第二十回 晋帝司馬睿は熊遠の諌めを聞き従う
魏の
碑文の高さは
好事家は郡の役所に報せて碑文を官府の前に置き、衆人に示して解釈させた。しかし、故事や史書にもこれに類する記述はなく、官吏や士大夫にも解する者がない。ついに碑文は朝廷に献上されることとなった。
この時、
▼「馬超」は蜀漢の章武二年(二二二)に世を去っており、魏の明帝の即位はその四年後にあたるため、このような事実はない。
馬孟起は人を遣わして
「天意は深遠にして測りがたいものです。臣の観るところ、厩に馬があるのは人が飼っていることを示します。その意は
後主が重ねて問うた。
「丞相の言う通りであろう。しかし、その後ろに描かれた牛はどのような意を表しているのであろうか」
「
司馬睿が江南に鎮守してしばらくの後、晋朝は
※
晋帝の司馬睿は即位すると
王導は内にあって朝政を掌り、
「王氏が
憂慮した晋帝は、才識に優れた
「
晋帝はその言に従い、溫嶠を
太子の
太子の人となりをよく知る庾亮は勧めて言う。
「
▼「申不害」は戦国時代の韓に仕え、法の整備と公平な論功を説いて用いられた。「韓非」はその百年後に同じく韓で法家の学問を治めた。
太子はその言に従い、韓非の書を学ばなかった。晋帝はそのことを喜び、庾亮の妹を太子妃に立てることとした。
後日、晋帝は国家の政策を上奏した者の官爵を二等進めることを諮った。
▼「散騎常侍」は
「官爵を
晋帝はその言を疑っていたが、
▼「太子中庶子」は皇帝にとっての
「熊遠の言に従われるのがよろしいでしょう。一度行われれば先例となる
晋帝はその言に従い、熊遠と鄧攸に
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