたは下がってて。邪魔だから。こいつは」


 と、ゼノサは臆しもせず、逆に無造作なまでに進み出――人狼へ攻撃的な笑みを見せた。


「……あたしがぶっ飛ばす」


 そう言ってのけたゼノサの身体から、激烈なまでの光が満ちる。

 さながら恒星の如く光り輝き、人狼を待ち構えるかのようにレイピアを差し向けて、一言。


「スプラッシュ・ライト」


 ゼノサの全身がさらに光に覆われ――それがいくつもの槍状の塊へと変化した。

 眼前で腕を振りかぶる人狼は驚愕したように動きを止めたが、時すでに遅く。

 光の槍が粒子の尾を引いて撃ち出され、人狼を文字通り光速で通過していった。

 光に衝撃は存在しえない。しかし身体にくまなく光る穴を開けた人狼はその場で打たれたように硬直した後――うめきすら発さず、あっさりとくずおれていったのである。


「はん、ざまーみなさいっての」


 一方で、収束した光から元の身体へと戻ったゼノサは、ほくそ笑んで吐き捨てた。

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