エメスサイド Ⅰ

第二章 第四話 魔法使いラキ

 ――ケーくん……。

 ――ねえ、目を開けて。

 ――……ケーくん……っ!




 誰かに呼ばれた気がして、ケイは眼球に張り付くまぶたを開く。

 節々が強ばり、脳髄には刺すような疼痛が渦巻いている。

 茫洋とした眼差しのまま、身を起き上がらせて。


 生きている。息をしている。

 あの後――どうなった。

 思い起こそうとすると、だしぬけに腹部がえぐられたように痛み、霧がかかっていた頭の中が一気に鮮明になる。


「ぐ……うぅ、ああっ……!」


 激痛のあまり、喘鳴混じりにうめきながら身を丸めて脇腹を見やると、紺のジャケットの脇腹を突き抜けて、赤い破片のようなものが深々と肉に刺さっている。

 ――恐らく、射出された際にどこかへぶつかり、飛び散っただろう、あの針の。


「あぁ……があぁぁ……ッ、ぐっ……!」


 歯を食いしばりながら破片を掴み、引き抜いて石畳の上へ投げ捨てる。

 ……石畳?


「ここ……どこ……だ?」


 汗にまみれ、肩で荒く呼気を継ぎながらも、ようやく周りを確認するだけの余力を得る。

 どこか、路地裏のような場所だった。

 左右には民家のような建物があるものの、どうもこれまでとは雰囲気が違う。


「空……が、ある?」


 振り仰げば、建物に挟まれた路地からでも目に沁みる程の、雲一つない青空があった。

 エデン内の淀んだ臭気とは様変わりした澄んだ空気が心地良く、暖かな日差しも眩しい。

 何がどうなっているのか……分からない。

 ケイは出血の続く脇腹を押さえながら立ち上がり、何やら騒がしい大通りのような方へ、ふらふらと歩いて行く。

 白い鳥の群れがばさばさっと空を舞い、斜めに差した朝日に目がくらみそうになる。

 そしてケイを迎えたのは、なんとも賑やかな喧噪に満ちた、町並みの一角だった。

 それも日本とはまったく異なる建築様式の、石造りや色とりどりの屋根、飾りが目立つ民家や店舗、露天の数々。

 白く磨かれた石畳の上を馬車が走り、胴衣やスモックを着た人々が行き交っている。

 まるで中世ヨーロッパを思わせる情景に、言葉を失うしかない。


「……俺は、あの世に来たのか……?」


 それにしてはファンタジックにすぎる、とケイはふと白い銃の存在を思い出し、ポケットから取り出してみると、何も操作していないのに再びカウントダウンが始まっていた。


「今度は5時間弱……? 何が起きてるんだ、意味が分からない……」


 その時、出血からかふらりと意識が傾き、つられるように足がもつれて前方へよろけていってしまう。


 そしてちょうどそこには、本を開きながら歩いていた一人の女性がおり。


 二人とも弾かれ、それぞれ尻餅をつく体勢で座り込んでしまう。


「う、うわっ……大丈夫かい?」


 びっくりしたように声を上げた、大学生くらいの女。

 その容貌を見て、ケイの方もまぶたをしばたたいてしまう。

 まず目を引いたのが、背中まで伸びた艶のある緋色の長い髪。そして淡い金の混じった深緑の瞳である。若くも妙齢にも思える整った顔立ちをしていて、かなりの美人と言えた。

 青鈍色のゆったりしたローブを羽織り、先の折れたたっぷりした三角帽子も同色で統一。

 足は長く腰は引き締まり均整の取れたスタイルで、インナーも露出が少なく、アニメやゲームに出る、異世界の魔法使いそのままといった出で立ちだった。

 半ば圧倒されたケイは目を見張ったまま黙っていると、その女はケイの血に染まった脇腹や、べったりと血糊の付いた手に気がついたのか、はっと顔色を変える。


「キミ、ひどい怪我をしているじゃないか! ちょっといい、ボクに見せて!」

「え……お、おい……っ?」


 女はかがみ込みながら、ローブの内側から茶色い、教鞭のような杖を取り出した。

 その先端を傷口のあたりへ向け、早口に呪文のような文言を唱えようとする。


「や、やめろ……っ!」


 反射的にケイはその杖を掴み、押しのけるようにして壁に背をつけ、立ち上がろうとした。

 しかし思った以上に痛みが激しく、すぐに膝が折れてしまう。


「やめろ……俺に触らないでくれ……もうほっといてくれよ……」


 弱々しくかぶりを振るケイに、女は最初軽く意表を突かれた風だったが、やがてふっと目元を緩めてしゃがみこみ、うつむきながら震えるケイと目線を合わせて。


「……大丈夫。悪いようにはしない」


 ささやきかけるような声音で、優しく語りかけて来た。


「その怪我を治してあげる。だから、少しだけじっとしていて欲しい――ボクを信じて」


 どうすればいいのか分からず、ただ当惑しながらケイがその深い緑の瞳を見返していると、再び女は何事かを呟くように唱える。


 突然、頭の中に囁くような『音』が聞こえた。


 言葉のようにも思えるのに意味は聞き取れず、ただ脳に染みこむような感覚。

 ふいにどこからか、女の隣に火の玉が浮かび上がる。けれどそれは火というよりも、透明なガラス玉の中に灯火をつけ、粉のように白い粒子を散らす、暖色の幻想的な光だった。

 その光がケイの方へ近づき、くるくると身体の周りを回ると――不思議と傷口が温かくなり、同時に白く発光していく。


「傷が……治ってる?」


 ジャケットをずらせば、そこに穿たれていたはずの赤々とした傷口は見当たらず、痛みも嘘のように失せて、つるりとした皮膚が覆っていた。


「良かった……うまく治療できたよ。一応聞くけど、もうどこにも怪我はないよね?」

「あ、ああ……あの、ありが、とう……?」


 ケイが戸惑いながらそう伝える間に、女は取り落とした本――どのページもなぜか白紙だが――拾い上げ、杖で埃や土を落としていく。

 赤と黒の装丁の、豪華そうな本だった。


「ボクは魔法使いのラキ。……このあたりじゃ見かけない格好だね。どこから来たの?」


 いまだに、状況は何一つ掴めていない。押し黙っていると、ラキはふむと顎に手を当て。


「もしかして……わけありかな? それとも迷子? 魔王の使い?」


 口元に笑みを浮かべ、身体を傾けてからかうように問いかけられ、ケイは眉根を寄せた。


「あはは、怒らない怒らない。ごめんよ、でも気になっちゃって。……そうだ、行くあてがないならボクの家に来なよ。落ち着くまでは、そこでゆっくりしていいからさ」

「いや……そんな、勝手に。……まだ、足もうまく動かないし」


 ほらほら、とラキがくるりと杖を手元で回すと、再びあの光が現れて背後に回り――しゅっと音を立てると、背中がいきなり熱くなった。


「あちちっ」

「あはは、動くじゃないか。ほら、こっちだよ」


 仰天して立ち上がったケイを茶目っ気たっぷりに一瞥し、ラキが通りの方へと足を向ける。

 群衆の中へあっという間に見失ってしまいそうだったので、やむなく追いかけた。


「ここがボクの家。さあお客さん、ようこそ、ようこそ」


 三毛猫の顔を想起させる、町中でも一際カラフルな装飾の家の前へラキが立ち、ドアの前で杖を一振りすると、ドアの向こうでかちりと解錠音が鳴り、ひとりでに開く。


「なあ……さっきからやってるそれって、一体」

「魔法だけど、どうしたの?」

「……いや、別に」


 外観が独創的というかファンシーなだけに、さぞかし中も――と思ったが、こちらはシックな装いだ。

 清潔な赤い絨毯、雑多な書物や蝋燭の置かれた曲線的なテーブル、柔らかそうなソファ、壁には布のかかった試験管が棚に並び、極めつけに奥には巨大な大釜と、居間だけでも物に事欠かない。整理整頓されているが本当に魔女の家そのものである。


「せっかくのお客さんだ、何か飲み物を持って来るから、好きなところで待っててね」


 廊下が結ぶ他の部屋にはキッチンやトイレ、それと書斎や寝室があるようで、ラキのすすめもあってかつい物珍しく見て回ってしまいそうになる。

 しかし好奇心以上に疲労感が勝り、大人しく机の椅子を引いて腰掛け、待っていると。


「それっ」


 キッチンに立ったラキが杖を一振り。するとどうだろう、今度は赤だけにとどまらず、青や緑、茶や黄と色とりどりの光の玉が現れ、空中を楽しそうに回遊する。

 さらにラキが保存庫から持って来た野菜や肉をまな板の上に置くと、緑の光がたちまち側までやって来て舞い踊り、包丁や鍋、ボウルやフライパンといった調理器具が、なんとそのダンスに加わるかのようにふわふわと浮き始めたではないか。

 そこからは早かった。舞い、飛び跳ねる光の輪の中で調理器具が飛び交い、みるみるうちに料理が始まっている。

 タマネギ、じゃがいもといった野菜がリズミカルに切られ、赤い光がフライパンに近づいただけで、ぼっと音を立てて蒸気とともに加熱された。

 反対に青い光は鍋の上までふよふよと漂い、かと思えば大量の水に変化して注ぎ込まれる。


「クリームシチューを作ってるんだけど、できあがるまでもう少し待ってね」


 口をあんぐりと開けて見守っていると、いつの間にやらポットとコップを持って来たラキが微笑みかける。その間にも調理は進められ、早くも美味しそうな香りが漂って来た。

 ぬくい適温のミルクがコップに流し込まれ、ケイの元まで差し出されたものの、なんとなく手をつける気にならず、やつれきりクマの浮いた顔を水面に映す。


「なあ……これは夢なのか?」

「どういう事だい?」


 だから、と口ごもりかけ、ケイはテーブルの木目を睨み据えて頭をかきむしった。

 ラキはミルクを一口舐めて喉を潤し、じっと視線を注いでくる。


 ――もう自分には何もない。


 慣れ親しんだ街も、風景も、星すらも。全部なくなってしまった。帰る場所はない。

 どれが現実で何が夢なのか。もう分からない。頭のおかしい奴と思われようがどうでもいい。

 半ば捨て鉢の体で、ケイはラキを見返す。


「聞いて……欲しい事がある」


 うん、とラキが神妙に頷いたのを見届け、ケイは全てを話した。

 エデンの事、滅び果ててしまった故郷の事、数少ない生存者とアンドロイドの事、けれど自分の手落ちで、二人ともあえなく失われてしまった事――。


「辛い目に……遭ったんだね」


 とても順序よくとは言えず、こみあげるもののままにぶちまけられたとりとめのない身の上話を、ラキは静かに聞いてくれた。


「信じて……くれる、のか?」

「言ったよね。ボクを信じて欲しい、って。そう言ったからには、信じられる方もキミを信じなきゃ。でしょ?」


 にこり、と穏やかに笑いかけられ、ケイは胸の内が震えるのを感じた。それがそのまま顔に表れ、ぽたぽたと、頬を伝う数滴のしずくがミルクへと落ちていく。


「でも、そうか。まさか異世界からの来訪者……なんてね。これもムガナクスム様のお導きかな……なんて」

「むが、むかつ――なに?」

「ううん、こっちの話。さて、要約するとキミはもう、そのエデンという世界から遠く離れて来てしまった、という認識でいいと思う。なにせここはジヨール陛下の治めるレクスリーナ王国。その王都、ジェムゼックなんだから」


 唐突に三つもの固有名詞らしき単語を浴びせられ、ケイは困惑がちに頷く。

 現状を直視し、受け入れる努力をするしかないが、ここは惑星エデンではない。

 何らかの要因で次元だか世界だかを飛び越えてでもしてしまったのか、ケイはまったく見知らぬ星にやって来てしまっているのである。

 どうしたわけかそこにはケイと似た容姿容貌の人類が文明を築き上げ、しかも言語までほぼ変わらないときたものだ。


「キミさえ良ければ、今後の身の振り方が決まるまで、ボクの家にとどまっていくといい」

「それって……いい、のか? 俺みたいな、素性も知れない奴を置いて」

「あはは、まさか放り出すわけにもいかないからね。ちゃんと面倒を見るよ、約束する」


 衣食住に加え後見人としての確約と、何から何まで良くしてくれる。

 ここに来て真っ先に彼女に会えたのは、何よりの幸運だったのかも知れない――。


 その時、外からけたたましい歓声や、激しい楽器の演奏が聞こえて来た。

 ぎくりとしてそちらへ首を巡らせると、窓越しに通りの方で人がごった返しているのが覗ける。


「今は王都を挙げての精霊祭の真っ最中だから、騒々しいのは我慢して欲しいな。どうしても耐えられないなら、防音の魔法をかけるけど……?」

「い、いや、別に構わない。それより、精霊祭って……」

「うん。その辺も含めて、明日から王都を案内したいんだけど、どうかな。君を連れて行きたいところもあるからね。――ともあれくたくたでしょ、今日はもう休んだ方がいいよ」

「ああ……そうする」


 その後は空中を浮遊して運ばれて来たクリームシチューを食べてようやく人心地がつき、一休みする間にラキが杖でソファをベッドに変化させ、寝支度を整えてくれた。


「それじゃ、おやすみ、ケイ」


 部屋着である水色のセーターに着替え、寝室へ戻って行くラキ。


 ケイもベッドへ横になると、テーブルの上に畳んだ紺のジャケットが見えた。 

 ……シロガネの遺品だ。


(身体は疲れ切ってる。なのにまだ全然実感が湧かない。明日から……俺はどうなるんだ)


 これから、どうすれば。

 途方に暮れる程に睡魔が思考を蝕み、やがて夢すら融ける漆黒へとケイは落ちていった。

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