第六話 隠れ酒場

 大通りを後にし、やって来たのは曲がりくねってうらぶれた路地街。


「……キミに見せたいものはこの先にあるんだ」


 日差しは遮られじめっとしていて、ひと気がなく空き家だらけだが、意外と清掃は行き届いているらしく臭気は薄く、浮浪者やごろつきといった怖そうな手合いも見当たらない。


「それで、何を見せてくれるんだ?」

「ボクの秘密基地、だよ。――ほら」


 軽く10分は歩き、ラキが本を閉じて指差した先には一軒の酒場があった。

 日陰に隠れ、看板も汚れだらけだが、両開きのドアの向こうからは快活な笑い声や話し声が漏れてくる。


「さあさ、どうぞどうぞ」

「お、おい……」


 半ば強引に押される形で扉から入り、屋内へ目を走らせる。

 カウンターやテーブル、ランタンやジョッキが置いてある酒場のようで、くだを巻いていた十名の男女の視線が沈黙とともに一斉にケイへと寄せられ、萎縮してしまう。


「え、えっと……」


 ごくりと喉の辺りで唾を飲み込んだケイだが、続いて入って来たラキの姿を彼らが見るや、ぱっと表情をほころばせて席から立ったり、ジョッキの酒をあおったりし始める。


「ラキ! 久しぶりじゃないか、あんまり顔を出さないもんだから心配したぞ!」

「またぞろ図書館か書斎にでも缶詰めになっていたに違いないわ、ねえそうなんでしょ?」

「ごめんごめん、ここ最近は結構忙しくてさ。それで今日は、紹介したい人がいるんだ」


 と、再び注目がこっちへ集まり、目立つのに慣れていないケイは固まってしまう。


「彼はケイ。今はボクのところに居候しているんだけど、良かったらみんなの仲間に加えてあげて欲しい」


 するとまたもぴたりと静寂が落ち、品定めするような目線がちらついて、ケイは思わず。


「ら、ラキ。なんなんだよ、ここは……?」

「ここは隠れ酒場。路地街の深部にある、俺達冒険家の集まる穴場みたいなところさ」


 代わりに返答したのは人好きのする笑みを浮かべた、外套に身を包む一人の青年。


「俺はラッセル。世界を股にかけて秘境を追い求める冒険家だ。ケイだっけ、よろしくな」

「リリィよ。私は変わった宝石が好きで、あちこちの商人組合を訪ね歩いてるの。あなたもレアな宝石の噂を聞いたら、ぜひ教えて欲しいわ」


 と、淡い小麦色の髪を持つ軽装の少女がラッセルに続いて立ち上がり、胸に手を当ててにこりと微笑んでくる。

 その他にも重武装の巌のような大男や、冒険などとは縁遠そうなドレス姿の貴婦人など、続々と自己紹介がされ、ケイは周章うろたえがちだった。


「察しはついてくれたかと思うけど、ここはロマンを追い求める変わり者が集う拠点みたいなものでね。ボクも魔法アイテム蒐集の傍ら、その一人として活動しているんだ」


 それがどうしてケイをここに誘ったのか、その意図が読めず当惑しきりだけれども、共通している事は皆目がどこか輝いているというか――独特の熱を持ってぎらついているというか。

 こういう隠れ家的な雰囲気は嫌いではない。


「ま、交通の便は良くない上、ここの存在は王都じゃ普通に周知されてたりするけど、おかげで集中的な情報交換や相方捜しができて、お気に入りの場所なんだ」

「がみがみ言うマスターもいないし、各々が勝手にブツを持ち込んで楽しめるけれど、その分建設費も維持費も冒険家達が出し合って負担するのよ」

「へえ……あまり合理的じゃないんだな」

「それだけに互いの冒険家としての能力や信頼関係が試されるし、強くもなる――と言えば聞こえはいいがな、掃除までテメーでやらなきゃならんのが玉に瑕だぜ」

「でも清潔にする癖つけとかないと死ぬよ。病気とかで。冒険中は特に」


 ラキの言葉に、みんなは一様にしみじみと実感のこもった頷きを返す。なるほどこの周辺が綺麗なわけが分かった。


「それで、ラキ。俺はどうしてここに連れて……」


 ケイが言いかけた矢先、突然酒場の扉が勢いよく開かれ、叫びと共に闖入者があった。


「ラキ殿! ラキ殿はおられますかな!?」


 戸口でぜえぜえと汗だくで息を吐いていたのは、赤い毛皮の豪奢なコートを羽織った、ふっくらした体型の団子鼻の男である。しかも背が異様に低く、ケイの半分程しかない。


「あれは……トゥルスじゃないか」

「トゥルス様……?」

「この国の内務大臣さんだよ。わざわざ一人でここまで来るなんて、何かあったのかな」


 様子を見てくる、とラキが仲間達に頷きかけ、外へ向かう。ケイは迷うが、後に続いた。


「何かあったのかい、トゥルス」

「火急の事態でございますぞ! 事ここに至っては、ラキ殿の力を借りざるを得ません!」

「って、言ってるみたいだが……なあラキ、お前は何者なんだ……?」


 ケイのセリフに、なんと、とトゥルスが信じられないようにカッと瞠目し。


「ご存じないのですかな!? 魔王が倒れてから早2年、ラキ殿は彗星の如く現れ名をはせた、魔法研究の第一人者なのですぞ! 次々と新しく画期的な魔法を開発し、世界への貢献、功績は枚挙に暇がない程で、魔法使い達全員の教師として知られておるのです!」

「それ……マジかよ」

「やだなあ、そんな大層なもんじゃないよ。ボクはただ、興味がある事に一心なだけさ」


 世界でも五指に入るだろう有名人が側にいた事に、今日何度目かの驚きを隠せない。


「そんな事より、早く本題に入ってよトゥルス」

「そ、そうですな……実はつい昨晩、ムガナクスム様によって贈られた祝いの品が、何者かによって盗まれてしまったのです!」


 なんだって、とラキが眉を上げ、まだ事が呑み込めないケイは首を傾げる。


「確か、そのプレゼントが贈られるのって、七日目の王城で……じゃなかったっけ」

「それはパフォーマンス。実際は先んじて王様と面会して、直接品物を渡しているのさ」

「なるほど……」

「そして、盗まれた品というのがなんと……勇者の剣なのです!」


 今度はぽかん、とラキもケイも口を開け、穴の空くほどにトゥルスを見つめる。


「勇者の剣……ってなに?」

「そ、それは私にもよくは分かりかねますが……ムガナクスム様の話ではどうも、強大な力を秘めた剣だそうであり、この度友好の証として、プレゼントに選ばれたのだとか……」

「って言っても、そいつを使いそうな魔王はもう倒されてるんだろ? なのに今さら……」

「まあまあ、ムガナクスム様はお茶目だし、たまにそういう突飛な事をするからね。でも、そんなに強力な武器が盗まれたとなると、ゆゆしき事だね。魔族達が大陸から一掃された今では、今度は人間のならず者がはびこり始めているし……」

「それに精霊祭も台無しになってしまうのです。ですからどうか、この件は内密にされた上で、ラキ殿には……」

「うん、そういう事ならいいよ。七日目までに、勇者の剣を見つけ出してあげる」


 二つ返事で了承したラキに、トゥルスは額に玉のように浮いていた汗をほっと拭う。


「そう言って頂けると本当に助かりますぞ。……それと、そのう、実は……」

「まだ何かあるの?」


 言いよどんだトゥルスは、つぶらな瞳で見上げてくる。


「……ゼノサ姫も、この話を聞いて捜索に乗り出してしまったのです。勇者の剣は自分のものだと言って聞かず――わ、私は必死にお止めしたのですが……」

「やれやれ、なるほどね。まったく困ったさんだなあ、王女様は」


 肩をすくめてラキは苦笑し、それから安心させるようにトゥルスへ頷きかけた。


「心配いらないとは思うけど、お姫様も無事に連れ帰って来るよ。それでいいかい?」

「なにとぞ――なにとぞお願いします! 私も長く陛下にお仕えし、ゼノサ姫がまだ幼少の頃より見守って来た身。姫様に何かあればと、そう思うと、うぅ……っ!」


 何度も頭を下げ、息を殺して涙ぐむトゥルスを、ラキは柔らかく笑いながらなだめる。


「――あのさ、ラキ……その仕事、俺にも手伝わせてくれないか?」

「……気持ちは嬉しいけど、危険だよ。盗賊が関与している可能性は高いんだから」


 確かに、もしも命のやりとりにもつれこむ羽目になるとしたら、それは怖い。

 あの、時計頭と対峙した時の骨の髄まで凍てつく恐怖が、いまだ色濃くこびりついているのだから。


「それでも……やらせてくれ。力に、なりたいんだ。少しでも……恩義を返したいから」


 目線を逸らさず、正面から見据える。

 ラキも無言で見返してきたが、ややあって嘆息し。


「そういう事なら、手を貸してもらおうかな。でも、危険だと判断したら帰ってもらうよ」


 ああ、と無意識に口の端を上げて頷き、ここに異邦人と魔法使いのコンビが結成された。


「ラキ殿、これは街の者から得た情報ですが、王都西にある林の間道に、行商のキャラバンを装った怪しい一団が隠れていたとの事。恐らく……」

「そうだね。ならそこから当たってみようか。後はボクに全部任せて、吉報を待ってて」


 頭を下げながら、トゥルスは背を向けてひょこひょこと歩き出す。


「それで、何から始める。大臣さんが言っていた場所に行ってみるのか?」

「もちろんだけど、その前に……」


 ラキがやおら腰から杖を抜き出し、それを一振りすると、辺りから赤い光――火の精霊達が顔を出し、蝶のようにふわりふわりと舞いながら、軌跡を紡いで上空へと昇っていく。

 ラキが呪文を口ずさめば、さながら歌声のような『音』に呼応するように精霊達が絡み合い、一つの透明なヴェールへ形を変えると、みるみる空一面に広がっていくではないか。


「これは探知魔法。あの膜の範囲内にいる人間の数と位置を、熱反応から感知できるんだ」


(すごいな……サーモグラフィみたいなもんか)


「今この路地街にいるのは、ボク達や隠れ酒場の十人を合わせて、十二人だね。そのうち五人は完全に呑んだくれて、今にも倒れそうなはずだよ。で――一人は体温が変化している。失禁でもしちゃったのかな」


 にっとラキが笑って酒場の方を振り向けば、赤ら顔の何人かが舌打ちしてわざとらしくそっぽを向き、後ろの方の一人はぎくりと前屈みになって青ざめている。


「……? そこまで分かるのか……とんでもないな、ラキの魔法は」

「ふふん。――とまあ、キミに魔法を見せびらかすのはここまでして、そろそろちゃんとやろうかな」


 見せつけて得意顔をするためにわざわざこんな規模の魔法を使ったらしい。

 異世界の人間だからか、それとも魔法使いという人種だからか、スケールが違うというか何というか。

 改めて、ラキが火の精霊達を王都西の林道へと飛ばし、そこから探知魔法を展開する。


「……ふむ、何人か集まっているね。幌馬車なのにこの悪路に待機しているのは確かに不自然だ。六人……いや、七人? うち一人は多分、荷台の中にいるのかな。この人だけやけに体温が低いのがちょっと気になるけど」


 再び杖を振ったラキが呪文を唱えると、今度は風、土、水の精霊が目前の空間を交錯し合い――いずこからともなく木片やガラクタが吸い寄せられ、瞬きした後には、細かな塵が積もって作り上げられた一本の箒が、ふよふよと浮いていた。


「さあ、箒でひとっとびといこうじゃないか」


 その上にラキは足を組んで腰掛け、ケイをいたずらっぽく手招きする。


「乗り心地は保証しないけど、ね」

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