第二十三話 フリウス

 その名前――ケイにも、聞き覚えがある。


「フリウスって……確か、四魔将の……フリウス……なのか……!?」


 その時、男がごほっ、と血を吐き、皮肉っぽい笑いを浮かべた。


「お見事です……魔王ヨルリシュア。力を奪われても技は――衰えてはいないようですね」

「待て……魔将――魔王だとっ……?」


 二人の話を耳にして驚愕するジヨールだが、今は説明している余裕は誰にもなかった。


「フリウス……貴様……なぜここに……っ? だって、魔将は」

「魔王城陥落とともに、全て死んだはず……ですか?」

「まさか――まさか、貴様」

「お察しの通り……裏切り奉らせていただきました。あなたを……いえ、魔族そのものを」

「裏切りだと……!?」


 ヨルがぎこちない動きで鎌を引き抜くと、フリウスはその場に大量の出血をこぼしながら座り込み――それでも、どこか勝ち誇ったような不敵な笑みを浮かべたままで。


「……ケイ殿。あなたのその洞察力。その揺さぶり……お見事でした」


 と、ケイの方へちらりと視線を寄越してくる。


「ミスらしいミスはしなかったという自負はありますが……一体何が、あなたに確信を抱かせる契機になったのか……お聞かせ願えませんか」

「……確信はなかったよ。そもそも、ラキの探知魔法が偶然なきゃ、俺もまったく疑わず……ランプの変化すら気がつかずに時間銃を渡してしまったはずだ」

「ふふ……幸運、という事ですか。確かに……あなたはここぞという時に、常にその度胸と機転で運を味方につけ、生き残っていた。なんとも、あっぱれなものです……」

「フリウス……なぜ、なぜだ! 今までの事件も、全て貴様が……!?」

「はい。ケイ殿の推理通り……勇者の剣を狙ったのも、計画の脅威となり得るラキ殿や、ゼノサ姫を消そうとしたのも……時計塔を起動させたのも、この私です。……あなたの魔力コアを、この手で奪ったのも、ね」


 ヨルは悔しいのか悲しいのか分からない風に、フリウスを睨み続ける事しかできない。


「どうせいくばくもないこの命……昔話をしましょうか。今から遡る事400年前……私は、人魔融和政策に対する、反対派の急先鋒でした……」

「人魔融和、政策……?」

「……ほんの以前は、魔と人は友好的な関係だった。だがそれよりも過去――余の父上の時代では、そうではなかった。融和など夢のまた夢、そんな醜く熾烈な争いばかりが続いていた……」


 ケイの疑問に、ヨルが独白のような口調で答える。


「ですが、融和派の躍進により徐々に反対派は衰退……やがて、押し切られる形で世論は……共存共栄へ舵を切っていきました。そこに至り……志敗れたと知った私は、あてどない放浪の旅に、出たのです……」


 ひどく血を咳き込みながらも、フリウスの頬には自嘲の色が濃い。


「ですがそんな折り、彼に……レクスに出会い、その思想にいたく感銘を覚えたのです」

「レクス……? レクス、だって……?」


 伝説の時魔法使い、ヴルゴーと契約した時の精霊、レクス。

 その名が、なぜここで。


「……時の精霊の本当の名は、レクス・ヴルゴー……ゆえに私は、ヴルゴーと名乗ったのです。すなわち、世に知られる唯一の……時の魔法使い、として」

「な――お、お前が……あの……ヴルゴー……!? そんな……っ」


 今、目の前にいるこの男こそが、ラキがあれほど探し求めてやまなかった、時の魔法使いその人。

 ――にわかには信じがたい告白だが、フリウスの話はまだ続いていて。


「私は彼の弟子となり時魔法を学ぶ傍ら、着々と準備を進めました……それもこれも悲願を果たすため。――世界をあるべき姿へ巻き戻し、あるべき歴史を歩ませるため……」

「世界を……巻き戻すだと!? き、貴様……何を言って……」

「あなた方も……心当たりがおありなのではないですか。例えば2年前の魔王大戦……それによる、人と魔の記憶と認識の食い違い、齟齬……」

「う、嘘だろ……そんな、世界まるごとの時間の巻き戻しなんて、芸当……」


 いや。時間と聞いて思い当たる物が一つある。

 ケイの手の中にある――その装置。


「かのムガナクスムにすら匹敵する、彼ならば、それが可能だったのです。そして人魔融和政策が成る直前で……世界は戻されました。相争う、混沌の時代へと」

「なんという事だ……では、今我々が生きているこの世界は……!」

「時間が巻き戻されるや否や、私は精霊戦争が起きるよう各地で扇動しました……元の歴史を知っていれば、工作は容易ですからね……全て、つつがなく思惑通りに運んだのです」

「精霊戦争……? 魔王大戦の他にも、戦いがあったのか……?」

「うむ……人が戦ったのは魔族だけではない。その400年前には精霊達と、種族の覇権を巡って大規模な戦役が起きたのだ。当時の人間の英雄達と、そしてムガナクスムは、いつ終わるとも知れん不毛な戦いに身を投じていた。全ての種族が殺し合っていたのだ……」


 あいつが、とケイは思い返すが、平時のちゃらけた態度からはそんな戦争を駆け抜けた過去があるようにはまったく見えない。

 だが時空剣を手に入れていた事といい、得体の知れなさがつきまとっていたのも事実だ。


「余も不思議だったのだ。人間と精霊達は、力を合わせて魔法を紡ぎ出していた。だというのに、どうしてあのような短期間で関係が悪化したのか……」


 その裏にはレクスの策略や、フリウスの暗躍あってのものだったという。


「しかし、両陣営の抹殺を狙ったレクスの目論見も……介入した魔王によって阻止される事となりました。前魔王は……あえて戦争の調停役に名乗り出る事で、人間と精霊、そして魔族三種族全ての融和を……見事に果たして見せたのです」

「……凄かったんだな、ヨルのお父さん」


 巻き戻された世界でも戦い抜き、志をかなえたのだ。思わず漏れた言葉だが、ヨルはかぶりを振り、身体が溶けるように闇へと沈みつつあるフリウスを見下ろす。


「……読めて来たぞ。貴様が仕官してきたのはその直後……ヴルゴーである事を偽り、さらなる策謀を働かせるために、魔将フリウスとして入り込んだのか……!」

「その通り……です。レクスが消えた後、私はどうしても彼に会いたかった。盟友と、夢を語り合いたかった……思えば、その時点ですでに、彼の理想よりも、あるいは……」


 青虫吐息。意識が危うくなっているのか、フリウスの言動は支離滅裂になりつつある。


「レクスが……消えた? 精霊戦争の間に、どこへ行ったんだ……?」


 だがそれ以上の追及は、こちらを一瞥したヨルの眼差しによって喉元へ押し込められる。

 フリウスの傷は深く、もはや治療も間に合わない。ならばせめて、好きに語らせようと。


「ジヨール様へ近づいたのはその頃です。そして時計塔を作るよう勧め、設計時にもひそかに時魔法を混ぜた構造にしたのです……塔の扉と、最上階の通信装置。そこだけは、私自身が手を加えました……」

「なぜ、私に時計塔を作らせた……?」


 その時、ずっと口を閉ざしていたジヨールが、感情を押し殺すように小さく尋ねる。


「時計塔はエデンとの交信施設……レクスの思いを継ぐには、エデンの計画を果たす必要が……ありました」


 ……どういう事、だろうか。エデンとレクスには、何らかのつながりがあるのか……?

 だが、問いただすだけの猶予はない。すでにフリウスは虚脱したように横たわり、その下半身は闇と同化し、消滅しつつある。


「答えよ。エデンは……貴様達は、何をしようとしている?」

「世界の……融合」

「融……合……?」

「エデンとエメス、二つの世界を一つにする。それこそが我々の最終目標……世界の境はなくなり、時は一つに紡がれる。あらゆる争いは消え、とこしえの平和が……確約される」


 歌うように、懺悔するように。

 ――フリウスはその、恐るべき計画を口にした。


「なんだ……なんだよ、それ。エデンとエメスが融合……? 一つになる……?」


 具体的に何が起こるのかまでは不鮮明だが、こうしてエデンに通じていた者がいる以上、もはや干渉や侵略といった次元の問題ではないのは確かだろう。


「貴様は……この世界に住む全ての生命を裏切り、エデンに売ったというのか!?」

「否定は、しません……あなたの魔力コアを奪ったのも、魔王大戦を引き起こしたのも……エデンの筋書き通りに現在を改変する事で、支配領域を強める意味合いもありました」

「現在の、改変……だと?」

「ええ。ここ2年間、時計塔を通じ……全世界の人間一人一人に、役割が振り分けられていました……」

「役、割……」

「記憶であったり、力であったり……自覚のない、生きた端末、というやつです」

「待って……待ってよ」


 その時、ゼノサが――ひどく取り乱し、消え入るような声音で遮って。


「じゃあ私は……? 私は本当に――魔王を倒してなんかいなかったの……? みんな幻だったって言うの……?」


 訴えるような、懇願するような呟きに、ケイもヨルも口ごもってしまう。


「私が勇者だっていう記憶も、名声も……力も……全部、最初から作り物だったの……?」


 自失と絶望が攪拌されたような目で、ゼノサはぺたんと座り込んでしまう。

 勝手にいじられた、これまで生きて来た記憶――それこそ人生全てを否定するかのような答え合わせ。


「ならば我々は、実際はいもしない犠牲者を疑問も持たずにいつまでも悼み――魔族と無意味に憎み合い、命を奪い合っていたというのか……!」


 信じていたものがひっくり返った衝撃は、察するに余りあるだろう。


「まあ、その割には……整合性が取りきれてはいませんでしたが。ぱっと見の体裁や形式だけ整っていればそれで満足する……所詮は機械らしいミスですね」


 ラッセル達のような、殺したはずの者が手違いで生きていたり、生きているのに殺された記憶だけを持っていたり。それらは全てエデンの干渉によるものだったという。


(信じられない、くそ、頭が痛くなってきた……!)


 この感覚。ごく近くに覚えがある。

 あのタイムカプセルから目覚めた時、世界が一瞬で変わり果ててしまったような……それをここでも感じる羽目になるだなんて。


「……フリウス、どうしてこんな真似を……」


 やりきれない様子のヨルの詰問にもフリウスは動じず、むしろ安らかな口調で答える。


「……長い大陸の歴史上……この世が始まってから、飽きもせずに我々は相争い、希望などどこにもありませんでした。なのに誰もが、いつかは楽園が訪れると信じていた……私は信じられなかった。それだけです。私は……嘘のない世界を作りたかった」

「嘘のない……世界」

「ならば時を止めて、誰もが涙を流さないそんな未来を夢見て、何がいけないのでしょう。だってそうでしょう……打算混じりのかりそめの平和などではない、願望そのものの楽園があるのです。我々は一つになるべき……これもレクスの導きであり……全生命の悲願」


 それは違う、とヨルは強い口調で否定した。


「どれほど改変がなされても変えられないものはある! 心、意思、魂――絶対に捨ててはならんものだ! 自分を投げ捨てては、誰も幸せになろうとはしなくなるっ!」

「果たして、そうでしょうか……。我々の正体とは何か、そして世界の外を知れば知る程、目を耳を口を閉ざしたくなる」


 フリウスは、諦観したような、達観したような――言い表せぬ歪んだ微笑みを浮かべた。


「あなたにも、いずれ分かる時が来ます――ああ、私もいっそ、真実を何も知らず……夢は夢のままで、この世界を過ごしてみたかった」


 フリウス、とヨルはもう後数秒で消え去るだろう、かつての部下へ問いかける。


「お前は余を……世界を憎んでいたのか」

「さあ……どうでしょうね」


 と、ほとんど顔の半分だけになったフリウスが、ついと視線だけをゼノサへ向けて。


「姫様……これにて、お別れです。あなたとの日々は……安らぎを覚えられました。嫌な事を……忘れていられました。……ありがとう、ございました」


 ゼノサは歯をきつく食い締め、下を向いたまま沈黙している。


「……ちゃんと、栄養の偏らない食事を……取るのですよ。お一人で、朝は起きられるようになるのですよ。……もう、あなたは一人ではないのですから」


「……なんで……どうして」


 ゼノサは真っ赤になった目を上げて、あらん限りの声で、叫ぶ。


「どうしてそんな風に、優しくするのよ! あんたは敵なんでしょう、なのに――っ」


 その時には、すでにフリウスは――闇へと同化するように散って、消え去っていた。

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