第二十二話 黒幕

 その数時間後。

 ホールからドア越しに漏れ聞こえて来る笑い声や陽気なメロディを背に、少し離れた客室には数人の男女が集まっていた。


「急にこんな所に呼びつけて、あんたどういうつもりなわけ?」


 その内の一人、ゼノサは部屋中央に備え付けられたソファに座り、不満げに頬を膨らませてケイを見上げてくる。


「会場から我々を引っ張り出すくらいだ、きっと火急の用事があるものと見受けるが……」


 テーブルを囲むようにしてジヨールとトゥルスが並び、窓際ではヨルが瞑目したまま背を預けている。

 そしてアンはケイの斜め後ろに無表情で佇んでいた。


「いきなり集まってもらって、多分みんな困惑してると思うし、申し訳ないとは思う」


 でも、とケイはまっすぐに彼らとそれぞれ目線を合わせ、吐き出すように言った。


「聞いて欲しいんだ……俺、勇者の剣を盗もうとした犯人が分かったかも知れない」

「ど、どういう事よ、それってまさか……っ」

「それだけじゃない。多分だけど……剣の盗難事件から時計塔事件、それと……ローを撃った犯人もみんな分かったと思う」

「その、ロー……とは、以前ゼノサから聞いた、人狼の魔物の事かね……?」


 ジヨールの質問に、ケイは頷く。


「あ、ちょ、あのね、お父さん……ローはその、利用されてただけで、そんな悪い奴じゃなかったのよ。私もその、誤解してたっていうか……だからね、その」

「分かっている。全ての魔物が悪というわけではない……彼らは魔王にいいように操られていただけに過ぎん。そのような偏見は、とうに捨て去っておるよ」


 そう、とヨルをちらりと見たゼノサがなんとも言えない表情をした所で、ケイは続けた。


「これらは全部……同一人物の犯行なんだ。これからその正体を、暴きたいと思う」

「暴く……とは、この場で犯人を指名する、という事か?」


 ヨルが鋭く放った言葉に、ケイは頷いた。

 推理ショー……という程の派手なものではないが、みんなをここに呼んだ理由はそのためである。


「もしその不届き者を突き止められたのでしたら、ぜひお聞かせ願いたいものですぞ! このトゥルス、我が国を荒らす曲者に対しては、いささか憤りを隠せませんからな!」

「あ、あたしも別に……いいけど。……ほんとに分かったんでしょうね?」


 ケイははっきり頷いた。そして緊張から乾きだした舌を、少し湿らせて。


「……最初は小さな違和感だった。俺がエメスに初めてやって来た精霊祭二日目。その時は色々ありすぎて神経が過敏になってて……気のせいだと頭から追い払ってた」


 だが今思えばその違和感こそが、犯人すらも気づかない後々まで響く致命傷に通じていたのだ。


「精霊祭のプレゼントに選ばれた勇者の剣が、何者かに強奪されたという話を隠れ酒場で聞いたんだ。俺はラキに無理を言って探索へ連れて行ってもらう事になったんだけど……その時、探知魔法が使われて」


 サーモグラフィーのように広範囲の熱源を探知する、ずば抜けた性能の魔法である。


「二回使ったんだけどさ……一回目は俺に自慢するために、その場で周囲の人間の数を探知して見せたんだ。えっと……確か俺とラキと、隠れ酒場にいた面々を合わせて、合計で十二人……で間違いないと思う」

「その探知魔法がどうしたってのよ? 何もおかしいとこはないけど」

「いや、おかしいんだ。その時に実際に近くにいたのは……十三人だった」

「十三、人……」


 だけど、とケイは首を振る。


「ラキが探知できたのは十二人。人数が合わない。……一人、足りないんだ」


 そこでケイは――ぽかんと口を開けている、トゥルスを見た。


「そう……ですよね。……トゥルスさん?」

「はあ……え、むむ……? ……わ、私ですかな……?」


 突如名指しされたトゥルスは何度か瞬きをして小首を傾げると――部屋中の視線が自分へ集まっている事に気がつき、慌てたように両手を上げた。


「み、みなさん、どうなされましたのですか? それにケイ殿、今の話は、一体どういう」

「……ちょっと待ちなさいよ。それってまさかあんた――トゥルスを疑ってんの!?」


 怒り、というよりいらだちに近い剣幕で、ゼノサがソファから立ち上がる。


「……ああ」

「あんた……いい加減にしなさいよ! ちよっとでも真面目に聞いたあたしが馬鹿だった! くっだらないったらありゃしない!」

「ま、待ってくれ……! ラキは人間のみを探知する魔法を使ったんだ。でも他の十二人全員を確認できる状況で、たった一人だけが引っかからなかった――」

「あたしもう戻るから。はー、馬鹿馬鹿しい。勝手に一人で寝言言ってなさいよ」


 足音荒く退出しようとするゼノサを、その時ジヨールが静かに呼び止めた。


「待ちなさい、ゼノサ」

「お父さん……?」

「彼の話を最後まで聞こう。……皆も、それでいいな?」

「お、お父さんは、そいつの与太話を――トゥルスを疑うっていうの!?」

「み、みなさん、落ち着いて下され。感情的に言い争っても何も解決しませんぞ……っ」


 と、嫌疑をかけられた当の本人が腕をばたつかせ、懸命に鎮静へ努める。


「そ、それにケイ殿も、おたわむれが過ぎますぞ……あの時は私も、姫様が出て行ってしまった事で動転しておりまして、路地街からは早めに帰ったものでして……」

「でも……隠れ酒場から路地街の出口までは百メートルはあるんです。どこかに近道でもなければ、どんなに急いで走ったって探知圏内から出る事はできないはず……」


 仮に馬を使おうにも、あのあたりは曲がりくねった小道ばかり。

 つまり、トゥルスはあの短時間内、確実に路地街に残っていた事になるのだ。


「ケイ……ほんとマジでいい加減にしなさいよ。さもないと……!」

「それが示すのは、一つの答えなんだ……」


 遮り、ケイはためらいがちに言う。


「大臣は、人間以外の、何か……だと思う」


 発言したケイ自身が息を呑むほど唐突に、部屋が静まりかえった。

 誰も彼も、トゥルスを盗み見るように、嫌な空気が漂い――ゼノサだけが、怒気を込めてケイを睨んでいる。


「ケイ……貴様の推理は、それで終わりか?」


 水を打ったような静寂に波紋を広げるように、片目を開けたヨルが尋ねて来た。


「いや……まだある」

「聞いての通りだ、ゼノサ。貴様こそ勝手に退出するべきではないぞ」

「うるさい! だってこんな話、受け入れられるわけ……っ」

「ケイが趣味の悪い冗談でこんな真似をするとは、貴様も思ってはいやしないだろう」

「……それは、でも」

「トゥルスの無実を証明したければ、逃げ出すな。自分を信じて、立ち向かえ」


 ゼノサはドアノブに手をかけたままうつむき、それから無言でソファへ戻って行く。

 ヨルのおかげで、なんとか場が整った。

 が。

 ケイの言葉を待つ者達から注がれる様々な種類の視線。

 戸惑い、動揺、不審、怒り。

 厳しい反論や反発が今後もある事は承知の上。ケイの推理は――戦いはこれからだ。


「次に不思議に思っていたのは、ゼノサが剣を盗んだ盗賊達に捕まっていた事だ。確かに迂闊な所のある奴だけど、よほどの想定外でもなければ捕まったりしないはずだろ」

「うー……そ、それは」


 思い出すに情けない初対面だっただけに、ちょっと決まり悪げに口ごもるゼノサである。


「ゼノサは、盗賊達がキャラバンに扮している事を知らなかったんだ……だからだまし討ちを受けて捕らえられてしまった」

「それはいかにもありえるな」

「うるさいわね。……でもまあその通りよ。あの時は頭にきてて……あいつらが変装してた理由なんか考えもしなかったけど」


 渋々と頷くゼノサ。


「俺とラキは事前にトゥルスさんから伝えられていたから、敵を発見しても警戒を怠らなかった。ところが……ゼノサはこんな大事な情報を、聞かされていなかったんだ」


 これはどう考えてもおかしい。大切な姫の事なのだ、忘れていたなんてありえない。


「そ、その……実は城から姫様が出て行った後に、住民から聞き込みをしまして……」

「なら、キャラバンに関しても知っていなければ変ですよね。しかもそれ……ゼノサに知らせた後に、改めて住民に二度目の聞き込みをした事になる。一刻の猶予もないはずなのに――不自然すぎる」


 見るからにトゥルスの顔色は悪くなっていた。張り詰めた空気の中、ケイは続ける。


「不自然な点は他にもある。盗賊達はフルアーマー……それも魔法防御を高める精霊語のルーンが描かれていた。まるでラキと戦う事を想定していたみたいにさ。そして旗色が悪いと見るや、高額の馬車にも目もくれずに奴らは逃げ出した。あいつらは盗賊なんかじゃない。裕福な何者かに雇われた傭兵か私兵がその正体……これはローの証言通りだ」


 それなら計画が失敗した時のため、あらかじめ港に船を用意していたのも頷ける。


「ローに関しても、復讐心につけ込んで利用するために盗賊達と引き合わせ、王城に入れるよう手引きした人物がいる……そんな事が可能なのは王国内部にいる、それもかなりの権力者だ。この時点で黒幕は相当絞られてる」

「暴論もいいとこよ、それだけで犯人を決めつけるのは……」

「精霊祭最終日の朝……陛下は二人の人間を捜していた。ゼノサとトゥルスさんだ。二人ともこんな大事な日に、突然いなくなるはずはない……そうでしたよね?」

「うむ……ゼノサがあのような暴挙に出たのは初めてだが、これまでの主要な国事には、必ず全て出席していた。トゥルスに関しては言わずもがなだ」


 その口ぶりにはトゥルスに対する絶対の信頼が見て取れて、ケイは胸が痛くなる。


「けど、俺がその日にトゥルスさんを見たのは、巨大時計頭を倒した直後……」


 ケイはそこで、改めて気持ちを強く持ち直すように一呼吸を置き。


「……ローが撃たれた直後だ。それまでは一体……どこで何をしていたんですか?」

「それは、色々と、用事がありまして……」

「それは通らないです。さっきの会話通り、陛下や兵士達と一緒に現れるまで……誰もあなたを見た者はいなかったんだ。つまり、アリバイがない」


 トゥルスは青ざめ、かたかたと震えている。


「うぅ……確かに、今までの推理を含めれば……怪しいけど」


 ゼノサは腕組みをしてうなった後、はっとしたようにトゥルスへ視線を投げて。


「あ――か、勘違いしないでよ、別にあんたを疑ってるわけじゃないんだから!」

「姫様……」

「そうよケイっ、まだ結論づけるのは早いわよっ! 犯人は別にいるに決まってるっ」


 びしっ、とゼノサはケイを指差し、敵意満面に抗弁する。


「ローの時はどうなのよ! 傷口から見つかった銃弾……あんな弾丸を撃ち出す武器、それこそエデンの人間でもなきゃ使えるわけない! それにトゥルスは乱視だから、そもそも遠隔武器なんて扱えないのよっ」

「ひ、姫様……弁護して頂けるのは嬉しいのですが、乱視うんぬんの嘘はいけませんぞ」

「しっ、黙ってなさいって!」


 ゼノサが必死にトゥルスを守ろうとしているのは分かるが、手を緩める訳にはいかない。


「いや……二度目のラキの探知魔法。あれにもやはり、犯人は引っかからなかったんだ」

「あ……」


 愕然と硬直するゼノサ。


「トゥルス……そんな、う、嘘よね……ほら、何か反論しなきゃ! あたしだって一緒に……!」


 トゥルスは消沈したように頭を落とし、ゼノサの呼びかけにも応じない。


「……最後の質問です。二日前……あなたに時間銃を預けましたよね。見せてくれませんか」

「いえ、ケイ殿……技師の見当はつき、装置もその者へ渡したので、さすがに今手元にはありませぬ……」

「いや……――絶対に今も持っているはずです……だって!」


 ケイは語気を強めて、トゥルスへ詰め寄る。


「あの時間銃は故障してる。だから使うにしろ運ぶにしろ、まず修理しなきゃいけない! そしてそれができるのは……あなたしかいないはずなんだ……!」

「なぜそうまで言い切れる……トゥルスをそこまで問い詰める、根拠は何かあるのかね」


 見かねたようにジヨールが反論するが、その時――トゥルスは青ざめた表情で、懐を探ると……そっと時間銃を取り出した。


「仰る通り……時間銃はまだ私の手にあります。ですが……」

「そ、そうよ! トゥルスがまだ持っているからって何!? これのどこが犯人の証拠に」

「だったらどうして……ランプが青く光っている」


 その意味をすぐに理解できた者はいなかった。


 けれども、ケイの視線の先――時間銃の銃身にはめ込まれた小さなランプは、確かに青い光を細く放っていて。

……最初にアンと出会った時、時間銃を前にロビーで交わした会話。


 ――なんか、青いランプが光ってるんだけど……

 ――内部の認証装置によって認証が行われ、待機状態から起動されたようですね

 ――に、認証?

 ――この惑星に住む全ての人間の生体情報はエデンのデータバンクに登録されており、エデンの技術によって製造された製品は手動操作を行わずとも、自動的に本人認証がされるようになっています――


「ゼノサの言う通りだ……あなたは本当は、エデンの人間なんだ。違いますか……?」


 ヨルは信じられないように壁から身を離し、ゼノサが呆けたように立ち尽くす。

 同様にジヨールまでもが息を呑んで振り返り、瞳を震わせてトゥルスを見据える。


 ――これが、これこそが、決定的な証拠だった。


「……こうまで疑われるのも、私の不徳の致すところ……もっともでございます。ですが……」


 トゥルスは、顔を上げて。


「……どうか、どうか信じて下さい!」


 そのぼってりとした双眸からは、滂沱と涙がとめどなくこぼれ……赤く豪華な絨毯を、点々と濡らしている。


「私はそのような、だいそれた事をしておりません……! どれだけ疑いをかけられようとも、この心はいつでも王家のみなさまのために……っ。ですからどうか、どうか……!」


 充血した目をまっすぐ見開いたままの、静かな嗚咽。

 あたりをはばからぬ男泣きに、理屈を抜きにもみんなの心が揺れるのを、ケイは暗い面持ちのまま感じ取っていた。

 トゥルスは再びうつむき、だらりと垂らした片手に時間銃を弱々しく持つ。


 ――もう片方の空いた手が、懐へ伸びかけた時。


 トゥルスめがけて放たれた無数の銃弾が、その頭部を吹き飛ばした。


「え――」


 耳をつんざく銃声とともに一発一発の弾丸が、トゥルスの愛嬌のある丸顔を抉り、裂き、ちぎりとり、まき散らされた脳漿や歯の破片、眼球の残骸が飛び散って、部屋の中心に赤い花を咲かせる。


「アン……? あんた、何してるの……?」


 ゼノサが、構えたマシンガンから湯気を噴かせるアンを凝視した。


「茶番は終わりにしましょう」


 ゼノサの表情から色が消える。


「……何したのか、って……聞いてんだけど……!?」

「彼の手がポケットへ伸びるのを視認しました。武器を取り出そうとしていたのでしょう」


 瘧のように震えながら殺気を吹き出すゼノサにも動じず、アンは自らが完膚無きまでに破壊した、濃厚な血臭を放つさっきまでトゥルスだった遺体へ銃口を向けたままだ。

 あまりの事にケイもまともな思考が吹き飛び、呆然と立ちすくんでいると。


 ごぼり、と液体が膨張するような異音。


 次いでケイ達の前に横たわったトゥルスの身体から、まるで影から染み出すかのように、真っ黒な水のような霧のような、形容しがたいものがあふれ出て来たのである。


「こ、これは……!?」


 それは瞬く間にトゥルスを覆い込み、溶かし尽くすかのように呑み込んでしまうと――そのまま部屋の一角を占拠するみたいに黒いドームが形成されていく。

 ――破裂音が聞こえ、ドームの中から三発の銃弾が飛び出してきた。

 暗い闇の向こうからでも狙いは正確であり、それらが飛来する射線上には、ジヨールが立っていて。


「させるか!」


 瞬間、その間へ影のように降り立ったヨルが、鎌を一閃させて弾丸を叩き落とす。

 これだけ迅速に対応できた理由は、ヨルとアンにだけは事前に話しておいたからだ。推理の流れなどはかいつまんだが、万が一の荒事が起きても対応してもらえるように。


「貴様が……ローを撃った襲撃者か!!」


 ヨルが一足飛びに跳躍し、ためらわずに闇の中へと飛び込みながら鎌を振るい――その斬撃が確かに謎の敵を捉えた手応えが、空気を震わせて放たれる。

 嘘のように晴れていく闇。

 部屋の隅では、敵へ深々と鎌を突き立てたヨルが――どうしてか驚きおののいたような表情で、凍り付いていた。


 そして、その視線の先には一人の男が、脇腹に鎌を打ち込まれ、串刺しのように壁へもたれかかっている。

 ――青い肌と、黒い目……尖った耳を持つ。


「あいつ……魔族、なのか……?」


 身体の色合いが違うものの、区分としてはヨルのような人に似た姿の魔物、でいいのだろうか。

 けれども、ようやくローの報いを受けさせたにも関わらず、ヨルは瞠目したまま。


「……フリウス……?」


 そう、呟いた。

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