第五話 王都ジェムゼック

 翌日。

 空も大地も、それこそ星からして知らない世界とはいえ、いつまでも家の中に引っ込んでいるわけにもいかない。

 ベッドから起こした身体の重さはまだいくらか残っていたものの、ラキが「ありあわせだけど」と用意してくれた朝食は柔らかい白パンにきのこがふんだんに入った芳醇なスープ、ポテトチーズサラダにベーコンエッグ、デザートにはストロベリームースと手が込んでいて、おかげで立ち上がろうという気力も湧いて来た。

 昨日は自分の事だけで気が回らなかったが、異邦人のケイにあれこれと世話をしてくれるラキは裏表なく本当に善意だけで接してくれているようで、感謝してもしきれない。


「どう? 今日は出られそう?」

「大丈夫だ……いろいろ、ありがとな」

「どういたしまして。まあ、困った時はお互い様さ」


 いよいよ王都を巡る事になる。一歩家から通りに出れば活気に満ちた雑踏が迎え、ケイは町並みの壮麗さに面食らってしまった。


「改めて、この国の名はレクスリーナ。そしてここは王都ジェムゼック。大陸中央に位置しているから人の出入りや物流が盛んで、物資や財源の豊かさでは随一なんだ」

「そう……なのか」


 派手な衣装に身を包んだ貴族、華やかな柄の入った傘を片手に香水をふりまく貴婦人。

 王国というからには身分の差こそあれども、道行くのは思い思いに着飾った人々。

 ラグジュアリーショップや高級料理店には恰幅の良いブルジョワ達が寄り集まり、貴族用の凝った装飾の馬車が財力を誇示するように停められていたりと気後れしそうになるが、都会的で潤っているというのは一目で分かる。


「繁盛してるように見えるけど……どれも高価そうだな」

「50年前は中立の商業国家に過ぎなかったし、西のマール王国の内戦や、東の遊牧民達の侵略に度々巻き込まれて治安が悪かったんだ。だけど当時、時計職人だったジヨール国王陛下が改革に乗り出し、その見事な外交、内政手腕で国をめきめき発展させ、今じゃ大陸1の富裕国ってわけ」


 そうした解説のおかげで、始めはラキについていくのに精一杯だったのが、だんだん周囲を見る余裕が生まれてくる。

 視野を広げれば、開けた丘の向こうには風車が見え、整備された水路には水車小屋、アーチ状の橋向こうには工場地帯もあるのか、煙が立ち上っているのが確認できた。

 技術的な分野でも進んでいる証拠のように、とりわけ時計を持っている人が多く見られる。


「生活必需品で種類やデザインが豊富だからおしゃれにもなる。男は懐中時計、女性は腕時計が今の流行さ」


 かく言うラキは持っていないようだが、魔法使いだから時計に頼らずとも時刻を知る術は心得ているのだろうか。

 それでなくても、科学の力で正確に時間を計れる近代的な文明レベルには素直に感銘を覚える。


 ――カチッ、カチッ。


 時計の針が動く音が、鼓膜を打った。


 氷のような悪寒が背中を駆け上がってくる。

 脊髄反射で首を振って周囲を見回すも、特に――恐れるようなものはない。それでも冷や汗がにじむ。


(ただの時計だ、落ち着け……ここには奴らはいない。過敏になるな……)


 気を取り直し、そこかしこにちりばめられている先進性に舌を巻いていると、空中にあるものを見つけた。

 きのこのような大きく白い布をつけ、下には人を乗せたゴンドラをロープで吊り下げた、ケイも教科書やテレビのドキュメンタリーで目にした事がある――。


「気球……なのか?」

「まだまだ機関部が未完成だから、今はボクの魔法で浮かせているけどね。でももっと小型化したいし、風向きに囚われないよう機械の力だけで空を飛べるようにしたいんだ」

「って、その言い方だとラキ……お前があれを作ったのか?」

「製作現場に少しアドバイスしただけだよ。ボクの魔法は熱と相性が良いからね。――昨今では科学と融合させた魔法科学の進歩が目覚ましいんだ。船を空に飛ばしたり、自動的に作物を育ててくれる機械を作ったり……世界の時間を一つ進める、まさに革命さ」


 夢のある話だし、魔法の可能性や利便性にも驚かされるが、もっと驚きだったのは、ラキがそうした文明の発展に直接関わっている事だろう。

 口ぶりからして他にも色々な発明に携わっていそうだし、ひょっとしてケイが思っているより、彼女はたいそうな人物なのではないだろうか。


「と、そういえばまだ魔法の説明をしていなかったね。キミの世界では、魔法はなかった?」

「まあ……おとぎ話止まりだな。科学とか機械技術は凄かったけど」

「ここでいう正式名称は、精霊魔法。精霊の力を借りて、現象を引き起こす事をいう」

「精霊って……もしかして、時々出てくる、あの光の玉みたいなやつか?」

「そ。それぞれ火、水、風、土、雷、光、闇の七つの属性に当たる精霊がいて、彼らと契約し、精霊語と呼ばれる呪文を唱える事で対応した魔法を引き出す事ができるんだ。といっても専門の知識や経験がないと、たとえ声に出しても他の者には聞こえないし、呪文の記された本も白紙にしか見えないけどね」


 ケイはぴんと来た。ラキが魔法を使う時に発生する、言語として聞き取れない『音』。


「あれが、そうなのか……それに、さっきからお前が読んでるそれも……?」


 ケイは気持ち遠慮がちに指摘する。

 実は家を出てからというもの、ラキは昨日も読書していたあの赤い本を開き、白紙のページに目を落としながら歩き続けていたのである。


「その通り。あ、別に周りが見えてないわけじゃないよ。火の精霊に、目の役目をしてもらっているからね」


 と、ラキの肩のあたりにぽう、と赤い光が出現する。

 つまり視界を二つ持っているも同じ事であり、そんな事も可能なのか、とひたすら感嘆するしかない。


「この本はヴルゴーの書と言ってね……時魔法使いだった彼の半生が記されているんだ」

「時、魔法……?」

「500年前に地上へ現れ、人に魔法を授けたとされる精霊達。けれどこれは七つの属性のどれにも属さない、伝説の大魔法なんだ。時の精霊レクスと契約したただ一人の賢者、ヴルゴーは、不可逆を可逆にするという大いなる力で様々な奇跡を起こしたと言われてる」


 彼や時魔法に関しての記録や伝承はほとんど失われているけど、とラキが補足する。


「ある時、彼は消息を絶った。だから、この本は苦労を重ねた末にやっと手に入れたお宝なんだ。ボクは何としても、時魔法の全てを解き明かしたい……探求者の一人としてね」

「そっか……ラキならできるさ、歩き読書するくらい熱心なんだからな」


 思う所を正直に告げると、ありがと、とラキもくすりと微笑み。


「――あ、そういえばジヨール陛下も時魔法使いなんだ。この国の名前も、時の精霊レクスから取ってるしね。その力に守られていたら、そりゃここまで国が繁栄するわけだよ」

「おいおい」


 さらりと思い出したように凄い事を付け加えられ、思わずツッコみを入れてしまう。


「って、その王様に会えば、時魔法がなんなのか、分かるんじゃないか?」

「うん。まあ会おうと思えば会えるんだけどね、なんていうか……」


 と、ちょっと視線をさまよわせて口ごもるラキ。

 それよりも、これだけ大きな国の国王に気軽へ会えるような言い方に、ケイはますますラキの正体が気になりつつあった。


「――と、それより! これで分かったでしょ? この精霊祭は、人と精霊がわかり合うために、百年に一度、開かれてるお祭りなんだ」

「ああ……なるほど、だからこんな賑やかなのか」

「呑めや歌えのどんちゃん騒ぎ、そして七日間の後にはお互いの友好を深め確かめ合うため、国を代表してプレゼントを贈り合うんだ。観賞用から魔法の道具、時には国宝とか」

「へえ……楽しそうだな」

「あ……ほら、ちょうどパレードが来たよ。見てみて」


 そこでやっとラキは本から顔を上げ、ケイの肩をはしゃぐように叩いて大通りを示す。

 示されるままに足を止めてそちらを見やり、そしておお、と驚嘆に目を見開いた。


 それは精霊の行列だった。左右に居並ぶ派手な衣装の楽団が愉快な音楽を奏で、流星のように彩り豊かな精霊達が跳ねるように踊っている。

 動物や花を模った風船アートが咲き誇るように飛ばされ、煌々としたきらめきが日光を照り返して輝いた。


「やあやあネイバーの諸君! 今日は集まってくれてありがとー! 残り六日間、一緒に楽しもうねぇ!」


 行列中央には屋根のないオープンな大きな馬車が純白のペガサスに引かれて進み、席上では琥珀色の花飾りのついた冠をかぶった、まだ幼さを残す少女が浅葱色の短い髪を活発そうに揺らし、赤と青のオッドアイをくりくりさせて立ったまま群衆に手を振っていた。


「あの子は……?」

「精霊達の神、精霊神ムガナクスム様さ」


 精霊神。つまり神様という事か。

 あんななりの、普通の女の子にしか見えないのに。


「見た目に惑わされちゃ駄目だよ。確かに精霊祭の度にやって来て、王都でお祭りを楽しんでいくけれど、『時』を除く七つの全属性を同時に操る、世界最強の魔力を持っているんだ。精霊達はムガナクスム様の子供のようなものだね」

「マジかよ……」


 ムガナクスムが手を振る度にその軌跡を精霊達がなぞるように飛び回り、弧を描いて打ち上げられた光から華やかな花火が晴天に弾ける。

 その様はさながらアイドルか大スターのようで、説明されても到底神様には見えない。


「あはは、まあ親しみやすい神様だからね。あの方を始めとして、精霊はみんな平和とお祭り事が大好きなんだ。だからケイも、変に肩肘張らなくて大丈夫だよ」

「そ、そうだな……」


 と、気を取られていたせいか、ケイは後ろから歩いて来た誰かに軽くぶつかってしまう。

 不注意だった自覚はあるが、軽くたたらを踏んだ相手はおどけたように肩をすくめ、洒落た緑の羽帽子を取って小さく笑う。


「おっと、失礼」

「い、いや、俺の方こそすまない……」

「ふふ、あまりに質素な格好なものだから、私の方こそ気づかずにごめんよ」


 などと、まるで悪気のない調子で続けたのは、シルバーブロンドの艶やかな髪をオールフロントにセットした、うりざね顔の若い男だ。

 ぴっちりしたグリーンのチュニック、ふわりとしたスカーフ、薄く軽やかなマントとまさに貴公子という衣装で、微妙に伏し目がちなのがまたそれらしい風情を引き立てている。


「大丈夫ですか、ぼっちゃん」


 その後ろから、連れらしい者が現れた。

 若い男よりも一回り背が高く筋肉質、短く刈り込んだ黒い髪を三つ編みにし、全身を銀の甲冑で固めて腰に大剣を刷いた片目の男である。


「私は問題ないよ、コーエン。さあ、早く王城へ赴こう。愛しのゼノサが私を待っている!」


 すでにケイの事など眼中にないかのように、歌うように告げた若い男は早足で進み出す。


「お待ち下さい、人通りも多いゆえ、一人で先走られるのは危険ですよ」


 コーエンと呼ばれた大男は困ったような笑うような口調で呼び掛けてから、ケイの方を一瞥する。

 その頭一つ分上から見下ろされる風格はさるものながら、頬や額に刻まれた凄惨な傷痕や、この人だかりでもむっと鼻を突く血臭が禍々しい威圧感をもたらし、ケイはつい目線を逃がしてしまう。


 あの二人は、とラキが歩み去る背中を見つめ、口を開く。


「おぼっちゃんの方は、マール王国に連なる名門の一つ、カラーバンド公国の公子、ルンゼファ様さ。見ての通りの気取り屋で、ここのお姫様に惚れてるんだ」


 精霊祭にかこつけて駆け付けたんだろうね、と笑い混じりに言い、ふと真顔になって。


「……もう一人は西方諸王国を代表する、最強と名高い黒銀竜騎士団の長、ドルーア・イフィスカール・ベン・コーエン。今はルンゼファ公子の護衛なんかしているけど、魔王大戦では魔将をも討ち取る大殊勲を立ててる」

「魔王大戦……? 魔将?」

「ああ、まだ教えてなかったね。……この大陸は野心あふれる恐ろしい魔王と、人ならざる恐るべき異形、魔族達の侵略を受けていたんだ」

「侵略――って……おいおい、それじゃのんきにお祭りなんかしてていいのか?」

「まあ、2年前の話だからね。……残虐な魔物達に大勢の人が殺され、村は焼かれ都市は破壊された。でも襲い来るその脅威にレクスリーナをはじめ、大陸中の国々が力を合わせて立ち上がり、ついに魔王を討ち取ったのさ。この国の第一王女、ゼノサ姫がね」

「お姫様が……それは、なんというか豪気だな……」


 そう呟いた直後、ちょうど折良く道行く人々から、当のゼノサの名前が聞こえて来る。


「やれやれ、つい先だっても繁華街でゼノサ姫が無銭飲食や喧嘩騒ぎを起こしたって話じゃないか。あれでたくさんの怪我人が出たらしいし、ほんと勘弁してもらいたいね」

「仕方ないさ。勇者姫なんてもてはやされて、すっかりいい気になってる。そりゃ世界を救ってもらったのは感謝してるけどさ、その立場にいつまでもあぐらをかくのは……ねぇ」

「世界を救った英雄も平和になればただの人、か。いっそコーエン様も、魔将マルヴァーンでなく魔王を倒してくれりゃ良かったのに」

「魔王に従う強力な四体の魔物――四魔将の一、竜王マルヴァーンか。しかも友好の証にと自分の娘を差しだすのに見せかけて国境を襲い、魔王大戦の戦端を開いた元凶ときた」


 竜王、と聞いてケイは目をぱちくりさせる。


「つまり……ドラゴンキング?」

「その息吹は山をも溶かし、その爪は鋼鉄を易々と引き裂き、その鱗はあらゆる攻撃を無欠に防ぎ止める――魔王城へ至る天嶮の要害、竜牙の谷を守護する魔王軍のナンバー2さ」


 そんな相手を、先ほどのコーエンは討ち滅ぼしたのだという。

 その上現在ではどうも、ナンバー1の魔王をやっつけたゼノサ姫より、あちらの方が民の人気も高そうだった。


「魔王と竜王……そして戦争、か」

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