第二十話 貨物エレベーターの死闘
(時間銃は脳波をキャッチして新たな弾丸が解禁される――ならまさか、この時空剣も)
喘鳴混じりの呼気を吐いて剣のボタンから手を離すと、止まっていた時間が動き出す。
するとケイの鼻先にある光の剣身は心なしか、先ほどより縮まっているように思えた。
(時間が止まっている間は……こんな風にエネルギーがすり減っていくのか……?)
握り直すと、剣は元の輝きと大きさに戻る。
時間停止をしていられる時間はさして長くはないようだが、こうして一呼吸置けばまた使用可能になると考えるのが自然だろう。
一方のタイムハンターは胴体部分に稲妻のような亀裂を走らせ、内部の機械部分を覗かせながらたたらを踏んでいる。
効いている。
今までラキの炎も、ゼノサの光も、ヨルの闇も一切通じていなかったのに。
やれる――もう一度。今のを。
倒せる。壊せる。ぶっ壊せる。
湧き上がる闘争とも生存ともつかない凶暴な本能に身を委ねて、ケイは迷わず剣のボタンを押した。
間を置かず、再び時空の止まる世界。
(これでとどめ……――ッ!?)
なぜ即時に斬りかからず、代わりに時間銃を突き出すような真似をしたのか、自分でもまるで意味不明だった。脳と四肢の連動がうまくいかず錯乱したか、それとも無意識にか。
だがその行動が、ケイの命を救ったのは間違いなかった。
時間の停止した空間を、ただ一人、思考し、呼吸し、動けたはずのケイ。
その連続する瞬きだけは、エデンのものでも誰のものでもない、ケイ一人が真の意味で自由になったかのような無敵の開放感さえあった。
なのに。
――なぜ目の前のこの存在は、何事もない風に踏み込んで来て、あまつさえブレードを振りかぶっている……?
「うああぁっ!」
手に衝撃を受けて、吹き飛ばされる。
時間銃は後方に跳ね飛び、くるくると回転しながら転がった先で、ぱちぱちと青白い電流を発していた。
(なんだ……なんなんだ……! なぜ動ける!? こいつには――通じないのか……!?)
手の甲の熱い痛みが焦りを呼び、せっかくの切り札が意味を成さないという絶望が思考を鈍くする。
最初のあれは不意打ちだった。単なるラッキーパンチに過ぎなかったのだ。
タイムハンターが来る。
逃げられない。手を押さえても、裂傷から出血が止まらない。
もう駄目だ。意識が朦朧とし始め、歪む視界すら遠ざかりかけた、その時。
――頭上にある四角く切り開かれた壁の穴から人影が飛び出し、タイムハンターの背後へ降り立った。
膝を曲げて着地したその人影はすっくと身を起こすや否や、タイムハンターの肩を掴んで引き寄せ、自身へ向き合わせるような格好にしたのである。
「……アン!」
その人物は、誰あろう、アンだった。ケイを守るため、単身駆けつけて来たのだ。
アンはタイムハンターを真っ向から見据え、その胴体――ケイが剣で切り裂いた亀裂へ、右腕を突き入れる……!
途端、アンの双眸が緑に輝き、小さなウィンドウが浮かび上がって来た。
「まさか……あいつに接続しているのか……!?」
プログラムの書き換え。アンは以前トラックにした風に、ハッキングを試しているのだ。
アンからタイムハンターへとてつもない量のコマンドが高速で打ち込まれ、耐えられない回路から焼き付いているのか、両者を中心に振動と放電が発せられる。
その衝撃でだろう、エレベーターの金具や支えが次々と外れ、上へ昇るどころか今にも落下しそうな具合になっていき。
タイムハンターの顔部分に当たる緑の丸いランプも、波線のように乱れ、赤いエラー表示が浮き出ていた。
――あんな化け物みたいな奴でも、マシンであるなら……うまくいけば、機能停止させる事ができるのではないか。
(それどころか、こうして動きが止まっている隙に、この剣でトドメを刺せば……!)
ケイが肩で息をしながら立ち上がる先で、アンを包む放電が一層激しくなり、突き入れている右腕から火花が散る。
青白い電流がショートを引き起こし、袖口が弾け飛んで白い二の腕があらわになったかと思ったら、そこへ襲いかかる凄まじい熱量に皮膚が水ぶくれのように泡立ち、めくれ上がっていく――!
「アン!」
ケイはがむしゃらに斬りかかったが、双方から立ち上る炎のような電流に阻まれてしまう。
「くそっ……アン、もういい! やめろ! そのままじゃ、お前……!」
すでに右腕の肉はぐずぐずに溶解し、水ぶくれはアンの肩、そして右頬にも迫っていた。
絶え間ない電撃の奔流に、アンは取り立てて無表情だったが――右側の顔は、まるで苦悶するかのように眉根が寄って目が閉じかけ、歪み、引きつっている。
「アン……!」
痛みなんてあるはずないのに、ケイはその様子を目の当たりにして、胸をえぐられるような心地になった。
アンの右腕の骨格がひしゃげ、肉の爆ぜる血煙ごと破片をまき散らしながら、背後へ弾き飛ばされて倒れる。
無我夢中で、ケイはタイムハンターから庇うように、アンの上へ自分の身体を投げ出した。
瞬間――轟音が鳴り響き、上階にある隔壁が内側から吹き飛ぶ。
そして奥の通路から、ごうごうと燃えさかる――火の玉のようなものが飛び出し、ケイと敵の中間に着地する。
それは人の女性の形を取っていた。
額からは隆々とした二本の角が生え揃い、二の腕や膝から先には強靱な緑の鱗を備えた、荒々しい爪を持つ爬虫類めいた部位へと変化している。
本来は淡い金をまぶしたような翠色の瞳は、縦一線の切れ込みのように瞳孔が細まり――燦々とした火の粉を散らすような、黄金の輝きを宿していた。
「……ラキ……?」
三角帽子は見当たらず、マントも外れた軽装。
けれどもその横顔には、彼女の面影が残っていて。
ケイの呟きに応じるかのように、背中の腰下あたりから伸びた緑色の尾がしなり、地面を叩く。
タイムハンターが、動いた。
両手に構えたブレードを寸時に振り上げようとして。
――反対にその胴体へ、火焔を纏ったラキの右拳が、真っ向から叩き込まれていた。
「なっ……!?」
「アンがヒントをくれたよ……外側は駄目でも、内側ならッ!」
驚倒するケイの声を、ラキの放った裂帛の気勢がかき消し、亀裂の内部へ炎を流し込む。
送り込まれる火の塊は、自身もろともタイムハンターを地獄の火炎へ包み込んだ。
タイムハンターは衝撃で動きこそ止まったものの、その内部機構にダメージは見られず。
装甲にできていた亀裂が、ラキの目の前で修復され、塞がっていくではないか。
「そん、な……!」
ラキは視界の端でブレードが持ち上がったのを見て、とっさにタイムハンターを蹴り飛ばし、エレベーターの下へ落とした。
「ラキ! ゼノサとヨルを!」
ケイがアンを抱えながら叫ぶと、すぐさまラキは身を翻した。
「ゼノサ……そうだ、光を集めて……傷を塞げ。息を、しろ……」
エレベーター下の細い足場を、ヨルが無反応のゼノサを背負ってよじ登っている。
その右肩は途中から地面に垂れ、濃厚な血の線を引き続けていた。
ラキもゼノサもヨルも、エメスでは比類なきトップクラスの実力者のはず。
それがこうも――すごすごと逃げ出さざるを得ないなんて。
エメスでみんなと難関を乗り越えた経験もはるか昔の事のようで、悪い夢みたいな現実だった。
下からは爆発と爆炎と爆音が迫っている。
急がなくては――と思った矢先、悪寒が走る。
振り向けばエレベーター下部にブレードを突き刺し、タイムハンターが顔を出していた。
警鐘。まずい。早く逃れなければ、奴がその気になれば一瞬で終わってしまう。
ケイはアンを背負ったまま足場へ飛び移り、肩越しに振り返りながら時間銃の銃口を壊れかけのエレベーターへ向け。
「くっ……うおおぉぉぉぉっ――!」
加速弾を数発撃ち込む。
破損を促進されたエレベーターは急速に限界を迎え、打ち震えるようにぐらつき――ぷつりと切れたかのように猛スピードで降下。
真下にいるタイムハンターを轢き潰すように巻き込み、下方より迫り来る炎の渦中へ消えていった。
システムコントロールタワーが陥落した事でサカシもエデン側の機能の相当数をハッキングできたのか、帰りは往復便などを利用して時間をかなり短縮できている。
追跡を撒くために仲間達とは別ルートで脱出したケイは、シャトルの座席にアンを寝かせ、手当てを行っていた。
アンの右腕は枯れ木のように細くなり、コード類だけでかろうじて繋がっている状態だ。
顔の右半分の皮膚も溶け落ち、今は銀の骨格があらわとなって、緑色の義眼が淡く点滅しながらケイを見上げている。
「すまない……俺のせいで、こんな……」
少しでも外部の衝撃や変化から保護するため、ケイはたどたどしい手つきで腕へ包帯を巻きながら、うめくように口を開いた。
「お気になさらず。任務ですから」
「でも……」
アンの無事な頬の方にも弾けた皮膚の断片が張り付き、みみず腫れのようになっている。
今のままでは痛々しすぎる。こちらも綺麗にして、むき出しの部分も包帯で隠さないと。
……ケイがもっと早く剣の機能に気がつき、うまく立ち回っていられれば、こんな事には――みんなを危険な目にも遭わせずに、済んだのに。
「……それなら、もっと優しく巻いて下さい。痛いです」
「いや、痛覚……ないよな?」
「では……疲れたので少し寝ます。見張り番でもしてて下さい」
ぱち、とアンが残った左側のまぶたを閉ざすが、義眼の方は小さな駆動音とともに、相変わらずケイの方を見つめていた。
「……起きてるよな?」
「ばれましたか」
お前な、と思わずケイは苦笑する。
気遣うつもりが、わざとらしいジョークまでされてむしろ気遣われてしまった。
(かなわないな……)
「どうして笑ってるのですか」
「分からない……」
「気持ち悪いですね」
その後、なんとか医療区へは帰り着いて仲間とも合流し、治療魔法やサカシの用意したメディカルマシンを使い、次の転移までは回復に専念する。
ともあれ目的は達成され、サカシの言うにはさらに活動時間が6時間延び、今では18時間が人類へと取り戻された。
されど他の生存者は一人も見つからず、仲間達もこの有様で、素直に喜ぶ気にはとてもなれない。
「あれ程の敵がいるとはな……これは我々も、敵戦力に対する認識を改めねばなるまい」
「そうだな……全員生きて帰れたのが不思議なくらいだ……でもきっと、次はもう――」
自分達の無力さを思い知らされ、暗い気配が宵闇のように漂い始めた、時。
「あーっ! ほんとむっかつく! 魔力が回復したら次こそあいつぶっ飛ばしてやる!」
重苦しい雰囲気を台無しにするかの如くわめくゼノサに、ケイは思わず苦笑する。
掻っさばかれた喉の傷が治った途端である。
ゼノサらしいというか、どんな時でもいつも通りなのが逆にありがたかった。
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