第二十九章 薄暮

第二十一回 李矩は洛を救って漢兵を破る

 漢主の劉聰りゅうそう汝南じょなんでの劉暢りゅうちょうの敗戦を怒って太子の劉燦りゅうさんを差し向け、韓王かんおう旧塁きゅうるい郭黙かくもくを包囲した。

▼「韓王の旧塁」は新鄭しんていにある。新鄭は滎陽けいようの南、洛陽らくようから許昌きょしょうに向かう中間地点にあたる。汝南の治所は新息しんそく、さらに南の淮水わいすい北岸に位置する。

 郭黙の救援を受けて李矩りくが出兵したものの寡兵であるため、中途に軍勢を留めていた。

 この時、劉琨の麾下にあった張肇ちょうちょうは、晋陽しんようの失陥により夏縣かけん范勝はんしょうに身を寄せていた。張肇と范勝には一万ほどの軍勢があり、漢に従ってはいない。

 李矩は夏縣に人を遣ってともに漢兵を退けることを求め、二将はうべなって兵を出した。李矩と張肇は軍勢を二つに分けて進み、劉燦は来援を知ると包囲を解いて黄河の北に軍勢を退ける。

 劉燦が戦を怖れていると知ると、李矩は甥の郭誦かくしょうを遣わして夜襲をかけ、漢軍を奔らせた。

 一敗地いっぱいちに塗れた劉燦は、洛陽に拠る漢将の趙固ちょうこに救援を求めて得られず、平陽へいように人を遣って救援を求める。劉聰は劉暢、劉雅りゅうが卜泰ぼくたいが率いる八万の軍勢を遣わした。

 その出発に際して言う。

「趙固は太子を救援しなかった。必ずや異心を懐いていよう。動静を探って不審なところがあれば、捕らえて平陽に送って朕に見えさせよ。その際は副将の周侲しゅうしんを洛陽の太守とする。事を仕損じるな」

 劉暢たちは洛陽に向かい、劉燦の軍勢と会してその言葉を伝えたものの、まずは趙固の様子を探ることとした。

 この時、王沈おうちんは劉聰の命令を聞き知っていた。周侲はその姻戚であり、兄弟同然の付き合いをしている。

 劉聰に上奏して言う。

「趙固は李矩からまいないを受けて太子を救わなかったのです。叛意は明らかと言ってよいでしょう。援軍を遣わしたことは知られており、にわかに捕らえることは難しいはずです。詔を下して周侲を太守に任じ、密かに趙固を捕らえるよう命じるのが最善です。さすれば、李矩に身を投じられますまい。洛陽は大漢の領土であり、失うわけには参りません」

 劉聰はその言に従い、詔を下すと王沈の腹心の者を洛陽に遣わす。その使者は洛陽に入る前に李矩の兵に捕らえられた。李矩は詔を一読すると、趙固に送って晋に降るよう説得した。

 趙固は詔の内容を知って怒り、周侲を斬って晋に降った。

 

 ※

 

 劉燦と劉暢が郭黙を破った後に趙固を捕らえる算段をしていると、間諜が駆け戻って報せる。

「趙固が周侲を斬ったようです。謀が漏れたと思われます。洛陽に拠って吾らを阻むつもりと見られます」

 劉暢はそれを聞くと、趙固を破るべく軍勢を洛陽に向けた。趙固は漢兵が攻め寄せたと知ると、兵を出して迎え撃つ。劉雅が陣頭に馬を出して叛乱の理由を問うも、趙固は応えず鎗を捻って突きかかる。

 戦が十合にならぬうちに卜泰の率いる後詰も攻め寄せ、趙固は敗れて洛陽に逃げ込むと城門を閉ざして堅守する。劉暢は軍勢を分けて洛陽の城門を包囲した。

 二日に渡って昼夜を問わず城を攻めるも、暗夜に城上から石を打ち落とされ、無数の漢兵が死傷する。そのため、三日目からは日中だけ城を攻め、夜には軍営に兵を退けた。

 漢の大軍を退けられぬと知り、趙固は夜陰に乗じて人を遣わし、滎陽にある李矩に救援を求めた。この時、李矩は郭黙と合流するべく軍勢を率いて城を出ていた。

 軍営で趙固からの要請を受けると、李矩は郭誦、范勝、耿稚こうち、郭黙とともに二万の軍勢を率いて洛陽に向かう。この時、漢兵は十万に上る大軍であり、洛陽の城外に二つの軍営を置いていた。

 郭黙は郭誦に言う。

「趙固は洛陽の城に籠もっており、すぐには崩れるまい。吾らは漢兵の五分の一を過ぎず、どうやって退けたものか」

「間諜によると、漢賊は日中に城を攻めて夜間は軍営に退くと聞きます。これは、趙固を苦しめるためでしょう。かつ、趙固が吾らに救援を求めたと知らず、まだ百五十里(約84km)も離れていますから、気づいてはおりますまい。一計により打ち破れましょう」

 衆人は郭誦にその計略を問うて言う。

「救援が迫っていると知れば、漢賊どもは兵を分けて吾らに備えるであろう。そうなっては勝ち目がなかろう」

「敵が大軍であれば正々堂々の戦では勝てません。詭計によるよりないのです。軍勢を二つに分けて夜間にのみ進み、昼は姿を隠して漢賊に吾らの兵数を知られてはなりません。夜陰に乗じて攻めかかり、『吾らの軍勢は漢賊に二倍する。乱戦を避けて整然と包囲し、一人たりとも逃がすな。これまでの仇に報いるのはまさに今日である』と声を合わせて叫ばせます。漢賊どもは吾らの数を知らず、暗夜であれば確かめられもしません。必ずや浮き足立って乱れるでしょう。それを観れば、必ずや城内も兵を出します。そうなれば、漢賊どもは到底踏み止まれますまい。怖れるに足りません」

 郭誦の言葉を聞くと、郭黙も言う。

「この策を用いれば、必ずや漢賊どもを打ち破れよう。どうして漢賊を怖れようか」

 それより、郭黙と耿稚は一万の軍勢を率いて左の道を進み、郭誦は范勝と張皮ちょうひとともに同じく一万の軍勢を率いて右の道を進んだ。両軍は二日後の三更さんこう(午前十二時)に漢賊に斬り込むと定めている。

 その夜のうちに九十里(約50km)を進み、昼間は山間に身を潜めて漢兵の眼を避けた。まだ漢の軍営までは六十里(約33.6km)ほど離れている。哺時ほじさるこく、十五時から十七時)になるとふたたび軍勢を進め、両軍は三更より少し前に所定の位置についた。

 時が来ると、鬨の声を挙げて一斉に斬り込む。

 漢兵は敵がどこから来たかもわからず、当然のように備えはない。慌てて鎧を身に着けるも割れるような大音声が響く。

「二十万に上る大晋の軍勢が洛陽を取り戻して仇に報いに参った。漢賊を一人も逃がすな」

 それを真に受けた漢兵はさらに混乱し、暗夜にあっては敵か味方かも分からない。同士討ちが始まった。漢の二つの軍営は互いに連繋もできず、負傷した者の哭声こくせいが地に満ちる。

 洛陽城内の趙固は漢兵の哭声を聞くと、大いに鬨の声を挙げて討って出た。

 劉燦は晋兵に包囲されるかと懼れ、軍営を捨てて逃げ奔る。卜泰は劉燦を見失い、軍営を捨てて兵を引いた。漢兵は指麾する者を失い、互いに損なって死傷する者は数え切れない。

 逃げ延びた漢兵が劉暢の軍営に駆け込んで叫んだ。

「太子は逃れられ、行方が分かりません」

 劉暢は大いに愕き、軍営を捨てて兵を返した。

 晋兵はその後を追わず戦場に残る敗卒を掃討し、漢兵は二万を超える兵を喪ったことであった。

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