第十八話 赤いリボン

「……大丈夫ですか」

「……ああ」


 てっきりそのまま自分も地面に叩きつけられると思っていたのだが、またしてもアンに抱っこされる形で受け止められ、ケイは決まり悪く視線を逸らしつつ下ろしてもらった。


「ふん、わざわざ余が発破をかけてやったのだ、これくらいはこなしてもらわねばな」

「るっさいわねー。別にあんたなんかの力を借りなくても楽勝だったし」


 と、広場の向こう側からヨルとゼノサが並んでやってくる。

 すっかり見慣れた二人の応酬だが、今回に限ってはゼノサの頬は照れたようにほんのり赤かった。


「おーい、みんなー! 無事だったみたいだね」

「ラキ! それにローも!」


 瓦礫を跨ぎながら現れるラキとロー。大した怪我はなさそうで、ケイは胸をなで下ろす。


「加勢しようかと駆け付けたんだけど、ちょっとカッコ悪いところ見せちゃったかな」

「そんな事はないぞ、ラキよ。よくぞローを守ってくれた。魔族の王として礼を言う」


 そんな、とラキが手を顔の前で振って謙遜しつつ、ローへ真面目な目線を送った。


「それで、ロー。さっきボクに説明した事をみんなにも話してくれないかな」

「……オレ、この国の偉い奴に雇われた。勇者の剣を狙ったのもそいつの指示だ。それさえあれば、確実に復讐できるから、って」

「……その、偉い奴の事は分かっているのか?」


 分からない、と返すローは申し訳なさそうに目を細め、鼻をひくつかせる。


「本当の雇い主と直接顔を合わせた事はない。たまに隠れ家へ指示を出しに来る奴はみんな顔ぶれが違った。組んでいた人間達も雇われで、みんな海の向こうへ逃げた」


 では、言葉は悪いが実行犯のローでさえ、黒幕にとっては使い捨てに過ぎなかったのだろうか。盗賊に扮していた傭兵達もドメハ諸島に逃げ込まれてしまったらしいが、しかしこのレクスリーナでの地位の高い何者かが主犯である事は裏付けられたはずだ。


「あっ、剣といえばあんた! 何勝手に所有者に選ばれてるのよっ!」

「え……やっぱりこれってそういう事なのか? けど俺もなんでこうなったのか……」


 しどろもどろに弁解するケイをゼノサはジト目で睨んでいたが、やがてため息をつき。


「……いいわ。その剣はひとまずあんたに預ける。でもいずれこの私こそ、真の所有者として認めさせてやるんだからね」


 ただ高音でわめく時とはうってかわった、静謐とした気迫を双眸にたたえ、そう告げる。


「……少し変わりましたね、彼女」


 ひそひそと囁きかけてくるアンに、そうだな、とケイも苦笑した。


「やれやれ、威勢は良いがいつになる事やら」

「むきーっ! 魔王は黙ってなさいよっ」


 すかさずヨルが茶化しにかかり、それに応じるゼノサと、清々しい和気藹々とした一時が流れる。

 ローも肩のこわばりがほぐれたのか、ぎこちなく表情を緩めていたが。


 ――不意に目を見開き、腕を広げてヨルをかばうように飛び出した。


「魔王様、危ない……!」


 刹那。鼓膜を揺さぶるような重い破裂音がとどろき。

 ヨルの目の前で、ローの体躯は不自然に跳ねて。

 そのまま傾ぎ――横倒しになった。


「……ロー? ――ロー!」


 息を呑んだヨルが素早くかがみ込み、ローの身体を支えるように抱き留めるが、ふと背中側へ回した腕に、熱くねばつく感触を覚える。


 持ち上げると――真っ赤に塗られた手から、べっとりと血液の塊が流れ落ちていった。


「……ロー! しっかりせんか、ロー!」


 ローは口の端からも鮮血をこぼし……ヨルに向かって腕を伸ばすようにしてから。

 がくりと頭を落とし、動かなくなった。


「……なによ。なんなのよこれ」


 事態についていけず、呆然と立ち尽くしていたゼノサが、ぽつりと呟いて。


「……――誰よ! 誰がやったのよッ! こんな……っ!」

「火の精霊よ、契約に応じろ……!」


 怒号を上げるゼノサの隣ではすでにラキが、探知魔法を攻撃のあったとおぼしき路地裏めがけて投げつけるように解き放つ。

 体温を探るヴェールが高速で張られていくが。


「……そんな……何の反応もない……!?」


 愕然と瞠目するラキを置いて、ゼノサはそちらへ向かって駆け出している。

 ケイも時間銃と勇者の剣をそれぞれ手に握りしめ、沸々と湧き上がる衝動のままに後を追った。


「どこに消えたの!? 出て来い! 卑怯者――!」


 十字路の路地を片端から確認していくが、襲撃者の姿はない。

 吊り上がった形相のゼノサの怒声が延々とむなしく木霊する中、ケイは歯を食いしばり無言で探し続ける。


 どうして。

 なぜ、こんな事に――。






『サカシさん、待って下さい……!』

『んぁ? ……おお、誰かと思えばリウじゃねーか。しばらく顔を見なかったが、久しぶりに研究所に来たんだな』

『聞きたい事があります』

『なんだよ、そんなしかめっツラしやがって。俺、こう見えてもいそがしーんだが?』

『……転生手術を受けた人達が起こす犯罪が、世界中で横行してます。このままだともっとひどい事になるかも知れません。一体あなたや――お父さんは何を考えてるんですか』

『知らねぇよ。俺もやりすぎだとは思うがな、政府の陣頭指揮を執ってるのはテンキだ、知りたきゃあいつに聞けばいいだろーが』

『それは……』

『……お前ら、今はあんまり仲良くねー感じか? ――はっはーん、いよいよ来る時が来たか?』

『……あなたって人は……』

『おいおい、睨むなよ……お前の事は嫌いじゃねぇんだ』

『……』

『これは俺の推測だけどよ。テンキは――ナリキラーどもを異世界にまとめて送り込んでやろうっつー腹づもりだったんじゃねーのか』

『異世界……? この間見つかったっていう、エメスの事ですか?』

『おうよ。どいつもこいつもエメスへ行きたがって、毎日政府に詰めかけてる。その中にはナリキラーも大勢いるだろうからよ……斜め上の解決策さ』

『……まさか』

『あそこは法も手当ても適用されん、治外法権であり廃棄場も同然だ。だから耳障りの良い言葉で厄介者どもをかき集め、世界間交流という名目でまとめて追放って寸法よ』

『……エメス側が了承するとは思えないです』

『んなもん事後承諾に決まってんだろ。所詮は文化レベルで劣る土人どもの住む世界、どうなろうが知った事じゃねー。エメスが駄目になればまた別の異世界を捜してナリキラー連中を送り込み、素敵な夢を存分に叶えさせてやればいい』

『でも、転移技術はまだ一方通行の試験段階……お父さんは本当に……そんな事を……?』

『ま、ここ数年奴の様子がおかしいのは確かだ。それならそれでこの俺が奴のシマへ付け入るチャンスもたっぷりだがな。せいぜい心配してやれや――じゃーな。ははは……』

『……』




「……以上が、キーワード『赤いリボン』によってアンロックされたメッセージの全てとなります」

「それだけか」

「これだけです」


 ケイは肩を落として椅子に座り込む。穏やかでない空気は感じられるも、結局リウがケイに何を伝えようとしているのか、さっぱり分からないままだ。


 ――ローが倒れた後、ラキとヨルは彼を連れて治療のためにラキの家へ飛んだ。

 直後にジヨール、トゥルス両名が兵を引き連れて駆け付けたので、ローの事はごまかしつつ事情を説明、ケイ達は王城に逗留し、追って沙汰を待つ事になったのだった。

 あてがわれたのは王城の客室。アットホームなラキの家と違い贅がこらされ、どうにも据わりが悪いというか落ち着かない。

 城内を好きに歩いてもいいとの許可も得ているが、そちらは後回しにしてケイはアンに色々と情報のアンロックを試していたのだった。


(赤いリボン……俺とリウの、思い出……)




 ――お前……こんな場所に一人で、家出でもして来たのか……? 

 ――これは……その、なんでもないから……私の事はほっといて……

 ――できるわけないだろ……! ……っ、その髪、どうしたんだ……っ? ひどい有様じゃないか……!

 ――これは……お父さんに……髪を伸ばしちゃダメって言われて、だから……


(俺が……長い方がいいなんて何気なく褒めたから、あんな事に……)


 ――テンキさんは間違ってるよ。お前が自分で決めていいんだ。髪の事も、他も全部。

 ――ケーくん……。

 ――お前の生き方なんだから、むしろもっと見せつけてやれよ、曲げない意思をさ。


 だから、ほら、と。

 照れ混じりに差し出したのは、町を回って購入した、プレゼント箱入りの赤いリボン。

 あの時にリウが浮かべた笑顔は、本当に嬉しそうで……今でもまぶたの裏に蘇る。




 だけど……あの日を、境に。

 リウとは顔を合わせなくなった。

 自然と疎遠になったものと寂しくは思ったが、ケイも徐々に彼女との日々から遠ざかるようになっていたのだが。


「あんな何気なく褒めた事をずっと覚えてるなんて……」

「女心は複雑という事ですね」


 訳知り顔でのたまうアン。

 その時ドアがノックされ、応じるとジヨール、トゥルス、それにゼノサ達が入って来た。


「ゼノサから話は聞かせてもらった。二人とも、今回は本当に世話になったな」

「い、いえ……恐縮です。――あの……巨大時計頭についてですけど」

「うむ。あれが異世界からの使徒である事は理解している。しかし国民に対しては、やむをえんが新たな魔物の襲来という形で知らせる事になった。まだ城内も混乱していてな」


 ジヨールは疲れた様子で椅子の一つへ座り、重く息を吐く。


「あの時計塔……その、陛下が作られた……んですよね?」

「その通り。だが――これは内密に願いたいのだが、あれに時魔法は関係しておらん」


 え、とケイはもちろん、ゼノサも初耳だったのか思わず身を乗り出し、けれどもトゥルスだけは事情を把握しているのか、慌てたように。


「へ、陛下……まさか、みなにお話されてしまうのですか……あの秘密を?」

「構わぬ。特にこの場の面々には、必要な情報となろう。――聞いてくれ。私は時魔法使いではない」


 その衝撃的な告白に、ケイもゼノサも絶句したように凝り固まる。


「え……うそ、嘘でしょ、お父さん……!?」

「嘘なものか。私はこれまでの数十年間、時魔法使いとして活動して来たが、時魔法はおろか魔法の一つすら使えぬ。それらは全て、周りの限られた者達の協力を得て巧妙に作り上げられた、虚像だ」

「なら、どうして時計塔なんかを……」

「……しがない時計職人だった私の中には、常に神の啓示があった。先進的な精密機械の設計図が、頭の中にいくらでも湧いて出て来たのだ。時計塔もその一つ――魔法を使って見える部分は、協力者達に用意してもらった部品や演出に過ぎん」

「神の、啓示……」


 では、ジヨールが時の魔法使いという喧伝は出任せで、実際は彼自身の能力に箔をつけるためのものだったのだ。


「……陛下を時魔法使いたれと偽るべく申し出たのは、何を隠そうこの私めです」

「トゥルス……」

「しかし、そのようなはったりでもつかなければ、当時の諸外国列強には到底太刀打ちできませなんだ! 時計塔製作はその説得力を強める意味合いもあったのでございます……!」


 だがその結果、あのような恐ろしい存在を呼び寄せてしまう事になるとは、とジヨールの皺の多い顔には深い悔恨が刻まれている。

 それを目にしたゼノサは、眉根を寄せて。


「お父さんは悪くないでしょ。……それより許せないのは、エデンよ」

「ゼノサ……」

「どういうつもりか知らないけど、あいつはお父さんの――この国の象徴を利用し、貶めた! これはれっきとした侵略よ! やられたらやり返さなきゃっ!」

「で、ですが姫様、いくらなんでも姫様だけでは荷が重すぎますぞ! ここは我が国の勇士を募り、改めて防衛体制を整え……」

「そんな事してる暇ないのは分かってるでしょ? 時計塔に時計頭を転送できるって事は、また何かの拍子にどこかからこの世界に時計頭が送られて来てもおかしくない。……元を断たなきゃいけないよ、それも急いでっ!」

「ですから、何も姫様が御自ら行わずとも……姫様はこの国唯一の跡取りでございます、もしも何かあれば、レクスリーナは……」


 大丈夫よ、とゼノサは諭すというより、ヒートアップした自身を落ち着かせるように、努めてゆっくりとした呼吸を繰り返す。


「世界一つが丸ごと攻め込んでくるなら、この国で――ううん、世界で一番強いこのあたしが立ち向かうのが筋でしょう? あたしはもう誰にも舐められたくないの」

「姫様……」


 あの、とケイは恐る恐る発言する。


「俺も、できるだけ微力を尽くしてゼノサを守りますし。……な、なあ、アン?」

「どっちみち敵は残らず殲滅します」

「……ま、まあ、こんな異世界の馬の骨が言っても頼りないでしょうけど」

「そんな事はないぞ、剣に選ばれしもう一人の勇者よ」


 ジヨールが穏やかに微笑し、それからゼノサを見やる。


「――覚悟はできているのだな、ゼノサよ」

「もちろんよ。手早く片付けてきてあげる」

「……分かった。もう何も言うまい。エデン討伐は、お前に一任しよう」

「へ、陛下! 本当によろしいのですか? うう……トゥルスは不安でたまりませぬぞ」


 しきりにこめかみの汗をハンカチで拭うトゥルス。


「平気よ。……今はそれなりに強い仲間もいるし」


 ゼノサはそう、力強く笑いかけて。


「――さ、行くわよケイ、アン!」

「了解しました、ぶちかましてやりましょう」

「お、おい、お前らなぁ……っ」


 ケイはゼノサに腕を掴まれ、涼しい顔のアンとともに廊下へ引っ張り出されていってしまう。

 しばしの沈黙が落ちて。


「……お変わりになられましたな、姫様は」


 トゥルスの発した言葉に、うむ、とジヨールは言葉少なに頷く。


「いつまでも小さな子供のように思っていたが……あの成長、やはり嬉しいものがあるな」

「さようでしょうとも……本当に、大きくなられて……」


 ハンカチで目元を拭うトゥルス。ジヨールは四肢に力を込めて、立ち上がった。


「勇者達に任せてばかりもおれん。国家存亡の危機こそ、我々も支援に回ろうではないか」

「は――おおせのままに……!」




 廊下を進むと、ラキとヨルに行き会った。

 二人の話によると、ローは一命を取り留めたものの、まだ意識を取り戻さない状態にあるらしい。


「ボクのベッドで眠っているから、たまには会いに行ってあげてよ」

「……そうね」


 ゼノサが珍しく沈痛な表情をする中、ケイも心を痛めつつ、別の事が気になっていた。


(……一瞬見えたローの傷。そしてあの……破裂音。……あれは、まるで)


「それより、あんた……これからどうするつもりよ? あたしはすぐにも殴り込むけど」


 ゼノサの視線が黙りこくっているヨルへ移り、小さな魔王は――静かにまぶたを上げて。


「……王とは孤高。ゆえに別離など日常茶飯事。たとえ誰を失おうと――帝王の資格たるには決して心を揺らしてはならぬ」

「ヨル……お前」


 だが、とヨルは双眸を鋭く細め、虚空に映る敵の姿を憤怒の眼光で睨み据える。


「……守るべき民を王から奪わんとする愚か者には――必ずや後悔の鉄槌を打ち下ろしてくれる! この我が名にかけてな!」


 放たれる怒りと、やるせなさを含む孤独な決意。

 けれどもそれは何よりも強く、ケイ達の胸を打ち据えるようだった。


「さあ行くぞ、ケイ! エデンの奴に一発食らわしてくれるわ!」

「……ああ、行こう……みんなで!」

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