第十七回 張咸は梁州を以って成に帰す

 河北かほくを含む中原が戦乱に明け暮れるのに対し、江南こうなん巴蜀はしょくは平穏であった。

 せいの国を治める李雄りゆうは、己を虚しくして賢人を厚遇し、官吏は職に勤しんで民は生業に安んじていた。

 太傅たいふ李譲りじょうが内政を総覧し、少保の李鳳りほうが異民族をなつかせ、法律と刑罰は簡素で明決、裁判は滞らず、さらに学校を興して農業を奨励する。

 民に課される賦役ふえきは、成人男性なら年に穀物を一斛いっこく、成人女性はその半分、疾病がある者はさらにその半分という薄さであった。戸ごとの調ちょうは絹数丈、綿数斤を過ぎず、労役もまた軽い。そのため、蜀の民は年ごとに豊かになり、新たに蜀に入った者たちは数年間の租税を免じられる。

 加えて、連年の豊作により盗賊は鳴りを潜めて鶏犬も愕くことがなく、人々は道に落ちた財貨も拾わず、夜間に戸に鍵をすることもない。

 その反面、官吏たちは無闇に昇進したが職に対する給料はなく、口利きなどで民から財貨を得て暮らし、将兵は練られず紀律も失われた。これらは平和であるがゆえの弊害であった。


 ※


 晋の梁州りょうしゅうは成と隣接していたものの戦はなく、晋と成の民は互いに交通して暮らしていた。

 先に刺史の張光ちょうこう楊難敵ようなんてきと戦って憤死し、任愔じんいんが代わって刺史の任に就いた。その任愔は張光の忠義を思って王詹おうせん王敦おうとんに言う。

「張光は漢中かんちゅうにあって劣勢から大晋の威儀を示し、巴蜀までその名は知られていた。それゆえに李雄は漢中を侵さなかったのだ。その後、漢賊が関中に攻め込んだために救援を得られず、賊徒に苦しめられても節を屈しなかった。その忠魂ちゅうこんを慰めるため、官爵を追贈して子の張邁ちょうまいに職を継がせるべきであろう」

 王敦もその言に同じ、朝廷に上奏を行う。晋帝の司馬睿しばえいもその上奏に従い、関内侯の爵を贈って張邁を梁州刺史に任じ、任愔を召還した。

 張邁が赴任して将兵を握らぬうちに、仇池きゅうちにある楊難敵の甥の楊留ようりゅうという者が攻め込んできた。張邁は父の仇に報いるべく自ら出馬したものの、楊留の伏兵に遭って射殺され、五百人を超える晋兵が落命した。

 州の僚属たちは張光の甥にあたる張咸ちょうかんという者を擁立し、張咸は楊留の不意を襲って討ち取り、張邁の仇に報いる。楊難敵はそれを知ると、五万もの苗族びょうぞくの兵を率いて梁州に向かった。

 梁州の寡兵では楊難敵に抗いがたく、張咸は晋朝に救援を求めようとしたものの、遠路でもあって急場を救えそうもない。近隣の郡縣も頼みにできず、梁州を捨てるよりないかと悩んでいた。

 張邁の妻の王氏が言う。

「士民は張氏の徳を重んじてくれました。州の人々を見捨てたくはありません。賊はすでに逼っています。逃れたところで追いつかれるおそれがあり、さらに国土を捨てたと非難もされましょう。民を裏切って一族の名を辱めてはなりません」

「仰るとおりです。しかし、敵は強く吾は弱く、このまま留まっては進退に窮することとなりましょう」

 そう言うと、張邁は呻吟しんぎんすること半時ばかりして言う。

「一計を得ました。これで梁州を守り抜けましょう」

 そう言うと、書状をしたためて成の李雄に人を遣わした。

 使いの者は成都せいとに到って書状を呈する。張咸が梁州を奉じて投降すると知り、李雄はすぐさま徐輦じょれんに五万の軍勢を与えて梁州に差し向ける。

▼「徐輦」は『後傳』『通俗』ともに「徐挙」とするが、前段より推して改めた。

 楊難敵は梁州の城を囲むこと十日を過ぎても城を落とせず、逆に数千の兵を損なっていた。そこに成の援軍が来たと知り、軍勢を仇池に返す。

 張咸は自ら成都に向かい、李雄に見えて恩を謝した。李雄は張咸を梁州の統治を委ねることとした。


 ※


 漢の始安王しあんおう劉曜りゅうようは長安にあり、張咸が成に救援を求めて投降したと知り、怒って言う。

「大国である吾が大漢に救援を求めず、成のごとき小国に救いを求めるとは。必ずや征して降してくれよう」

 すぐさま上奏を認めて平陽へいようにある漢主の劉聰りゅうそうに伝え、出征の許しを求めた。劉聰が百官を集めて事を諮ると、尚書しょうしょ范隆はんりゅうは言う。

「関中と梁州は山を挟んでいるものの成に近く、出兵すれば必ずや救援を出しましょう。一たび怨みを結んで仇敵となれば、必ずや大軍を遣わさねばならぬ事態に陥りましょう。また、元老が朝廷を去った後、計略に長じた者がおりません。そのため、先には劉暢りゅうちょう汝陰じょいんを攻めてかえって破られ、いまだに仇に報いておりません。この詔を下してはなりません。聞くところ、石勒せきろく曹嶷そうぎょくはともに異心を懐いており、自ら覇王たらんと欲しているといいます。石勒には張孟孫ちょうもうそん張賓ちょうひん、孟孫は字)と徐普明じょふめい(徐光、普明は字)があり、召しても応じますまい。曹嶷に詔を下して太傅たいふに任じ、兵権を委ねて征伐を掌らせるのがよろしいでしょう」

「朕も久しく曹嶷が不臣の心を懐いておるとは知っておる。朝廷に召還できるならばそれはそれでよい」

 そう言うと、詔を下して青州せいしゅうに人を遣わした。

 

 ※

 

 曹嶷は夔安きあん廣固こうこに呼び、僚属を集めて事を諮った。

「靳準と王沈おうちんが朝権を握ったため、吾は密かに晋に通じて廣饒侯こうじょうこうに封じられておる。今、漢主は吾を平陽に召して太傅に任じるという。平陽に行けば晋に背き、行かねば漢に背くこととなろう。朝は晋に仕えて夕べには漢に従うなど、大丈夫のなすことではない。お前たちはどう処するべきと考えるか」

 参謀を務める夏国臣かこくしんが言う。

「仕える主君を軽々しく変えるべきではありません。しかし、漢に身を置けば劉邦りゅうほうに仕えた韓信かんしんのごとく、射るべき鳥が尽きて強弓は仕舞われ、追うべき獣が滅びて猟犬が煮られることを憂えねばなりません。また、晋に身を置けば始皇帝しこうていに仕えた李斯りしのごとく、何事かにかこつけて刑戮されるおそれがあります。今や齊の地はすべて将軍の占めるところであり、黄河と海を楯にすれば身を守るに足り、進めば中原を争えます。古人は齊を指して、十二の山河に守られて太公望たいこうぼうから田氏まで八百年をけみしたと申しました。この齊を押さえて富貴を憂えるには及びません。平陽には『病に臥せているためにお召しに応じられません。病が癒えた暁には平陽に入朝し、犬馬の労を尽くす所存であります』とでも申せばよいのです」

 曹嶷はその言に従い、上奏して太傅の職を辞退した。


 ※


 曹嶷の使者を迎え、劉聰は言う。

「曹嶷は齊の地に拠って天下を睥睨へいげいしておる。しかも朕の詔に従わぬとは、どのように処するべきか」

 范隆が言う。

「ふたたび詔を下してその罪を責めるべきです。入朝せぬならば、代わりに米穀と銀を十万ほども差し出すよう命じられればよいでしょう。従えばよし。従わぬならば、軍勢を発して石都督せきととく(石勒)と会して討伐すればよいことです。それならば、さしもの曹嶷も抗えますまい」

 劉聰はその策を容れて詔を下し、ふたたび青州に勅使を遣わした。曹嶷は漢の恩を思い、五万斛の兵糧、五万錠ごまんじょうの銀、それに五千の甲冑を平陽に送った。

 その荷が届くと、劉聰は大いに喜び、祝宴を開いて慶賀した。その席である者が、王沈の侍女に見目みめうるわしい者がいると言い、劉聰は酔いに乗じてその侍女を求め、王沈が差し出せば皇后に立てると言う。

 傍らにあった者たちは、酔いに紛れた冗談と思って王沈に従わぬよう勧めたが、王沈は劉聰に取り入るべく夜陰に乗じてその侍女を後宮に送り届けた。

 劉聰はその侍女を皇后に冊立し、月華に次ぐ地位を与えた。

 尚書令しょうしょれい王鑒おうかん中書ちゅうしょ左丞さじょう曹恂そうじゅん右丞ゆうじょう崔懿さいいたちは上奏して言う。

 

 臣の聞くところ、王者が皇后を立てるにあたっては、皇帝は天であり日であり、皇后は地であり月であるがため、必ずや代々の名門より貞淑なる令嬢を選んで天下の望みと宗廟の祭祀にそぐうようにするといいます。それでこそ、皇后として天下に臨み、後宮を治めることができるのです。

 このことは周代より連綿と続けられており、『詩経しきょう』にもさまざまに謳われております。

 今、陛下は欲をほしいままにして婢女はしためを皇后に立てんとしておられます。このことを行えば、貴賎の別は失われ、秩序は大いに乱れましょう。後人の模範とはならず、風紀を堕落させることとなります。

 周の厲王れいおうのような行いをなされば、大漢の禍は必ずやここから始まりましょう。

▼「厲王」は春秋時代の周の王、賢臣を退けて佞臣を寵用し、国人の暴動により都をわれた。

 

 劉聰はその上奏を見ると怒って言う。

「一婦を納れただけでお前たちは朕を厲王のごとき暗君に比するというのか。朕をないがしろにするのも甚だしい」

 王鑒が駁して言う。

「臣は陛下を蔑ろにするつもりは毛頭ございません。婢女を皇后に立てることは理に適わぬのです。たとえ王沈の娘であったとしても、刑罰を受けた者の娘です。後宮に入れるには相応しくありません。まして、王沈の婢女など言うにも及びません」

「すでに皇后として立てたにも関わらず、後になって朕の過失を言い立てるつもりか」

 曹恂と崔懿も言う。

「宦官の婢女など、下賎も下賎と言わねばなりません。誰が皇后に立てるよう勧めたのですか。士大夫にとって大切な冠の傍らに汚物を置いて穢すようなものです。このようなことが史書に載れば、後世にまで謗られましょう」

 劉聰はついに靳準と王沈に三人を斬るよう命じた。王沈は三人を庭に引き出すと、王鑒を杖で殴って言う。

「これ以上は悪事を働くでない」

 王鑒は睨みつけて言う。

「賊めが、大漢を乱す者は必ずやお前であろう」

 崔懿も靳準を顧みて言った。

「お前は獣心を懐き、国の患いとなろう。それゆえ、婢女が皇后に立てられても一言の諫言も口にせぬ。王沈のごとき小人と結んで大漢の国威を衰えさせるつもりであろう。吾にはお前の内心など分かっておる。だが、お前が人を食うのであれば、人もお前を喰らおうとするであろう。どれほど意を尽くそうとも、行き着く先は滅びである」

 曹恂はただ言う。

「大丈夫が死に場所を得たのだ。言うにも及ばぬ。お前たちのような国賊は、必ずや誅殺されよう。吾らは先に死んでその末路を見られぬだけのことだ」

 そう言うと、三人は従容として刑につく。その様を見た者で涙を流さぬ者はなかった。

 その日、螽斯ちゅうし側柏そくはくどうが火事になり、火の回りが速かったために劉聰の一族で二十一人が焼死した。朝野の人々は、婢女を皇后に立てて忠臣を刑戮した報いであると噂したことであった。

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