最終話 コンピュータ・エデン
音のしなくなった無線を強く握りしめ、ケイは唇を白くなる程噛みながら外を窺う。
サカシが命を賭して作ってくれた、貴重な猶予。
しかしエデンは依然としてバリアで守られ、兵器群は二大時計頭に次々に破壊され 戦果を望むどころかもう保ちそうにない。
「……ケイ……」
アンのかすれた声がした。
ケイははっとそちらへ向き直り、瓦礫の下を這うようにしながら辿り着き。
――殴られたように頭が真っ白になった。
ごっそりとえぐられた脇腹からひしゃげた骨格が覗き、赤い体液が滝のように段差を流れ落ち。
腰から下が――ない。不安定に明滅する片方の目だけが、ケイを見ている。
言うまでもなく、これは――あの時攻撃から、ケイをかばって。
ケイは引きつったように喉を鳴らし、震えながらアンを見下ろすしかできなかった。
「ケイ……今のうちに、逃げて下さい……」
「逃げる……?」
「はい……。私が、敵を引きつけます。その間に、包囲を、抜けて……」
肉のそげ落ちた腕を曲げ、三本だけになった指を立てて身を起こそうとする様を見て、むしろ決心が固まった。
「できない……! お前を置いて、逃げるなんて!」
「先ほどの無線は……聞こえていました」
けれどアンは、あくまで任務に従い、ケイの生存率を一パーセントでも上げるため――愚直に説得しようとしている。
「サカシは、その命をなげうって、あなたを救おうとしました。そして、あなたが生き残る事が、今日まで理不尽に命を奪われ、弄ばれ、それでもなお戦った人々の……リウの、遺志を継ぐ事……違いますか?」
「……違わない。お前の言ってる事は正しいんだろう。でも……」
「あなたが私に……リウの影を見ている事は、理解しています」
ケイの本音を見透かすように、アンは告げた。
「ですが……私はリウにはなれません。あなたの支えにも、理解者にも……何にもなれません。前に言ったでしょう、私は……ただの機械です。ですから……」
「……いや、そうじゃない……!」
ケイは――アンの言葉を遮り、まっすぐに見つめ返した。
「お前は……ずっと一緒にいてくれた! 守ってくれた! お前の言うただの機械に、俺は充分救われてたんだ! だから俺は、お前という……アンっていう一人のアンドロイドを……絶対見捨てたりしない! 天秤になんかかけられない……!」
拳を固め、ケイは胸を衝くように湧き上がる思いを、一息に吐き出す。
「だからリウは……関係ない。俺は……お前が、大事なんだよ……!」
あふれるあまり、最後の方は涙声混じりでも、言い切って。
「……ケイ。あなたは……」
――アンは。
「……少し、バカですね」
「だけど……これが俺の本心だ」
「……では……そんなあなたが生き残れそうな、もう一つの手段を……提示しましょう」
そう、いつものクールな表情で、何でもないかのようにケイの力になろうとしてくれた。
「ケイ、あなたは適合者です……この世に一人だけの、エデンとアクセス可能な……」
「ああ……それは自分でもよく分かってる」
「事ここに及び、もはや巻き戻しは避けられないでしょう……ですがあなたなら、あるいはエデンと接続し……その機能を操り、阻止する事もできるかも知れません」
アンの目がケイの握る時空剣――エデンのアクセスキーへと向けられる。
「エデンを――操作する……?」
思っても見なかった、方法。
必死すぎて失念していたが、たった今ケイは、エデンという敵の心臓部の目と鼻の先にまでやって来ているのだ――。
「この時空剣を、コンピュータに差し込めば、それでいいのか……? ……アン?」
問いかけるも、返事には遅れがあり――ケイは怪訝に感じて。
「アン、お前……大丈夫……なのか……?」
だが、アンから声が返る事はなかった。
もう光らない瞳を閉ざし、壊れた機械の海へ沈むように横たわる少女の姿は、どこか幻想的ですらあって。
「……アン……?」
大丈夫なわけが、なかったのだ。
アンはとっくに、限界を迎えていた。
ケイを生かし、ケイを逃がすためだけに戦い抜き――そしてその機能を、停止させたのだ。
「……あ……あぁ……あああっ……!」
あまりにも、別れはあっけなく。
余韻も素っ気のなさも、アンらしくもあって。
ケイは嗚咽をこらえるように口元を押さえるが、頬を伝い落ちる涙の流れは止められない。
アンは――一度たりとも弱音を吐かず、弱みも見せず、与えられたわずかな時間の終わりまで、冷徹に己の役目だけに徹しきった。
だったら。
ケイも、今だけは彼女が望むように。
――何にも動じぬ、機械の心を。
「ああぁ……うああぁぁぁぁぁっ!」
時空剣を握り込み、瓦礫を切り開いてエデンルームへと舞い戻る。
あの短い、最後の語らいの中で、すべき事は全て教えてもらった。
命を賭す決断は済ませた。死は怖くない。
「エデン……!」
怖いのは、これまで受け渡されてきた命のバトンが、巨悪の前で潰えてしまう事。
みんなの力で辿り着いたこのただ一つのチャンスが、無に帰してしまう事――!
「――エデン! 本当にこれがお前のやるべき事なのか!? リウがこんな世界を望んでいると、本気で思っているのかッ!?」
ケイは壊滅した兵器群の合間を縫ってコンピュータへと近づき、時計頭達を前に声を張った。
――背後には、傷つけられたアンの亡骸がある。
その後ろにも、ここまでケイが踏み越えてこなければならなかった、数多くの人々の屍が、未来への嘆きとともにある。
(……だから、ここで、終わらせてやる……!)
鼓動が、打つ。
高熱を持った血液が奔流となり、全身を駆け巡る。
けれど頭はどこまでも鮮明で――激情と冷静さが混同したような、初めての感覚だった。
冷たい炎を瞳に宿し、ケイは走る。
左右二体の時計頭が構えを取るのに先んじて巻き戻し弾を撃ち込み、その動きを縛り――。
一直線にエデンへ肉薄しようとした矢先、コンピュータ上部から青白いプラズマ光線が発射される。
とっさに時空剣を両手で眼前へ掲げ、光線を受けるが。
「う……ぐあぁぁぁぁぁっ!」
こらえきれず、全身に焼けるような激痛を浴びせかけられながら後方へ吹き飛ばされた。
剣の柄を握る手の皮は焦げて変色し、異臭と煙が立ち上っている。
腕もまだら模様になったみたいに大火傷を負い、ケイを守り続けてくれたジャケットも、もう穴だらけだ。
(くそ……! 息巻いておいて、このざまか……!)
やはり、アンの提案通りに逃げておくべきだったのか。
――否。
(死んでしまった人々を、世界を――そしてアンを救うには……エデンが産み出されないよう、過去へ巻き戻し、そして書き換えるしかない。他の誰でもない……俺の手で!)
狙うべきは、意図的なタイムパラドックス。だがエデンとの戦力差はいかんともしがたく、巻き戻しの終わった時計頭の二体も、悠然と得物を構えてケイへ近寄って来ている。
(時間がない! 数秒もない! 立て……! 身体が壊れてもいい、立つんだ!)
焼け焦げて破けた皮膚の間から、だらだらと血を流れさせ――ケイは無我夢中で吠えた。
「リウ……! アン! みんな……もう一度だけ、俺に力を貸してくれ――!」
その瞬間。
目前で突如、輝く白の閃光が炸裂し――。
「――うおっしゃあああああああああッ!」
聞き慣れた、心の中で何よりも頼もしく思っていた、声が返って来た。
目を閉じるのも忘れて、ケイは呆然と見つめ。
「ラキ……? ヨル……? ゼノサ……?」
光が晴れた中心に、見慣れた面々が――仲間達が居並んでいるのに、気がついた。
「み、みんな、なんで……っ?」
「そりゃこっちのセリフよ、ケイ。一人で何も言わずに帰るとか、勝手すぎない?」
こっちの気も知らず、ゼノサが鼻を鳴らして肩をすくめて来る。
「ふ……そのハトが豆鉄砲でも食らったような顔は中々に見応えがあるな。まぁ……これも怪我の功名という奴だ」
と、ヨルが分かるような分からないようなマイペースな説明をする。
「魔王様の奪われた魔力コアが、フリウスから時計塔を通して一度エデンへ転送され――その結果、改造を受けて時魔法にも耐えうるようになっていたんだよ。それを取り戻した事で、魔王様自身も、時魔法が使えるようになっていたんだ」
結局、いつものように噛み砕いて解説してくれるのは、ラキの役どころだった。
(魔力コアが、エデンへ転送されていた……? ――って事は、まさか……それって)
ひらめくものがあった。
その魔力コアは、タイムハンターによって利用されるまで……セントラルエデンパークを守る、バリアフィールドに使われていたのではないか、と。
「じゃ、じゃあ……お前ら、自力で転移して来たのか……?」
「うん、みんなで力を合わせてね。……でも世界融合で時空がほぼ同一になっていなかったら、危うく数百年後に到着する羽目になっていたところだよ」
「危険な賭けだったがな。だが貴様を助けるためなら、否やはあるまい」
大きくなっても代わらず偉そうな物言いではあったが、それでもケイはかけられる言葉に、思わず涙ぐみそうになる。
「ねえ……ところで、アンはどうしたの?」
「アン……は」
口ごもり、下を向いたケイを一瞥して察したのか、みるみるゼノサの顔色が赤に染まっていき、ぎろっとエデンを睨み付ける。
「何よそれ……っ、許せない!」
「アン……キミにまた一つ、大きな借りができてしまったね……」
「みんな……頼む。俺をエデンの元まで、導いてくれ……!」
「うむ……行くぞ!」
みんなと共に、ケイは駆け出す。
これが掛け値無し、正真正銘最後の戦いだ。
目指すはコンピュータ・エデン。後には脇目もふらせない。
『結局は……結局は! お前も、永遠が欲しいんだろう?』
エデンの音声は停止し、コンピュータ前の空間が歪むと――高出力のプラズマを依り代として現れたレクスの残留思念が、ケイを嘲り笑ってくる。
『理想の家族。思い通りの人間関係。何の不安も危機もなく……ひたすら自分だけに都合の良い世界』
「ふん……なんだこいつは? 余に似せた玩具にしては……いささか趣きに欠けるな!」
ヨルの振りかぶった渾身の一撃が、魔王型を脳天から一刀両断に叩き斬る。
『だがそれをおれは否定してやる。人間共には永遠の苦悶がお似合いだ! はははは!』
「世界を守るのも、お姉ちゃんの仇討ちも……今ここでまとめてやってやるんだから! ケイ、悔しいけどあいつに一発くれてやるのはあんたに任せたっ!」
ゼノサの放つ一点の曇りもない光波が、勇者型を包み込んで粒子へと霧散させる。
「俺は、お前なんかの永遠なんて必要ない。仲間と歩むこの先に……掴んで見せる!」
『……なんだと……? き……きさま……! 絶対の幸福を――このおれを拒絶するというのかッ! どうせ下らない人生に絶望し、飢え求めるようになるくせにッ!』
「キミが共に戦ってくれたように、ボク達もケイの生きる世界を守りたい。あんな無粋な連中には、キミの夢見たハッピーエンドから早々に退場してもらおうじゃないか」
ラキは黄金の炎を纏い、全身を完全なる竜の巨体へと変貌させ――その業火の吐息で、コンピュータを守るバリアを根こそぎ焼き払い。
「俺は、自分の境遇を恨みはしても……絶望なんか、一度もしない……!」
道が、開かれた。
『だまれだまれ、殺してやる、殺してやる……! この思考停止したキジルシがッ!』
狂ったようにわめきながら、ついにレクス自身がケイへと襲いかかる。
『く、来るな来るな来るなぁ! 一族では落ちこぼれの半端者と虐げられたおれも、ここでなら全知全能の神になれるんだ! こっちに……こっちに来るなあぁぁぁぁぁぁ!』
伸ばされる魔手に、ケイは迷わず時空剣の機能を――作動させる。
あらゆる躍動が静止した世界の中、ケイは自分でも恐ろしい程の正確さで腕を振り抜き、眼前に迫るレクスめがけて時空剣を突き込み、そして突き破り――。
『やめろ……やめろやめろおおぉぉぉおれは被害者なんだぞぉおおぉぉおお――ッ!』
そのまま、エデン下部にある端末のアクセスポイントへ、剣を突き刺した。
レクスの断末魔が響き渡る最中、ケイは確かにエデンの機能を掌握する手応えを得て。
そうして全てが、光へ呑み込まれていき――。
時間が、巻き戻っていく。
最初の、最初まで。
悲劇の始まりまで――。
「……なんだ……?」
「どうしたの、お父さん……?」
「いや……なんだか急に、林の中から光が出てくるような、そんな錯覚がしてな……」
「なんにもないよー? きっと疲れてるんだよ、早く帰って休も?」
「……そうだな。お家に帰って、美味しいものを食べよう。ほら、街の明かりが見えて来たよ……」
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