第二十回 晋帝司馬睿は熊遠の諌めを聞き従う

 魏の明帝めいてい曹叡そうえい曹丕そうひの子)の御世、張掖ちょうえきで一夜に天が傾いたかの如き大雨が降り、夜が明ければ平地は数尺ほども浸水して山や岡は崩れ、その中から大きな碑文が現れたことがあった。

 碑文の高さは一丈いちじょう(約3m)、幅は六尺(約1.9m)ほどもあり、上部には一軒の家屋がかたどられており、その内に七頭の馬がいた。そのうちの大馬三頭はふねに頭を入れて飼葉かいばみ、小さい四頭がその傍らに佇んでいる。その後ろにはまた一頭の牛があり、頸を返して左上の太陽を顧みていた。

 好事家は郡の役所に報せて碑文を官府の前に置き、衆人に示して解釈させた。しかし、故事や史書にもこれに類する記述はなく、官吏や士大夫にも解する者がない。ついに碑文は朝廷に献上されることとなった。

 この時、馬孟起ばもうき馬超ばちょう、孟起は字)が西涼の境に鎮守していた。そこは張掖に近く、近く兵乱が起こるだろうという尾ひれがついてこの噂が聞こえてきた。

▼「馬超」は蜀漢の章武二年(二二二)に世を去っており、魏の明帝の即位はその四年後にあたるため、このような事実はない。

 馬孟起は人を遣わして成都せいとにある後主こうしゅ劉禅りゅうぜん)にこのことを報せた。後主はその意を丞相じょうしょう諸葛孔明しょかつこうめい諸葛亮しょかつりょう、孔明は字)に問うた。

「天意は深遠にして測りがたいものです。臣の観るところ、厩に馬があるのは人が飼っていることを示します。その意は司馬氏しばしを意味するのでしょう。三頭の馬が槽より飼葉を食む姿は、司馬懿しばいとその子の司馬師しばし司馬昭しばしょうが曹魏を喰らうことを示し、傍らにある四頭の馬は司馬氏の一族が盛んとなって魏を奪うことを示すものと解されます」

 後主が重ねて問うた。

「丞相の言う通りであろう。しかし、その後ろに描かれた牛はどのような意を表しているのであろうか」

牛姓ぎゅうせいの者が司馬氏を輔けて事をなす、つまり、牛姓の者が司馬氏の跡を継ぐの意でしょう」

 瑯琊王ろうやおうの妃である夏侯氏かこうしは下吏の牛金ぎゅうきんという者と私通しつうし、司馬睿しばえいを生んだという噂があった。

 司馬睿が江南に鎮守してしばらくの後、晋朝は武帝ぶてい司馬炎しばえん恵帝けいてい司馬衷しばちゅう懐帝かいてい司馬熾しばし愍帝びんてい司馬業しばぎょうの四代を経ていた。中原の失陥を経て司馬睿は即位するに至る。これは、諸葛孔明が解釈した、牛姓の者が司馬氏の跡を継ぐという予言に応じたものであった。

 

 ※

 

 晋帝の司馬睿は即位すると王導おうどうの方針に従い、杜曾とそう周劭しゅうしょうの叛乱を平らげ、朝命に従わない華軼かいつを除いた。晋帝はいよいよ王導を重んじ、朝権は瑯琊ろうや王氏に握られることとなった。

 王導は内にあって朝政を掌り、王敦おうとん武昌ぶしょうに拠って大軍を握り、荊州けいしゅうに鎮守する。長江中流域の要地は王氏の一族に握られ、王氏の権威は晋帝をも圧倒した。

「王氏が簒奪さんだつを企てれば、阻む術はない。朝廷に腹心を置いて自らを衛らねばならぬ」

 憂慮した晋帝は、才識に優れた劉隗りゅうかい刁協ちょうきょうを重用するようになる。二人は晋帝に勧めて言う。

庾亮ゆりょう溫嶠おんきょうを太子の輔佐に任じ、根本を固めるのがよろしいでしょう」

 晋帝はその言に従い、溫嶠を太子たいし侍讀じどくに、庾亮を太子たいし侍講じこうに任じる。庾亮は老荘の学に通じていたが、晋帝は法家ほうかの学を好んだため、韓非かんぴの書を太子に与えて庾亮に講義をさせた。

 太子の司馬紹しばしょうは仁孝に篤い性格であり、文章を好んで射御にも親しみ、賢人や士大夫に礼を尽くして余人の意見をよく聞いた。そのため、人々は悦んでその命に従った。

 太子の人となりをよく知る庾亮は勧めて言う。

申不害しんふがい、韓非の学は酷薄にして民を教化するものではなく、経典に悖る内容を含んでおります。太子が学ばれるには及びません」

▼「申不害」は戦国時代の韓に仕え、法の整備と公平な論功を説いて用いられた。「韓非」はその百年後に同じく韓で法家の学問を治めた。始皇帝しこうていに招かれたものの、李斯りしの讒言により刑死したとされる。

 太子はその言に従い、韓非の書を学ばなかった。晋帝はそのことを喜び、庾亮の妹を太子妃に立てることとした。

 後日、晋帝は国家の政策を上奏した者の官爵を二等進めることを諮った。散騎常侍さんきじょうじ熊遠ゆうえんが諌めて言う。

▼「散騎常侍」は門下省もんかしょうに属し、皇帝の側に仕えて諮問に応じる官。

「官爵をみだりに進めてはなりません。そのような詔を下されれば、上奏を行う者が数万は降りますまい。これらすべての者に爵位を与えられるはずもございません。かつ、陛下は天意に応じて人心に従い、全土の士民が心を寄せております。これは正理によるものです。しかし、士民には遠地に住む者もあり、それぞれの爵位も異なります。上奏したくてもできぬ者もおりましょう。それでは、公平であるとは申せません。むしろ、漢代の法に従い、士民すべての爵位を進めるのが公平です。さらに、上奏を改める煩労も避けられ、奸人の偽りも起こりません。これが最善の方法かと愚考いたします」

 晋帝はその言を疑っていたが、太子たいし中庶子ちゅうしょし鄧攸とうゆうも言う。

▼「太子中庶子」は皇帝にとっての侍中じちゅうと同じく、諮問に応じる近臣と解するのがよい。

「熊遠の言に従われるのがよろしいでしょう。一度行われれば先例となるおそれがあり、軽々しく上奏を行う風を長じてはなりません」

 晋帝はその言に従い、熊遠と鄧攸に賞賜しょうしを与え、このことはついに沙汰止みとなったことであった。

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