第三十三話 タイムハンター 上

 時計頭達の破壊と虐殺は、夕暮れの城下町にもまんべんなく及んでいた。

 踏み砕かれた石畳、半壊した住宅や店、穴だらけになった橋、火災が起きて、煙に覆われている往来。

 汗だくで建物の修復に努めている大工達や、はぐれてしまった家族や友人を捜す人々、そして――兵士達が運んでいる担架には人が乗せられ、布がかけられている。


(あんなに……亡くなった人が。……まるで街全体が死んだように静かだ……)


 精霊祭の頃の活気が幻のようだ。悔しいのか、それとも悲しいのか自分でも掴めず、ケイはうつむいて拳を握ると――そこに。


「おーい、ケイ! 久しぶりだな!」


 駆け寄って来たのは思いがけず、ラッセルとリリィだった。ケイの表情も明るくなる。


「ラッセル! リリィ! 無事だったのか……!」

「当たり前でしょう、これくらいでへこたれるなら冒険家なんてやってられないわ」

「そういうこった。女子供は隠れ酒場に避難させてる……王国軍を除いたら、あそこほど戦力の集まる場所はないからな」

「そっか……」

「あなたも来る? 次にいつ襲撃があるか分からないもの」


 いや、とケイは毅然と首を横に振る。

 斥候のもたらした情報によれば、王都東――ウォーベルク平野に集まった時計頭の軍勢は明日にも城へ攻め寄せるだろうとの事。

 援軍は間に合わず、弱った現兵力のみでどうにかしないとならないのだ。


「だから俺は、戦うつもりだ……これ以上、王都のみんなが傷つくのを見たくないから」

「さすがケイだな。もちろん俺達も決戦には参加するつもりだぜ!」

「いいのか……? あいつら、とんでもなく強いんだぞ……」

「レクスリーナにはいい思い出がいっぱいあるから。土足で踏み荒らされたくないものね」


 ラッセルやリリィ、隠れ酒場の面々が参戦してくれるのは、これほど頼もしい事はない。

 ラキもさぞかし喜ぶだろう――なのだが。


「病床にあるジヨール陛下の代わりに、ゼノサが全軍の指揮を執る名乗りを上げたんだ」

「へぇ、面白いな。あのお姫様、精霊祭と比べて別人みたいにいい面構えになったよな」

「俺もそう思う。でも……作戦会議をしないといけないのに、あいつ急にいなくなってさ」


 いないと言えばムガナクスムも、しばらく一人にしてくれと残し去ったヨルもそうだ。


「ゼノサ姫なら、さっき広場へ向かうのを見たわ。なんだか元気がなくて、しおれてて……いつもは台風みたいにお騒がせなのに、これじゃ何だか調子出ないかな」

「だな。ケイ、お前ちょっと行って勇気づけてやれよ」

「お、俺が……?」

「そーよ。あなたとゼノサ姫がいい関係にあるって、街じゃもっぱらの噂よ?」

「な、なんだよそれ……」


 半分冗談だろうが、リリィに背中をぽんと叩かれ、そのまま送り出される。


 果たして、ゼノサはかつて時計塔のあった広場にぽつんと立っていた。

 このあたりの復旧はまだ進んでいないのか、クレーターや倒壊した家が多く、荒廃しきったままである。


「ゼノサ……」

「……私ね。みんなと違って……ずっと昔の記憶が残ってたの。改変される前の」


 ケイが近づき、そっと話しかけると、ゼノサは背を向けたまま憔悴したような声音で言った。


「そうなのか……?」

「うん。だから本当はどこかで分かってた……こんなの間違ってるって。本物の勇者なら迷っても、まやかしに立ち向かうべきだって。でも――あたしにはできなかった」


 ふるふる、と子供がむずかるように頭を左右に振って……ゼノサは涙声でうめく。


「今の自分を、失いたくなかったの……! ……私、本当は臆病で頭も悪くて、何やってもダメで! だからあの、みじめでみすぼらしい頃には戻りたくなかった……っ!」


 その、弱さのせいでこんな――と、ゼノサは顔を覆い、はらはらと涙をこぼす。


「……あたしね。フリウスの気持ち、少し分かるなって。……あたしみたいに弱っちい人間だらけなんだから、そりゃその口に都合の良い世界を突っ込んでやりたくなるってさ」

「けど……今は前を向いて歩いてるだろ。これだけの事があっても、大切な人を失っても」

「それはケイも同じじゃん……あたしなんかより、ケイの方がずっとすごいよ」


 ケイが何も言えずにいると、ゼノサはふと目を上げて、薄闇に沈む残照を見上げる。


「ねえ……別世界でのあたしのお姉ちゃん。リウって人――どんな人だった……?」

「リウは……そうだな」


 ケイは一つ息をつき、ゼノサの視線を追って同じように空へ視線を移した。


「破天荒な奴だった。いつも変な物ばっかり作ってて、学校にまでそいつを持ち込んで、大騒ぎになるのが日常でさ……なのに、本人は悪びれもしないんだ。むしろ失敗したらしたで、どこが悪かったと思う、次はどんなのがいいかななんて、平然と尋ねてくるもんだから……ああ、そういう傍若無人なとこは、お前にそっくりだな」

「なによ、それ……バカみたい」


 かもな、とケイは少し笑って。


「でも……優しい奴だった。いつだって、大切なもののために一生懸命で……だから、一緒にいてやりたいと、思った。なんやかんや、独り立ちできそうにない奴だったからさ」


 そう語りつつ、不覚にも目頭が熱くなってくる。

 アンの元であれだけ泣いたのに、涙は一向に尽き果てそうになかった。


「……会いたかったな、あたし。時を隔てて生き抜いた、お姉ちゃんに……」

「……俺もだよ。きっとお前と、気が合ったと思う」

「あたしね……魔物は悪だとか、私が勇者として育てられた事とか、そういう生まれ育った時からの記憶が、みんな植え付けられたものだったっていざ知らされても……なんていうか足下がふわふわしてる感じで、実感なくて。頭では分かってるだけど……それよりも」


 こらえるように、けれど力強い眼差しで、ゼノサは言い放つ。


「あたしの国を……トゥルスを……! それに顔も知らないお姉ちゃんを、知らないうちに失ってたって事の方が――やっぱりよっぽどヤだし、むかつくのよ……っ」

「そうだな……気持ちは分かる」

「だから、ありがとうね、ケイ……このむかつきのおかげで、やる気出てきた」


 振り返ったゼノサの目元に涙の跡はなく、ただにやりと、不敵ないつもの笑みがあり。


「やってやりましょ――この世界から景気よく、あいつらを叩き出してやる!」






 レクスリーナ南東には野蛮で知られる遊牧民達さえ近寄らぬ大森林が広がり、その最深部には精霊の暮らす大森林が存在するという。

 400年前の精霊戦争において、この大森林とレクスリーナの境に横たわる、かつては数多の血が流されたウォーベルク平野。

 それも今は昔と、なだらかな地平を風に吹かれて高い草木がさざめくこの場所が――今日、死と破壊をまき散らす時計頭達との決着の舞台に選ばれたのだった。


「我が同盟国を荒らす狼藉者共を討ち取れば、ゼノサも私を見直してくれるはず……!」

「やれやれ、公子は愛に生きておられますな。……精霊祭の行楽目的だったとはいえ団の者を百騎、連れて来ておいて良かった」


 正午より布陣した王国軍の右翼を務めるは、ルンゼファとコーエン率いる黒銀騎士団。


「勇者姫さんよ、今のあんたになら命を預けられるぜ……!」


 左翼を固めるのは、ラッセルとリリィ達冒険家を中核とした混成部隊。

 中央は王を護衛する精鋭近衛隊、そしてゼノサ自身を据えていた。

 王自らの出陣に意気軒昂たるレクスリーナ軍の戦列に、彼方からは時計頭の軍団が迫るその様は、さながら黒い川がにじり寄ってくるかのような錯覚を思い起こさせて。

 兵達は、真紅の鱗を持つ地上の覇者――小山の如き巨竜の急接近を目視したのだった。

 顎より上の頭部、そして体躯の右半分を数え切れない程の大小の時計で覆う、差し詰め竜型という所だろうか――しかもその背には、タイムハンターが仁王立ちしている。


 竜を見たラキは一瞬、まなじりが裂けんばかりに目を見開くも――平常心を取り戻し。


「……ケイとアンのおかげで大幅に減少しているとはいえ、敵勢は新顔を含めた強襲型多数の約三万に対して……こっちは総出でかき集めて三千がやっと。救援も期待できそうもないし、厳しい戦いになりそうだね」

「数的不利なんて、あたしにかかればいくらでも覆してやるんだから――さあみんな!」


 ゼノサは報告にも動じず細剣を威勢良く引き抜くと、日光に燦然と輝かせ号令をかけた。


「これが最終決戦よ……全軍、突撃ッ! ――ってこれでいいのよね……?」


 あたふたと手元の台本を読むゼノサを置き去りにする勢いで、騎兵隊を先頭に王国軍が雪崩を打って突進していく。ついに世界の命運を決める戦端が開かれたのだ。

 衝突する両軍勢を縦一線に飛び越し、宙より見下ろす人影があった。


「いやいやいやー、なかなか筋がいいね! 思い切ってスカウトした甲斐があったよっ」

「そりゃ、今のままじゃあいつらには勝てない事は分かってたし、いきなり誘われた時は驚いたけどな……」

「それでどう、空の旅はっ?」

「冗談を言ってる場合じゃないだろ……」


 精霊神ムガナクスムと契約し、明緑色の強大な魔力で全身を鎧う、ケイである。

 それもそうだね、とケイの肩口から、めこっとムガナクスムの頭だけが生えて来る。今日は浅葱色の髪の、最初にパレードで見かけた幼い少女の風貌だった。


「徹夜で訓練したんだから、ここから力を引き出すのはキミ次第さっ」

「……本当に戦えるのか? ただ空が飛べて、身体能力が上がっただけなんだろ……?」

「シンプルなのが一番強いのさ。――さあ意識を研ぎ澄ませて、心を合わせて。ぶっつけ本番、見事成功させてみせようじゃないかっ!」


 正直、契約して共に過ごしてもムガナクスムとは打ち解けられた気がしない。けれども。


(エメスを――ここで出会った仲間達を守るためなら、なんだってやってやる……!)


 ムガナクスムの顔が引っ込み、ケイは視点を変えて、敵軍の奥――竜型の背から飛び降り、着地したタイムハンターの姿を睨むと、勢いよく打ちかかっていく。


 天より降り注ぐ小隕石のようにうなりを上げて斬りかかるケイに、タイムハンターは何気ない動作でやや上方にブレードを交差させ――たやすく防いでしまう。


(まだうまく、意識が身体について行かない……だがこいつは絶対に食い止めなくては!)


 ならばと時間銃を向けるも、すかさずタイムハンターはケイの側面へ円運動で回り込み、気づけば完全に背後を取られていて。


「おっと、こっちはボクが見てるんだよねっ」


 地面を掘削するように突っ込んでくるタイムハンターへ相対したのは、今度はケイの背中からせり出すムガナクスムの前半身。


「ぐにゃぐにゃリアル」


 世にも特異な『音』が発生した瞬間、空間がゼリーのように歪み、一枚の鏡が張り出してくる。

 意に介さずブレードを振り抜くタイムハンターの前には、自分の姿が映り込み。


「お手軽ジェノサイド」


 まったく同じ斬撃に迎撃されて弾かれるタイムハンターへ、ムガナクスムが掌を両脇へ開くようにすると、その軌跡から数十億発の闇の弾丸が放たれる。

 瞬く間に吹き飛ばされるタイムハンターだが、くるりと宙返りするその機体に損傷は見られず、影も残さず再び間合いを詰めてくる。

 ケイもすでに体勢を立て直しており、ムガナクスムと前後を入れ替わりざまに時空剣を突き出し、タイムハンターと斬り結ぶのだった。


 一方、その頃。

 やや離れた空中ではラキと竜型の攻防が繰り広げられていた。


「さようなら……父上」


 大魔法により内側から爆発するように発火、炎上しながら下方の時計頭を巻き込み燃え尽きていく竜型へ、ラキはその魂へ捧ぐように告げ――背後で轟いた爆音に振り返る。


「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 土砂を巻き上げ、痛烈に大地へと叩き込まれるケイ。

 全身に走る激しい痛みと衝撃に、いくら四肢に力を入れても立ち上がる事すらできない。


「無理しない方がいいよ。もーずたぼろ……これ以上受けると魔力装甲じゃ庇いきれない」

「そうは言っても……ここで、退けるかよ……ッ!」


 歯を食いしばり、時空剣を手に踏ん張って身を起き上がらせようとするも、ダメージの深さはいかんともしがたい。


「しかし、敵の装甲の硬さにも驚きだね。あれ……本来なら百のダメージが与えられるところを、インパクトの瞬間だけ時間を超早送りする事で、フレームでも飛ばしたみたいに一未満に抑えてしまうんだ」

「なんだよ、それ……! インチキだろ……っ」


 どうりで、これまで誰がいくら攻撃してもびくともしなかったはずだ――。


「時空防御を突破できても、元々の装甲自体も非常に堅固。それ以前に速すぎてまず当てさせてくれない……真っ向から傷つけられるのは時を削ぐキミの剣くらいだね」


 言われてみれば貨物エレベーターで遭遇した時は、時空剣での攻撃だけは効果があったように思う。

 今だって剣のみで戦い、敵の装甲にはいくつか亀裂を入れられているのだ。


「それでも考えられうる対策としては……時空防御が発動してもなお、受け流しきれない物量で攻め立てるしかないかな。それも無限大に近い威力による加重攻撃、飽和攻撃」

「それは……確かかい?」


 その時、倒れているケイの側に、ラキが降り立った。

 さらにケイを守るように、ゼノサとヨルが並び立ち、タイムハンターに備えている。


「みんな、作戦変更だ。何とかしてあいつの動きを止めてくれ。最後は……ボクが決める」

「りょーかい。あいつの顔も見飽きたし、とっとと畳んじゃいましょ」

「ケイはしばし休憩していろ。選手交代だ」


 ラキが杖を振って中空へ飛び立っていき、ゼノサとヨルは油断なく武器を構える。

 ケイの体力はまだ回復が追いつかず、こうなれば指をくわえて見守っている他はない。


 強敵、タイムハンターとの幾度目かの総力戦も、ついに終着か――そう思われた時。


 二刀のブレードを下げ、不気味に足を止めていたタイムハンターが、突如として鮮烈な緑の閃光を放った。

 刹那、これまでとは次元の違う規模の、地震にも似た『音』がぶちまけられ、薙ぎ払われんばかりの振動と地鳴りが周辺を襲う。


「こ、これは……魔力……なのか……!?」


 ムガナクスムと契約したケイも、はっきりと視認できる――できてしまった。

 タイムハンターの内側から、凝縮され炸裂するようにして、際限なく膨大な魔力が解放され始めている事を。


「ねえ……ねえ! あれって……まさか!」


 暴風に煽られながらも、何かに勘づいたように震えた声で叫ぶゼノサ。


「あれは……余の――魔力コアだ!」


 その傍らでは戦慄を伴った険しい目線のヨルが、タイムハンターを睨めつけて。


「見つからんと思っていたら、奴が所持していたのだ! そして……し、信じられんが、余の魔力を吸収し……我がものとして何倍にも増幅させておる!」


 激しい大気のうねりに空は黒い雲に閉ざされ、地は裂け、天へ持ち上がっていく地盤。

 時計頭達はぱらぱらと底なしの断層へ投げ落とされ、平野はもはや恐慌のるつぼ。


「解放の余波だけで星が震えてる……! このパワーの高まり……普通じゃないわよ!」

「これでは世界の地形が変わってしまうぞっ!」


 それは二人をして戦うまでもなく臆させる程の、宇宙にあってはならない超越的な力。

 そして一際凄まじい極光が轟音を引き連れて弾け、空間を爆砕するように染め上げ――。

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