第三話 時計頭

「時計頭の外装は強固であり、いかに銃弾を撃ち込もうとさしたる効果はありません。よって、弱点と思われる頭部の時計部分に攻撃を集中し、速やかな撃破が望ましいです」


 休息の後に出発し、ケイはしんがりを努めるアンの助言を聞いていた。

 時計頭はその防御力のみならず、腕の一振りでさえ人間をたやすく屠ってしまえる恐ろしい敵である。


「それとカメラや警報機といった監視装置にも気を配って欲しい。この辺は特に多いんだ」


 万一発見されれば、たちまち時計頭に囲まれる事態になるとシロガネは警告する。

 しかし気を払いすぎて歩みが鈍っても、時間がそれを許さない。時間切れは死を意味するのだ。


(……あの白い銃があるにはあるけど、武器としては使えないんだよな)


 ケイは自身の羽織った紺のジャケットのポケットに触れて、ため息をつく。

 このジャケットは、出発間際にシロガネから患者服では心許ないだろうと貸してもらったものだ。

 サイズもぶかぶかという程ではないし、保温効果もあって気持ちも楽になっている。


「シロガネさん、ジャケット、ありがとうございます。おかげで寒さを凌げます」

「いいさ。命の恩人に対しては軽すぎるお礼だ。見てるこっちも寒かったからね」


 シロガネが振り返り、朗らかな笑みを見せた、その奥に。


 ――ケイは人影を見つけた。


「あ……あれは……!」


 生存者。無意識に息を呑み、ケイは駆け出した。

 後ろからシロガネの声が追って来る。


「エンドウ君、どうしたんだ! 急に走り出して……っ」

「い、いたんです、生きてる人が! ほら、向こうに――!」


 薄闇と静寂の凝る、ガラクタの散らばった幅広い十字路。

 その物陰から誰かが、反対側の曲がり角へと歩いて行くのだ。ケイが声を上げても、気づいた様子はない。


 赤い、リボンを結んだ少女だった。

 その姿を見て、ケイはどきりと息を呑む。


「――え……」


 似ている。

 紺のブレザー。赤いチェック柄のスカート。

 横顔は長いポニーテールに隠れされていて見えなかったが、その風貌は、紛れもなく。


「……アン……?」


 あっけに取られて足を止めてしまった、刹那。

 ――突如として耳鳴りのような警報音が周囲一面に響き渡る。


「しまった、センサーに……っ」


 ちょうど足下に張られていたレーザーセンサーに引っかかってしまった事に気がつき、血液が凍り付いたかのように立ちすくんでしまう。


「いけない、エデンに気づかれた! 早く逃げなければ……!」

「で、でも、さっきまで本当に、あっちにリボンの……女の子が――!」


 動転のあまり振り返るが、夢か幻だったかのように少女はいなくなっている。

 後はめまぐるしく瞬く赤いランプと、方々に設置された監視カメラと目が合うだけで。


「い、いない……!」


 いや、少し考えれば、あんな監視装置だらけの場所を人間が一人で通れるわけがない。

 つまりあれは……ただの幻覚――なのか?


「私が囮となって敵の目を引きつけます。その間に離脱を」


 アンが身を翻しつつ必要最低限の事柄のみを告げ、拳銃を引き抜く。


「そ、そんな、アン……!」


 だが止める間もなく元来た道を駆け戻り、闇へと姿を消してしまう。

 残されたのは、ケイとシロガネのみだ。


「……彼女の意思を無駄にはできない。エンドウ君、今のうちに行くしかないぞ――!」

「で、でも、こんな……っ」

「――しっかりしろ! 生き残ると言ったじゃないか! あれは嘘だったのか!」


 シロガネに胸ぐらを掴まれて一喝され、ようやく我に返ったケイはなんとか頷きを返す。

 次第に近づいて来る大量の時計音や足音に追い立てられるように走り出した。

 先導するシロガネが、見えて来た一本道を指差して叫ぶ。


「非常階段はこの先だ! とにかく追っ手を撒いて――」


 シロガネの声が途中で途切れ、目の前を走っていた背中が唐突に壁際へ叩きつけられる。

 急停止したケイの眼前で、シロガネは横合いから飛び出して来た時計頭に床へ組み伏せられている。


「シロガネさん!」


 懸命に腕で押しのけようとしながらも、一瞬だけケイを見やり。


「い……行け! 行くんだ! 君はこんなところで死んじゃ駄目だ!」

「そんな……そんなの……!」


 ――時計頭を見るだけで動悸がしてくるし、悪寒とともに意識が遠のきそうになる。


 でも。


 ケイを励まし、共に生き抜こうと約束したこの人を、見殺しになどできない……!


 ケイは足下に転がっていた手頃な鉄パイプを拾い上げ、不慣れながらも両手で握り、構える。

 そのまま唇を噛み締めるようにして一歩を踏み出しながら、大きく振り上げた。


「う――うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」


 時計頭が無造作に振り下ろした腕がシロガネの顔を砕き、べしゃりと爆ぜるような音を立てて鮮血が散った。


「……あ……」


 もみ合うようにしていたシロガネの腕から、力が抜けて床に伸びる。

 同様にケイも、からん、と鉄パイプを取り落とし、呆然とシロガネの顔があったあたりを見つめた。

 柘榴でも割れたみたいに、粘性の溜まりができていた。

 時計頭の金属の指先に、後退気味だったシロガネの黒髪と白い欠片が糸を引いて混じり合っていて。


「あ……あ……、あぁ……っ」


 立ち上がった時計頭が、近づいて来る。

 肉片のこびりついた金属骨格が、近づいて来る。

 シロガネの声は聞こえない。

 ただ、カチッ、カチッ、と――音が。

 音だけが。

 ケイの手を誰かが掴み、すぐ側方の通路へと引っ張った。

 ぼやける視野が――紺のブレザーと、なびく栗色の髪を捉える。


「アン……シロガネさんが……シロガネ、さんが、し……死んで……」

「そうですか。あなたが無事で良かった」

「みんな……こうやって死んだのか? 殺された……のか? お、俺も……あいつらに」

「一度、撤退します。足を止めないで下さい」


 撤退って、どこへ。頭がうまく働かない。喉がかすれる。足先がおぼつかない。

 無理だ、こんなの。

 逃げられない。逃げられるわけがない。

 網膜に――シロガネの死体が焼き込まれて、消えない。さんざん嗅いだはずの血の臭いに、吐き気が止まらない。


 たどり着いたのは、最初にアンと出会ったあのロビー。結局戻って来てしまったのだ。

 アンは左右に二つあるエレベーターの右側の前へ立ち、ドアの隙間へ両手を添えるようにすると、脳を掻きむしるような金属音を立てて一気に引き開いていた。


「敵は柔軟な動きができません。なので危険ですが、シャフト内の梯子を上へ登ります」


 縦穴の底はなく、頭を上げれば梯子伝いのはるか上方にドアがちらりと見えるだけ。アンの言う通りシャフト内に時計頭の姿はないが、命綱もなくこんな高所を進めというのか。


「ケイは先に登って下さい。私はしんがりを――」


 ロビーの空間を切り裂くようにして飛来して来た何かが、アンの腹部を撃ち抜き、エレベーター横の壁へ身体を縫い止めた。

 何が起きたのか分からず、ケイは目を見開く。


「アン――!」


 アンの腹を射貫いたそれは――人の腕ほどもある長大な赤い針だった。

 振り向けば、三体の時計頭が歩み出て来ている。


「なんだ、あいつら……っ!」


 他の時計頭と違い、時計が頭部と――左腕へ小手のようにはめられていた。

 しかもその腕部分がまるで弾丸を装填するようにスライドし、先端からはアンに刺さったものと酷似した、あの赤い針が突き出てきている。

 間髪入れず、左腕をボウガンのように構えた時計頭が針を射出して来る。

 アンは棒立ちのケイを横へ突き飛ばして退避させると、串刺しになったままの体勢で銃を撃ち返す。

 その射撃は正確無比で、ボウガン型の時計頭の時計を次々と破壊していくが、飛び交う銃弾と針の嵐にシャフトを登るどころではなく、ケイは身を低めて祈るしかない。

 ほどなく、銃撃戦は終結した。全ての時計頭を倒したアンが腹に突き刺さった針を引き抜き、ぽたぽたと血のような体液をこぼしながら、ケイの手を引いて立たせる。


「怪我はありませんか?」

「あ、ああ……すごいなお前……――う、後ろッ!」


 ケイが指差した斜め後方には、頭部を破損しながらもいまだ健在のボウガン型が一体、こちらへ狙い定めていて。

 射出された一本の針がアンの膝を貫き、その体勢を傾がせる。

 それでもアンは倒れ込みざまに半身をひねって発砲し、時計頭を破壊してのけた。

 が――そのまま力なくシャフト内へと身体が沈み込んでいく。

 ケイは弾かれたようにアンの左手を掴み、危うく底へと落ちないよう必死に支えた。


「し、しっかりしろ、アン! 待ってろ、すぐに引っ張り上げて……!」

「敵の増援が来ています。――私の事は放棄して下さい、ケイ」


 変わらぬ無表情から放たれる言葉に、ケイは首を何度も横へ振って拒む。


「い、嫌だ……そんなの! できる、わけがっ……!」


 片膝をつき、身を乗り出して引き上げようとするが、アンの足に刺さった針が予想外に重くのしかかり、うなるように声を上げて満身を込めても遅々として持ち上がらない。


「私はただの機械です。命はありません。あなたが気に病む必要性は皆無です」


 上の方から、鉄を挽くような、不吉で耳障りな音がしていた。


 先ほど、時計頭の放った針の一本が壁面を貫通して、奥のロープをかすめて引きちぎり――。


「もうこれ以上、誰かが死ぬのは……うぅ……ああ……っ!」


 脂汗が顎まで伝い、ケイはにじむ視界をアンへ向けて。

 腕にかかった負担が、不意に消失する。


 火花を立てて暴力的な勢いで落下してきた昇降機が一瞬、視覚と聴覚を麻痺させた。


「――……アン……?」


 応答は、なかった。姿も、ない。

 手元には、紺色の袖口が張り付いたままの左手が握られており――その切断面からは、機械の部品が覗いている。

 すぐ目前にある段差と、シャフト内下部にまで一面にぶちまけられた赤い体液だけが、アンがついさっきまでそこに存在していた痕跡を残していた。


 ――時計の音がした。


 いくつも、いくつも重なり合い。背後から、迫って来ている。


「あ……あぁ……あ……」


 ケイは虚脱しながら無意識に、ジャケットから白い銃を抜き出していた。

 一刻も早くここから――この地獄から抜け出したい一心で、その銃口に当たる部分を。


「はあ……はっ……はぁ……っ!」


 血走った目で、こめかみに押しつけて。

 視界に暗幕が垂れる。何も見えない。時計の音も、しない。

 ただ、どくん、どくん、と自らの鼓動の音だけが、どこまでも鮮烈に響いて。


 引き金が――ゆっくりと引かれた。


 その瞬間、激烈な轟音と衝撃が頭部を揺さぶり、意識が引きちぎれるように弾け飛ぶ。

 同時に銃から小さな電子音が発されたかと思うと、0になっていた時間の表示が消え、ロビー全体に、まるでガラスへ銃弾を撃ち込んだかの如く、空間を包み込むほどの巨大な亀裂が発生した。

 その亀裂は次第にばらばらと砕けて降り注ぎ、何もかもを闇へと呑み込んでいく。

 気を失い、崩れ落ちたケイの手に収まる銃には、ある短い文字列が瞬いていた。


 ――『エメス』――

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